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第十八章 帝都決戦

6 皇帝ベルナルドとの決着の時ですわ

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 無事皇宮を抜けたアリツェたちは、フェルディナントへユリナ皇女を預けた。

 フェルディナントとユリナ皇女は久しぶりの対面だったが、残念ながらユリナ皇女の正気が失われていたため、再会の感慨も何もなかった。フェルディナントがいくつか言葉をかけていたようだが、ユリナ皇女はただ喚き散らすだけだった。

 ムシュカ伯爵が戦況を話してくれたが、どうやら今のところは一進一退といった様子だ。敵近衛兵たちはなかなか精強で、さすがに一筋縄ではいかないらしい。そこで、援軍としてクリスティーナを皇宮侵攻中の近衛部隊につける話になった。

 これからアリツェとラディムは皇帝ベルナルドへ最後の説得に向かうが、皇帝の御前なだけに、護衛もそれなりの者が配されているだろう。であるならば、クリスティーナもアリツェたちに同行したほうが、ラディムの身の安全を考えれば得策ではあった。

 しかし、ベルナルドへの説得については、縁のある者だけで行いたいとラディムが強硬に主張した。ラディムは殊更、皇室としての血の誇りを大事にしていた。帝国混乱の落とし前は、きっちりと血族だけで清算をつけたいのだろう。

「お兄様、皇帝を説得なさるのですか?」

 悲壮な決意を胸に秘めているであろうラディムの姿を見遣り、アリツェは心配な気持ちが重く胸にのしかかってくる。

 ギーゼブレヒトの人間としての義務や責任にこだわるラディムの気持ちも、わからないでもない。だが、その責任感のあまり、身を危険にさらしてもらいたくもなかった。

「やってみるつもりだ。だが、正直……」

 ラディムは渋面を浮かべた。

 ラディム自身も、ベルナルドの叛意の可能性は薄いと思っているのだろう。

「立場上、いまさら考えを曲げられないのさ。……ボクは思うんだ、ベルナルドは、ラディムに討たれたがっているんじゃないかって、ね」

 ドミニクが横から割って入った。

「そんな……。哀しいですわ」

 身内同士の殺し合いは、やはり楽しいものではない。気持ちが暗然としてくる。

「いや、ドミニクの意見もあながち的外れではないだろう。これまで帝国臣民に訴えかけてきた精霊教に対する見解が、結果的にはまったく誤っており、帝国中におかしな思想を植え付けてしまった。さらに、精霊教徒を強引に追放や処刑までしている。陛下の治世の下では、精霊教を受け入れるのはもはや困難になっているのは間違いない」

 悔しさや哀しさ、そして、絶望や憤怒をも混じり合わせたような、複雑な心境をラディムは吐露する。

 一時はラディム自身もベルナルドの意を汲み、精霊教への厳しい態度をとっていた。だが、精霊教への認識を新たにしてからは、ベルナルドの考えを変えさせようと必死の説得を試みた。

 しかし、結果は現状のとおりだ。ままならぬ現実に、ラディムはもがき苦しんでいるように見える。

「お兄様にわざと討たれることで、精霊教を否定しない新たな帝国の誕生を、帝国中に知らしめる。そういう理由ですの?」

 アリツェにも理屈は理解できる。だが、納得できるかはまた別の問題だ。血縁同士での血の流し合いは、抵抗感を抱かざるを得ない。

「おそらくはな。ただ、できれば陛下には生きていてほしい。母上のためにも……」

 ラディムはギリッと唇を噛んだ。

「そのとおりだよ。それに、自らの死ですべての責任を果たしただなんて、思ってほしくはないな。生きてこれまでの過ちを改め、帝国のために働いてほしいところだね。精霊教の一件以外は、名君といっても差し支えのない人物だったようだし」

「ああ……」

 ドミニクの意見に、ラディムも静かに首肯した。






 フェルディナントとムシュカ伯爵はいい顔をしなかったが、結局、皇帝の説得にはアリツェとラディム、それに使い魔の四匹のみで向かうとの方針になった。今回はドミニクにも遠慮してもらったので、ラディムがこだわったとおり、ギーゼブレヒトの血を引く二人だけでの作戦だ。

 精霊使い二人だけでの行動なので、隠密活動も容易にでき、皇帝の私室まではすんなりとやってこれた。扉の前には衛兵がいるかと思ったが、誰も立っていない。全員、部屋の中で守備を固めているのだろうか。

