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第二十章 大司教を追って

5-1 もう時間がありませんわ!~前編~

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 アリツェたちは横穴を脱し、最初にキャンプを設営した場所まで戻ってきた。急ぎキャンプを設営しなおし、今後の方針を確認し合う話し合いのための環境を整える。

 ここ数日、空は分厚い黒い雲に覆われていた。雨こそ降らなかったが、陽光が遮られ、ぶ厚い外套を纏っていても肌寒く感じる。だが、幸いなことにその肌寒さも、ぎりぎりで精霊術に頼る必要がない程度だったのが救いだった。

 強風のこないうちに天幕を設置し、焚火を起こす。次々と薪をくべ、アリツェたちはようやく一息つき、焚火を囲むように車座に座った。使い魔たちも、それぞれの主人に寄り添って、腰を下ろしている。

 微風にあおられ、僅かに揺れる木々の葉のかさかさと鳴る音と、薪の爆ぜるぱちっという音が、気が立ってささくれだったアリツェの気分を、幾分か和らげた。

「ドミニクも使い魔と会話できるようになったのだ。今回は使い魔も交えて、全員で話し合おう」

 皆が落ち着いたところで、ラディムが全員に視線を回しながら宣言した。

 今回の話し合いで、重要な決断を下さなければならない。行くか、それとも引くか。そのため、周囲の調査に当たっていた使い魔たちにも、率直な意見をもらうべきだとラディムは考えたようだ。アリツェとしても異論はない。クリスティーナ、ドミニクも同様のようで、特に反論はなかった。

『よろしくだっポ』『いい案を出すワンッ』

 ルゥとペスの声が響き渡る。

「ペス、やはりこの周辺にはもう、人の気配の残る横穴はありませんの?」

 右隣りにお座りをしているペスの頭を優しく手で撫でつつ、アリツェは尋ねた。

『なさそうだワンっ。念入りに調べなおしたので、自信があるワンッ』

 ペスは顔を上げ、信頼してくれとばかりに強気で言い切った。

 今アリツェたちが従えている使い魔の中で、最も知覚に優れているのがペスだ。そのペスがこうまで言い切るのであれば、相当に信頼の高い意見だとアリツェは思える。

「ということですが、お兄様、どういたしましょう」

 アリツェはペスの頭を撫で続けながら、目線をラディムに向けた。

「ルゥ、この周辺に、他にくぼ地らしきものは見えないか?」

 ラディムは思案気に腕組みをしながら、アリツェの左肩に留まるルゥに問うた。

『あいにくと見当たらなかったっポ。もう少し遠出をすればあるかもしれないけれど、たとえ見つかったとしても、今から人間の足でそこまで向かうのは、時間的にどうかと思うっポ』

 ルゥは否定的な意見を返した。

「わかった、ありがとう」

 ラディムはルゥにうなずき、「ふぅっ」と大きく息をついた。

 たとえ別のくぼ地があったとしても、上空を飛ぶルゥがすぐに発見できない程度に離れた場所にあるのであれば、確かに今から向かうのは無理がある。別なくぼ地の探索は、どう考えても採用できる意見ではなかった。

「八方塞がりね。ゲームオーバーかしら?」

 頭を振りながら、クリスティーナはため息を漏らした。

「父上たちとの約束もある。期限だけは守らないと、ボクたちの信用も落ちるよ」

 ドミニクもあきらめ顔を浮かべ、後頭部で両手を組みながら天を仰いだ。

「信じてもらえなくなっちゃえば、もう二度とこんなわがままは、聞いてもらえないわよねぇ……」

 ぽつりとつぶやいたクリスティーナの言葉に、アリツェはどきりとした。

「それは困りますわ。……やはり、あきらめるしかないのでしょうか?」

 このまま手掛かりもなく無理に粘ったとしても、大司教一派を捕らえられないかもしれない。あまつさえ、定めた期限を破り約束を守らなかったと、フェイシア国王らの信頼をも失うかもしれない。そうなれば、最悪だった。

 痛恨ではあるが、撤退の時なのかもしれない。

「雪が降ると、運悪く魔獣に遭遇した際も、戦闘が困難になる。とにかく期限は守るぞ」

 ラディムも引き際を考え始めている様子だった。

「行きでは遭遇しませんでしたが、雪の中、噂の巨大魔獣なんかと出くわしたら……」

 大型の熊の四倍は大きいと噂された巨大魔獣。足場の悪いところで遭遇すれば、いくらアリツェたちとはいえ、苦戦は免れない。……あまり考えたくない事態も、起こりえる。

「い、いやな想像しないでよ、アリツェ」

 クリスティーナは身体を震わせ、纏った外套ごときゅっと己の胸を抱き締めた。






 その後、使い魔を交えての議論を延々と繰り返した。だが、一向に結論の出る気配はなかった。

 いつの間にか日もとっぷりと暮れ、周囲はすっかり闇に包まれている。アリツェたちの囲む焚火の明かりだけが、周囲をほんのり赤く照らし出す。厚く垂れこめる雲は、変わらず天を覆いつくしているため、月明かりはまったく期待できなかった。

