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第二十章 大司教を追って

2-2 きちんと身の安全を確保せねばなりませんわ~中編~

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 翌朝、アリツェたちは全員で焚火を囲みつつ、食事をとった。

 晴れ渡る空の下、かすかに流れる涼やかな風。幸運なことに、どうやらこの日も防風壁の展開は、必要なさそうだった。これなら、マジックアイテム作りに全霊素を傾けられる。

 かすかに揺れる葉の音にまじって、小鳥のものらしき鳴き声が聞こえる。その暖かなさえずりは、早朝のピンと張った冷たい空気を、優しく優しくなだめていた。絶好の(?)マジックアイテム作成日和と言える。

「さて、せっかく半日潰してまで、こうして作業をするのです。クリスティーナにはしっかりと、技術を盗んでもらいますわ!」

 アリツェはぴっと左手の人差し指を突き出し、クリスティーナを指した。右手にしっかりと乾し肉を持っているのはご愛敬。

「あはは、お手柔らかにね……」

 クリスティーナは苦笑いを浮かべた。アリツェの勢いに押されたのか、たじろぎ、少し身を引いている。

 アリツェは勢いに任せて乾し肉を噛み切ると、立ち上がり、クリスティーナの手を取った。そのままクリスティーナを立たせ、「さっそく、マジックアイテム作成ですわ!」と声を張り上げながら、天幕へと向かった。

 クリスティーナは抵抗むなしく、アリツェに引きずられるように天幕の中に連れ込まれた。

 その後、食事を終えたラディムも合流し、外套への火の精霊術の付与を始めた。今後のため、まずはクリスティーナへ一連の手順を見せなければいけない。アリツェは自身の外套に火の精霊術を施すさまを、身振りと口頭で、都度都度、説明を加えながら実践した。

 クリスティーナは一言も無駄口は叩かず、真剣にアリツェの手元を注視した。

「なるほど、このタイミングで霊素を注入するのね」

 クリスティーナの問いに、アリツェはうなずいた。

「どの程度、注ぎ込めばいいの?」

 クリスティーナは首をかしげながら、アリツェの手に握られた外套を突ついた。

永続パーマネントではなく、即席インスタントですし……。この程度ですわね」

 アリツェはゆっくりと掌に霊素を集め、練りだした。じんわりと熱っぽくなる手の感触……。

 投入する霊素が大きくなればなるほど、霊素を練る掌に生じる熱は上昇する。一度に最大量を注げば、火傷をするのではないかと思うほどの熱量にまで達する――もちろん、本当に火傷をする前に具現化を施すが。

 この微妙な熱量の違いで、投入霊素の量を調整できた。即席インスタントの付与精霊術であれば、湯浴みの湯よりも少し低い、ぬるま湯程度の温度感覚が目安だった。

 アリツェはクリスティーナに自身の掌を触らせ、熱量を確認させた。クリスティーナは何度もうなずきながら、「ぬるま湯、ぬるま湯っと」と呟いている。

「オッケー。なんとなくタイミングはわかったわ。あとは少し、自分で試してみる」

 クリスティーナはにんまりと笑うと、袖をまくってぐっと力こぶを作った。

 やる気満々なのはいい傾向だ。昨晩のクリスティーナは、あまり乗り気ではなさそうだったので、アリツェは心配をしていた。だが、どうやらその心配も、杞憂に終わりそうだ。

「さて、と。わたくしは今のうちに、ローブの補修をいたしましょうか」

 アリツェはクリスティーナの元を離れ、自身の背嚢を取りに行った。

 ここ数日の無理な行軍で、ローブの裾は何か所も綻びを見せていた。防寒対策の意味も込めて、今のうちにきちんと縫い直す必要があった。

 アリツェは裁縫セットを背嚢から取り出し、針と糸を準備した。アリツェの様子を見たペスが、すかさずそばに寄って来る。以心伝心、かわいい子である。

「ペス、いつものとおりお願いいたしますわ」

 アリツェは軽くペスの頭を撫でると、手に針と糸を持った。ペスの身体からわずかに白い膜が生じ、たちまちアリツェの持つ糸を包み込む。そのまま、糸の先は真っすぐ、ぴんと張った。これで、容易に糸を針に通せる。