 ラディムが扉に手をかけ、ゆっくりと押し開いた。

「やはりお前がきたか、ラディムよ」

 扉を開ききると、ベルナルドの低い声が響き渡った。

 アリツェとラディムは部屋の中になだれ込むと、素早く周囲を探る。使い魔たちも隠れた気配がないかを確認している。

 現状、部屋には皇帝ベルナルド以外、誰もいなかった。護衛の近衛兵もいない。……一人でいるとは、ベルナルドは正気だろうか。

「陛下! やはり、お考えは変わりませんか!」

 ラディムは声を張り上げた。

「ザハリアーシュたち世界再生教に、偽りを信じ込まされていたとはいえ、お前とは違い私は帝国の皇帝だ。たんに騙されていた、で済むほど単純な話ではないのだ」

 自嘲するベルナルドの表情は、しかしどこか晴れ晴れとしていた。

 ドミニクの言っていたとおり、ベルナルドはラディムに討たれようとしているのか。追い詰められた者が見せる、焦りの表情はうかがえない。

「しかし、陛下の治世で救われた者も多いのです。お願いです、もう一度――」

 今回が説得の最後の機会だ。ダメならもう、ベルナルドを救う手立てはないだろう。

 ラディムが一層力を込めて声を絞り出そうとすると、ベルナルドは鋭い視線をラディムに向けた。

「くどいぞ、ラディム! 私は、私の信念に従って、反逆者の第一皇子を斬る!」

 ベルナルドは怒鳴りつけてラディムの言葉を遮ると、腰に下げた長剣を鞘から抜き放ち、切っ先をラディムに向けた。

「陛下っ!」

 叫ぶラディムに、「さあっ、剣を抜け! ラディム!」と、ベルナルドは吠えた。

 戸惑うラディムも、ベルナルドの目が本気だと悟ったのか、ゆっくりと剣を鞘から引き抜き、構えた。

「まさか、真剣でお前と一騎打ちをする日が来るとはな。……いくぞっ!」

 ベルナルドは地面をけり、一気にラディムの眼前へと迫る。

 ラディムはすかさず手に持つ剣で迎撃に出た。

 剣と剣がぶつかり合おうかというその時、ラディムは一気に横に飛んだ。ベルナルドは勢い余ってそのままラディムの脇を過ぎ、背を晒した。

「陛下っ!」

 悲痛な声を上げながら、ラディムは剣を一閃した。

 勝負は一瞬でついた。ベルナルドはわき腹を手で押さえながら膝をついた。取り落とした剣が床にぶつかる金属音だけが、静寂の中を響き渡る。

 剣術に明るくないアリツェにもはっきりと分かった。ベルナルドはラディムの横っ飛びの動きに、ついていけたはずだと。

「陛下、なぜ……」

 ラディムは自身の剣先にべっとりとついたベルナルドの血を、呆然と見つめている。ラディムも気が付いたのだろう。ベルナルドが本気を出していなかったと。

「お前も、薄々気が付いて、いるだろう? 旧時代の象徴である私は、新時代の申し子であるお前に、倒されなければならないのだ。さもなければ、帝国臣民は、新しい時代を、受け入れられない……」

 切られて出血おびただしい腹部を手で掴みながら、ベルナルドは途切れ途切れに、弱々しく言葉を紡ぐ。

 やはりベルナルドはラディムに討たれようとしていた。これも、ベルナルドなりのギーゼブレヒトの血への責任感からなのだろうか。

「私はっ、私はっ……!」

 ガランと音を立てて、ラディムは手に持つ剣を床に落とした。顔をくしゃくしゃにゆがめ、涙を目からあふれさせている。

「泣くな、ラディム。お前が、次の、皇帝だ……。正しき道に、帝国を、導くのだ。まだ若い、お前なら、できるっ!」

 ゴホッとむせ返り、ベルナルドは血を口から吐き出す。

「しかしっ、しかしっ!」

 しゃくりあげる声を漏らしながら、ラディムは一歩、また一歩とうずくまるベルナルドへ近づいた。

「……私も、急きょ即位したときは、お前とそう、歳は変わらかった。姉上のお力添えは、あったが、それでも、心細かった。だが、そんな私でも、世界再生教についての、誤りは冒したが、それ以外は、誇れるだけの成果を、なせたと胸を張れる。私の甥であるお前なら、できるはずだっ!」

 近づくラディムの気配に気づいたのか、ベルナルドは力なく顔を上げる。顔面は蒼白だった。完全に血の気を失っている。

 すでに致命傷に達しているのは明らかだった。これでは精霊術でも、もう助けられない。

「陛下っ!」

 崩れ落ち、床に倒れこもうとしたベルナルドの元に、ラディムは駆け付けて身体を支えた。

「我が帝国に、永久の安寧を……。すまなかった、ラディム……」

 最後にベルナルドはラディムへ微笑みかけ、そのまま目を閉じた。

「陛下ぁぁぁっ!」

 ラディムは慟哭する。アリツェはただ静かに、ラディムとベルナルドの姿を見守り続けた。






 反皇帝軍側の勝利を知らしめるためにも、ベルナルドの遺骸は一度、宮殿外のフェルディナントやムシュカ伯爵の元へと運ばなければならなかった。いまだ交戦中であろう近衛部隊に、無駄な損耗を与えるわけにもいかない。早急に報告する必要がある。