 一旦論戦は休止とし、ドミニクとクリスティーナは夕食の準備に取り掛かった。その間、アリツェとラディムは二人で、洞窟探索ですっかり薄汚れた使い魔たちの身体を、水の精霊術で洗浄した。乾かし終えた毛並みを綺麗にブラッシングしてやると、使い魔たちはうっとりと目を閉じ、されるがままに身体を預けてくる。

(……こんな時に不謹慎ですが、本当に、可愛らしい子たちですわ)

 アリツェは使い魔たちと触れ合いながら、心の内の重しをしばし忘れ去った。

 全員のブラッシングを終えた頃合いに、ドミニクから夕食ができあがったとの声が上がる。

 自ら料理を作ることが叶わない以上、配膳くらいはと思い、アリツェは積極的に全員の分を食器によそった。器から立ち上る湯気を軽く吸い込めば、刺激的な香りが鼻腔をつく。気温が低めなので、今日も香辛料を多めに使ったスープにしたのだろう。アリツェのお腹もきゅうっと鳴った。

「相変わらずの食いしん坊ね、アリツェ。今日のスープは私が作ったわ。肉無しで申し訳ないけれど……。ただ、その分、スパイスはふんだんに使っているから、煮込んだ野菜ともどもおいしくいただけるはずよ」

 クリスティーナは微笑を浮かべながら、アリツェにスプーンを手渡した。

 アリツェはさっそくスプーンを手に取り、ひと掬い口に含んだ。鼻に抜ける清涼感と、舌に感じるピリリとした刺激、そして、くたくたに煮込まれた野菜から生ずる甘みが混然一体となり、アリツェの味覚を大いに喜ばせる。

「はぁ……、相変わらず、クリスティーナの料理はおいしいですわ」

「いつでもレストランを開ける腕前でしょ? ……まぁ、転生前知識の賜物ってところも、あるんだけれどね」

 最後に漏らしたクリスティーナのつぶやきに、アリツェは思わず目を見開いた。

 転生前のクリスティーナ――ミリアの個人的な事情を聞く機会は、今までほとんどなかった。そもそも、プレイヤーの本名すら知らない。今の口ぶりからすると、ミリアのプレイヤーは、現実世界の日本で飲食関連の仕事にでも就いていたのだろうか。

 クリスティーナはそこで口をつぐんだ。あまり込み入った事情を話したくないのだろうなと、アリツェは以前から薄々感じていた。なので、クリスティーナ本人から話し出そうとしない限りは、無理に聞き出すつもりはなかった。

 今回も、これ以上は詮索してくれるなという雰囲気を感じたので、アリツェは黙ってスプーンを動かし続けた。

 食事を終え、全員が一息ついたところで、再度論戦の火ぶたが切られた――はずだった。

「こうしてグダグダ考えていても、時間が無益に過ぎるだけだよね」

 ドミニクのため息がこぼれた。

 結局は休憩前と状況は変わらなかった。一向に妙案は出ず、アリツェも含め、全員の顔にうんざりとした色が浮かび始めていた。

「こうなったら、腹を決めるしかないわね」

 クリスティーナはつぶやくと、ちらりとラディムに視線をくれた。

「お兄様、決断をお願いいたしますわ……」

 アリツェもラディムに向き直った。

 これ以上の議論は、もはや何の意味もなさないと、皆が感じ始めていた。であるならば、誰かがきちんと決断を下さなければならない。その誰かが誰になるのかは、誰の目にも明らかだった。

「立場上、この討伐隊のリーダーはラディム、君だ。君の下した決断なら、どのようなものであれ、ボクたちは受け入れるよ」

 ドミニクはひどく神妙な顔つきで、いつもの軽い声色とは真逆の、重苦しい声でラディムに語り掛けた。

「そういうこと。スパッと決めちゃってくださいな、ラディム様」

 一転して、クリスティーナは軽い調子で話しかける。ラディムに心の負担を感じさせないようにとの、クリスティーナなりの配慮だろうか。

「……あぁ」

 ラディムは膝の上に置いた拳をぎゅっと固め、うつむきながら答えた。

「お兄様……」

 アリツェは心配になり、立ち上がってラディムの傍へ移動しようとした。

「大丈夫。大丈夫だ、アリツェ」

 だが、ラディムは慌てて顔を上げると、両手でアリツェを制した。

「少しだけ、考えさせてほしい」

 ラディムは顔をこわばらせつつ、ぐるりとアリツェたち全員に目を配った。

「もちろんですわ!」

 アリツェはラディムを元気づけようと、努めて明るく声を張り上げた。

 重い決断になる。ラディムが神経質になるのも、当然の帰結だった。なによりラディムは、大司教一派に対して、一番大きな負の感情を抱いているはずだ。ゆえに、即断即決というわけにもいかないのは、アリツェにも重々理解できた。

 アリツェたちはラディムの決断の言葉を、ただ静かに、押し黙りながら待った――。
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