 アリツェは自身の不器用さを自覚していた。なので、器用さの訓練は段階を踏んでいこうと考えた。器用さがもう少し伸びるまでは、少しインチキ臭いが、精霊術の補助も上手に借りている。

 アリツェは身につけているモルダバイトの指輪を外し、代わりに皮製の指ぬきを装着する。外した指輪は、ドミニクからの大切な贈り物である。丁寧に布に包み、背嚢の内ポケットへ収納した。

 準備万端整ったアリツェは、鼻歌を歌いながら、ローブのほつれを繕い始めた。リズムよく手を動かす。今ではもう、誤って指を刺したりはめったにしない。上達ぶりを、アリツェ自身実感できていた。

「ア、アリツェ?」

 背後から、微妙に震える声が聞こえた。

 横目でちらりと背後を窺えば、ドミニクが目を見開いて立ち尽くしていた。

 ドミニクには裁縫の訓練をしている姿を、見せないようにしていた。こっそり秘密特訓をし、いずれ華麗な指裁きを披露しようと企んだからだ。

「うふふ、いかがですか? こっそり練習しておりましたの。どうにか見られる程度には、腕が上がったと思いませんか?」

 アリツェは、まさしく今が、その技を披露するときだと直感した。

 ドミニクの驚く姿に気分を良くしたアリツェは、よどみない指運を見せつける。おもわず、ドヤァといった効果音が聞こえそうなほど、アリツェは顔の筋肉をだらしなく緩めた。

「いやはや……。さすがはアリツェだ。やるときはやるね」

 ドミニクは感嘆の声を上げながら、アリツェの横に座り込んだ。

「ドミニクに褒めていただけると、わたくし、ちょっぴり自信が湧いてきますわ!」

「努力のたまものだね。不器用不器用って嘆いていたわりには、大した上達ぶりだと思うよ」

 ドミニクはしきりに首を縦に振った。心から感心しているのがわかる。

「ありがとうございますわ、ドミニク」

 満ち足りた想いに、心がじんわりと温まる。

「あら、お裁縫かしら?」

 マジックアイテム作りに取り組んでいたはずのクリスティーナだが、どうやら休憩に入ったようだ。アリツェの隣、ドミニクとは反対側に座り込んだ。

 とその時、ふわりと何かが宙に舞った。白い布だ。

「あ、クリスティーナ。ハンカチを落とし、ま……」

 アリツェは布を手に取り、クリスティーナに渡そうとした。その際、ちらりと布地に施された刺繍が目に入り、ぴたりと動きを止めた。ドミニクの『時間停止』が発動したかのように。

「あら、ありがとう」

 クリスティーナは何食わぬ顔でアリツェからハンカチを受け取ると、丁寧に折りたたんで懐へしまい込んだ。

「そ、それって……、クリスティーナお手ずからの、刺繍ですの?」

 アリツェはわなわなと震えながら、クリスティーナの懐を指さした。

 あまりにも精密で繊細な『龍』の意匠。複数の色糸が巧みに使われており、さすがは『聖女』の持ち物だと、誰しもが感嘆の声を上げるであろう。それほどに見事だった。アリツェには一生、それも、逆立ちしたって決して作れるような代物ではない。

「えぇ、粗末なものを見せちゃって、恥ずかしいわね」

 この程度訳ないわ、といった余裕しゃくしゃくの表情を浮かべながら、クリスティーナは口にした。謙遜しているような顔ではない。遠回しに自慢をしているのだと、アリツェにもわかる。

 先ほどまでアリツェは、マジックアイテム作りに関して散々、クリスティーナに偉そうな口を叩いた。おそらくは、ちょっとした仕返しの意味を込めているのだろう。

 それにしても、これほどの見事な刺繍を施すクリスティーナは、どれほどの器用さを持っているのか。アリツェはクリスティーナの瞳を見つめ、すかさず『ステータス表示』の技能才能を発動した。

