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第二十章 大司教を追って

2-3 きちんと身の安全を確保せねばなりませんわ~後編~

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 さらに二日が経過した。

 雨も上がり、垂れこめた黒雲も幾分晴れてきた。だが、相変わらずの強風が吹き荒れており、防風壁に投じる霊素量が馬鹿にならない。

 鳴りやまぬ風切り音にうんざりとしながら、アリツェたちはぬかるんだ獣道に目を遣った。また今日も、足を取られつつの苦しい行軍が待っている。

 周囲に立ち込める雨のにおいはすっかり消えたが、代わりとばかりに、再び乾いた空気が肌を刺し始め、表面をカサカサに乾燥させた。喉もひりつく。コンディションはよくなかった。気が、重い……。

 アリツェたちは朝食を終えると、この日の分のマジックアイテム化を施すため、天幕の中へ入った。

 今日の付与当番はアリツェだ。アリツェはドミニクから外套を預かると、さっそく即席インスタントマジックアイテム化を施すため、掌に霊素を練りだした。とその時――。

「ほぇぇ!?」

 アリツェは素っ頓狂な声を上げ、自身の左腕にはめたトマーシュの腕輪を見遣った。

「どうした! アリツェ!」

 アリツェの声を聞き、ドミニクが慌てたように駆け寄ってきた。

「ドミニク……、これを見てください」

 アリツェは袖を少しまくって、腕輪をはめている左腕をドミニクに示した。

「また、腕輪が震えている? ラディムが交信要請……はしていないか」

 ドミニクは目を見開き、アリツェの嵌めている腕輪を注視する。

 腕輪はかすかに振動していた。以前、遠距離通信をした際に発生していた、あの振動のように。

「おい、ラディム! ちょっと来てくれ!」

 天幕の外で朝食の片づけをしていたラディムを、ドミニクは大声で呼びつけた。

「どうした?」

 ラディムが首をかしげながら、天幕の中へと入ってきた。食器を水洗いしていたのだろう、ハンカチで手を拭っている。

「あ、お兄様! こちらをご覧になって」

 アリツェはラディムに左腕を突き出した。

「腕輪が……振動している?」

 ラディムは訝しむように、腕輪の動きを凝視した。

「お兄様、交信要請なんて出しておりませんわよね?」

 アリツェの問いに、ラディムは頭を振り、「出していないぞ」と否定した。

「いったいどうしたわけでしょうか……」

 アリツェは目前の現象の理由がわからず、腕を組んで「うーん」と唸り声を上げた。

「通信受諾と同じ操作をするとどうだ? もしかして、大司教側から支援者への交信要請を、偶然捕捉したとか」

「わかりません。でも、試してみますわ」

 ラディムの思い付きに、アリツェはなるほどとうなずき、受信のための霊素を腕輪に注入した。

「……交信要請、というわけではなかったようです」

 アリツェやラディムの期待とは裏腹に、腕輪は何の反応も返してこなかった。通信が開かれるような様子も、まったく見られない。

「ねぇ、アリツェ。この腕輪の表面、熱を持ち始めていない?」

 クリスティーナがラディムの背後からひょいっと現れると、アリツェの腕輪を突つき始めた。

「そういえば……」

 クリスティーナの指摘で初めて気が付いた。わずかな温度の上昇だったため、継続して身につけていたアリツェには、変化がはっきりとわからなかったからだ。

「もう少し霊素を練って、注いでみて」

「こうでしょうか……」

 クリスティーナの意図はよくわからなかったが、何か思いついたのだろうとアリツェは思い、指示に従って少しずつ、霊素を腕輪へ注入した。

「きゃっ!」

 腕輪がぐんっと熱を持ち始めたので、アリツェは思わず悲鳴を上げた。

「霊素を込めれば込めるほど、熱量が上がるってわけね。……マジックアイテム作成の際に、掌で霊素を練る時と似た現象が、腕輪に起こっている?」

 クリスティーナは腕を組み、目を閉じた。首を何度か左右に傾げながら、思索の森へと足を踏み入れている。

「どういう意味ですの?」

 アリツェはクリスティーナの顔を覗き込み、問い返す。

 クリスティーナが何を言わんとしているのかが、アリツェにはよく見えなかった。似た現象とは、どういった意味だろう。

「ほら、外套に霊素を注入するときって、上昇する熱量をみて注ぐべき霊素量を推し量っていたじゃない。この腕輪も、練られた霊素がため込まれればため込まれるほど、熱を発するようになっているようだから、私たちの掌での現象と同じことが、中で起こっているのかなって」

