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人の子の望み
【6】酷な報せ
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翌朝、案の定彼女はキッチンに立っていた。
壁にもたれながら、ルドガーは顔をしかめる。
「まだ本調子じゃねぇだろ」
「もう大丈夫だよ。相変わらず心配性なんだから」
と鍋つかみをはめた彼女が苦笑する。
「心配性以前に、まだ熱あるだろ。体調管理ができてない奴に、誰が頼りたいと思えるんだ」
頬がまだ赤い彼女は、息を軽く切らしている。本調子でないことは明らかだ。
「今日は休業だ。いいから、寝てろ」
「駄目だよ。私の勝手な都合で昨日倒れたのに、今日も寝込むだなんてそんなの駄目」
どうやら家の掃除を優先したことを悔やんでいるようだった。
たしかにあの魔法を発動させなければ、彼女は昨日から薬作りに励めたかもしれない。だがそれは結果論だし、そもそも薬の見分けがつかない時点で掃除は最優先事項だったはずだ。
「それに、今日の朝くるって言われたのでしょ」
たしかに言われたけども。ルドガーは髪をガシガシ掻く。
「顧客優先も結構だがな。あんたはもっと自分を労わってやれ」
「自分のことは自分でできる。今までだってそうやってきたんだってば!」
金切り声で叫んだ彼女は、ギッとルドガーを睨みつける。
「ルドに口出しされる覚えはない。作業の邪魔するなら出ていって!」
と広い背中をぐいぐい押すが、残念ながら巨体は一ミリも動かない。
「──ああ、そうかよ」
低く呟くと、ルドガーは振り返り彼女を横抱きにした。
「何するの!下ろして!」
「あんたの意思なんか聞く義理ない」
「やめてっていってるじゃない!」
「俺だってさっきそう言った」
ルドガーの冷たい瞳に、魔法使いは声を詰まらせた。
「……わかってよ。私がやらなきゃ誰がやるの……」
「誰もやらねぇだろうな」
「じゃあ!」
厚い胸板の形を浮かび上がらせたシャツをクシャッと握り、魔法使いは歪んだ表情を上げる。
「全員の要望に応えるなんてことはできねぇんだ」
「それでもやれることはやっておきたいの!」
ミシュラの泣きそうな声に「へぇ」と嗤う。
「じゃあ、注文が重なってる時はどう処理するんだ」
「そんなの、予約日とか……優先すべきものからやってってるじゃん」
そうだな、とうなずき、ルドガーは彼女の部屋の前でピタリと足を止めた。
「じゃあ、今高熱を出してる奴と注文予約の期限にまだ余裕がある案件とだったら、どっちを優先するんだ」
魔法使いは押黙り、下を向いた。
「あんたが以前言ったんだ。『種族、階級関係なく注文を受ける。この店では地位も名誉も関係ない』ってな。それをあんた自身が破るのか」
でも、と言い淀む彼女は今にも倒れそうなほど顔色が悪い。
「……俺は昨日お前の『おねがい』を聞いたわけだが、あんたは俺のを聞き入れてはくれないのか」
呟いた男は、腕の中から見上げてくるつぶらな瞳から視線を逸らし、彼女を解放した。
「俺はあんたが人のために頑張っていることをよく知ってるし、それは尊敬してる。だが自己犠牲はしてほしくない。……これは単に俺の我儘だから、聞くも聞かないもあんたの自由だけどな」
呼吸をする音が廊下に吸い込まれる。
ルドガーはなんの反応も示さない魔法使いに背を向け、階段を降りた。
「ルド」
震える声に足を止め、魔法使いの方から彼の表情が見えない程度に振り返る。
「……ちょっとだけ、体がまだだるい気がするの。フォグがきても、今日はまだ動けないって伝えてくれる?」
そっと彼女の方を見上げる。ミシュラは充血した目を逸らし、すんっと鼻をすすった。