「うっ、器用さ75ですか……」

 現れたクリスティーナの器用さの数字に、アリツェは言葉を詰まらせる。まさか、ここまで高いとは思いもよらなかった。

 以前、対帝国戦が始まる前、精霊使いの才能差を比べるためにステータスを覗いたことがあった。その際は、まだ五十台だったはずだ。いつの間にか、随分と成長させていた。

「元が弓使いだったから、器用さだけが取り柄なのよね。最大値100で、成長度もAなんだから!」

 クリスティーナはふんぞり返り、ニヤリと笑った。

「わ、わたくしだって、筋力90に敏捷100ですわ! もちろん成長度Aです!」

 アリツェも腕を組み、ここで負けてなるものかと声を張り上げた。

「フィジカルエリートっぽいのに、相変わらずちんちくりんよね、アリツェって」

 だが、クリスティーナは一切動じず、ますます顔をにやつかせた。

「うっ……。確かに、今はクリスティーナのほうが、ほ、豊満な身体をしておりますわ」

 体格差は素直に認めた。この点については、誰の目から見ても一目瞭然だったので、ごまかしようもない。

 身長はクリスティーナのほうが頭一つ分高く、む、胸の大きさも……。

「ですが! わたくしの成長期は、これからなんですの!」

 アリツェは頬を膨らませた。

 もう十四歳。そろそろ本格的な成長期に入ってもいいのではないか。アリツェはそう思っていた。

 だが、一抹の不安もあった。……遺伝上の母、ユリナ・カタクラも、見事なまでのちんちくりんだったからだ。

「あー、ほらほら。ケンカしないケンカしない」

 黙って推移を見守っていたドミニクも、さすがに止めに入った。

「べ、別に喧嘩をしているわけではないですわ!」

 アリツェはドミニクに向き直ると、口をツンと尖らせた。

 ちょっとじゃれ合っただけだ。アリツェがクリスティーナを嫌いになるはずがあろうか。

「まぁ、まぁ。……成長期と言えば、アレシュはどうしてます、クリスティーナ様」

 ドミニクは苦笑いを浮かべながら、話題を切り替えた。

 クリスティーナの婚約者で、ドミニクの弟でもあるアレシュは今、ヤゲルの王都へ留学に出ている。そのため、先日の王都プラガ訪問の際には、顔を合わせる機会がなかった。

「あの子、やっぱりあなたの弟ね。性格がそっくりよ」

 クリスティーナはけらけらと笑いだした。

 クリスティーナが言うには、アレシュはどこか抜けていて、マイペースな部分があるが、一方で、一度物事をやり始めれば、あきらめず最後まで、徹底的に取り組もうとする、と。

「クリスティーナとしては、アレシュがこのまま順調に成長して、姿までドミニクのようになっては、不満なんじゃないか?」

 珍しくラディムが、横からニヤニヤしながら話に割って入ってきた。

「なんせ、あのミリアだもんな。ショタコ――」

「お黙りになってくださらないかしら、ラディム様?」

 ラディムの言葉を遮って、クリスティーナはドスのきいた声を出した。ジトッとした目をラディムに送っている。

「アーちゃんと私はね、残念ながら、そんな仲じゃないわ」

 とそこで、アリツェたちの表情の変化に気づいたクリスティーナは、しまったといった様子でうなだれた。

「随分と仲がよろしいのですわね。なるほど、『アーちゃん』ですか……」

 アリツェはおかしくて、「ぷっ」と吹き出しそうになった。

「だって! 上目づかいでウルウルしながら、『クリスティーナ?』なんて言われたら、たまらないじゃない!」

 アリツェは苦笑を浮かべながら、顔を紅潮させて口角泡を飛ばすクリスティーナを、生暖かい目で見つめた。

「でもね、『好物』と『愛』って、似ているようで違うと思うの。アレシュとの関係って、ショタだとかなんとかって言うのとは、別次元よ。きちんと、あの子自身を愛しているわ」

 クリスティーナは腕を組み、プイッと顔を横にそらした。

「フム……。やはり、なんだかんだ言って、君の性格はミリアそのものだな」

 クリスティーナの早口の弁解を聞き、納得がいったのか、ラディムはうなずいた。

 ラディムの言うとおり、確かにクリスティーナは、悠太の記憶の中にある「ミリア・パーラヴァ」の性格が色濃く出ていた。

『精霊たちの憂鬱』時代のミリアも、ショタ大好きを公言していたが、あくまで見て愛でるだけ。お手付きなど絶対にしなかった。臨時でパーティーを組む際も、見目だけでなく、きっちりと相手の内面を見て決めている節があった。

