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第二十一章 隠れアジトにて
4-2 今度こそ逃がしませんわっ!~後編~
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アリツェはちらりと空を一瞥し、垂れこめた分厚い雲に、ため息を漏らした。出発前の気分を落ち込ませる、嫌な雲だと思う。
「では、後はよろしくお願いいたしますわ」
準備した高速馬車に乗り込みつつ、アリツェは愛する夫に声をかけた。
「くれぐれも……、くれぐれも気を付くてくれ、アリツェ」
馬車の座席に乗り込み身を乗り出したアリツェの手を、ドミニクがきつく握りしめてくる。
「えぇ……」
アリツェはつぶやき、ドミニクと軽く抱擁をした。これからしばらくは、ドミニクの温もりを堪能できなくなる。悲しいが、ぐっと我慢の時だ。
アリツェが名残惜し気にドミニクから離れると、馬車は少しずつ進み始める。グリューンの街が見えなくなるまで、アリツェは身を乗り出して後方を見つめた。必ず、大司教一派を捕縛して、無事に帰ってくると誓いながら。
「お兄様、どこで落ち合いましょうか?」
馬車行が安定してきたところで、アリツェは腕輪を使いラディムと連絡を取った。出発までの時間がなかったために、具体的な合流場所をまだ決めていなかったからだ。
「出来ればフェイシア王国領内がいいな。リトア族の勢力圏内に入ってからだと、不確定要素が増える。フェイシア王国と友好的な関係を築けている部族とはいえ、油断はできないからな」
大司教一派の隠れアジトがあるリトア族の支配地域は、フェイシア王国の北方にある。リトア族は長らくフェイシア王国に従属しており、友好的な関係を築けている。とはいえ、王国とは別の国に違いはない。ラディムの言うとおり、油断しきるのは問題があった。
「そうですわね。リトア族が大司教一派から工作を受けている可能性も、考えておかなければなりません」
リトア族が国境のかなりの部分を接している大国のフェイシアを裏切るとは、まず思えない。反抗したところで、すぐさま王国からの手痛い反撃を食らうのは、誰が見ても明らかだった。だが、大司教一派の魔術――精霊術を見せられ、よからぬたくらみを吹き込まれでもしたら、もしかしたらその考えられない事態も、起こりうるかもしれない。用心に用心を重ねておくのは、悪くないとアリツェも思う。
「地図で確認をしたのだが、リトア族領との境界付近に、小さな集落があるよな。そこで落ち合おうか」
アリツェは持ってきた荷物から地図を出し、ラディムの言う集落を確認する。ヴェチェレク公爵領と接し、フェイシア王国の最北端を治めるエスト辺境伯領。その北の国境沿いに、件の集落はあった。リトア族領に入るための街道沿いにある集落で、確かに落ち合うのには都合がよさそうだった。
「わかりましたわ。先にクリスティーナと合流したうえで、その集落に向かいます」
アリツェはうなずきながら、諾の意をラディムに示した。
「では、現地で。緊急時はまた、腕輪で連絡をすると思う。アリツェからも、何か問題があったら遠慮なく知らせを入れてくれ」
「もちろんですわ。ではお兄様、また後程」
遠く離れていても、このように密な打ち合わせができる。遠隔通信のありがたみを改めて感じ、アリツェは腕輪の表面を軽く撫でた。
「お互い、道中気を付けていこう」
通信は途切れ、周囲は再び、馬車の揺れるガタンゴトンという音のみが響き渡る。アリツェは軽く伸びをして身体をほぐすと、背もたれに寄りかかりながら、ゆっくりと目を閉じた。
今回の遠征は、かつての登山行のような過酷な旅にはならないはず。とはいえ、未来予知ができるでもなし、何が起こってもすぐ対処ができるよう、休めるときはしっかり休むのも大切だとアリツェは考えていた。いまだヴェチェレク公爵領内の、比較的安全と言えるこの街道をゆく間は、できるだけ体力を使わないようにしようと心がけた。