 アリツェは平常心を取り戻せないラディムに変わり、ベルナルドの身体をラースの背に乗せ、宮殿からの脱出を始めた。ラディムはいまだにしゃくりあげているが、素直にアリツェの後をついてきた。

 宮殿の一階に降りた際、交戦中の近衛部隊と遭遇したが、敵近衛騎士団はベルナルドの遺体を見るや、全員が戦意を喪失し、投降した。味方近衛部隊とともに投降者を捕縛し、宮殿前で待つフェルディナントの元へと引っ立てた。

 フェルディナントとムシュカ伯爵にすべてを報告し、ベルナルドの遺体と捕縛っした敵近衛隊の身柄を預け、アリツェは自身に与えられた宿屋の一室へと向かった。

 宿ではドミニクが紅茶を入れて待っていた。

 アリツェは椅子に腰を掛け、ドミニクに礼を述べると、ひとくち紅茶を口に含んだ。立ち上る香りを嗅げば、アリツェの重く沈んだ心も少しだけ軽くなる。

「……終わりましたわね、ドミニク」

 のどを潤したところで、アリツェは相対して座るドミニクを見つめた。

「うん……」

 ドミニクは労わるような視線をアリツェに寄こす。

「お兄様は、大丈夫でしょうか?」

 アリツェの脳裏には、先ほどのラディムとベルナルドの姿がくっきりと脳裏に焼き付いていた。二人の間には、アリツェにはわからない深い深い想いがあったはずだ。ラディムの心の傷は、果たしていかほどのものだろうか。

「ラディムは大丈夫さ。幼少時から、次期皇帝として育てられてきたんだ。すぐにでも気持ちは切り替えられるはずさ」

 ニコリと微笑みながら、「彼は強いよ」とドミニクはつぶやいた。

「そう、ですわよね……」

 ドミニクも王族として生まれ落ちた身だ。何か通ずるものがあるのかもしれない。そういった立場からのドミニクの言葉で、アリツェは幾分、心の安らぎに浸れた。

「あとはボクたちが、できるだけラディムの力になってあげればいいさ。王国に属するボクたちでは、直接的な介入はできない。けれども、身内として、個人的に協力するのは、別に悪いことではないだろう?」

 アリツェはうなずいた。

 グリューンもだいぶ落ち着いてきたので、ある程度の援助は可能なはずだった。大っぴらには無理でも、陰からできるだけの支援はしたい。大切な双子の片割れなのだから。

「帝国はこれからが大変だ。宗教観がひっくり返るわけだしね」

 ドミニクは視線を窓へ向け、目を細めて街並みを見つめた。

「宗教は人の心の拠り所になっておりますもの……。しばらくの間は、お兄様をお恨みになる方も、多いやもしれませんわね」

 いきなり信じていた教義の一部が否定される。帝国国民の動揺、混乱は必至だ。人心が落ち着くまでは、かなりの苦労が予想される。

「ラディムも覚悟の上だろうさ」

 ラディムは第一皇子として、幼いころから帝王学を受けてきた。今回の騒動で皇帝になる時期が早まったが、ドミニクの言うように、苦労を背負う覚悟はできているのだろう。

 だが、まだ成人にも達していない年齢で、混乱の極みの帝国の皇帝に即位する。その困難さは計り知れない。無理をしてつぶれてしまわないか、不安な気持ちもアリツェにはあった。

「わたくしたちに今できる最大限の支援を、お兄様にお与えしたいですわ」

 おそらくは、帝国内部には敵も多い。ベルナルドに忠誠を誓っていた貴族たちが、そうすんなりとラディムになびくとも思えない。新たな内戦の火種が生じないよう、細心の注意を払う必要があるはずだ。

 ラディムは優秀な精霊使いとはいえ、個人の霊素には限りもある。霊素の尽きた場面で命を狙われる可能性も、無きにしも非ずだ。導師部隊の子供たちで、ザハリアーシュに染まりきっていない者を、新たなラディムの側近として早急に教育しなおす必要もあるだろう。

 アリツェはラディムに請われれば、そういった霊素持ちの子供の再教育を請け負ってもいいと思っていた。今アリツェが協力できる事項の中では、精霊使いの教育が、一番ラディムの役に立てるはずだった。

 近いうちにラディムの新皇帝への即位式がなされるはずだ。それまでには、ラディムのために何ができるのかを、しかと考える必要があるとアリツェは心に刻んだ。
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