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第十九章 説得

5-3 どうにか同意を得ましたわ~後編~

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 アリツェとドミニクはいったん宿に戻り、諸々の準備に取り掛かった。

 ラディムからの提案のおかげで、ジュリヌの村までの道程に必要な装備品の用意だけで済む。旅慣れたアリツェにとっては、その程度の支度は苦も無く終えられる。

 不足している携行食や水などを確保し、秋用の外套を購入して、準備は万端に整った。

「グリューンを経由していく時間ももったいないし、ボクたちはこのままプラガを出て、直接帝国へ向かおうか」

 ドミニクの言葉に、アリツェは首肯した。

 クリスティーナへは、ヤゲル国王からの派遣の許可をもらえ次第、ジュリヌの村へ向かってほしいとの伝言を、今回は伝書鳩ではなく、使い魔のルゥを派遣して伝えた。

 わざわざルゥに任せた理由は、クリスティーナが作戦に参加可能かどうかを確認するために、件の腕輪での直接通信ができるよう、アリツェの持つ腕輪を届ける必要性があったからだ。貴重な腕輪を紛失してはいけないので、普通の伝書鳩に運ばせるわけにもいかず、やむを得ない処置だった。

 ルゥが傍を離れるのは少し不安もあった。だが、帝国内の治安は問題ないとの報告も受けている。ドミニクともう一匹の使い魔ペスの護衛があれば、そうそう危険な目に遭いはしないだろう。

 国王から課されたタイムリミットの問題もあり、クリスティーナの合流をいつまでもジュリヌの村で待ち続けるわけにはいかない。ルゥの飛行速度は、霊素の力も相まって、通常の伝書鳩の倍以上だ。まさに、適任だった。

「プラガからグリューンへは、帝国とはちょうど反対方向ですし、致し方ないですわね。幸い、山中行軍の準備の大半は、お兄様がやってくださっていますわ。わたくしたちは、少しでも早くお兄様と合流できるよう、行動いたしましょう」

 これからまた、数か月は領地を離れざるを得ない。一度グリューンに寄りたいとは思うものの、あいにくとグリューンは、これから向かう帝国方面とは真逆だ。アリツェは泣く泣くあきらめた。

「クリスティーナ様の首尾は、どうかなぁ。うまくいっているといいんだけれど」

 ドミニクは眉を寄せつつ、顔をしかめた。

「まったくですわ。……少々悔しいですが、精霊術の力が最も強いのは、現状ではクリスティーナです。彼女なしでは、正直言って不安のほうが強いですわ」

 アリツェには、自身が最強の精霊使いだという自負がある。悠太の知識と経験からくる運用面の妙を加味すれば、アリツェはクリスティーナ以上に、効果的に精霊術を使える自信があるからだ。

 だが、精霊術の純粋な威力そのものは、クリスティーナが上だ。『ステータス表示』の技能才能で能力を比較をしても、数値上はクリスティーナが上回っている。認めざるを得ない現実だった。

 今回の行軍は、何が起こるかまったく予想がつかない。そのような現状で、クリスティーナが欠けるのは、大きな痛手だ。

「騒がしい娘ではあるけれど、居てほしいのは間違いない。健闘を祈るしかないな」

 ため息混じりのドミニクの言葉に、アリツェも首を縦に振った。

「ルゥがクリスティーナの元に到着し次第、クリスティーナからお兄様へ腕輪の通信が入る手筈ですわ。たとえクリスティーナが説得に難航をしていたとしても、きっとお兄様とムシュカ侯爵が何とかしてくださると、わたくし信じておりますわ!」

 アリツェは胸の前で手を組みながら、声を張り上げた。

 ラディムの元には、ムシュカ侯爵もいる。クリスティーナの身に何か問題が発生していたとしても、侯爵であれば、きっとうまいこと話を進められるに違いないと、アリツェは考えていた。

 作戦の決行が決まった以上は、ムシュカ侯爵も積極的に関与してくるはずだ。クリスティーナが同行するかどうかは、ラディムの身の安全にも大きく影響する話なのだから。

「ま、ここでクリスティーナの現状を憂いてもどうしようもないか。ボクたちはボクたちで、今やるべきことをやろう」

「そうですわね。……帝国へ、向かいましょう!」

 アリツェはドミニクと頷き合い、準備の最後の仕上げに取り掛かった。






 王都プラガを出立して一週間、馬を飛ばしに飛ばして、アリツェたちは目的地のジュリヌの村へとやって来た。

 周囲を簡単な木の柵で囲っただけの、小さな農村だ。ぱっと見は、平和そのものだった。ちょうどお昼前の煮炊きの時間に当たり、村の家々の煙突からは、幾条もの煙が立ち上っている。かすかに漂うスープの香りに、腹の虫がうずき始めた。

