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精霊の望み

【20】サプライズ

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 まどろんだ意識の中で、誰かが声をかけている。
 とても優しい声なのに、それ以上に、とてもとても恐ろしい。
 ゆっくりゆっくり近づいてきている。望んでいないのに、そっと足音を忍ばせて、私たちのもとに来ようとしている。

──……えを……なんか……せない。

 聞こえない。聞き取れない。聞きたくない。
 来ないで。来ないで来ないで!

 闇の中、ゆっくりゆっくり追いかけられる。絶対追いつかれないはずなのに、私の方が速いのに、どうしてこんなに怖いの。
 声も涙も涸れてしまったかのように出てこない。溢れてくるのは恐怖だけ。感じるのも恐怖だけ。こんな世界に居たくない。私はここでずっとずっとおびえて暮らすのだろうか。

 そんなの、絶対イヤだ。

 勇気を出して振り返った。
 だけど振り返らなきゃよかった。

 だってすぐ後ろに、そいつは居た。真っ黒な影に包まれたそれは、私の頬を包んだ。

「お前を、幸せになんかさせない」

 ボソリと呟くような、呻くような声だった。
 その声を最後に、漆黒は消え、重い体の感覚に意識が引っ張られる。

「ミシュラ」

 眩しい光を放つ彼に、魔法使いはふっと微笑む。
「おはよう、ルド。また眠っちゃってたんだね」
 ゆっくり目をまばたいた彼女は、自身の腕を天井に掲げたかと思うと、手を握ったり開いたりを繰り返す。
 そういえば実験中に魔法を使っちゃったんだった、と思い出す。
「今回も、悪夢だったようだな」
「たぶんちょっと違う」
 ミシュラはそう返すと、上半身を起こして足をベッドから出した。
「今回のはたぶん予知夢ヨチムだ。それも、悪い未来につながる予知」
 そう話すミシュラの表情は珍しく固い。相当夢見が悪かったらしい。
 ルドガーは彼女の髪に触れると、わしゃっとこねくり回した。
「ちょおっ!?なになになに」
 困惑した様子のミシュラに、ルドガーは「バカ」と吐き捨てた。
「私バカじゃないよ!頭脳だったらルドガーよりずっといいもの!」
「そういう意味じゃねぇわバカ」
 手を止めたルドガーは、魔法使いを見下ろす格好で腕を組んだ。

にしないために、俺はお前の傍に居るんだ。何回も言ってんだからいい加減覚えろ。……お前はもう、独りじゃない。抱え込んでもいいが、それは俺にも背負わせろ」

 ミシュラは目を見開き、嬉しそうに「うん」と笑う。
 その笑みにルドガーの耳はじわりと赤くなる。
「でもルド。それプロポーズみたいだよ」
 と笑うミシュラを前に、ルドガーは思考をフル回転させた。
 この鈍感に定評のあるミシュラから「プロポーズ」の文字が出た今が押し時なのか。それとも今は茶化された雰囲気だから言うべきではないのか。そもそもいきなりプロポーズは重いのか。
 殺人者の顔になっていくことなど気にならないとでも言うように、ミシュラはゆっくり立ち上がる。
「さてさて。そろそろ冷え冷えアイテム作りをしないとね」
 と言ったその手には既に道具が握られている。
「去年大好評だった水枕のカバーと、冷却シートはいっぱい作っておかなきゃね。あとは今年も新商品出したいから商品開発もやるとして……」
 彼女から紡がれる理想を全て叶えるとなると、彼女の休息時間など取れやしないだろう。
 普通止めるべきなのは百も承知だ。