 クリスティーナは右手を上げ、掌をぱっと開いてアリツェの前に差し出した。そのまま、その掲げた掌とアリツェの腕輪とへ、交互に視線を送っている。

「そういえば、同じ霊素を注ぐにしても、今施している外套なんかは、霊素による発熱はまったく無いな。あくまで、火の精霊術を纏わせた結果の熱だけだ」

 ラディムはうなずきながら、アリツェが手に持つドミニクの外套へ視線を遣った。

「そう、そうなのよ! 火の精霊術だとちょっとわかりにくいけれど、他の属性の精霊術を付与すれば、話はもっと単純よね」

「なるほど、確かに他の属性の精霊術を施したマジックアイテムだと、いくら霊素を注ぎこんだところで、熱はまったく生じない」

 クリスティーナの説明に、ラディムは首を縦に振った。

 今まで作ってきた小石の爆薬も、毛糸の拘束玉も、霊素が込められているのに熱は帯びていなかった。以前誕生日プレゼントにもらった、クリスティーナ作の霊素が込められたジンジャーブレッドも、同様にまったく発熱はしていない。

「マジックアイテムに取り込まれた霊素と、その腕輪がため込んだ霊素は、そもそも根本的に違うものに見えるのよね」

 クリスティーナは両手を床に突き、身を乗り出して、アリツェに顔をぐいっと近づけた。

「つまり、私が言いたいのはね――」

 クリスティーナのここまでの説明で、アリツェにもピンときた。

「腕輪のため込んだ霊素が、まだ属性付与前の、純粋な状態の霊素だと言いたいのですわね。だから、掌で練っている霊素と同じだと、先ほどクリスティーナはおっしゃったと」

「そういうこと」

 アリツェが下した結論に、クリスティーナは微笑を浮かべながら、満足げにうなずいた。

「この事実が導く先は……、腕輪が霊素貯蔵庫として使えないかってところか」

 ラディムは腕を組み、右手を顎に当てながらつぶやいた。

「ため込んだ霊素を、腕輪から外部へ再度動かせるようであれば、お兄様の言うとおりの活用法が見出せそうですわ」

 おもしろそうだと感じ、アリツェは今も振動を続ける腕輪の表面を、トントンと指先で叩いた。

 属性を帯びる前の純エネルギー状態の霊素をため込めて、しかもその霊素を自由に外部へ放出できるようであれば、この腕輪は確かに、ラディムの言うような霊素を貯蔵する倉庫としての役割を果たせる。

「そうなると、休憩前に余った霊素をこまめに腕輪に注入し、ため込むようにしておけば、ドミニク以外の外套の即席インスタントマジックアイテム化も、毎回できそうな気がするな」

 ラディムは片手を腰に置くと、片眉を上げながらニヤリと笑みを浮かべた。

「さっそく、試してみましょう!」

 アリツェも心が一気に軽くなり、ついつい声を張り上げた。

 いつの間にか、外の風音は止んでいる。天幕の中も、うっすらと明るくなってきた。雲が晴れ、薄日が差し込み始めたのだろう。

 この腕輪によって、山積された問題の解決の糸口が掴めた。事態は、アリツェたちにとって良い方向に進み始めている……。

 皆が見守る中、アリツェは息を弾ませながら、腕輪に注入するための霊素を、じっくりと練り始めた。






 アリツェが霊素を注入し終えると、腕輪は振動をやめ、ぼんやりと赤く瞬き始めた。

 今持っている全霊素を投入したため、アリツェは軽く眩暈を覚えた。身体をふらつかせていると、横からドミニクが「大丈夫かい?」と口にしながら、慌ててアリツェの肩を支えた。

