ダンデリオンの花

木風 麦

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4. ブラク騎士団の中隊長

厄介な想い

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 あの男のいちいち癇に障る話し方というか態度に腹が立ったのは仕方のないことだった。だれだって見下されたり尊敬してもない人間から命令されれば腹立たしく思うはずだ。

──だからといって押し倒していいわけではないけど。

 時は夜、令嬢が寝静まった頃。
 湯に浸かりながら、ソッフィオーニは己の浅はかな行動に後悔していた。
 なぜあそこまで感情が揺さぶられてしまったのか、とソッフィオーニはきつく目を閉じる。
 常ならば公式に訪問してきた客人に対して無礼を働くなど考えられない。いくら嫌なこと、ムカつくこと、暴言、暴力を浴びせられたところでその場で相手にすることなどなかったのだ。やり返せば、苦言を呈したら、困るのはソッフィオーニメイドではなくオルガ嬢なのだ。それを常に心掛けていたはずなのに。

 端的に言い表せば「気を抜いた」のだ。無論、意図的に抜こうとしたのではない。容姿、雰囲気が似たかつての相棒の弟らしい人物に「アゼルは死んだ」と唐突に言われ、自覚していた以上に動揺していたようだ。

(………………厄介な人と出会ってしまったわ)

 どこかで、彼とはもう会えないことを予感していたせいだろうか、彼の弟を名乗るイーゼルの言葉を鵜呑みにした。疑念なんか抱かなかった。ただ「彼が死んだ」のだと言葉だけが脳に響いて、実感なんか湧かない。したくもないが。

 あの泥にまみれた子ども時代の私と違いすぎて、彼はきっと私のことなど見つけられないだろう。だから私が絶対に探し出して目の前に現れて、来客用の茶を啜りながら「わからないなんて、相棒なんて言えないんじゃない」なんて冗談めかして。

 あの笑顔を、もう一度だけ目に焼き付けたかった。

 きっと大人になったんだから、ちょっと上品に笑うんでしょう。ああでも、「貴族ではないアゼル」を知ってる私の前では屈託のない笑顔を見せるのかもしれない。
 私の意地悪にいちいち一喜一憂して、ご機嫌とろうとしたり狼狽えたり。
 瞼に鮮明に浮かぶのは、昼に茶を飲んでいたイーゼルの姿。年齢もきっと弟とそう変わらないだろうし、彼のとる行動がアゼルが成長した姿のようで。

 けど、やっぱり別人だと拒む気持ちもあって。

 あの顔を見ると、アゼルを思い出す。思い出さなければならないと思わされる。だけどそれが実はそこまで嫌ではなくて。

──心があったかくなるあの瞬間を与えたのはあなたなのに、奪うのもあなたなんて。

 なんて皮肉なんだろう。なんて救いのない終わりなんだろう。だって。

「……犯人を殺したところで、あなたは還ってこないじゃない」

 思い出に光が灯って美しき過去とされてもまったく嬉しくなどない。
 これまでの人生とこれからを生きるために必要だった支柱があまりにあっけなく折れてしまうと、一気に体の重みが増して、底なしの泥沼に引きずり込まれていくような気になる。ドロドロとした土は重くて気持ち悪くて、身動きが取れない。

 満たされていたなんて嘘。会わなくてもいいなんて嘘。寂しいだけで完結できるような感情なんかじゃなかった。けれど自身をまるで聖者かのように見せかけて、後悔ばかりするはめになって。

──生きてきた理由が、ただ彼に会いたいだけだった、なんて。

 なんて愚かで、情けないんだろう。これほどまでに自分のもつ感情に疎かったのだと突きつけられたかのようで、とても苦しく恥ずかしい。

──彼は、失ってはならない存在だった。だったのだ。

 気づいてしまった今、どうしようもなく生きることが嫌になってしまっている。どうすれば良いのかもわからない。赦されるのなら、このまま──……。

 コンコン、と扉が叩かれハッとする。
「あの、寝てませんよね?随分と長い時間出てこられないので……」
 若騎士の声だった。まだ子どもだろうに寝ていなかったのか、と言いかけて「私が見張りを命じたのだった」と我に返る。
「すみません、すぐに出ます」
「あ、いや 寝てないならいいんです。ごゆっくりどうぞ」
 若騎士の気使いに感心する。あの不器用を体現したかのような男子が、女性の入浴時間に対して気を使えるなんて。
「いいえ あなたこそまだちゃんと寝なくてはならない年でしょう。お気持ちだけ頂きます」
 ざぱっと湯船から上がるなり、迅速に体を拭きあげていく。
「遅くなりました」
 服を着て現れたのだが、なぜか若騎士は頬をカッと赤くした。
「?どこかあなたの性癖に触れる要素でもありましたか」
「言い方!!オレが変態みたいじゃないか!」
「声が大きいです。お嬢様が目を覚ましていたらあなたの首を絞めますよ」
「ちょっ だっ 誰だって風呂上がりの人を前にしたらびっくりします!オレだけの責任じゃないはずです!」
 真っ赤になる若騎士に「初心うぶだなぁ」と出かけた言葉を呑む。この場合この少年の言うことが正しい。普通、風呂上がりの姿など家族以外に見せるものではない。
「そうですね。失礼しました」
 おとなしく引き下がると、若騎士はまじまじと顔を覗き込んできた。
「……なにか?」
「どうかしたんですか」
 鈍いのか鋭いのか。けれどこの少年に言うほどのことでもない。いや、言いたくないというべきか。
「べつにどうもしてませんよ」とかわすと、
「……………………そうですか」
 まったく納得していないが渋々うなずいておくという反応をされた。
「あなたが気にしても仕方のないことです。もうお休みください。ご苦労さまでした」
 強制的に話を切り、若騎士を部屋に下がらせる。もうすぐ夜半、日を跨いでしまう。

 けれど今夜は、なかなか眠れそうにない。
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