 なので、確かにクリスティーナの弁明どおりなのだろう。アレシュの内面を見て、理解をしたうえで婚約者になった、と。

「ありがと」

 クリスティーナは微笑を浮かべた。

「そういうあなたたちはどうなの? アリツェなんかは、だいぶ雰囲気変わった気がするけれど」

 クリスティーナはちらりと視線をアリツェに寄こした。

「あぁ、それはボクも感じていたね。かつての悠太を思わせるような、奔放な態度もちらほら見受けられるようになった気がするよ」

 ドミニクもしきりに頷きながら、アリツェの頭を軽く撫でる。

「うぅ……。自覚があるだけに、否定できませんわ」

 アリツェはうなだれた。

 昨晩もうっかり、貴族令嬢らしからぬ食い意地を見せた。皆に変わったと言われても、反論はできなかった。

「まぁでも、それって結局は、うまく悠太君とあなたの人格がまじりあったって証拠でしょ? いい傾向じゃない」

 クリスティーナは、「今のあなただって、とても素敵だと思うわ」と口にし、アリツェの背中をポンポンっと叩いた。

「そういっていただけると、わたくしも、そして悠太様も、救われますわ……」

 アリツェは胸の前で手を組み、目をつむって、大きく息をついた。心の内の、悠太の意識を感じつつ……。

 しばし感慨にふけった後、再び目を開くと、アリツェは大きく息を吸い込んだ。

 悠太は消えていない。周囲にもそう認識してもらえた。アリツェは嬉しくて、すっと胸が軽くなる思いだった。

「で、あなたはどうなの、ラディム様?」

 クリスティーナはラディムに向き直り、小首をかしげた。

「私も時折、優里菜の性格由来っぽい気ままさが、表に出ようとする瞬間がある。立場上、どうにか抑え込んではいるが」

 ラディムはわずかに顔をしかめた。

 現状で、ラディムから優里菜らしさを感じたりはしない。なるほど、ラディム自身が、無理をして抑え込んでいるようだ。

「あら、もったいないわ。私としては、融合される形になったユリナの人格のためにも、もう少しユリナっぽさを出してあげてほしいな」

 クリスティーナは前髪を掻き上げ、深いため息をついた。

 アリツェも同感だった。優里菜はアリツェの遺伝上の母であり、内包する悠太の人格の想い人でもある。このまま過去の人になってしまっては、悲しいではないか。

「……プライベートの場では、考えてみるか」

 ラディムはつぶやき、唇をぎゅっと結んだ。

「聞いてるわよ、ラディム様。子供のころ、エリシュカ様に色々といたずらをなさっていたって。そんな様子を、ちらっとでも周囲に見せればいいんじゃないかしら?」

 クリスティーナは一転して、いたずらっぽい笑顔を向けた。

「うっ……、そ、そうだな」

 ラディムはさっと顔を紅潮させ、横を向いて咳払いをした。






 午後になり、風が強くなっていた。アリツェたちは、キャンプの周囲に防風壁を展開しなおした。

 ちらりと上空を見遣れば、すっきりと晴れ渡っていたはずの空も、いつも間にかうっすらと黒い雲に覆われ始めている。肌を舐める空気は湿り気を帯び、草むらから立ち上る、雨を前にした独特の香りが鼻腔をついた。

 アリツェたちは天幕へ入り、さっそくアリツェ、ラディム、クリスティーナの三人で、外套に火の精霊術を施し始めた。クリスティーナへの指導も滞りなく済み、もう一人でもマジックアイテムの作成ができるようになっていた。もちろん、効率性などでは、まだまだアリツェやラディムに遠く及びはしなかったが。

 乾燥が取れ、掌に布地が引っかかったりしなくなったのはいいが、気温の低下で手足の末端の冷えは加速し、かえって集中力を削いだ。隙間から入り込む風にあおられ、具現化対象の外套の裾がはためき、何度も飛ばされそうになる。そのたびに、ペスたちに外套を抑え込ませ、作業が中断しないよう気を配った。