 アリツェはドミニクの顔を見遣り、こくりとうなずいた。

 「さすがに全霊素を消費すると、体に堪えますわ。ですが、疲労感が激しいだけですので、問題ございません」

 精いっぱいの笑顔を向け、「心配ご無用ですわ」と返した。ドミニクも安心したのか、「ふぅっ」と息を継いだ。

 その後、クリスティーナがアリツェの全霊素が込められた腕輪を受け取り、ため込まれた霊素をきちんと取り出せるかの実験を始めた。

 取り出した霊素に対して、

一.きちんと属性を付与できるか

二.使い魔や武具に纏わせる――精霊具現化することができるか

三.変換効率はどの程度か

を、あれこれと工夫しながら確認した。

 結果、問題なく属性を付与できるし、きちんと精霊具現化もできるし、変換効率もロスが非常に少なかった。理想的な霊素貯蔵庫だと言える。

「これで、懸念していた問題点が解消されましたわ」

 アリツェはクリスティーナから腕輪を返してもらうと、自身の左腕にはめようとした。

 とその時、ドミニクが「ちょっと興味があるから、見せてもらってもいい?」と口にしたので、アリツェはそのままドミニクに腕輪を渡した。ドミニクは少年のように目をキラキラと輝かせ、腕輪をペタペタと触りだした。

 アリツェはドミニクの行動を、目を細めながら眺める。

「霊素限界量の問題と防寒対策……。ザハリアーシュとトマーシュの腕輪で、なんとかなりそうだな」

 ラディムはつぶやきながら、アリツェの隣に座った。

 アリツェはラディムへちらりと顔を向けると、「本当ですわね……」と返す。

「それにしても、まさかわたくしの最大量の霊素まで、余裕でため込むとは思いませんでしたわ……」

 アリツェは大きく息を吐きだし、ドミニクにいじくりまわされている腕輪を見遣った。

 最初、霊素を注入しようとした際は、霊素があふれて腕輪が壊れやしないかと、少しハラハラしていた。だが、そんな心配は無用だった。不安げに見守るアリツェたちをあざ笑うかのように、腕輪はがつがつとアリツェの霊素を貪り食ったのだから。

「とにかく毎日、睡眠をとる直前に、余った全霊素を腕輪にため込んでいくようにしよう」

 貯蔵上限の心配はなさそうだった。であれば、ラディムの言うとおり、余った霊素はどんどんと腕輪にため込んでいくべきだろう。

「霊素をため込んでいると、発熱だけではなく、うっすらと赤く瞬くようになりますわね」

 素材はおそらく銀だ。遠隔通信の際に瞬いたときは、その本来の銀色のまま、光っていた。

 だが、今見せている霊素貯蔵による輝きは、ぼんやりと赤い。やや暗い赤なので、赤銅色と言ってもいいかもしれない。瞬いている間は、銀製ではなく、銅製のようにも見える。

「直接触れずとも、腕輪に霊素がたまっているのが一目瞭然だ。……便利なものだな」

 ラディムの言うとおり、色だけで判別がつけられるのはありがたかった。

 振動は霊素注入後、すぐに止んでしまうし、熱については直に触れないとわからない。離れた場所からでも、霊素が貯蔵されているかどうかがすぐにわかれば、うっかり腕輪の霊素貯蔵量を空にしたとしても、誰かがすぐに気付いて指摘できる。

「どうやら、この腕輪の貯蔵可能霊素量がかなりのものなのか、掌で練る時よりも、注入霊素に対する発熱量が抑えられ気味ですわ。装着していられないほどの熱さには、なりそうにありません」

 さらに、アリツェたちにとって都合の良いことに、相当量の霊素を注入しても、腕にはめていられないほどの温度までは上昇しなかった。――もちろん、腕輪の限界量までため込んだ場合は、どうなるかわからなかったが。

