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乾いた涙のあとを、そっと手で触れる。
さっきは嘘を吐いた。本当はもう、バイトの時間は終わっていた。
なんとなくこうなる気がしていたから嘘を吐いた。じゃなきゃ、きっと心が騒いで落ち着かなくて、また彼を傷つけてしまうから。
私の前世は、日本とは全く違う文化の国に生まれた。両親はほとんど覚えてないけれど、婚約者のことは覚えていた。
あのイケメンで軽薄で、なんていうかチャラ男と形容した方が当てはまる人物。
しかもあれが天然だからまた、なんとも言えない感情になったものだ。
とても優しくされていたけれど、私には上辺の笑顔しか見せてくれない。というか、多分彼は気づいていなかったのだろうけど、目はホントに笑っていなかった。だから正直心が重かった。
しかも既に恋人がいるとか。ホントにふざけている。だけどそんなこと、政略結婚させられる身の上で言えるわけが無い。
会うのは週に一回程度。彼は体が弱く、本当は外に出ることを勧められていなかった。けれど彼は、そんな様子を微塵も見せないような振る舞いをして、一日を私と過した。
ある時、なんとなく私は聞いてみた。
「……あなたは、この話が不愉快ではないのですか」
すると、彼は笑って言った。
「そう思っているのは君の方じゃない?だって、私は女の子みんな好きだもの」
清々しいクズ発言に、私は初めて声を上げて笑った。
一頻り笑ってから、私は一つ咳払いをした。
声を上げて殿方の前で笑うのは、当然下品とされていた。
「そっちの方がいいのに。なんで貴族の人たちって笑うこと、泣くことを制限するんだろうね」
変だよね、と肩を竦めて言ってのける彼と、この日を境に関係が変わった気がする。
だけどそれは、彼にとってはとても些細な出来事で、私にとってだけ特別な日だった。
そこで恋愛感情が芽生えた訳では無い。正直、いつから彼のことを想うようになっていたのか分からない。なんであんな優しくて競争率が高くて彼女持ちで、私のことを好きになってくれそうにない人を好いてしまっていたのか。
彼は、本当に身体が弱かった。
薬なしで生き永らえることは絶望的だった。だけど薬を飲むと、彼は脳に障害をもたらす。彼の記憶が、どんどん削られていく。そんな副作用の薬だった。いや、それ以外にも副作用はあった。手足が麻痺する、呼吸だけができる状態になるというだけで、他の器官は重視されていなかった。
医学がそこまで発展していなかったから、あれでも最良の薬だった。
だけど、それを知った彼は記憶を無くすことを誰よりも嫌がった。それこそ、生き続けるという選択を蹴るほどに。
「記憶がなくても、生きてさえいればいい」
私がそう告げると、彼はとても優しく微笑んだ。
「君は、とんだ貧乏くじを引かされたね……私は……俺は、彼女を忘れたくないだけなんだよ。結ばれることが許されないこの世を、できたら変えていきたかったけど……そんな時間すら、俺には残されていない。だからせめて、彼女を覚えておくくらいはしたい」
それが、彼女にむけた一途な想いを表す態度なのだと。
悔しい思いは当然あった。
泣きたい気持ちにもなった。
羨ましくて妬ましくて、心の中は荒れた。
「……君は、貴族の中で生きる術を知っている」
少し弱い声で、彼は呟いた。
「それは君だからなせる技だ。世の中、綺麗な心だけを持って生きていくなんてことできはしない」
さらっとディスられた。まぁ、褒められたやり方はしていないのは事実だった。
「君は本当は優しい人だよ。それは俺が保証する」
ふっと、喉が熱くなった。
「じゃあ」
言うつもりのなかった思いが、震える声で紡がれる。
「じゃあ私が……私が相手でもいいじゃないですか」
目頭が熱くなって、生温い雫が頬を伝う。
「……君はとても素敵な人だよ。俺も、君が好きだよ」
一体何人の女にそう触れ回ったのか。
でも、馬鹿みたいだ。その言葉が心から嬉しくてまた涙が溢れてくる。嬉しいけど、それと同時にとても切なかった。
「だけど、彼女のほうはもっと好きなんでしょう?」
そんなこと、知ってるわよ。だけど少しだけ期待していた。いつか、その子と別れなければならない日がくるから。絶対にくるから。その時は、私と一緒に生きてくれるって、そう信じてた。だって今だって好きだって。私が、好きだって。
親の言いなりに良い子を演じている、従順でつまらない私を、好きだと……。
「……うん。彼女と出会えて始めて、俺は恋って本当はこういうものなのかもって、胸が熱くなった」
こんな感情知らなかった、と彼は可愛らしくはにかんだ。
それは、私だって同じなのに。あなたにとっての彼女が、私にとってのあなたなのに。私はどうして報われないの。おかしいじゃない。
