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第二十一章 隠れアジトにて

3-2 わたくしの愛する家族のために~中編~

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 アリツェの最初の子の出産から、四年が経った。

 生まれた息子エミルも四歳となり、公爵邸はだいぶにぎやかな毎日を送っていた。あちこち我が物顔で走り回るエミルに、サーシャをはじめとした侍女たちは、すっかり振り回されっぱなしだ。

「いけません、エミル! そちらへ行ってはダメですわ!」

 アリツェは叫んだ。だが、エミルは知らん顔で奥のクローゼットの中へ隠れようとする。しかし、すかさずサーシャに首根っこを掴まれ、アリツェの傍へと連れてこられた。

「まったく、誰に似たのかしら。わんぱくで困りますわ!」

 アリツェはエミルの顔を覗き込み、「おいたばかりしていては、おやつ抜きにしますわよ」と叱る。

 ドミニクの面影を色濃く残すエミルの顔が、みるみるうちにクシャっと歪んでいく。

「まぁまぁ、奥様。元気なことは、とても良いことだと思いますよ」

 アリツェに叱られしょぼくれるエミルを見て哀れに思ったのか、サーシャが助け舟を出した。

「そうはいっても、サーシャ。元気過ぎても困りものですわっ! 万が一、怪我でもしたらと思うと、わたくし……。あ、また!」

 エミルはアリツェの一瞬の隙を見て、再び駆け出した。今度は窓際でお座りをしているペスの元に寄っていき、隣に座り込んだ。そのままキャッキャキャッキャと笑いながら、ペスのしっぽをぐいぐいと引っ張り出した。

 だが、そこはさすがにペスだ。幼児の力で引っ張られた程度では、物ともしない。チラリとエミルに視線をくれつつ、適当にあしらっていた。

「相手がペスだからいいものの、ハラハラいたしますわ」

 アリツェは眉をひそめ、少しそわそわしながら我が子の行動を見つめた。

「ふふふ、可愛らしいじゃないですか」

 サーシャは忍び笑いを漏らしつつ、エミルの傍に寄っていった。

「レオナがおとなしい分、エミルの活発さが余計に目立ちますわ……」

 アリツェは隣ですやすやと寝入っている幼女を見遣りつつ、大きなため息をついた。この幼女レオナは、ガブリエラとシモンの子供だ。エミルよりも半年生まれるのが遅かったが、エミルよりもよっぽどおりこうさんだった。

「私がしっかり見張っておりますし、あちらでもガブリエラが目を光らせております。御心配には及びませんよ」

 ペスの尻尾を掴んだまま離そうとしないエミルを引きはがしつつ、サーシャはアリツェに優しく声をかけた。

「身重で自由に動けないのが、もどかしいですわ」

 アリツェは大きくなった自身のお腹に手を当てた。幾度か掌に衝撃を感じる。お腹の子が、元気に動き回っているのだろう。

「あきらめておとなしくなさっていてください。エミル様のためにも、ね。弟になるのか、妹になるのか、まだわかりませんが、元気なお子を産んで、エミル様を喜ばせてあげてください」

 サーシャはエミルを抱きかかえ、苦笑を浮かべながら、アリツェの座るソファーへと戻ってきた。

「もちろん、そのつもりですわ。ただ、ちょっと退屈過ぎて」

 レオナのつやつやの黒髪を撫でつつ、アリツェは口を尖らせた。

「旦那様がいらっしゃらなくて、お寂しいんですね。わかります」

「本当ですわ! あぁ、ドミニク成分が不足中ですわ!」

 サーシャの言葉に、アリツェは両眉を上げ、嘆きの声を張り上げた。

「でも、旦那様の今回の視察、重要な案件なんですよね?」

 サーシャはアリツェに相対するようにソファーへと腰を下ろし、そのすぐわきにエミルも座らせた。エミルは不満げな声を上げるも、サーシャがおかっぱの金髪を撫でてやると、途端におとなしくなる。

 ……アリツェは解せなかった。自分の言うことは全然聞かないくせに、サーシャに言われれば素直に従う我が息子。少し、サーシャに嫉妬をしてしまう。思わずぎゅっと口を真一文字に結び、サーシャにジト目を向けた。

 アリツェの視線に気づいたサーシャが、何やら勝ち誇った微笑を浮かべている。悔しい……。

「お兄様から、大司教一派に関する情報が入りましたの。我が領のはずれに、世界再生教の破却された施設が取り残されていて、最近そこに何者かが出入りしているのではないかと」

