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第十九章 説得

4-1 ドミニクにおまかせですわ!~前編~

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 小高い丘の上に立ちながら、アリツェは目を細めて王都プラガの姿を一望した。

 秋の柔らかな日差しを受け、広大なフェイシア湖の水面が煌めいている。ところどころに浮いている素朴な丸木舟は、もはや夏の残り香を残してはいない柔らかな秋風を受け、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと落ち葉のように漂っていた。湖岸の木々も、その装いを秋のものへと変えつつある。緑から黄、茶へと移り変わる過渡期に差し掛かっていた。

 輝く水面を背にし、染み一つない真白の王城は際立ち、その存在を主張している。大通りに目を向ければ、多くの人が行きかい、ごった返していた。遠く離れたこの丘の上にまで、にぎやかな売り子たちの声が聞こえてくるようだ。

「久しぶりの王都プラガですわ……」

 アリツェはつぶやくと、ゆっくり愛馬の首筋を撫でた。

 愛馬は嬉しげに鼻を鳴らし、さあ、早く街へ向かおう、と言いたげにアリツェをせっつく。アリツェはほおを緩め、「もう少しこの素敵な景色を眺めさせてくださいな」と、優しく愛馬にささやきかける。

「懐かしの王都の風景だねぇ。戦争も終わったし、だいぶ活気が出ているよ」

 ドミニクはアリツェの横に馬をつけ、手をかざしながらプラガの街に目を遣った。

 バイアー帝国との全面戦争が終結して、早一月半。戦地から離れていたこのプラガの街は、戦時中も重苦しい雰囲気にのまれるような事態には遭っていない。だが、それでも戦争という重しが、住民の心にのしかかっていないはずはなかった。その重しが取れた今、反動で人々が一斉に買い物や観劇などの娯楽に興じるのも、自然な流れだとアリツェは思う。

「さすがに、グリューンとは比較にならないにぎやかさですわね。……いつかグリューンも、このプラガほどの活気のある街にしたいですわ!」

 辺境とはいえ、国際交易都市の側面もあるグリューンは、そこそこの規模の街だった。だが、さすがにこの王都プラガには大きく見劣りする。プラガはグリューンの軽く三倍は街の規模が大きく、住民や訪れる旅人、商人の数も比例して多かった。

 何よりの大きな違いは、街の中心に立つ城だ。純白に塗られた王城は、レンガに薄黄土色の漆喰を塗りたくっている周囲の建物の外壁との対比で、その美しさをより際立たせている。一方で、グリューンの領館は、デザインこそ二階より上部が二棟に分かれ、その間を細い渡り廊下でつなぐフェイシアでは珍しい建築様式をとっていたが、その規模や外壁の装飾の華やかさでは、王城に一歩も二歩も及ばない。

 領政が安定し財政に余裕が出たら、領のシンボルとして領民が誇れるような領館を建てたいと、アリツェは秘かに考えていた。大規模な公共事業は、失業者を減らし、民へお金を流す大切な役割でもあるし。

「いい目標だね。ボクたちで頑張って盛り立てよう」

 ドミニクはアリツェに向き直ると、にぱっと笑顔を浮かべた。

 ひとしきり景色を楽しんだ後、アリツェとドミニクは丘を一気に駆け下り、プラガの街門へと向かった。






「謁見の間は、緊張いたしますわ……」

 宿に着き、部屋を確保するなり、アリツェはベッドの上に転がった。

 馬の早駆けで、下半身は石のように硬く強張っている。はしたないと思いつつも、アリツェは疲労を早く取り除きたい欲望には抗えなかった。

「まぁねぇ。前回アリツェが謁見の間に出たのって、例の件の時だよね」

 ドミニクは外套を外しながら、チラリとアリツェの様子を目にして、苦笑を浮かべた。

「あまり、思い出したくない過去ですわ……」

 ドミニクの『例の件』発言に、アリツェは両腕で顔を覆った。

 脳裏に浮かぶは、クリスティーナに縄を打たれ、養父マルティンとともにフェイシア国王の前に引き出された屈辱の光景だ。演技とはいえ、罪人として手荒に扱われたあの時を思い出すと、胸がちくりと痛む。