しばらく何ごともなく、アリツェを乗せた高速馬車は街道を北上していた。
とそこに、アリツェは愛しい者の気配を感じ、高速馬車の窓を静かに開けた。
「ルゥ、お疲れ様」
窓が開かれるや、使い魔の鳩であるルゥがさっと馬車の中に入り込み、アリツェの肩にとまる。念話で周囲の状況の報告を受けた後、アリツェはルゥの足にくくりつけられた手紙を手に取り、中を確認した。
「クリスティーナも、無事にアレシュ様たちの説得を済ませ、出立したようですね。……合流は、エスト辺境伯領の領都ですか」
クリスティーナは遠隔通信用の腕輪を持っていない。なので、こうして使い魔のルゥが連絡役を担っていた。
手紙にはクリスティーナの直筆で、アリツェとの合流地点が指示されていた。
エスト辺境伯領の領都ターリ。アリツェは一度も足を踏み入れたことのない街である。王国北部最大の都市で、王国第四の人口を誇る北部経済の中心地でもある。グリューンとは王国東部を南北に貫く街道で結ばれており、商人の往来はかなりある。経済的な結びつきが強い街と言えた。
このため、アリツェも一度は直接出向いてみたかった街でもある。出産や育児でなかなかその機会を得られなかったが、今回思いがけずも、訪問の幸運に恵まれることとなった。クリスティーナとの待ち合わせのために、数日は滞在する可能性がある。せっかくだから、色々と情報を収集しようとアリツェは企んだ。無事にグリューンに帰った後の、領の経済政策の糧とするために。
「では、戻ってきてすぐで心苦しいのですが、この手紙をクリスティーナにお願いいたしますわ」
アリツェはすぐさま返信をしたため、ルゥの足にくくりつけた。ルゥは念話で力強く承知の声を返し、大空へと再び飛び立っていった。
「……初めての街ですが、すんなりと合流できるでしょうか。クリスティーナとは腕輪がないから直接のやり取りができず、もどかしいですわね」
ラディムとは違い、腕輪のないクリスティーナとはリアルタイムでの情報共有ができない。ターリは見知らぬ街でもあり、行き違いなどでなかなか合流ができない事態も想定できる。合流に時間を費したために、結果としてラディムを待たせるのも嫌だし、何よりも、その無駄な時間のせいで大司教一派に行方をくらませられでもしたら、堪らない。一刻も早くクリスティーナと合流をしたいと、アリツェはターリの街の地図を取り出し、主要な情報を頭に叩き込み始めた。
高速馬車から降り、アリツェは眼前に広がる街並みをゆっくりと見渡した。
「思っていた以上に、素敵な街ですわね」
エスト辺境伯領の領都ターリ。王都プラガとほぼ同時期に作られた、歴史ある街だ。多くの世代をまたいで続いてきた街だけあり、居並ぶ建物も、王国のあらゆる年代の建築様式が混在している。だが、決して雑然とした印象は受けない。屋根や壁面の素材や色に、ある程度の共通性があるからだ。
歩を進めるごとに微妙に建築様式が変わっていく様は、街とは生き物であるとアリツェにしみじみと感じさせる。このままアリツェの子世代、孫世代と時を重ねていけば、いずれはグリューンも、このターリの街のようになるのだろう。アリツェたち為政者が、適切な都市計画を策定し、きちんと実行し続けていけば、ではあるが。
「遠征時でなければ、ゆっくりと街を散策したいところですわ。今回の件が落ち着いたら、ドミニクと一緒に視察ができるよう、調整してみましょうか」
このターリの街並みは、グリューンの今後の都市計画の参考になる。アリツェはあれこれと考えを巡らせつつ、次々とその顔を変えていく街並みを楽しんだ。
「クリスティーナから指示された宿は……あれですわね」
ペスと連れ立って歩きながら、アリツェは通りの先にひときわ目立つ大きな建物を見つけた。クリスティーナの手紙に書かれていた特徴と一致する、このターリの街の中でもひときわ歴史を感じさせる重厚な建物。間違いなく、クリスティーナから指示のあった、合流のための宿だった。
