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三章

新しい花

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 だいぶ学校にも慣れてきた五月。広翔は保健室の通う習慣がすっかり身についていた。
『また来たの?』
 とは、彼女ももう書かない。
 その代わりに、『今日は何があった?』と広翔の話をせがむ。
 この一ヶ月、彼女についてわかったことが幾つかある。
 まず、毎日は保健室に居ないということ。
 なぜ居なかったかを聞くと、
『秘密』
 とはぐらかされた。
 要は、言いたくない、ということだろう。
 さすがに問い詰めるのは気が引けた。
 そのため、毎日保健室に通ってはいるが、週に一、二回は必ず会えない。その日はテンションの下がりようがすごく、璃久に「鬱陶しい」と言われた。
 そして、晴れた日はカーテンと窓ガラス越しでしか話が出来ない、ということ。
 日に弱い、という彼女は、目だけでなく、太陽そのものが駄目らしい。アレルギーではなく、あくまで精神的なモノだという。
 そのため、雨の日のみ、窓ガラスを挟まず話ができる。雨が降ると、広翔は小さな子みたいに機嫌が良いため、周りからは変人扱いされた。
 曇りの日も駄目。いつ日が出てもおかしくないからだ。残念には思うが、仕方の無いことと割り切った。
 後は、保健室には入らない、ということ。
 一度だけ、保健室のベッドの横へ行こうとした。
 すると、穂花が「それはダメ」と言ったのだ。
 なんでも、保健室はあくまで保健室であり、病院ではないから面会制度はない、という主張だった。
 的を得てるような、そうでないような気はするが、うるさくするのは他の人の迷惑にもなるため、自粛した。窓越しだと、外の声は一番端のベッドを使う者、つまりは澄香にしか聞こえないので一番好都合なのだ。雨の日は声がある程度掻き消えるため、気にする必要は無い。
 最後のは、彼女について、というよりは保健室ここでのルールだ。
 と、こんなところである。
 だいぶ気軽に話せるようになった、と広翔は感じた。

 結局、璃久から聞いたのを最後に、記憶について考えることはやめた。
 否、「やめた」というよりは「延期した」という方が合っているだろう。
 理由は簡単。
 叔母である結芽に心配をかけないため。
 そしてもう一つ。
 ただ単に、聞く勇気がないから。
 璃久いわく「良いことよりか、悪いことの方が多い」らしいので、今はまだ保留にすることにしたのだ。
『今日は、言いたいことがあります』
 ずいっと身を乗り出して澄香がボードを見せる。 
 その日は小雨がパラパラと降っていた。
「え、はい」
 どうぞ、と広翔が促すと、澄香はボードを引っ込め、また何やら書き出した。
『花壇に花を植えませんか?』
 花。
 尾田家の立派な中庭を思い浮かべ、広翔は眉を寄せた。
「俺、花の手入れとか苦手なんですけど」
『だって、もうすぐパンジー枯れちゃう』
 しゅん、と項垂れた澄香に、広翔は慌てて弁明する。
「あ、いや、その、すみません。先輩の花壇に花を植える手伝いをするのかと!それに、花壇に花って植えていいんですかね」
『そこは頑張って説得して。花壇は花を植えるためのものだとか言って』
 雑な物言いに、悲痛な声を上げる。
「そこは先輩も頼んでくださいよー」
 と言い、広翔はピタリと動きを止めた。
 澄香は眉をひそめる。
「じゃあ、先輩。一つ、お願いが」
 澄香はパッと明るい表情を浮かべ、広翔の言う「お願い」の内容を聞く前に頷いた。


