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終章 『新・精霊たちの憂鬱』

1 世界は救われた。だが……

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 バイアー帝国帝都ミュニホフ――。

 帝国を混乱に陥れた大司教一派の壊滅が宣言され、街中はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 一方で、皇宮内は内務貴族たちがあちこち走り回り、皇帝ラディムのエウロペ山脈遠征の事後処理を、あわただしく処理している。

 帝国各地で発生した魔獣の大量発生もある程度の片が付き、帝国内は再び落ち着きを取り戻していた。



 ★ ☆ ★ ☆ ★



 ラディムは、遠征の成功を祝いに来た客たちとの謁見をすべて終えると、客間へと向かった。

 ノックをして扉を開けると、中にはドミニク、クリスティーナ、マリエの姿があった。部屋の中央に置かれたベッドの上には、アリツェが横たわっている。

 ドミニクはベッドサイドに腰を下ろし、アリツェの手を握り締めていた。クリスティーナとマリエは、少し離れたところから遠巻きに見つめている。

「ドミニク、アリツェの容体は?」

 ラディムはベッドに近づきながら、ドミニクに声をかけた。

「ダメだね、いまだ昏睡状態だよ……」

 ドミニクは弱々しく頭を振った。

 アリツェは目を閉じたまま、ピクリとも動こうとしない。

「どうして、こんなことに」

 クリスティーナのつぶやきが漏れた。

「せっかく、あの『龍』を倒し、大司教の野望を阻止したっていうのにねぇ」

 マリエは、隣に立つクリスティーナの服の裾をぎゅっと握りしめ、歯軋りをする。

「結局、あのアリツェの力は何だったの?」

 クリスティーナは両腕を組み、目を瞑っている。当時の戦闘状況を思い出しているのだろうか。

 ラディムも、エウロペ山火口での『龍』との戦いを、脳裏に思い浮かべる。

 あの時、対『龍』の有効手段がなく、ラディムたちは絶体絶命の危機に陥っていた。

 だが、アリツェが突然、不可思議な光を放つとともに、『龍』の体を覆っていた分厚い霊素を消し去った。さらに、アリツェの『精霊王の証』から強烈な霊素が飛び出し、『龍』の体内に埋め込まれていた『精霊王の錫杖』を粉々に破壊した。

 一連のアリツェの攻撃おかげで、ラディムたちの攻めも『龍』に通用するようになる。激戦となったものの、最終的には撃破できた。

 ただ、その反動のためなのか、アリツェは地面に力なく崩れ落ち、昏睡状態に陥った。

 あれから三週間あまり。アリツェはいまだに目を覚まさない。

「わからない。わからないが、あの時、大量の霊素が私からアリツェに流れていった。もしかしたら、アリツェの中の横見悠太が何かをしたのかもしれない」

 ラディムは思い出す。アリツェの手を握り締めたあの瞬間、体内の霊素が急速に奪われていった感覚を。

 ラディムとアリツェの霊素は、同じ一人の転生者『横見悠太』に由来する。アリツェがあえてラディムから霊素を奪ったのには、何か理由があったのではないかとラディムは考えていた。