アリツェが宿の受付に話をすると、どうやら王家がすでに部屋の手配を済ませていたらしく、すぐさま最上階のスイートルームへと案内された。
「さて、クリスティーナはまだ到着されていらっしゃらないようですし、ターリの街を楽しませてもらいましょう」
アリツェは独り言ち、荷物を部屋に置くと、再び街の喧騒の中へと飛び込んでいった。
「そっちはどう? かわりはないかしら?」
クリスティーナは穏やかな口調で、にこやかに微笑みながらアリツェに尋ねた。
「えぇ、おかげさまで。エミルもフランも、元気いっぱいですわ。もちろん、ドミニクも」
アリツェも負けじと、微笑を浮かべつつ、近況をクリスティーナに伝える。
結局クリスティーナと合流できたのは、アリツェがターリの街についてから二日後だった。今はこうして、ターリの宿屋で近況報告会の最中だ。
「そう、それはよかった。……立場のせいで、以前ほど頻繁に顔を合わせられなくなって、寂しいわ。転生者としての会話ができるのは、あなたとラディムだけなんですもの」
クリスティーナはやや大げさに両手を広げ、頭を振った。
「同感ですわ。ただ、わたくしは腕輪のおかげで、お兄様とは頻繁にお話が可能です。クリスティーナにはちょっと、申し訳ないですわ」
「本当よね。うらやましいわ」
アリツェの言葉に、クリスティーナはすかさず口をとがらせ、不満げな声を漏らす。
クリスティーナからは、これまでも再三、腕輪を譲ってくれないかと頼まれてきた。だが、親友の頼み、王太子妃の頼みとは言え、アリツェとしてもさすがに、この腕輪だけは手放せない。ヴェチェレク公爵家の切り札ともいえるものだからだ。
「どう? 腕輪量産のめどは立ちそう?」
「ごめんなさい、最近のごたごたで、研究がストップしておりますわ」
ヴェチェレク公爵家内で以前から続けている、腕輪量産のための研究。王家からも人材と資金の援助を受けているため、王家の一員たるクリスティーナにも、現状を聞く権利がある。
アリツェは包み隠さず、研究の進捗状況をクリスティーナに説明した。不本意ながらも、ここしばらくの間、大した進展がなかったと。
「ま、仕方がないわね」
クリスティーナは肩をすくめつつも、顔は笑っている。
アリツェとはルゥを通しての手紙のやり取りも行っているため、クリスティーナもある程度は公爵家の内情を知っている。アリツェやドミニクの置かれた状況も理解をしているため、遅々として進まぬ研究の状況に対し、特段落胆した様子は見せなかった。
とはいえ、腕輪量産は、王家としての悲願でもある。研究に便宜を図ってもらっている手前、なかなか成果を出せない状況は、アリツェとしては大いに不本意だった。自然と顔もうつむく。
「あ、ちょっと。別にアリツェを責めているわけではないわよ」
クリスティーナが慌てたような声を上げ、アリツェの肩に手を置いた。
「そういっていただけると、心が軽くなりますわ」
親友の心配げな表情を見て、アリツェは強張った表情を緩めた。
「悪かったわ、変な話をして。……これから大仕事が待っているんだし、せめて今だけは、明るく楽しくいきましょう!」
クリスティーナは両の手をぎゅっと握りしめると、場の雰囲気を変えるように、明るく力強く、その美声を張った。
「そう、ですわね……」
アリツェも首肯し、微笑んだ。
「さて、久々に転生者が三人そろったな」
ラディムの言葉に、アリツェはクリスティーナとともに、力強くうなずいた。
ラディムと合流の調整をした、リトア族との国境沿いの集落。唯一の宿の一室で、アリツェたち転生者三人は再会を果たした。
「いよいよね! 腕が鳴るわよ!」
鼻息荒く、クリスティーナは息巻く。