***


 その週の日曜日。
 その日は見事に予報が的中し、雨は一日中止みそうになかった。
 そんな中、浮かれ気分で最寄り駅の階段前でスマホを弄っている奴は、どう考えても不審者に見えてしまう。
「あ、来た」
 その不審者──否、広翔は笑顔で可憐な美少女に手を振った。
 美少女こと澄香は、頬を少し赤く染めながら広翔のもとへ駆け寄った。
 紺を基調にした、ブルーのマキシ丈ワンピースに、いつも通りのサングラス。髪は下ろし、ストラップ付きのヒールサンダルが黒とベージュの落ち着いた色合いで、清楚な服装に仕上がっていた。
 化粧はしていないようだ。
 以前手を引いた時には気づかなかったが、背はヒールの分を含め、身長百七十に少し届かない広翔の肩の高さに頭があった。だいたい彼女の身長は百六十前後のようだ。
「じゃあ、案内よろしくお願いします」
 広翔の言葉に、澄香は笑顔で頷いた。
 広翔の言った「お願い」というのは、
「許可がおりたら、一緒に花を選んでくれませんか」
 というものだった。
 その後無事許可がおり、広翔は自腹を切って花を植えることにした。
「緑化委員でもないのにまともに育てられないんじゃない?」
 と、教頭に揶揄を含めた笑いを浮かべられた。
 職員会議で議題にかけられ、広翔が単体で呼び出された。広翔が進路相談コーナーに入るやいなや、教頭からきつい指摘を受けた。
「じゃあ、三年ください。俺がその三年間で育てられたら、保健委員に植物を育てる分のお金を割り当てて貰えないでしょうか」
 教頭の横で校長が笑った。
「大変でしょうが、頑張ってください。」
 結局費用は確保出来なかったものの、花壇に新しい花を植える許可はおりた。
「まず、なんかできっかけ作って親密度を上げることだな。」
 澄香が広翔に花壇の相談をする少し前の日、いつも通りの場所である中庭のベンチに腰掛け、璃久が言った。
「し、親密度」
 ゲームの攻略じゃないんだから、とため息をつく。
「同じだろ。」
 しれっと返される。
「それに、好きとか、そういうのはまだよくわからん」
 広翔が空を仰ぐと、璃久は
「ああ、じゃあ尚更じゃね」
 と言った。
「え、尚更?」
 なんで、と広翔は璃久を覗き込む。
「お互いを知るいい機会になったりするんじゃね」
 デートというより、友達と遊びに行く感覚の方がいいぞ、と璃久が付け加えた。
「友達……なるほど」
「どーせ、先輩だから友達ではないとか堅い考えしてるんだろうけど。まずは友達から、でいいんじゃねぇの」
 微笑し、「上手くいったらなんか奢れよ」と明るい表情かおで言った。
 友達感覚、友達感覚……。
 自分に言い聞かせるように頭の中で反芻する。
 ただ、と澄香を横目で見た。
 後ろから、しかも傘をさしているため、彼女が今どんな表情をしているのかわからない。
 今回の買い出しは半ば無理矢理だった。
 提案した時、もちろん驚かれた。
「中庭見て、すごいなって思ったんです。種類も詳しそうだし……ダメですか?」
 と駄目押しした。
 渋々、ではないかもしれないが、笑顔で頷いた訳でも無い。どこか不安そうな、眉をひそめたその顔は、澄香が本当はどう感じているのか引っかかるのだった。
 広翔がぼーっと澄香を眺めていると、ターコイズの傘が反転し、笑顔の澄香が立ち止まった。
 広翔が追いつくと、ニコニコしながらある店を指した。
「ここですか?」
 困惑した。
 表に花屋のような看板はない。
 店頭にも花が飾られていない。
 こんな花屋は見たことない。ホームセンターにはもっと見えない。
 不思議に思っていると、澄香が広翔の袖を引いた。
 着いてきて、と言っているようだった。
 澄香に倣って玄関口で傘を畳み、中へ入った。
 店内は薄暗く、テーブルが四つと、カウンターが設置してあり、花屋というよりバーの方がしっくりくる雰囲気を醸し出していた。
 ますます困惑していると、澄香は壁をコンコンと叩いた。
「はーい。すーちゃん?」
 どうやら澄香は、大抵の人にすーちゃんと呼ばれているようだ。
 いきなり壁がバコッと開いた。
 うえっ、と広翔は変な声を出した。
「あ、すーちゃんの彼氏?……にしては、普通だね」
 失礼なことを言いながら姿を現したのは二十代半ば頃の女性だった。巻かれた黒い髪が似合う、目のぱっちりした、スナックに務めていそうな人だ。
「え、誰?」
 澄香に尋ねると、澄香はボードを出すが、薄暗い部屋の中で文字を読むのは困難だった。
「ごめんごめん。冗談よ」
 あはは、と笑う女性は妖艶な笑みを浮かべ、
朝霧あさぎミカ。季実のいとこよ。」
 と、一枚の名刺を差し出した。「あ、それ本名だからね」とミカは念押しした。
「えーと、今日は何を占うの?」
 ミカの突拍子もない発言に、広翔は「へっ?」と素っ頓狂な声を発した。
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