 四苦八苦しながら精霊具現化の処置を行っていくうちに、アリツェは一つ、懸念が生じていた。

「お兄様、わたくし思うのですが……」

「皆まで言うな。わかっている……」

 ラディムは顔をしかめ、大きくため息をついた。

 しばしの沈黙。びゅうびゅうと吹き荒れる風の音だけが、あたり一帯を覆っている。

「半日ごとにこんなことをしていたら、ちょっと厳しいわよ? どうするの、ラディム様」

 横からクリスティーナが口を挟んできた。

 アリツェも同じ思いだったので、静かに首肯する。

 即席インスタントマジックアイテムの効果が切れるたびに、その都度その都度全員の外套へ霊素を再注入していたら、霊素の残量維持が困難になりそうだった。試す前はどうにかなるはずだと楽観視をしていたが、現実は厳しかった。

 マジックアイテムを作ってから行軍を開始すれば、今までの半分の時間で霊素残量が危険水域まで落ち込む。これでは、防寒が完璧になったとしても、肝心の探索にほとんど時間を割けなくなる。あきらかに失敗だった。

「致し方ない、霊素残量の維持が最優先だし、マジックアイテムは最低限にとどめよう」

 ラディムは頭を振った。

「と申しますと?」

 アリツェはこてんと首をかしげ、ラディムの瞳を凝視した。

「ドミニクの外套だけ、処置を施そう。私たち精霊使いは、何かあってもとっさに対処できるだろうしな」

 アリツェの手にしているドミニクの外套に、ラディムは視線を向けた。

「ま、そのあたりが妥協点ね」

 クリスティーナも納得したのか、同意の言葉を口にする。

 アリツェもラディムの意見が最善かと思えたので、異は唱えなかった。

 外套一枚であれば、三人で交代々々に精霊具現化を施せば、そこまで負担はなさそうだ。

「すまないね、わざわざボクのために」

 ドミニクはわずかにうなだれながら、何度も頭を振った。

「気にするな。君の剣の腕も、必ず必要になるときが来るんだ。途中で脱落でもされては、私たちも困る」

 ラディムはぽんっとドミニクの肩を叩き、「それに、アリツェも悲しむしな」と、ぼそりと呟いた。

「ドミニクの危険度は少し下がりましたが、霊素限界量との戦いと、さらに厳しくなる寒さへの対策は、結局ほとんど改善できておりませんわね……」

 ドミニクの身の安全性が向上した点は、素直に安堵できる。だが、残る二点の懸念については、問題山積のままだ。

 気の重さに、吐き気を催してくる。唾がうまく飲み込めない。一体全体、どうしたらよいのだろうか……。わからなかった。

「すぐに尽きる霊素が、まったく腹立たしい!」

 ラディムは鼻腔を膨らませ、歯ぎしりをしながら地面を叩いた。

 アリツェも同じ想いだった。もっと、霊素をため込めたら……。もっと、効率よく扱えたら……。色々な考えが、脳裏を渦巻いた。

「こんな時、マジックアイテム化の効率がいいあなたたちに、私の余った霊素を分けられたらと思うわ」

 クリスティーナは横目でアリツェを見遣り、苛立たしげに唇を舐めた。

 クリスティーナのほうが総霊素量が多い。確かにその余った霊素を活用できれば、当初の思惑どおりの作戦を実行できたのかもしれない。

「事態はわたくしたちの思いどおりには、いかないものですわね……。自分の不甲斐なさに、涙が出てきますわ」

 アリツェは肩を落とし、ままならない現実に胃が締め付けられた。

「ボクなんか、こうしてただ見ているだけだよ?」

 ドミニクは口惜しげにつぶやくと、親指の爪先を噛んだ。

 現状、ドミニクは施しを受けるだけになっている。居心地の悪さを感じているのだろう。

 アリツェたちがいくら気にするなといったところで、ドミニクの性格では無理なのかもしれない。

「……沈んでいても、好転は致しませんわね。気を強く持って、先へ進みましょう」

 だが、嘆いていたところで、すべての問題が解決するはずもない。前を見据え、愚直に一歩一歩進んでいくしかなかった。

 アリツェの言葉に皆うなずきあい、それぞれの作業へ戻った。もくもくと手を動かす。

 天幕の外では、相変わらず風の音が響き渡っている。とうとう雨も降りだした。天幕を叩く雨音に、アリツェはうんざりとしながら、腕にはめたトマーシュの腕輪をくるくると回した――。
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