不謹慎だが、そんな彼女もまた愛らしく映って見えるのだから、恋は盲目と呼ばれるのかもしれない。
ルドガーは柔らかく目を細め、
「ありがとな」
と言った。
魔法使いは軽くかぶりを振り、自室に入っていった。それを見届けたルドガーは、一階部分に戻ってドライフラワーを束ねる内職作業を開始した。
朝訪ねると言った彼はまだ来ていない。
何となく胸騒ぎがしたが、フォグの居場所を知らないため様子を見ることすらかなわない。
──そしてその胸騒ぎは、残念ながら的中してしまう。
結局夕刻になっても彼は現れず、外は雷がぱちぱちと鳴り、今にも猛烈な雨が吹きすさびそうな空模様だ。
玄関のドアを固定してしまおうと扉を開けると、ノックしようとしていたフォグとかち合った。
「………………どうした」
手には星の粉が握られていたが、中身の量は減っていない。
それ以上に目に付いたのは、彼の頬にも額にも、そして腕や足に赤い筋と、目の上の赤黒く変色したこぶだ。
異様な風体に、ルドガーは血の気が引くのを感じた。
フォグは自身の傷など気にしていない様子で、粉の入った瓶を手のひらで転がし、光を灯していない目を瓶に注ぐ。
「これ、もう要らないんで……返します」
昨日の彼はどこへ消えたのか、声も雰囲気もまるで別人だった。
「昨日の今日で何があった」
ルドガーの問いに、少年はピクリと肩を揺らした。
「…………なにが、あったんだろうな」
少年の様子に、ルドガーはますます怪訝な表情になる。
フォグは俯いたまま、早口で喋った。
「母さんが死んだんだ。俺の仕事先の上司の子どもに殺された」
早口で小声で、さらに外は既に激しい雨が降り始めているというのに、なぜかハッキリ聞こえてしまった。
「……なぁ、ルドガーさん」
顔を上げたフォグと目が合った。
「人を呪う薬……頼んだら作ってくれるのか?」
泣き笑いのようなその表情に、ルドガーは返す言葉を失った。
壁にもたれながら、ルドガーは顔をしかめる。
「まだ本調子じゃねぇだろ」
「もう大丈夫だよ。相変わらず心配性なんだから」
と鍋つかみをはめた彼女が苦笑する。
「心配性以前に、まだ熱あるだろ。体調管理ができてない奴に、誰が頼りたいと思えるんだ」
頬がまだ赤い彼女は、息を軽く切らしている。本調子でないことは明らかだ。
「今日は休業だ。いいから、寝てろ」
「駄目だよ。私の勝手な都合で昨日倒れたのに、今日も寝込むだなんてそんなの駄目」
どうやら家の掃除を優先したことを悔やんでいるようだった。
たしかにあの魔法を発動させなければ、彼女は昨日から薬作りに励めたかもしれない。だがそれは結果論だし、そもそも薬の見分けがつかない時点で掃除は最優先事項だったはずだ。
「それに、今日の朝くるって言われたのでしょ」
たしかに言われたけども。ルドガーは髪をガシガシ掻く。
「顧客優先も結構だがな。あんたはもっと自分を労わってやれ」
「自分のことは自分でできる。今までだってそうやってきたんだってば!」
金切り声で叫んだ彼女は、ギッとルドガーを睨みつける。
「ルドに口出しされる覚えはない。作業の邪魔するなら出ていって!」
と広い背中をぐいぐい押すが、残念ながら巨体は一ミリも動かない。
「──ああ、そうかよ」
低く呟くと、ルドガーは振り返り彼女を横抱きにした。
「何するの!下ろして!」
「あんたの意思なんか聞く義理ない」
「やめてっていってるじゃない!」
「俺だってさっきそう言った」
ルドガーの冷たい瞳に、魔法使いは声を詰まらせた。
「……わかってよ。私がやらなきゃ誰がやるの……」
「誰もやらねぇだろうな」
「じゃあ!」
厚い胸板の形を浮かび上がらせたシャツをクシャッと握り、魔法使いは歪んだ表情を上げる。
