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第二十三章 火口での攻防

8 わたくしの一世一代の精霊術ですわ!

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「ちょ、ちょっと! アリツェ!」

 遠くからクリスティーナの声が聞こえる。だが、現実感がない。
 
「頭が、割れそうですわ……」

 アリツェはグワーングワーンと鳴り響く頭を両手で抱え、うめき声を上げた。






 視界が、ぼやけていた。世界が白いもやで覆われているかのようだ。

 ラディムとクリスティーナが、血相を変えて何かを叫んでいる。だが、アリツェの耳には届かない。

 誰かに抱き締められている感覚はある。おそらくは、ドミニクだ。けれども、そのぬくもりまでは感じられない。

 瞼が重い。もうこれ以上、意識を保ってはいられない。

 耐え切れずに、アリツェはゆっくりと意識を手放そうとした。

 しかし、その時――。

 突然、すべての感覚が鮮明によみがえってきた。ドミニクの温もりも、はっきりと感じる。

「これは、霊素が……」

 アリツェは地面に落とした『精霊王の証』を手に取った。

 証のメダルの表面は、火傷をしそうなほどの熱を保ち続けている。アリツェは慎重に布で包み、握り締めた。メダルは布越しに、アリツェの霊素をより一層吸収していく。

 その時、アリツェはなぜだかわからないが、無性にラディムの手を握らなければいけないと思い立った。自然と身体が動きだす。

「お兄様! わたくしの手を、握ってくださいませ!」

 アリツェは叫び、右手をラディムに差し出した。

 ラディムはわずかに首をかしげたものの、黙ってアリツェの言うとおりに手を差し出し、握りしめる。

 すると、ラディムの身体がぼんやりと光り出し、大量の霊素が、繋がれた手を通じてアリツェに流れ込んできた。

「私の霊素が、アリツェに!?」

 ラディムは声を上げ、目を丸くした。

 アリツェはラディムの手の力が緩むのを感じて、即座に強く握りしめなおした。決して離すまいと。

「『精霊王の証』が、どんどん熱を持っていきます。お兄様の霊素とわたくしの霊素が、混じりあっていきますわ……」

 とアリツェが口にした瞬間、どさっと音がする。

 アリツェに手を握られたまま、ラディムは地面に崩れ落ちていた。

「陛下! 大丈夫!?」

 マリエが泣きそうな声を上げ、ラディムに駆け寄った。

「大丈夫、少し眩暈がしただけだ……。霊素を吸われすぎたか」

 ラディムは身を起こすと、片手でマリエを制した。

「いったい、どういうことよ!」

 クリスティーナは取り乱し、ラディムに食って掛かろうとした。だが、マリエによって止められる。

「わからない。わからないが……。今、アリツェの『精霊王の証』に、すさまじい霊素が……」

 ラディムはアリツェの持つ『精霊王の証』を、じいっと見つめた。

 クリスティーナとマリエも、アリツェが左手に持つ布の包みに目を向ける。

 アリツェは感じていた。いま、この『精霊王の証』には、すさまじい量の霊素がため込まれ、濃縮されていると。

 メダルの中で、アリツェとラディムの二人分の霊素がまじりあい、一つの大きな霊素の塊になっている。

 かつての、VRMMO《精霊たちの憂鬱》時代のカレル・プリンツが持っていた霊素をも、上回っているとアリツェは感じた。

「お兄様、クリスティーナ、マリエさん! 離れていてください」

 アリツェは立ち上がると、メダルを持った左手を空へ向かって突き出した。

 アリツェは確信していた。いま、この『精霊王の証』にため込まれた霊素を使えば、五属性同時展開並みの、最大級の精霊術が使えるはずだと。

「これから、わたくしの一世一代の精霊術を、ご覧に入れますわ!!」

 アリツェは天に吠えた――。






 時間が、止まった。

 いや、時間が止まったのではない。アリツェの思考スピードが、常人ではありえないほど、加速している。

 なぜだかわからないが、アリツェはそう直感した。と同時に、頭痛がよみがえる。

『アリツェ……』

 脳裏に懐かしい声が響き渡った。

『悠太様……。融合してからは、初めてですわね』

 アリツェの目の前に、悠太が現れた。

 単なる幻だとは理解をしている。だが、目の前の悠太の顔は、まるで生きているかのように生気に満ちていた。

 悠太はゆっくりと口を開く。

『今、『精霊王の証』を通して、アリツェの霊素とラディムの霊素が一つにまじりあった』