窮屈な王宮生活に、ストレスがたまっていたのだろう。とくに、世継ぎとなるアレシュとの子をお腹に宿して以降は、間違いなく行動に大幅な制限がかかっていたはずだ。こうして久しぶりに大規模精霊術を放てる機会が転がり込み、楽しみな気持ちもあるに違いないと、アリツェは睨んでいた。アリツェにも、同じような気持ちがないとは言えないのだから。
アリツェとて、元来は『超』が付くほどの精霊バカ。今は最愛の家族を第一にと思い自重をしているが、やはり精霊たちとの密な語らいである大規模精霊術の行使は、心躍るものがある。表にはあらわさないものの、アリツェも幾分は興奮していた。
「明日にはリトア族領に入りますわ。ここからは、より一層の緊張感を持っていきましょう」
あまり行軍に時間をかけては、大司教側にこちらの動きを悟られる危険性が増す。先にこの集落に到着していたラディムにより、リトア族領内についてのある程度の情報収集がなされていたこともあり、翌朝すぐに国境を越える手筈となった。
国境を越えてしまえば、属国とはいえ他国。ここまでとは道中の安全性が違ってくるだろう。アリツェは改めて、気を引き締め直す。
「アリツェの言うとおり、今後はいつ大司教側の罠が待ち受けているかわからない。おそらくはまだ、私たちが隠れアジトへ向かっていると、相手方に気づかれてはいないと思う。使い魔による情報収集からも、その気配は感じられなかった。だが、気付かれていると思って慎重に行動をすべきなのは、私が言うまでもなく、二人も理解していると思う」
ラディムは傍に侍る子猫のミアにちらりと一瞥をくれると、真剣な眼差しをアリツェとクリスティーナに向けた。
「この機会を逃すわけにはいかない。二人とも、よろしく頼むぞ!」
「やるわよっ!」
「頑張りましょう、お兄様!」
力強いラディムの宣言に、クリスティーナは勢いよく右手を突き上げ、アリツェは両の拳をぎゅっと固めた。
――アリツェたちはまだ知らない。この先に、衝撃的な出会いが待ち受けていることを……
「では、後はよろしくお願いいたしますわ」
準備した高速馬車に乗り込みつつ、アリツェは愛する夫に声をかけた。
「くれぐれも……、くれぐれも気を付くてくれ、アリツェ」
馬車の座席に乗り込み身を乗り出したアリツェの手を、ドミニクがきつく握りしめてくる。
「えぇ……」
アリツェはつぶやき、ドミニクと軽く抱擁をした。これからしばらくは、ドミニクの温もりを堪能できなくなる。悲しいが、ぐっと我慢の時だ。
アリツェが名残惜し気にドミニクから離れると、馬車は少しずつ進み始める。グリューンの街が見えなくなるまで、アリツェは身を乗り出して後方を見つめた。必ず、大司教一派を捕縛して、無事に帰ってくると誓いながら。
「お兄様、どこで落ち合いましょうか?」
馬車行が安定してきたところで、アリツェは腕輪を使いラディムと連絡を取った。出発までの時間がなかったために、具体的な合流場所をまだ決めていなかったからだ。
「出来ればフェイシア王国領内がいいな。リトア族の勢力圏内に入ってからだと、不確定要素が増える。フェイシア王国と友好的な関係を築けている部族とはいえ、油断はできないからな」
大司教一派の隠れアジトがあるリトア族の支配地域は、フェイシア王国の北方にある。リトア族は長らくフェイシア王国に従属しており、友好的な関係を築けている。とはいえ、王国とは別の国に違いはない。ラディムの言うとおり、油断しきるのは問題があった。
「そうですわね。リトア族が大司教一派から工作を受けている可能性も、考えておかなければなりません」
リトア族が国境のかなりの部分を接している大国のフェイシアを裏切るとは、まず思えない。反抗したところで、すぐさま王国からの手痛い反撃を食らうのは、誰が見ても明らかだった。だが、大司教一派の魔術――精霊術を見せられ、よからぬたくらみを吹き込まれでもしたら、もしかしたらその考えられない事態も、起こりうるかもしれない。用心に用心を重ねておくのは、悪くないとアリツェも思う。