「私たちの最大量の霊素を注いでも、火傷をするような熱さにはならない。使い勝手を考えれば、ありがたいな」

 それからしばらく、ラディムと二人、腕輪についてあれこれと話し合った。

 そろそろ腕輪を返してもらおうと、アリツェがドミニクに顔を向けようとした、その時――。

「アリツェ、ちょっとこれを見てくれ!」

 ドミニクが大声を上げ、アリツェを手招きした。

「どうしました?」

 アリツェは立ち上がり、ドミニクの傍に座りなおす。

「この白い膜って、霊素の塊だよね。なんかボクにも、……ほら、こうやって動かせるんだけれど」

 ドミニクは腕に半透明の白い膜を纏い、押したり摘まんだりしている。

 ……どう見ても、使い魔たちに纏わせる霊素と、同じような膜だった。

「あらあら、まぁまぁ!」

 アリツェは目を大きく見開き、両眉を上げながら驚嘆の声を張り上げた。

「腕輪を介すると、霊素持ち以外でも霊素を扱えるようになるのか?」

 ラディムもドミニクの傍までやってきて、ぼんやりと光る白い膜を凝視している。

「だとすると、なおさら好都合ですわ!」

 アリツェは破顔した。

「そうね。霊素持ちでなくても霊素が扱えるのなら、ドミニク様にその腕輪を常時持たせておけば、いざという際の保険にもなりそう」

 さも名案が思い浮かんだと言わんばかりに、クリスティーナはパンっと手を叩いた。

 アリツェは言おうとしていた台詞をクリスティーナに先に言われ、何かをしゃべるでもなく、パクパクと口を動かした。

 クリスティーナは横目でアリツェを見遣り、「おいしいところは頂いたわ」と言いたげな目線を送ってくる。

 アリツェはちょっぴり、悔しかった。

「あぁ、なるほど。ドミニクが一人はぐれても、腕輪が熱源として働くし、自分で霊素を取り出して、外套のマジックアイテム状態を持続させられもする、か」

 ラディムも納得したのか、大きく首肯した。

「試してみないとわからないけれど、たぶんいけそうな気がするわ」

 クリスティーナはニヤリと笑った。

「わたくしも、なんだかワクワクしてきましたわ!」

 ドミニクが腕輪から霊素を抽出し、その霊素を外套に纏わせる様を、アリツェは身体をリズムよく左右に揺らしつつ、そわそわしながら注視した。

 結果、目論見どおり成功した。ドミニクの手によって抽出された霊素は、即席インスタントマジックアイテム化されている外套の中へと、無事吸い込まれていった。

「ありがとう、これで足手まといから脱せられるよ」

 ドミニクは相好を崩し、ぼんやりと赤く瞬く腕輪の表面を、優しく優しく撫でつけた。しばらくの間、この腕輪はドミニクの大事な相棒になる。

「本当に良かったですわ……。これで、ドミニクの身の安全は、きちんと確保されたも同然です!」

 アリツェは胸の前で手を組むと、ほっと胸をなでおろした。

「その腕輪、本当にいろいろな機能があるわね……。ヤゲルにも一つ、欲しいな」

 クリスティーナはアリツェに向き直り、「ねぇ、この旅が終わったら、私にいただけないかしら?」などと、不穏な台詞を口にした。

「わ、わたくしのは差し上げられませんわ! お貸しすることはできますけれど……。だ、だめですっ! そんな物欲しそうな目で、わたくしを見ないでくださいませ!」

 目に怪しい光をたたえたクリスティーナの勢いに押され、アリツェはいやいやと首を振りながら後ずさった。

「うふふふふっ」

 クリスティーナは今にも飛び掛からんばかりに、じりじりとアリツェににじり寄った。「痛くしない、痛くしないから大丈夫よ」と呟いている。

 アリツェは、「あぁっ! いけませんわ、クリスティーナ!」と叫び、両手で自らを抱きしめ、身体を震わせた。

「おいおい、馬鹿なことをしていないで、さっさと準備をするぞ。昼食を採ったらすぐに出発だ」

 クリスティーナとじゃれ合っていたら、ラディムに後頭部をコツリと叩かれた。……お遊びが過ぎたらしい。

 アリツェたちは昼食をとるため、天幕の外へ出た。めいめい分担の作業に入る。アリツェは食器を準備しながら、ふと空を見上げた。

 青空が見える。雲は完全に霧散していた。風はやみ、微風すらない。刺すような肌の痛みも収まった。食事の用意をする音以外は、ただ小鳥のさえずりが聞こえるのみだ。

 わずかに差し込む木漏れ日に、陽光の香りを感じ、アリツェは大きく息を吸い込んだ。全身に活力がみなぎってくる。

 アリツェたちは焚火を囲んで車座に座り、熱々のスープで出立前の一息をついた。再び始まる行軍も、もはや昨日までとは違う。大自然の脅威に対する備えは、万全にできたはずだ。

 あとは大司教たちに追いつき、捕縛するのみ。いたってシンプルだった。

(これで、大司教一派へまた一歩、近づきましたわ!)

 アリツェはこぶしを固め、唇をキュッと結び、これから踏み込む獣道の先へと、鋭い視線を送った――。
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