『えぇ、感じております……。お兄様の、温もりを……』

 アリツェはうなずいた。

『二人に分裂していたオレの力が、今一つになった。……今なら、最高の精霊術を放てる!』

 悠太は胸を張って、ニヤリと笑った。

 悠太に言われるまでもなかった。アリツェ自身も、信じて疑わない。

『ですが、あの『龍』には、精霊術が一切効きませんわ』

 相手は『四属性陣』すら弾き飛ばした『龍』だ。たとえこの世界最大最強の精霊術を放ったとしても、跳ね返されるのがオチではないか。
 
『……心配には及ばん』

 と、聞き覚えのない男の声が響き渡った。

『え!? どなた、ですの!?』

 アリツェはきょろきょろと周囲を窺う。

 すると、悠太の隣に、ぼんやりとだが人の姿が浮かび上がった。やがてその姿は、はっきりと人間の男性の形をとる。

 見覚えが、あった……。

『ここまで大きくなって、私は嬉しい。我が娘よ……』

『もしかして、お父様……!?』

 男の言葉に、アリツェは息をのんだ。

 確かに、見覚えがあった。オーミュッツのプリンツ辺境伯邸に飾ってあった、肖像画の男そのものだった。

 アリツェの実父、前プリンツ辺境伯カレル……。

『私はいつでも、お前とラディムを見守っている』

 カレルは一歩踏み出すと、アリツェの頭に右手を置き、優しく撫でた。

『はい……』

 アリツェは声を詰まらせつつ、カレルのされるがままになった。

 自然と目尻に涙が浮かぶ。

『ろくに父親らしいことができなかった私の、罪滅ぼしだ。アリツェに、力を……』

 カレルが手を触れている頭部から、何やら不思議な感覚がアリツェの内部に入り込んでくる。

『これ、は……。もしかして!?』

 アリツェは侵入してきた『それ』が、何であるかをとっさに理解した。

『そう、《祈願》だ。使う使わないはお前に任せる。反動のすさまじさも、聞いているだろう?』

 カレルは微笑を浮かべながら、優し気な眼差しをアリツェに向ける。

 実父カレル・プリンツの技能才能《祈願》――。

 すさまじい効果と引き換えに多大なペナルティを受ける、扱いの困難なスキルだ。このペナルティのために、カレルは命を落としている。

『ですが、この力があれば、あの『龍』の能力を抑え込める……!』

 アリツェは《祈願》の力の凄まじさを、身をもって知っている。何しろ、この《祈願》の力によって、流産で死ぬ運命から逃れられ、今こうして生きているのだから。

《祈願》ならば、『龍』の分厚い霊素を消し去れるはず。霊素の壁さえなくなれば、証に濃縮された悠太の霊素をもって、『龍』の抱える『精霊王の錫杖』を破壊できる。

 ためらう理由などない。

 悠太の力とカレルの力。二つのかけがえのない力とともに、『龍』を討つ!

『お父さま! ありがとうございます!』

 アリツェは満面の笑みを浮かべ、父の手を握り締めた。

『アリツェ……』

 カレルは嬉しそうに微笑むと、そのまま悠太とともに消えていった。

 とそこで、時の流れが元に戻る。頭痛も消えた。

 悠太やカレルとは、もう二度と会えない。アリツェは直感的に悟った。だが、今は悲しんでいる時ではない。

「この力、使わせてもらいますわ!」

 アリツェは叫び、《祈願》の技能才能を発動した。






「や……やりました、わ……」

 アリツェは全霊素を使い果たし、力無く膝をついた。

「アリツェ!!」

 ドミニクとラディムの声が聞こえる。

「ドミニク……、お兄様……」

 アリツェはかろうじて首を動かし、ドミニクたちに視線を送った。

「しゃ、しゃべるな!」

 ドミニクは泣きながら、アリツェの肩を抱き締める。

「ドミニク、泣かないで……」

 アリツェはドミニクの耳元でつぶやいた。

「これで、あの龍の力は、おさえ、こまれました、わ……」

 息苦しい。思うようにしゃべれない。だが、伝えなければ……。

 アリツェは懸命に口を動かす。

「あぁ、あぁ。確かに、霊素の膜が消え、こちらの攻撃が届くようになっている」

 ドミニクは涙を流しつつも、笑顔を浮かべた。

「あとは、おまかせ、いたします、わ……」

 アリツェは残る最後の力を振り絞り、ドミニクの手を握り締める。と、そのまま目を閉じた。

「アリツェの『精霊王の証』が、割れた!?」

 アリツェは意識を失っていく中で、ラディムが何かを叫ぶ声を聞いた――。
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