──だが。

 その目はやっぱりランランとして、意欲が溢れて止まらないというのが一目でわかる。
 その目に彼はとても弱い。

「まて。……俺も手伝う」

 いつからか、止めるのではなく手伝いにいそしむようになっていた。

 彼女の探究心に満ちたその笑顔と瞳の輝きを失わせたくないから、という己の気持ちに気づいたとき。彼がミシュラと共に居る理由の一つとなったのだ。

「そうね……じゃあ、水を汲んできてほしいかな」

 遠回しに作業に参加させない意を示したミシュラの向かい側では、フォグが淡々と業務をこなしていた。
 以前は強制的に参加させられていたというのに、器用な人手が入ると用済みなのか。たしかに細かい作業は嫌いだが、かといって全く必要とされなかったり自分だけけ者にされるのはまた違った負の感情が湧いてくるというものだ。

 とはいえ、そんなこと口にできるはずもなく。おとなしく彼は水を汲みに外へ出た。

 瓶いっぱいに汲んでくると、なぜだか家の中は暗い。もう夕方になるというのに、灯りがついていない。

──たぶん予知夢。

 そう言った不安そうな彼女の顔が脳裏をよぎる。
 瓶をその場に置いたルドガーは勢いよく扉を開き、魔法使いの名を叫んだ。

「おめでとーう!」

 パンッと音がしたかと思うと、ほのかに黄色い灯りがつき、色とりどりの紙吹雪が天井から降り注いできた。
 ぽかんと口を開くルドガーに、ミシュラとフォグが駆け寄ってきた。
「今日は、ルドガーがうちにきてちょうど一年経つ日なんだよ。起きれて良かったよー」
 とミシュラは晴れやかな顔で未だ状況が呑み込めていない男の手を引いた。
 ルドガーを席に座らせると、
「あのね、フォグと二人で協力したの。お料理は火から目を離さないように頑張ったから焦がしてないよ!」
「飾り付けはほぼ俺がやった」
 褒めて褒めてと言わんばかりのキラキラした目を向けてくる二人に、ルドガーは声を詰まらせる。
「あ、でもこの場合おめでとうじゃなくてありがとうのほうが合ってたね」
 とミシュラは照れ笑いを浮かべた。

「これからもよろしくね」

 彼女からすればなんでもない言葉なのかもしれない。けれど「これからも」と未来を語る彼女に、ルドガーは胸が熱くなるのを感じた。

──まさか自分にこんな熱い情があったとは。

 かつての自分とは全く違う自分に、彼自身驚いていた。
 そのキッカケとなった彼女をちらりと見上げる。
「さ、食べよ食べよ」
 と視線の先の彼女は小皿に料理を取り分けていく。
 その向かい側でフォグは「俺大きいやつ」と主役にお構いなく我を通している。
 優しい空間に、ルドガーの口角は自然と上がる。と同時に、テーブルの下で拳を握りしめた。

 妖精事件の際に出てきた「魔法使い」は、彼女の恐れる「悪い予知夢」と無関係とは思えない。

──ミシュラに手出しなんかさせない。

 そう、強く心に誓った。

「ルド?」
 眉尻を下げる彼女に、ルドガーは「なんでもない」と料理を口に運ぶ。
「美味い」
 彼が微笑むと、ミシュラはパッと表情を明るくした。その瞬間すら愛らしいから困る、とルドガーは顔を背けた。
 フォグは我関せずとでも言うように無言で料理を胃に収めていった。


「──飲みすぎた」

 ぼーっとする頭に手を当て、小さく舌打ちを鳴らす。緊張からか度数の高い酒をがぶ飲みしてしまった。 
 そんなルドガーのすぐ隣では、意中の女性が寝息を立てている。フォグは、と辺りをきょろきょろ見回すも見当たらない。

 彼女は酔って寝ている。聞こえるはずがない。
 そんな思いが、男を動かした。

「あんたが好きだから、俺はここに居るんだ。……いい加減、気づいてくれてもいいのにな」

 すこすこと眠る彼女の髪をき、その体を両腕に抱える。
 彼女の部屋のベッドに横たえ、その額にキスを落とした。
「おやすみ」
 ルドガーは呟くと、音を立てないよう気をつけながら部屋を出た。
 だがルドガーは失念していた。彼女が酔った時の記憶を忘れることはほぼ無いということを。

──そしてそれは、彼女が眠っている時でさえも発動するのだということを。
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