「地図で確認をしたのだが、リトア族領との境界付近に、小さな集落があるよな。そこで落ち合おうか」
アリツェは持ってきた荷物から地図を出し、ラディムの言う集落を確認する。ヴェチェレク公爵領と接し、フェイシア王国の最北端を治めるエスト辺境伯領。その北の国境沿いに、件の集落はあった。リトア族領に入るための街道沿いにある集落で、確かに落ち合うのには都合がよさそうだった。
「わかりましたわ。先にクリスティーナと合流したうえで、その集落に向かいます」
アリツェはうなずきながら、諾の意をラディムに示した。
「では、現地で。緊急時はまた、腕輪で連絡をすると思う。アリツェからも、何か問題があったら遠慮なく知らせを入れてくれ」
「もちろんですわ。ではお兄様、また後程」
遠く離れていても、このように密な打ち合わせができる。遠隔通信のありがたみを改めて感じ、アリツェは腕輪の表面を軽く撫でた。
「お互い、道中気を付けていこう」
通信は途切れ、周囲は再び、馬車の揺れるガタンゴトンという音のみが響き渡る。アリツェは軽く伸びをして身体をほぐすと、背もたれに寄りかかりながら、ゆっくりと目を閉じた。
今回の遠征は、かつての登山行のような過酷な旅にはならないはず。とはいえ、未来予知ができるでもなし、何が起こってもすぐ対処ができるよう、休めるときはしっかり休むのも大切だとアリツェは考えていた。いまだヴェチェレク公爵領内の、比較的安全と言えるこの街道をゆく間は、できるだけ体力を使わないようにしようと心がけた。
しばらく何ごともなく、アリツェを乗せた高速馬車は街道を北上していた。
とそこに、アリツェは愛しい者の気配を感じ、高速馬車の窓を静かに開けた。
「ルゥ、お疲れ様」
窓が開かれるや、使い魔の鳩であるルゥがさっと馬車の中に入り込み、アリツェの肩にとまる。念話で周囲の状況の報告を受けた後、アリツェはルゥの足にくくりつけられた手紙を手に取り、中を確認した。
「クリスティーナも、無事にアレシュ様たちの説得を済ませ、出立したようですね。……合流は、エスト辺境伯領の領都ですか」
クリスティーナは遠隔通信用の腕輪を持っていない。なので、こうして使い魔のルゥが連絡役を担っていた。
手紙にはクリスティーナの直筆で、アリツェとの合流地点が指示されていた。
エスト辺境伯領の領都ターリ。アリツェは一度も足を踏み入れたことのない街である。王国北部最大の都市で、王国第四の人口を誇る北部経済の中心地でもある。グリューンとは王国東部を南北に貫く街道で結ばれており、商人の往来はかなりある。経済的な結びつきが強い街と言えた。
このため、アリツェも一度は直接出向いてみたかった街でもある。出産や育児でなかなかその機会を得られなかったが、今回思いがけずも、訪問の幸運に恵まれることとなった。クリスティーナとの待ち合わせのために、数日は滞在する可能性がある。せっかくだから、色々と情報を収集しようとアリツェは企んだ。無事にグリューンに帰った後の、領の経済政策の糧とするために。
「では、戻ってきてすぐで心苦しいのですが、この手紙をクリスティーナにお願いいたしますわ」
アリツェはすぐさま返信をしたため、ルゥの足にくくりつけた。ルゥは念話で力強く承知の声を返し、大空へと再び飛び立っていった。
「……初めての街ですが、すんなりと合流できるでしょうか。クリスティーナとは腕輪がないから直接のやり取りができず、もどかしいですわね」
ラディムとは違い、腕輪のないクリスティーナとはリアルタイムでの情報共有ができない。ターリは見知らぬ街でもあり、行き違いなどでなかなか合流ができない事態も想定できる。合流に時間を費したために、結果としてラディムを待たせるのも嫌だし、何よりも、その無駄な時間のせいで大司教一派に行方をくらませられでもしたら、堪らない。一刻も早くクリスティーナと合流をしたいと、アリツェはターリの街の地図を取り出し、主要な情報を頭に叩き込み始めた。