「ツンツンしているアリツェも、かわいいんだけれどねぇ」

 忍び笑いをしながら、ドミニクはアリツェが横になっているベッドの端へ腰を下ろした。

「わたくし、悪役はもうたくさんですわっ!」

 アリツェは勢いよく起き上がると、頬を膨らませ、鋭くドミニクをにらみつけた。

 成り行き上他に妙案が浮かばなかったとはいえ、悠太に促されるまま演じた悪役令嬢。自身を押し殺して、あげたくもない高笑いをあげ、クリスティーナへ嫌がらせを続けた。正直なところ、あの役回りはもうごめんこうむりたかった。

「さて、父上には明日の午後謁見する予定だ。今日は夕食まで、久しぶりに剣の稽古をしたいな」

「あら、グリューンでも毎朝剣をふるっていましたわよね?」

 国王との謁見は翌日と伝えられていた。今日はもう、これといってやることもない。なので、アリツェはドミニクを誘ってウィンドウショッピングでも洒落込もうと考えていた。だが、どうやらドミニクはドミニクで、何やら思うところがあるらしい。

 改めて剣の稽古をしたいなどというドミニクの意図を掴みかね、アリツェは首をかしげた。毎朝の日課で素振りをするドミニクの姿を見ていたので、何も今、このタイミングで剣の稽古をする理由がわからなかった。ドミニクもアリツェ同様に、馬の早駆けで疲れているだろうに、と。

「ボクの剣の師匠が開いている訓練場が、プラガのはずれにあるんだ。そこで、久しぶりに師匠に揉んでもらおうかなって。……明日の父上との会談の前に、少し精神を集中したいんだよね」

 アリツェの問いに、ドミニクは少し顔をこわばらせた。

 普段ひょうひょうとしているドミニクだったが、やはり父王との謁見は緊張するものらしい。剣の稽古が、ドミニクなりの心の落ち着け方なのだろう。

「では、わたくしはお邪魔をしない方がよろしいかしら」

 せっかくのプラガの街。アリツェはドミニクと二人で、いろいろと見て回りたかった。だが、今回のプラガ訪問は、フェイシア国王の説得が目的だ。その目的に沿うドミニクの行動に、個人的願望であれこれと横やりを入れては具合が悪い。それに、気持ちを集中させたいというのであれば、ドミニク一人にしてあげたほうが良いだろうとアリツェは思った。

「いや、アリツェにも見ていてもらいたいかな。……理由は、ついてくればわかるよ」

 ドミニクは片目をつむり、微笑んだ。






 ドミニクに連れられて、アリツェは街外れにある古い木造の建物にやってきた。

 周囲にレンガ造りが多い中、異質な木の風合いがなぜだか郷愁を感じさせる。

 ふと脳裏に浮かび上がった『道場』という言葉に、ああ、これがそうなのかとアリツェは妙に得心がいった。悠太の記憶が垣間見せる異世界『日本』の風景。確かに眼前の建物は、道場だった。

 ドミニクは門扉を押し開き、ずんずんと建物の中に入っていく。アリツェは慌ててその後をついていった。

 建物を突っ切って反対側に出ると、きれいに整地された中庭があった。アリツェたちの立てる物音以外、耳に飛び込むものは一切ない。静寂の中、中央に一人の老人が佇んでいた。

 薙刀使いの母ユリナ・カタクラと似たような服装をしているその老人は、アリツェたちに気づいたのか、視線をゆっくりとドミニクに向けた。

「殿下、お久しゅうございます。しばらく見ぬ間に、随分とたくましくなられましたな」

 老人は口にすると、深々と頭を垂れた。

「師匠もお元気そうで」

 ドミニクも一旦ピンと背筋を伸ばし、返礼をした。

「して、今日はいかがなされた? そちらの少女は……殿下の婚約者殿かな? まさか、この爺の前で惚気ようというつもりではございませんな」

 老人は訝しんだ表情を浮かべ、アリツェを注視した。

 老人の惚気発言に、アリツェは居心地悪く感じて目をそむけた。そんなつもりはさらさらなかったのだが、『でぇと』だと思われたのだろうか。

「まさかっ! ……彼女に、例のものを見せたくてね」

 ドミニクは大きく両手を振って、老人の指摘を否定した。

「ほほぅ……。殿下は婚約者殿を、よほど信頼しておられるのですな。『切り札』をお見せになられると」

 老人は目をむき、値踏みするかのようにアリツェを上から下からと、じろじろ眺め始めた。

 アリツェは『切り札』という老人の発言に、ハッとした。

 以前から気になっていたドミニクの『切り札』――。

 養父マルティンの手から逃れるためにグリューンを脱走した時には、ほぼ無傷で多数の領兵を戦闘不能にした。帝都ミュニホフの皇宮に忍び込んだ際は、導師部隊へたった一人で立ち向かい、無事に切り抜けてきた。