「……知ってますよ。彼女が羨ましいです」
表に出すのは笑顔だけ。
醜い顔は、絶対この人に見られたくない。
私は最期まで、この人の眼に映る時は笑顔でありたい。
彼は、一日薬を飲まなかっただけだった。
その薬は、宝探しと称して彼が私に隠させた。
その事実を知ったのは、彼が亡くなってから四日後、遺品を整理していた時だった。
おめおめ泣いている暇もなく、慌ただしく鎮魂はなされた。私に泥がついたと両親は泣いた。折角の出世の切符を失くしたのだ。
私は王から、彼の遺品を引き取る許可を頂いた。私が隠した箱には鍵がかかっていて、私は中身を知ることができなかった。
「君は箱を隠して。俺は鍵を隠すから」
そう言って箱を手渡してきた。
彼はもう、一人で立つことすらままならずに居るというのに。
てっきり、その棒のような足を引きずって彼女に会いにいくものだと思っていた。
「お互い見つけたら、これの中を見せるよ」
それ、私にしかドッキリになってないじゃないですか。
そう、笑いあったのが最期だった。
その会話を思い出すと、涙が溢れて止まらなくなってしまう。
感情のままに、私は彼の部屋へ向かって駆け出した。はしたない、と呼び止める者はいなかった。
部屋に、鍵はあった。
彼のお気に入りの本の間に挟まっていた。
入っていたのは鍵と、手紙。
手紙には、ただ一行。
「君が相手でよかったよ」
罪な男とは彼を言うのだろう。
本当は不服なくせに。私じゃないあなたの愛した人が相手だった方がいいくせに。
ああ、ほらまた。あなたがそんな優しい嘘をつくから、勘違いしてしまうじゃない。
その日は声を上げて泣いた。赤子の時泣いて以来の大声で。
夕日が、彼の居たベッドのシーツを赤く染める。
彼の温もりを求め、そっとシーツへ手を置いた。
涙が一筋、頬を伝う。
「カルタ様……あなたが、好きです。あなたとまた出逢えたら、今度は私に振り向いてくださいますか?」
もう冬間近というのに、しんと静まり返った室内は不思議と暖かかった。
正直、彼を初めて認識した動物園では、運命を感じた。
だけど私より前に、やっぱり彼女に会っていたと知った時、どうにも感情の制御ができなかった。
控え室を再び出て、誰もいない駐車場を見渡す。
灰色のアスファルトが、光を浴びてキラキラ光っていた。
やっぱり、私は当て馬の役だったけど。
今から前世の「私」は眠ってもらって、これからは「伴田涼音」として生きないと。
歩きながらスマホを取り出し、友人に連絡を取る。
「あ、みつ?今バイト終わったー。パフェ奢って」
さっきは嘘を吐いた。本当はもう、バイトの時間は終わっていた。
なんとなくこうなる気がしていたから嘘を吐いた。じゃなきゃ、きっと心が騒いで落ち着かなくて、また彼を傷つけてしまうから。
私の前世は、日本とは全く違う文化の国に生まれた。両親はほとんど覚えてないけれど、婚約者のことは覚えていた。
あのイケメンで軽薄で、なんていうかチャラ男と形容した方が当てはまる人物。
しかもあれが天然だからまた、なんとも言えない感情になったものだ。
とても優しくされていたけれど、私には上辺の笑顔しか見せてくれない。というか、多分彼は気づいていなかったのだろうけど、目はホントに笑っていなかった。だから正直心が重かった。
しかも既に恋人がいるとか。ホントにふざけている。だけどそんなこと、政略結婚させられる身の上で言えるわけが無い。
会うのは週に一回程度。彼は体が弱く、本当は外に出ることを勧められていなかった。けれど彼は、そんな様子を微塵も見せないような振る舞いをして、一日を私と過した。
ある時、なんとなく私は聞いてみた。
「……あなたは、この話が不愉快ではないのですか」
すると、彼は笑って言った。
「そう思っているのは君の方じゃない?だって、私は女の子みんな好きだもの」
清々しいクズ発言に、私は初めて声を上げて笑った。
一頻り笑ってから、私は一つ咳払いをした。
声を上げて殿方の前で笑うのは、当然下品とされていた。
「そっちの方がいいのに。なんで貴族の人たちって笑うこと、泣くことを制限するんだろうね」
変だよね、と肩を竦めて言ってのける彼と、この日を境に関係が変わった気がする。
だけどそれは、彼にとってはとても些細な出来事で、私にとってだけ特別な日だった。
そこで恋愛感情が芽生えた訳では無い。正直、いつから彼のことを想うようになっていたのか分からない。なんであんな優しくて競争率が高くて彼女持ちで、私のことを好きになってくれそうにない人を好いてしまっていたのか。
彼は、本当に身体が弱かった。
薬なしで生き永らえることは絶望的だった。だけど薬を飲むと、彼は脳に障害をもたらす。彼の記憶が、どんどん削られていく。そんな副作用の薬だった。いや、それ以外にも副作用はあった。手足が麻痺する、呼吸だけができる状態になるというだけで、他の器官は重視されていなかった。