高速馬車から降り、アリツェは眼前に広がる街並みをゆっくりと見渡した。
「思っていた以上に、素敵な街ですわね」
エスト辺境伯領の領都ターリ。王都プラガとほぼ同時期に作られた、歴史ある街だ。多くの世代をまたいで続いてきた街だけあり、居並ぶ建物も、王国のあらゆる年代の建築様式が混在している。だが、決して雑然とした印象は受けない。屋根や壁面の素材や色に、ある程度の共通性があるからだ。
歩を進めるごとに微妙に建築様式が変わっていく様は、街とは生き物であるとアリツェにしみじみと感じさせる。このままアリツェの子世代、孫世代と時を重ねていけば、いずれはグリューンも、このターリの街のようになるのだろう。アリツェたち為政者が、適切な都市計画を策定し、きちんと実行し続けていけば、ではあるが。
「遠征時でなければ、ゆっくりと街を散策したいところですわ。今回の件が落ち着いたら、ドミニクと一緒に視察ができるよう、調整してみましょうか」
このターリの街並みは、グリューンの今後の都市計画の参考になる。アリツェはあれこれと考えを巡らせつつ、次々とその顔を変えていく街並みを楽しんだ。
「クリスティーナから指示された宿は……あれですわね」
ペスと連れ立って歩きながら、アリツェは通りの先にひときわ目立つ大きな建物を見つけた。クリスティーナの手紙に書かれていた特徴と一致する、このターリの街の中でもひときわ歴史を感じさせる重厚な建物。間違いなく、クリスティーナから指示のあった、合流のための宿だった。
アリツェが宿の受付に話をすると、どうやら王家がすでに部屋の手配を済ませていたらしく、すぐさま最上階のスイートルームへと案内された。
「さて、クリスティーナはまだ到着されていらっしゃらないようですし、ターリの街を楽しませてもらいましょう」
アリツェは独り言ち、荷物を部屋に置くと、再び街の喧騒の中へと飛び込んでいった。
「そっちはどう? かわりはないかしら?」
クリスティーナは穏やかな口調で、にこやかに微笑みながらアリツェに尋ねた。
「えぇ、おかげさまで。エミルもフランも、元気いっぱいですわ。もちろん、ドミニクも」
アリツェも負けじと、微笑を浮かべつつ、近況をクリスティーナに伝える。
結局クリスティーナと合流できたのは、アリツェがターリの街についてから二日後だった。今はこうして、ターリの宿屋で近況報告会の最中だ。
「そう、それはよかった。……立場のせいで、以前ほど頻繁に顔を合わせられなくなって、寂しいわ。転生者としての会話ができるのは、あなたとラディムだけなんですもの」
クリスティーナはやや大げさに両手を広げ、頭を振った。
「同感ですわ。ただ、わたくしは腕輪のおかげで、お兄様とは頻繁にお話が可能です。クリスティーナにはちょっと、申し訳ないですわ」
「本当よね。うらやましいわ」
アリツェの言葉に、クリスティーナはすかさず口をとがらせ、不満げな声を漏らす。
クリスティーナからは、これまでも再三、腕輪を譲ってくれないかと頼まれてきた。だが、親友の頼み、王太子妃の頼みとは言え、アリツェとしてもさすがに、この腕輪だけは手放せない。ヴェチェレク公爵家の切り札ともいえるものだからだ。
「どう? 腕輪量産のめどは立ちそう?」
「ごめんなさい、最近のごたごたで、研究がストップしておりますわ」
ヴェチェレク公爵家内で以前から続けている、腕輪量産のための研究。王家からも人材と資金の援助を受けているため、王家の一員たるクリスティーナにも、現状を聞く権利がある。
アリツェは包み隠さず、研究の進捗状況をクリスティーナに説明した。不本意ながらも、ここしばらくの間、大した進展がなかったと。
「ま、仕方がないわね」
クリスティーナは肩をすくめつつも、顔は笑っている。
アリツェとはルゥを通しての手紙のやり取りも行っているため、クリスティーナもある程度は公爵家の内情を知っている。アリツェやドミニクの置かれた状況も理解をしているため、遅々として進まぬ研究の状況に対し、特段落胆した様子は見せなかった。