「あとは、本人に聞くしかないってわけね」

 クリスティーナは瞑っていた目を開き、横たわるアリツェの顔を優しく見守っている。

「さて、話は変わるんだけれど」

 マリエは口にすると、ぐるっとラディムたちの顔を見回した。

「火口での戦いで、だいぶ余剰地核エネルギーは消費できたよ」

「しばらくは、大丈夫とみていいのか?」

 ラディムは内心で安堵しつつも、油断はできないと表情は緩めない。

「いや、まだまだだね。多少の霊素だまりは消えただろうけれど、根本的な解決には程遠いかな」

 マリエは苦笑を浮かべつつ、頭を振った。

 やはり油断はできなかったかと、ラディムも苦笑いをする。

 だが、少しでも霊素だまりが消失したのであれば、喜ばしい話ではある。帝国臣民の安全が、それだけ確保されたと考えられるのだから。

「大司教一派が排除された今、私たち精霊使いも、世界崩壊への対策により一層力を注げるってわけね」

 クリスティーナは右手を前に突き出し、ぎゅっと拳を固めた。

 懸案だった大司教一派への対処はすべて済んだ。これで、精霊使い全員を世界崩壊対策に当てられる。腰を据えて取り組めるようになった。

「これから、僕たちで世界中を巡り、霊素だまりで大規模精霊術を使っていくかい?」

 マリエがちょこんと首をかしげながら提案をする。

「そうしたいのはやまやまなのだが……。立場上、そう頻繁に国を離れるのも難しいよな。私もクリスティーナも」

 ラディムは唇を噛んだ。

 ラディムは帝国皇帝だ。おいそれとは帝都を離れられない。今回の大司教追討作戦も、相当な無理をした。

 クリスティーナもフェイシア王国王太子妃として、これ以上王都プラガを不在にするわけにもいかないだろうとラディムは思う。

「僕はフリーだから、各地を旅するのは別に構わないけれど」

 マリエは笑った。

 確かに、現状で立場に縛られることなく自由に動ける有能な精霊使いは、マリエだけだった。

「でもさぁ、ちょっと厳しいよね? マリエの年齢じゃ、長旅はつらいよ?」

 ドミニクは目を上下に動かしながら、マリエの背格好を確認している。

 ラディムも同感だった。

 クリスティーナと並んで立つマリエの頭部は、クリスティーナの腰辺りにある。本人の精神面がいくら大人同然であっても、この体格ではあまりに不都合が多すぎる。

 馬にも一人で乗れないだろうし、事情を知らない人間からは不審がられ、舐められる。

 護衛をつけるにしても、今、近衛の中に動ける女性がいない。……身体が子供だとはいっても、精神は大人同然なので、さすがに男性騎士に四六時中張り付かれるのは、マリエも嫌だろうとラディムは思う。

「だよねぇ……」

 マリエも重々承知しているのか、大きくため息をついた。

「何か良い案はないのかしら」

 クリスティーナはマリエの頭に手を置き、ポンポンっと軽く叩いた。

 マリエは上目遣いにクリスティーナを見つめ、口を開く。

「一応、あるにはあるよ。実現できれば、精霊使いが各地を巡る必要もなくなる、良い案がね。でも、ちょっと難しいかなぁ」

「あら、なぜ?」

「各国の権力者たちが、渋りそうなんだよねぇ」

 マリエは肩をすくめた。

 権力者たちが嫌がりそうな、マリエの案。ラディムは興味がわいてきた。

「とりあえずその案、話してみてくれないか?」

 ラディムはマリエに続きを促す。

 マリエはうなずくと、ニヤリと笑った。

「難しくはない。この地域全体で、『四属性陣』を構築するだけだよ」

「ん? どういう意味だ?」

『四属性陣』とは、あの『四属性陣』のことだろうか。地域全体で構築するとは、いったい……。

 ますます興味を引かれる。ラディムはマリエの顔をじいっと見つめた。

「この地方――中央大陸中部地域の東西南北それぞれに精霊使いを置き、超広範囲の『四属性陣』を実行するんだ。これなら半年に一回程度の精霊術行使で、世界の崩壊は防げるはず」

 マリエは背伸びをしながらめいっぱい手を動かし、空中に丸い円を描く。『四属性陣』の陣文様を表す円を示したいのだろう。

「権力者たちが賛同しないっていうのは?」

 ラディムは首を傾げた。

 たんにラディムたち精霊使いが、半年に一回の頻度で指定した位置に行き、精霊術を放つだけだ。どこに問題があるのだろうか。

 陣の指定の位置がミュニホフからどれくらい遠い場所にあるのか、ラディムが半年に一回の頻度で通いきれるものなのか。ラディムの脳裏に思い浮かんだ問題点はこんなところだが、これが権力者たちの反対にどう結びつくのだろうか。

 陣の指定位置周辺の領主が、行幸するラディムの接待を嫌がる? 帝都の内務貴族たちが、半年に一回とはいえ、ラディムが不在になる点を憂慮する?

「精霊使いが、指定の地に常駐をする必要があるんだ。かなり大規模な聖堂なり神殿なりを、建てなければいけないかなぁ」

 マリエの説明に、ラディムはなるほどと思った。

 精霊使い――ラディムが常駐しなければならないとなると、場所にもよるが遷都を考えなければいけない。遷都先に領地を持っていた領主の、領地替えも必要だ。

 領地替えは考えるべき繊細な問題も多く、調整が相当に難航するだろう。これでは、反対も噴出しそうだ。

 しかし、事はこの世界の存続にかかわる。

「世界のためと言えば、渋々でも従ってくれるのでは?」

 対策を討たずに放置をしていては、そもそも、その権力者たち自身の身も危うくなる。説得次第ではきちんと話を進められるはずだと、ラディムは思う。

「陣を発動させるためには、広範囲をカバーするだけの霊素を蓄えなければいけないんだけれど、その役目は聖堂なり神殿が担う形になるんだ。そのために、聖堂は霊素を持たない者は一切入れない構造にして、膨大な量の霊素をため込むようにする必要がある。この前のアリツェちゃんの『精霊王の証』みたいにね。つまり、領地内に一種の治外法権的な場所ができる」

