上 下
70 / 102
第七章《秋桐家と龍の加護》

【九】

しおりを挟む
 まだ朝餉の支度が整っていないであろう刻、紅子と弥生が二人眠っていた部屋の扉が激しい音で叩かれた。
 紅子は突然の物音に跳ね起きる。そのすぐ隣では弥生が刀の柄に手をかけて扉を睨んでいた。
「秋桐家長男殿!いらっしゃるのは確認済みです!今すぐに出てこないのであれば強制連行させていただく!」
 強気な男の声に紅子は身をすくませる。そんな彼女に、弥生は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。貴方に手出しはさせません」
 いつもそのようなことを言う。
 紅子はギュッと拳を握った。嬉しくないわけではない。だけどどうしようもなく、モヤモヤした気持ちが湧いてくる。

──どうして自分のことはかえりみないのか。

 声をかけようとしたその刹那、扉が力任せに開け放たれた。
 数人の武装した男たちが部屋に堂々と踏み入ってきて、一人の強面の男が一枚の書状を弥生に突きつけた。
「我々は皇室付の警備団である。秋桐家長男、秋桐弥生。人身売買勝加担の罪で貴殿を連行する!尚今回は証拠もあるためこれについての異論は一切認めない」
 一方的に捲し立てると、彼に罪人を縛る縄を両腕に括りつけた。
 両手で驚愕を手のひらに秘める紅子が眼中にないとでもいうように、警備団だと名乗った男共は弥生を囲むなり部屋を出て行こうとする。
「……ど、して」
 紅子は恐れを押し込めるかのように顔の前で指を組む。
「どうして、なにも仰らないのですか──弥生様」
 舌が干上がってしまったかのように上手く言葉を紡ぐことができない。紅子の問に答えることなく、弥生はそのまま連行されていった。

 残された紅子は、一人その部屋で魂が抜けたかのように一寸たりとも動くことがなかった。

「──若奥様」

 気づいた時、クロが傍らに立っていた。
 彼の体は見えるところにまで包帯が施され、見ている方が痛々しい。
「若奥様、そろそろ移動をしなければなりません」
 降ってくる声は常と変わらない。傷心しているだろうに、それをおくびにも出さない。
「……貴方みたいに、強ければよかった」
 掠れた声が紅子の口から紡がれた。
 弱さを表に出さないような、そんな強さが。
 彼女の握りしめた拳の表面を、雫がぽたりと二滴、三滴と濡らしていく。
「何も、言えなかったんです。弥生様がそんなことするはずがないとも、連れていかないでとも、何も……それどころか、納得してしまいました。秋桐の家と縁を結ぶため、義父ちちは巨額を積んでいたのだろうって……私は自分に都合のいいようにしか考えていなくて、勝手に傷ついて」
 本当に勝手だ。それでいいと納得したのではなかったのか。あの義父の手から逃れられるのならどうでもよかった。どうでもよかったはずなのだ。
「……なにを仰っているのか、私にはわかりかねます。けれど若奥様、私にも見えるものがあります。……若奥様は、人を信じることが怖いのですね。だけど信じようとしている」
 穏やかな笑みを浮かべたクロは、語りかけるように言葉を繋ぐ。
「私には、若奥様の方が強い人に思えますよ。押し寄せる感情一つ一つを自覚し、処理をして、そしてまた歩き出す。誰にでもできることではないです。……私は強いのではなく、見ないふりをしているだけです。でなければ、壊れてしまいそうだから。それが間違っているとは思いません。それが私のやり方ですから。それを貴方が羨むのは、きっと自分とは違うからでしょう。違うものはどうしたって眩しく見えるものですから」
 紅子は黙って聞いていた。
 だがおもむろに手を膝から離したかと思うと、自身の頬を力いっぱい叩いた。パァンと乾いた音が部屋に響く。
「そうですね。私は一つずつ……確実に、行動していくことにしましょう」
 顔を上げた彼女の目はかすかに潤っている。
「弥生様をお待ちする間、私にできることをしなくてはなりませんね」
 すぅ、と息を吸った彼女は、宿屋の廊下に出て時刻を確認した。
「では、行って参ります」
 彼女の言葉にクロは「私も参ります」とすかさず言う。
 怪我が、と言いかけた紅子だが、口を閉ざして頷いた。

 帯の中に入れていたマッチ箱を取り出し、灰皿にバラバラと広げる。残った一本を箱に擦りつけて火を起こし、広げたマッチ棒に火を灯す。
 あっという間に燃え上がった炎を前に、紅子は目を閉じて手をかざした。


***


「……本当に、現れた」
 聞き覚えのある声に、紅子はゆっくりと目を開いた。
 そこには太陽夫妻とサクラ、それに春の宮が紅子に視線を注いでいた。状況が全くわかっていない紅子はそろりと春の宮を窺い見る。
「これで納得して頂けました?人を自在に移動させる術を習得したと」
 春の宮のしたり顔に、太陽妻は取り繕うように笑みを張りつけた。
「勿論疑ってなどいませんよ。貴方は私たちに尽くしてくれる子だと知っておりますもの」
 扇子を広げて口元を隠す妻の目ははっきり泳いでいる。

「──では、やはり紅子さんには能力チカラなんてなかった。そういうことでよろしいですよね?」

 紅子が目に見えて狼狽した。
 聞こえるはずのない、居るはずのない人物の声だった。

「お久しぶりです紅子さん」

 彼は──昭平は、両手を広げる。そしてあの月夜の下で見たときと同じ、無邪気で残酷な温かい笑みで紅子を歓迎する。

 彼女の胸の内で、暖炉の火が爆ぜるような音がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪女のなみだ

じじ
恋愛
「カリーナがまたカレンを泣かせてる」 双子の姉妹にも関わらず、私はいつも嫌われる側だった。 カレン、私の妹。 私とよく似た顔立ちなのに、彼女の目尻は優しげに下がり、微笑み一つで天使のようだともてはやされ、涙をこぼせば聖女のようだ崇められた。 一方の私は、切れ長の目でどう見ても性格がきつく見える。にこやかに笑ったつもりでも悪巧みをしていると謗られ、泣くと男を篭絡するつもりか、と非難された。 「ふふ。姉様って本当にかわいそう。気が弱いくせに、顔のせいで悪者になるんだもの。」 私が言い返せないのを知って、馬鹿にしてくる妹をどうすれば良かったのか。 「お前みたいな女が姉だなんてカレンがかわいそうだ」 罵ってくる男達にどう言えば真実が伝わったのか。 本当の自分を誰かに知ってもらおうなんて望みを捨てて、日々淡々と過ごしていた私を救ってくれたのは、あなただった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

処理中です...