とはいえ、腕輪量産は、王家としての悲願でもある。研究に便宜を図ってもらっている手前、なかなか成果を出せない状況は、アリツェとしては大いに不本意だった。自然と顔もうつむく。
「あ、ちょっと。別にアリツェを責めているわけではないわよ」
クリスティーナが慌てたような声を上げ、アリツェの肩に手を置いた。
「そういっていただけると、心が軽くなりますわ」
親友の心配げな表情を見て、アリツェは強張った表情を緩めた。
「悪かったわ、変な話をして。……これから大仕事が待っているんだし、せめて今だけは、明るく楽しくいきましょう!」
クリスティーナは両の手をぎゅっと握りしめると、場の雰囲気を変えるように、明るく力強く、その美声を張った。
「そう、ですわね……」
アリツェも首肯し、微笑んだ。
「さて、久々に転生者が三人そろったな」
ラディムの言葉に、アリツェはクリスティーナとともに、力強くうなずいた。
ラディムと合流の調整をした、リトア族との国境沿いの集落。唯一の宿の一室で、アリツェたち転生者三人は再会を果たした。
「いよいよね! 腕が鳴るわよ!」
鼻息荒く、クリスティーナは息巻く。
窮屈な王宮生活に、ストレスがたまっていたのだろう。とくに、世継ぎとなるアレシュとの子をお腹に宿して以降は、間違いなく行動に大幅な制限がかかっていたはずだ。こうして久しぶりに大規模精霊術を放てる機会が転がり込み、楽しみな気持ちもあるに違いないと、アリツェは睨んでいた。アリツェにも、同じような気持ちがないとは言えないのだから。
アリツェとて、元来は『超』が付くほどの精霊バカ。今は最愛の家族を第一にと思い自重をしているが、やはり精霊たちとの密な語らいである大規模精霊術の行使は、心躍るものがある。表にはあらわさないものの、アリツェも幾分は興奮していた。
「明日にはリトア族領に入りますわ。ここからは、より一層の緊張感を持っていきましょう」
あまり行軍に時間をかけては、大司教側にこちらの動きを悟られる危険性が増す。先にこの集落に到着していたラディムにより、リトア族領内についてのある程度の情報収集がなされていたこともあり、翌朝すぐに国境を越える手筈となった。
国境を越えてしまえば、属国とはいえ他国。ここまでとは道中の安全性が違ってくるだろう。アリツェは改めて、気を引き締め直す。
「アリツェの言うとおり、今後はいつ大司教側の罠が待ち受けているかわからない。おそらくはまだ、私たちが隠れアジトへ向かっていると、相手方に気づかれてはいないと思う。使い魔による情報収集からも、その気配は感じられなかった。だが、気付かれていると思って慎重に行動をすべきなのは、私が言うまでもなく、二人も理解していると思う」
ラディムは傍に侍る子猫のミアにちらりと一瞥をくれると、真剣な眼差しをアリツェとクリスティーナに向けた。
「この機会を逃すわけにはいかない。二人とも、よろしく頼むぞ!」
「やるわよっ!」
「頑張りましょう、お兄様!」
力強いラディムの宣言に、クリスティーナは勢いよく右手を突き上げ、アリツェは両の拳をぎゅっと固めた。
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仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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ゆるゆる異世界ファンタジー、ご都合主義満載です。
タイトル色々いじっています。他サイトにも投稿しています。
完結しました。ありがとうございました。
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