医学がそこまで発展していなかったから、あれでも最良の薬だった。
だけど、それを知った彼は記憶を無くすことを誰よりも嫌がった。それこそ、生き続けるという選択を蹴るほどに。
「記憶がなくても、生きてさえいればいい」
私がそう告げると、彼はとても優しく微笑んだ。
「君は、とんだ貧乏くじを引かされたね……私は……俺は、彼女を忘れたくないだけなんだよ。結ばれることが許されないこの世を、できたら変えていきたかったけど……そんな時間すら、俺には残されていない。だからせめて、彼女を覚えておくくらいはしたい」
それが、彼女にむけた一途な想いを表す態度なのだと。
悔しい思いは当然あった。
泣きたい気持ちにもなった。
羨ましくて妬ましくて、心の中は荒れた。
「……君は、貴族の中で生きる術を知っている」
少し弱い声で、彼は呟いた。
「それは君だからなせる技だ。世の中、綺麗な心だけを持って生きていくなんてことできはしない」
さらっとディスられた。まぁ、褒められたやり方はしていないのは事実だった。
「君は本当は優しい人だよ。それは俺が保証する」
ふっと、喉が熱くなった。
「じゃあ」
言うつもりのなかった思いが、震える声で紡がれる。
「じゃあ私が……私が相手でもいいじゃないですか」
目頭が熱くなって、生温い雫が頬を伝う。
「……君はとても素敵な人だよ。俺も、君が好きだよ」
一体何人の女にそう触れ回ったのか。
でも、馬鹿みたいだ。その言葉が心から嬉しくてまた涙が溢れてくる。嬉しいけど、それと同時にとても切なかった。
「だけど、彼女のほうはもっと好きなんでしょう?」
そんなこと、知ってるわよ。だけど少しだけ期待していた。いつか、その子と別れなければならない日がくるから。絶対にくるから。その時は、私と一緒に生きてくれるって、そう信じてた。だって今だって好きだって。私が、好きだって。
親の言いなりに良い子を演じている、従順でつまらない私を、好きだと……。
「……うん。彼女と出会えて始めて、俺は恋って本当はこういうものなのかもって、胸が熱くなった」
こんな感情知らなかった、と彼は可愛らしくはにかんだ。
それは、私だって同じなのに。あなたにとっての彼女が、私にとってのあなたなのに。私はどうして報われないの。おかしいじゃない。
「……知ってますよ。彼女が羨ましいです」
表に出すのは笑顔だけ。
醜い顔は、絶対この人に見られたくない。
私は最期まで、この人の眼に映る時は笑顔でありたい。
彼は、一日薬を飲まなかっただけだった。
その薬は、宝探しと称して彼が私に隠させた。
その事実を知ったのは、彼が亡くなってから四日後、遺品を整理していた時だった。
おめおめ泣いている暇もなく、慌ただしく鎮魂はなされた。私に泥がついたと両親は泣いた。折角の出世の切符を失くしたのだ。
私は王から、彼の遺品を引き取る許可を頂いた。私が隠した箱には鍵がかかっていて、私は中身を知ることができなかった。
「君は箱を隠して。俺は鍵を隠すから」
そう言って箱を手渡してきた。
彼はもう、一人で立つことすらままならずに居るというのに。
てっきり、その棒のような足を引きずって彼女に会いにいくものだと思っていた。
「お互い見つけたら、これの中を見せるよ」
それ、私にしかドッキリになってないじゃないですか。
そう、笑いあったのが最期だった。
その会話を思い出すと、涙が溢れて止まらなくなってしまう。
感情のままに、私は彼の部屋へ向かって駆け出した。はしたない、と呼び止める者はいなかった。
部屋に、鍵はあった。
彼のお気に入りの本の間に挟まっていた。
入っていたのは鍵と、手紙。
手紙には、ただ一行。
「君が相手でよかったよ」
罪な男とは彼を言うのだろう。
本当は不服なくせに。私じゃないあなたの愛した人が相手だった方がいいくせに。
ああ、ほらまた。あなたがそんな優しい嘘をつくから、勘違いしてしまうじゃない。
その日は声を上げて泣いた。赤子の時泣いて以来の大声で。
夕日が、彼の居たベッドのシーツを赤く染める。
彼の温もりを求め、そっとシーツへ手を置いた。
涙が一筋、頬を伝う。
「カルタ様……あなたが、好きです。あなたとまた出逢えたら、今度は私に振り向いてくださいますか?」
もう冬間近というのに、しんと静まり返った室内は不思議と暖かかった。
正直、彼を初めて認識した動物園では、運命を感じた。
だけど私より前に、やっぱり彼女に会っていたと知った時、どうにも感情の制御ができなかった。
控え室を再び出て、誰もいない駐車場を見渡す。
灰色のアスファルトが、光を浴びてキラキラ光っていた。
やっぱり、私は当て馬の役だったけど。
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