 ただ単に剣の腕前が素晴らしいだけでは説明ができない力を、ドミニクはたびたびアリツェに示していた。どうやら、睨んだとおり何らかの特殊な力、技能才能を持っているようだった。

「まあね。ボクの生涯の伴侶は、アリツェ以外には考えられないよ」

 ドミニクはアリツェの傍によると、キュッと肩を掴んで引き寄せた。アリツェは全身の力を抜いて、されるがままドミニクに抱きしめられる。

 老人は苦笑を浮かべながらアリツェたちを見つめている。アリツェは向けられた視線に気恥ずかしさを覚え、全身が熱くなった。

「……婚約者殿を退屈させても申し訳ないですな。さっそく始めますかの」

 老人の言葉を受けてドミニクはアリツェを離し、「少し後ろで見ていてほしい」と告げると、老人が投げた木剣を手に取った。

 ドミニクと老人は中庭の中央で、互いに構えながら相対している。呼吸を整え、間合いを図っているのだろう。

「では、参る!」

 老人は叫ぶと、一気にドミニクとの間合いを詰め、横一線に木剣を薙いだ。ドミニクは手に持つ剣で急ぎ迎撃に出る。

「鋭いっ!」とアリツェが思わず目をつむった瞬間、剣と剣がぶつかる音が響き渡った。木剣同士のため、鈍い音だ。だが、その音の大きさから、老人が本気で剣をふるったのだとわかる。

「相変わらず、師匠の剣は重いな」

 老人の一閃を受け流したドミニクは、一気に後ろへと飛びのき間合いを取り、剣を構えなおした。

「まだまだ、若い者には負けませんぞっ!」

 ニヤリと笑みを浮かべながら、老人はじりじりとドミニクに迫る。と、再び踏み込み、ドミニクの懐に飛び込んだ。

「クッ!」

 ドミニクは横っ飛びに老人の突進を避けると、老人の左手側に立ち、上段から一気に剣を振り下ろした。狙いは老人の手首だった。だが、老人もさるもの、狙われた左手を剣から外してドミニクの一撃をかわすと、態勢を整えドミニクに向き直り、再び剣を構えてドミニクの喉元に強烈な突きを放った。

「そおれっ!」

 老人の掛け声とともに、木剣の切っ先が伸び、ドミニクの首元を強襲した。

「危ないっ!」とアリツェが口にしたその瞬間、ドミニクの全身が白く輝いたかと思うと、なぜだかドミニクは老人の背後に立ち、木剣を老人の首筋に当てていた。

「え!? え!?」

 眼前の光景があまりにも現実離れをしていたので、アリツェは驚愕の声を漏らした。

 ドミニクは正面から老人に突きをくらわされそうになっていたはずだ。なのに、いつの間にか背後に回り、逆に老人の首を獲っていた。

「相変わらず、インチキ臭い力ですな……」

 老人は剣を下ろし、呆れたように大きなため息をついた。

「まぁ、日に何度も使えるわけでもなし、本当にここぞでしか仕掛けられないんだけれどね」

 荒い息を整えなおしながら、ドミニクは老人の首筋に当てていた剣を下ろし、苦笑を浮かべた。

「ドミニク? ……いったい、何が?」

 どうやらドミニクが件の『切り札』を使ったのだと、アリツェは老人の言葉から察した。だが、その『切り札』の正体がいったいなんであったのか、目の前の光景からだけでは、判然としなかった。

「傍から見ていてもわからないよね」

 ドミニクは木剣を老人に返すと、アリツェの元へと歩み寄った。

「まるで、ドミニクが瞬間移動をしたかのようでしたわ」

 近寄るドミニクに、アリツェは肩掛け鞄から出した綿の汗拭きを渡した。

 アリツェの視覚に捕らえたドミニクは、突然光り輝いたかと思うと、その位置を唐突に変えていた。『瞬間移動』以外に、適切な言葉が浮かばない。

「半分正解ってところかな」

 顔に浮いた汗をぬぐいながら、ドミニクは微笑を浮かべた。
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