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人の子の望み

【4】魔法使い

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 ガイドブックをパラパラと開き、ミシュラは薄く目を閉じる。
 その光景を少し離れた位置から見ていたルドガーは、ぼうっと突っ立っている男をちらと見た。
「……よかったのか?あの本と交換で」
 ガイドブックを渡すことを、彼は間髪入れずに承諾した。
「ああ……どのみち、俺には使えないから。使う場所もないし」
「あの本は、お前のものか?」
 フォグは「そうだよ」と言う。
「盗んだものじゃないかって?いっとくけど、俺はまだ何も盗んだことねぇんだぜ」
 可笑しそうに笑い、視線を落とす。
「……家なんか、もうずっとない。ずっと路上での生活だ。慣れたと思ってたんだが……未だ、あったかい家に帰ることを諦めきれてなかったんだ。それでずっと手放せずにいたんたが……今あの魔法使いと取引するのに使えたんだから、結果オーライってやつかな」
 寂しの宿ったその瞳は、かすかに炎がちらついて見える。
「……って、おい!まじで燃えてんじゃねぇか!」
 フォグの視線の先には、激しい炎を噴いて燃える家があった。
「ミシュラ!何やってんだ!」
「あ、ルドは初めて見るのか。今家を建てた当初の姿にしようとしてるんだけど」
「そんなことできるのか!?」
「載ってたからできるよ。うっすい本だとない場合が多いんだけど、これかなり分厚いんだよね」
 ミシュラは「それでね」と語を紡ぐ。
「これ……強力な魔法なのよ」
 軽く言い淀むミシュラからは嫌な予感しかしない。
「炎を本に戻さなきゃなんだけど、そのときの爆風がすごそうなんだよね。だから湖に飛び込んでてくれない?一分くらい」
「……わかった。火傷するなよ。説教は後でするからな」
 とうなずくなり、フォグを担いで走り出した。
「はっ!?なん……っていうか!あの魔法使いは放っておくのかよ!」
 フォグは肩の上でじたばた暴れる。
「落ち着け。魔法使いが魔法で死ぬことはない。死ぬのは、殺されたときか寿命か──っと、息吸え!」
 叫んだかと思うと、ふわりと体が宙に浮き、間もなく水の中に落ちる。その数秒後、湖に海流が生まれるほどの衝撃が二人を襲った。

「──……っゴホッ!うぇ……っ水飲んだ……っ」
「ここの水は飲んでも平気だぞ。浄化されてるから」
 とルドガーは下を指す。
 湖の底の方で青白い光が揺蕩たゆたう。その形はよく見れば陣のようにも見える。
「ミシュラの姉弟子がやってくれたんだと」
 ザバッと音を立てて水から脱する。
 服が水をたっぷり吸い込み重くなっている。上半分を脱ぎ、絞る。水がだばだばと溢れ、地面を濡らした。
「あ、よかった。二人とも大丈夫だった?」
 と森の向こうからミシュラが駆けてきた。
「ひゃっ!裸……っ!」
 悲鳴を上げたミシュラの瞼がふっと落ち、上体がかしぐ。
「っぶな」
 ルドガーは後ろに倒れかけた彼女の手を掴み、素早く華奢な肩に手を回す。
「いや、耐性なさすぎでしょ……」
 呆れるフォグに、「そうじゃない」と首を振った。

「おそらく、さっきのガイドブックの制御で限界だったんだ」

「は?どういうことだよ」
 困惑するフォグに、「まぁ聞け」と腰を軽く曲げた。次いで眉間が険しい彼女の膝に腕を入れて横抱きにし、ゆっくりと立ち上がる。
「魔法使いってのは、自分の限界がわからんらしい。その魔法を発動してからでないと、どんな副作用があるのか、いつまで続くのか……それが全くわからない。だから、魔法使いには制御ができる師が絶対に必要なんだ。でなきゃ若い魔法使いはすぐに死んでしまう。あとついでに言っておくと、この魔法使いは限界値がかなり低い。つまりちょっとした魔法を使おうとするだけでこの有り様だ。今回はガイドブックに載ってた魔法の規模がデカかったから、依代にはなってたんだろうが、それだけじゃ足りずに術者の力を必要としたんだろう」
 歩き出すルドガーのすぐ後ろにつき、
「……魔法使いって、人間と同じなのかと思ってた」
 呟いたフォグに、「ある程度は同じだ」と護衛の男は肯定する。
「違うのは魔法式が見える目があるってことと、その式を解くための切符ビギエットとなる血が流れていること、あとは自分の命を守るための安全装置セーフティが作動してないってだけだ」
「うわ……なんか、人間の劣化版って感じ」
「本人もそう言ってる」
 家への路地を辿ると、小屋周りの木は折れ、竜巻にでも襲われたかのような跡が残っていた。
 だが魔法使いの宣言通り、小屋はほんの数分前とは比べ物にならないほど綺麗になっていた。
「先にこいつを寝かせてくる。座って待っててくれ」
 とルドガーは二階に上がっていった。

 改めて部屋をぐるりと見回す。
 綺麗になった部屋の天井にはドライフラワーがずらりと並び、いくつかある本棚には瓶が並べられていた。
 おそらく、並べられている瓶の中に目当てのものもあるのだろう。

──さすがに、そんなことできねぇな。

 昼のサンドイッチを思い出し、ぐっと拳を握った。
「ほらよ」
 そんな彼の目の前に、小さな瓶が置かれた。
 顔を上げると、いつの間に戻ってきたのか、護衛の男が目の前に立っていた。
「お前が欲しがってた星の粉ってのは、これだ。夜中、風にのせて撒けば星が見える」
「もらっていいのか」
「ああ。もう一つの注文はもう少しかかるから、帰ってもらっても構わないし、このまま家に居てくれても構わない」
 ルドガーの言葉に、フォグは「俺は」と再び俯いた。

「……俺は、……──」

 顔を上げたフォグと、ルドガーの目が合う。

 誰かの涙のように、外ではしとしとと静かな雨が降り始めていた。
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