上 下
91 / 102
第九章《赫姫と国光》

【十】

しおりを挟む
 紅子はクロを振り返る。
「申し訳ないけれど、いま彼女は殺させない。全部終わったその後は……そのときは、止めない。どうか手を打って」
 表情を無くした男は、無言で首を縦にした。
「あの男の場所は押さえてあります。行きましょう」と弥生は気絶しているレンを抱えた。
「はい」
 走り出そうとした弥生の背中に、クロは「主様」と声をかけた。
「クロ、……あなたはここで待っていてください」
 とだけ告げ、弥生は再び前を向いた。

 疑問と困惑の両方を孕んでいるように心細いクロの呼び声が、紅子の後ろ髪を引いていた。


***


 庭からそう離れていない場所に男はいた。外傷はそうないはずだが、うまく体を動かすことができないのか、這いつくばりながらどこかへと進んでいる。
「国光──いいえ、光臣さん」
 紅子の呼びかけに、男は小刻みに震える手とは裏腹に瞬時に首を巡らせた。
「なぜその名を、お前が知っている」
「そんなに怯えないで。恨む方向は間違ってないもの」
「……どういう意味だ」
「私はあなたを生き返らせた緋子さんの生まれ変わりではない。緋子さんを殺した女の娘の子孫よ」
 やはりか、と男は憎々しく吐き捨てた。黒い瞳に憎悪が灯る。
「だけどね、生まれ変わった緋子さんはずっとあなたの傍に居たのよ」
 紅子は拳を握り、男を睨みつけた。
「あなたを慕ってくれる人間を見ようともしないで、直接の罪のない血族を殺して……!」
 男は紅子の言ったことをうまく呑み込めていないかのように動かない。駄目押しするように弥生の腕の中にいるレンを指し、
「ずっと記憶を引き継ぎながら、緋子さんは蓮の君となり、そして今度はレンになったのよ。ずっとずっと魂だけが残って、体だけが自分のモノじゃない生活を何十年も、何百年も過ごしてきたの!」
 と叫ぶ。
 男の視線がレンに釘付けになる。弥生は数歩進み出て、目を覚ます気配のない彼女を男の傍に降ろした。
 男は「レン」と小さく呟いた。

「私は、望んでなどいなかったというのに」

 男は懐から短剣を取り出した。
「私はあの場で死んでいたとしても、なにも……ああ、君があと少しで同じ場所にくるのだと思うと少しだけそれもいいかもしれないと思ったくらいだった。それなのに、君は私を生かした。なぜだ」
 問いかけに答えないレンに、一方的に男はしゃべり続ける。
「なぜ私を生き返らせた?なぜ人間と呼べないほどの寿命を与えた?長い長い時の間、私を支えていたのは君を殺した奴の子孫への憎しみだけだったんだ。君を思い出す日々は次第に減っていった。最近ではなにを憎んでいたのか定かじゃなくなっていた。なぜ君は、私にをかけたのだ」
 男は感情を映さなくなった瞳でレンを見つめる。
「君を殺した奴の子孫は、君の姿になぜか似ていたよ。髪は赤いし……赫を見たとき、君の仇だとわかったよ。本能がそう告げるんだ。殺せと言うんだ。だけど、赫を見ていたら君を見ている気がした。赫が笑えば君が笑っている気がした。赫の憎しみに満ちた目を見たとき──君が、私を恨んでいると思った。そのまま殺されようと思っていたのに、なぜか私は死ぬことができない。痛みと傷は残るのに、だ。それに……あの女、花だけは、どうしたって殺す気になれなかった。今思えば君と瓜二つだったんだ。髪の色、瞳の色、過酷な環境で育ったという境遇と自分への頓着のなさが……」
 だから母は殺されなかったのか。安堵と居心地の悪い感情とが紅子の背中を走った。と同時に、頭を石で殴られたかのような激痛が走った。立っていられないほどの痛みに紅子は呻き声をあげた。
「まって……」
 紅子は涙目になりながら訴える。
「まって、お母様……ッ」
 ぱたりと地に倒れた紅子の頭を弥生は咄嗟に支える。彼女が目を覚ますのに時間はかからなかった。だがまるで体の持ち主ではないかのように重そうに瞼を開ける。
 容姿はいつもの彼女とまったく変わらない。けれど瞬きの仕方が、弥生を見つめる目が、どこか、なにかが違うと思わせる。