 アリツェとドミニクは村の入口で下馬し、徒歩で村の中へ入った。

「ここが、ジュリヌの村か」

 ドミニクは周囲をキョロキョロと窺いながら、つぶやいた。

「どこにでもあるような、普通の田舎ですわね」

 アリツェも辺りをぐるりと見遣った。

 変わった点は特に見受けられない。フェイシア王国の田舎とも大差のない、なんの変わり映えもしない、普通の村だった。

「お兄様はどちらかしら」

 村のどこに行けばよいか、ラディムからの指示はなかった。とりあえず、宿を探すべきだろうか。

「――フェイシア王国の、ドミニク様とアリツェ様ですね?」

 宿を探そうと、村の中央広場へ向かおうとしたちょうどその時、突然背後から声をかけられた。

 驚いて振り向くと、一人の帝国兵が立っていた。

 ラディムからの遣いのようだ。身につけている服装が、この田舎村には似つかわしくない帝国近衛の制服だったので、アリツェにもすぐに分かった。

 近衛兵は「ご案内します」と口にすると、アリツェたちを村の奥の、ひときわ大きな建物へと案内した。兵が言うには、村の公会堂らしい。

「待っていたぞ、アリツェ。それに、ドミニク。よく来たな!」

 アリツェたちが公会堂に入るや、ラディムは笑みを浮かべ、両手を広げながら歓迎の意を表した。

「お久しぶりですわ、お兄様」

 アリツェはスカートの裾をつまみながら、一礼をした。

「久しいね、ラディム」

 ドミニクもにこやかに微笑みながら、片手を上げている。

「積もる話もあろうが、とりあえず準備の状況を伝えておきたい」

 ラディムはそう口にするや、公会堂の奥に用意された山岳装備などの説明を始めた。

「……ここまで準備していてくださったのですね。何の力にもなれず、申し訳ない気持ちでいっぱいですわ」

 アリツェは頭を振った。

 装備品はしっかりと整備されており、また、携行食なども、栄養価の高そうなものを中心に、十分な数が準備されていた。

「ここは帝国の地だ。私が準備を担当するのが、一番効率も良いだろう」

 ラディムは笑い飛ばすと、「気にするな」と口にしながら、アリツェの肩をポンっと叩いた。

「それと、クリスティーナから通信が入った。無事にヤゲル王からの派遣許可を得られ、今こちらへ向かっている。おそらくは、あと五日程度で到着するだろう」

 ラディムは左手を前に突き出し、手首にはめた件の腕輪を見せた。

「よかったですわ! クリスティーナも加われば、百人力ですわね!」

 アリツェはぴょんっと飛び上がり、ほおを緩めた。

 これで、当代きっての精霊使い三人のそろい踏みだ。心強く感じ、アリツェは手をぎゅっと握り締めた。

「ところで、準備とは別に、アリツェたちの耳に入れておきたい話がある」

 ラディムは一転して、渋い表情を浮かべた。

 何やらよくない話だろうかと、アリツェは身構える。

「実は、エウロペ山脈の麓までの道中に、魔獣が出没しているらしい」

 ラディムは大きなため息をついた。

「魔獣? 魔獣といいますと、あの霊素を纏って異常進化を遂げたという、凶暴な怪物の?」

 意外な単語がラディムの口から飛び出してきたので、アリツェは思わず聞き返した。

「ああ、その魔獣だ。それも、かなりの大物のようなんだ。村人がずいぶんと怯えている」

 ラディムはうなずき、村人から聞いたという魔獣の詳細について話し始めた。

 二月ほど前から、ぽつぽつと目撃情報が入ってきているらしい。旅人や商隊の犠牲者は今のところないが、農作物への被害は甚大らしい。

 大きさは巨体のクマの四倍程度もあり、一般の村人にはとても対処ができる代物ではない。天災としてあきらめ、放置しているらしい。

「なるほどね。途中で遭遇する可能性が高いってわけだ」

 新たな難題の発生に、ドミニクは鼻筋にしわを寄せながら、肩をすくめた。

「あぁ、そうなるな。なので、クリスティーナが到着し次第、対魔獣についての作戦も立てたい」

 魔獣の退治は、霊素持ちが行うのが一番確実だった。魔獣の纏う分厚い霊素を突破するためには、同じ性質の霊素をぶつける必要があるためだ。

 時間は惜しい。だが、遭遇した場合は、近隣の村人の安全も考えると、退治する以外にないだろう。それだけの戦力が、今回は揃うのだから。

「それまでに、魔獣退治の妙案があれば、ぜひ考えておいてくれ」

 ラディムはぐるりと、アリツェとドミニクに視線を配った。 

「魔獣、か……。ラディムは一度戦った経験があるらしいけれど、ボクたちは初体験だよね」

 ドミニクは腰に下げた剣の柄をポンポンと叩きながら、「霊素なしのボクでも、はたして魔獣にダメージを与えられるのかなぁ」と不安を口にした。

「何事もなく、倒せればよいのですが……」

 アリツェはつぶやき、窓からエウロペ山脈の姿を見遣った。

 山頂にはどす黒い雲が、分厚く垂れこめていた――。
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