 アリツェはため息交じりにサーシャに語ると、テーブルに置かれたクッキーを一つまみ取って、口に運んだ。

「公爵領内で、何か悪だくみでもされていたら嫌ですね……」

 サーシャはちらりとエミルに目を向け、不安げな表情を見せた。

 退屈さに負けたのか、エミルはいつの間にか眠っていた。サーシャに寄りかかりつつ、可愛らしい寝息を立てている。

「まったくですわ。……領民のためにも、そして、わたくしの愛する家族のためにも、心配の芽は確実に摘んでおかねばなりませんわ」

 すやすやと寝入っているエミルを、アリツェは目を細めながら見つめた。

 アリツェは誓う。この子たちのためにも、やれるだけのことはやろうと。アリツェは願う。この子たちの悲しむ姿は、決して見たくはないと。

「大司教たちの行方、相変わらず決定的な情報は入ってきていないんですよね?」

 サーシャはアリツェに顔を向けなおし、首を傾げた。

「残念ながら……。クリスティーナが王太子妃になって身動きが取れず、わたくしも身重で動けません。ドミニクも発展途上の領の領主なので、おいそれと領外には出られません。今、大司教捜索に動き回れているのが、お兄様配下の、かつての導師部隊だけですわ」

 アリツェは頭を抱えながら、力なくつぶやいた。

 大司教捜索は、今完全に行き詰っていた。時折ラディムから、今回のように怪しい場所に関する報告は入る。だが、今のところそのすべてが不発だった。

 調査に霊素持ちをもっと大々的に投入をしたいところなのだが、現状では厳しい。クリスティーナもラディムも、自らの役割にがんじがらめとなっているし、アリツェも妊娠中で派手に動けない。

 ラディムが編成しなおした、かつてのザハリアーシュの導師部隊。彼らだけが、アリツェたちの希望の星だった。

「この広い大陸中央部をくまなく探すのも、二十人くらいの元導師たちだけでは、厳しそうですね。奥様と同い年ですよね、霊素持ちということは」

 サーシャは唇に人差し指を当てながら、考え込むように視線を上に向けた。

「えぇ。ですので、面倒な話ではありますが、田舎に行けば霊素持ちの力を知らない者も多数です。どうしても年齢で侮られ、非協力的な態度を取られたり、聞き込みなどもうまくいかないケースが多いと聞いております」

 アリツェは現状の手詰まり感を嘆き、ため息をついた。

 霊素や精霊術の普及教育も、満足に進められてはいない。精霊教が国教化されたとはいえ、地方に行けば精霊術を見たことのない者が圧倒的になる。元導師たちは、アリツェと同い年の二十歳。その年の若さを嘲り、若造の言うことなど聞けるかと口にする頭の固い人間も、まだまだ多いようだ。

「バカバカしいですね……。大司教たちを野放しにしていれば、世界が再び乱れるかもしれないのに」

 サーシャは苦笑を浮かべた。

「まったくです。……わたくし自身が動ければ、もっと話は早いのですが」

 アリツェも同感だった。こうもままならない現状を思うと、胸が締め付けられる。いっそ、アリツェ自らが出向いてしまえば、一挙に物事が解決するのではないか、との思いに駆られそうになる。

「だ、ダメですよ、奥様!」

 サーシャは泡を食って声を張り上げた。

 その声に驚いたのか、エミルはびくっと身体を震わせ、薄目を開けた。

 サーシャは少しばつの悪そうな表情を浮かべつつ、すかさずエミルの頭を撫でる。エミルはそのまま、むにゃむにゃと呟きながら、再び寝息を立て始めた。

「もちろん、わかっております。今のわたくしは、まず自らの領と家族の安寧を、第一に考えねばならない立場ですから……」

 アリツェはサーシャとエミルのやり取りを、目を細めつつ眺めた。

 今エミルの元を離れるわけにはいかない。お腹の中に赤ちゃんもいる。自らの現状は、しっかりと認識しているつもりだった。

「ただ、それでも、遅々として大司教の行方の捜索が進まない現状に、わたくし頭が痛いですわ」

 頭ではわかっていても、叫び声を上げたくなるほどの焦燥感を抑えるのは、なかなかに苦しい。胸も痛む。

「ラディム陛下から、もっと確定的な知らせが入るといいですね」

 サーシャの言葉に、アリツェは首肯した。

「ただ待つ身というのも、大変心苦しいものですわね。……今も、この空の元で、大司教たちが邪悪な謀をしているのではないかと思うと……」

 自らの力で打開をできない現状。周囲を信頼し、今はただひたすら、待ちの姿勢を貫かねばならない。

 アリツェは知らぬうちに、服の裾をきつく握りしめていた――。
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