「……あら、驚かないのね」

 ふふ、と柔らかく微笑む紅子を前に、
「はい。きっとこの局面であなたが出てくると思っていました──紅緒さん」
 弥生は平然と紅子の母親の名を呼んだ。
「神様の力が直接宿った人たちは本当に大変よね。能力チカラと一緒に、能力チカラを受け継いだ歴代の人たちすべての記憶も受け継がれるんだものね」
 紅子の手がさらりと弥生の髪を撫でた。
「懐かしい気配……おじい様はお元気?もうお亡くなりになったかしら」
「ええ。一昨年」
「そう……」
 紅緒は伏せた睫毛の隙間から深緑の瞳を覗かせ、「じゃあ」と申し訳なさそうに眉を下げた。

「終わらせましょうか」
 
 呟いた紅緒は弥生の額に手を当てた。
 青と赤の煌めいた光の粒子が地面から上り、二人を囲うように渦を描いていく。

「──代理人の名のもとに命じる。今このときをもって任は解かれた。眠るモノよ、在るべき場所へ戻りたまえ」

 とんっ、と額を小突かれた弥生の体がゆらりと傾ぐ。受身をとることなく地面に倒れ込んだ弥生の意識はなかった。
 紅緒の手の上で、水浅葱の光の玉が小さく上下しながら揺れる。その頭上から、紅色と若緑の玉が紅緒の手に落ちた。

「神の名のもとに、返上奉る」

 ゴロッと空が唸り、一角だけに真っ黒な雲が集まっていく。その中央が渦を巻き、白い雷が渦の切れ目を走る。
 渦はだんだんと龍の形へと変化していった。
『呼び出されたのは久々よ。我になにを差し出すというか』
 低い声というよりは風の音に近い。しかし聞き取りづらいはずが、言葉の端まで理解ができる。理屈では無い空間に放り込まれた紅緒だが、怯む様子を見せず、声に応えるように三色に光る玉を掲げた。
『ほう……神の力を返すというのか』
「ええ 人には大きすぎる力でした」
 臆せずものを言う紅緒に、真っ黒な雲は『成程』と言う。
『では、契約に則り、与えたもののすべてを返してもらおうか』
「お待ちください。与えられた龍はすでに人と交わり子孫を残しています。生まれ落ちた子どもの命は、お返しするものには当てはまらないのではございませんか」
『では龍の代わりはどうするつもりだ?』
 唸る雲に、紅緒は「を差し出しましょう」とにこやかに言った。
「私はすでに身体の無い身。あの世にもこの世にも影響を与えません」
『……成程、汝はたしかに良き魂であるな。だが足りぬ』
 吐き捨てた雲は、あるはずのない赤く光る瞳をギラつかせながら紅緒と対峙する。
『とはいえ、汝のことは気に入った。多少の条件をつけるが受け入れることとしよう』
「感謝申し上げます」
 礼をした紅子の体から、すっと紅緒が抜け出た。
 軽くなった紅子の体はその場に崩れる。紅緒は振り返りその姿をしばし目に焼き付けた後、ゆっくりとした足取りで、降りてきた黒い雲に足をかけた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪女のなみだ

じじ
恋愛
「カリーナがまたカレンを泣かせてる」 双子の姉妹にも関わらず、私はいつも嫌われる側だった。 カレン、私の妹。 私とよく似た顔立ちなのに、彼女の目尻は優しげに下がり、微笑み一つで天使のようだともてはやされ、涙をこぼせば聖女のようだ崇められた。 一方の私は、切れ長の目でどう見ても性格がきつく見える。にこやかに笑ったつもりでも悪巧みをしていると謗られ、泣くと男を篭絡するつもりか、と非難された。 「ふふ。姉様って本当にかわいそう。気が弱いくせに、顔のせいで悪者になるんだもの。」 私が言い返せないのを知って、馬鹿にしてくる妹をどうすれば良かったのか。 「お前みたいな女が姉だなんてカレンがかわいそうだ」 罵ってくる男達にどう言えば真実が伝わったのか。 本当の自分を誰かに知ってもらおうなんて望みを捨てて、日々淡々と過ごしていた私を救ってくれたのは、あなただった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

城で侍女をしているマリアンネと申します。お給金の良いお仕事ありませんか?

甘寧
ファンタジー
「武闘家貴族」「脳筋貴族」と呼ばれていた元子爵令嬢のマリアンネ。 友人に騙され多額の借金を作った脳筋父のせいで、屋敷、領土を差し押さえられ事実上の没落となり、その借金を返済する為、城で侍女の仕事をしつつ得意な武力を活かし副業で「便利屋」を掛け持ちしながら借金返済の為、奮闘する毎日。 マリアンネに執着するオネエ王子やマリアンネを取り巻く人達と様々な試練を越えていく。借金返済の為に…… そんなある日、便利屋の上司ゴリさんからの指令で幽霊屋敷を調査する事になり…… 武闘家令嬢と呼ばれいたマリアンネの、借金返済までを綴った物語

処理中です...