「全員の要望に応えるなんてことはできねぇんだ」
「それでもやれることはやっておきたいの!」
ミシュラの泣きそうな声に「へぇ」と嗤う。
「じゃあ、注文が重なってる時はどう処理するんだ」
「そんなの、予約日とか……優先すべきものからやってってるじゃん」
そうだな、とうなずき、ルドガーは彼女の部屋の前でピタリと足を止めた。
「じゃあ、今高熱を出してる奴と注文予約の期限にまだ余裕がある案件とだったら、どっちを優先するんだ」
魔法使いは押黙り、下を向いた。
「あんたが以前言ったんだ。『種族、階級関係なく注文を受ける。この店では地位も名誉も関係ない』ってな。それをあんた自身が破るのか」
でも、と言い淀む彼女は今にも倒れそうなほど顔色が悪い。
「……俺は昨日お前の『おねがい』を聞いたわけだが、あんたは俺のを聞き入れてはくれないのか」
呟いた男は、腕の中から見上げてくるつぶらな瞳から視線を逸らし、彼女を解放した。
「俺はあんたが人のために頑張っていることをよく知ってるし、それは尊敬してる。だが自己犠牲はしてほしくない。……これは単に俺の我儘だから、聞くも聞かないもあんたの自由だけどな」
呼吸をする音が廊下に吸い込まれる。
ルドガーはなんの反応も示さない魔法使いに背を向け、階段を降りた。
「ルド」
震える声に足を止め、魔法使いの方から彼の表情が見えない程度に振り返る。
「……ちょっとだけ、体がまだだるい気がするの。フォグがきても、今日はまだ動けないって伝えてくれる?」
そっと彼女の方を見上げる。ミシュラは充血した目を逸らし、すんっと鼻をすすった。
不謹慎だが、そんな彼女もまた愛らしく映って見えるのだから、恋は盲目と呼ばれるのかもしれない。
ルドガーは柔らかく目を細め、
「ありがとな」
と言った。
魔法使いは軽くかぶりを振り、自室に入っていった。それを見届けたルドガーは、一階部分に戻ってドライフラワーを束ねる内職作業を開始した。
朝訪ねると言った彼はまだ来ていない。
何となく胸騒ぎがしたが、フォグの居場所を知らないため様子を見ることすらかなわない。
──そしてその胸騒ぎは、残念ながら的中してしまう。
結局夕刻になっても彼は現れず、外は雷がぱちぱちと鳴り、今にも猛烈な雨が吹きすさびそうな空模様だ。
玄関のドアを固定してしまおうと扉を開けると、ノックしようとしていたフォグとかち合った。
「………………どうした」
手には星の粉が握られていたが、中身の量は減っていない。
それ以上に目に付いたのは、彼の頬にも額にも、そして腕や足に赤い筋と、目の上の赤黒く変色したこぶだ。
異様な風体に、ルドガーは血の気が引くのを感じた。
フォグは自身の傷など気にしていない様子で、粉の入った瓶を手のひらで転がし、光を灯していない目を瓶に注ぐ。
「これ、もう要らないんで……返します」
昨日の彼はどこへ消えたのか、声も雰囲気もまるで別人だった。
「昨日の今日で何があった」
ルドガーの問いに、少年はピクリと肩を揺らした。
「…………なにが、あったんだろうな」
少年の様子に、ルドガーはますます怪訝な表情になる。
フォグは俯いたまま、早口で喋った。
「母さんが死んだんだ。俺の仕事先の上司の子どもに殺された」
早口で小声で、さらに外は既に激しい雨が降り始めているというのに、なぜかハッキリ聞こえてしまった。
「……なぁ、ルドガーさん」
顔を上げたフォグと目が合った。
「人を呪う薬……頼んだら作ってくれるのか?」
泣き笑いのようなその表情に、ルドガーは返す言葉を失った。
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