 マリエは一旦フッと息をつくと、目を細めながらラディムたちを見回した。

「これがフェイシア王国やバイアー帝国の中で済めば、まだ話はつけやすいと思うよ?」

 マリエは渋い表情を顔に張り付けつつ、懐から一枚の紙を取り出す。

「これを見てほしいな。陣を作る際に、どのあたりに聖堂を建てればよいかの略図だよ」

 マリエはベッドのそばに備えてあるテーブルの上に、地図を広げた。

 ラディムは地図を覗き込むと、さっと内容を確認する。書き込まれた丸が、聖堂建設の位置だと理解をしたが、その場所が問題だった。

「見事に、他国にあるわね……」

 クリスティーナは頭を振って、ため息をついた。

「さらにやっかいな話だけれど、複数の国家にまたがっている場所もある」

 マリエは地図の北に描かれた丸を指で指し示す。

 リトア族領とさらに北にあるノール公国との境界部分が、『四属性陣』の北の指定位置になっていた。リトア族はフェイシア王国の属国なので、まだ話はつけやすそうだ。だが、ノール公国は交流がほとんどない。

「確かに、これでは実現が難しいな」

 ラディムは右手で側頭部を抑えながら、頭を振った。

 東西南北ですんなりと話が進みそうなのは、フェイシア領内にある南の指定位置だけだった。

 東の指定位置はヤゲル王国にあり、王女であったクリスティーナが動けば、一見問題がなさそうに見える。だが、よくよく見れば、丸のついた場所は、人がまったく住んでいない樹海の中だ。聖堂どころか、街道の整備と街の開発から進めないと厳しい。

 西の指定位置は帝国の西隣、バルデル公国にあった。公国は先の大戦でムシュカ侯爵と共闘をしており、関係は悪くない。だが、完全に味方とも言えない微妙な立場にあった。

 しかも、運の悪い話だが、指定場所が公国の主要街道にかかっている。公国内の経済に重要な役割を担う街道の管理を、公家がコントロールできない精霊使いにゆだねる形になる。説得がさらに難しそうだった。

「でも、やらなければいけないよね? 大陸中央部の国々のトップを集めて、会議を開くべきだ」

 マリエはいつになく真剣な表情を浮かべた。

「それしかないか……」

 ラディムは大きく息をついた。

 これから将来にわたって、安定して余剰地核エネルギーを消費させるには、今、苦労をしてでも必要な措置を講じなければいけない。

「私たちが頑張らないと……。せっかくアリツェがここまで身体を張って世界を守ったのに、笑われちゃうわよ!」

 クリスティーナはテーブルを叩き、声を張り上げた。

「よし、やるか!」

 ラディムは腹を決めた。双子の片割れのアリツェが、世界のためにあれほどの自己犠牲をしたのだ。残った自分が動かなければ、アリツェが目覚めた後に、会わす顔がない。きっと笑われる。

 ラディムは両の拳を固めると、力強く、大きくうなずいた。



 ★ ☆ ★ ☆ ★



 馬車の座席に静かに横たえられているアリツェの顔を、ドミニクは胸が張り裂ける思いで見つめた。

「アリツェ……」

 漏れ出るドミニクのつぶやきにも、アリツェはまったく反応しない。
 
「ねぇ、父上。母上は、まだお目覚めにならないの?」

 エミルがドミニクの服の裾を引っ張り、ちょこんと首をかしげている。

「エミル、大丈夫だよ。母上はきっと、もうすぐ目を覚ます」

 ドミニクはエミルの金に輝く髪を、優しく撫でた。

 だが、根拠のないただの気休めだと、ドミニクは内心で笑い飛ばした。

 一方で、我が子にこの程度の慰めしか与えられない自身の不甲斐なさに、ドミニクは泣きそうになる。

「旦那様、私たちはこれからどちらへ?」

 眠りこけるフランティシュカを抱きかかえながら、サーシャが遠慮がちに尋ねてきた。

「南さ……。アリツェ、目覚めたらきっと、驚くだろうなぁ……」

 ドミニクはつぶやき、アリツェの冷え切った手を握り締めた――。
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