上 下
184 / 272
第十六章 王国軍対帝国軍

11 一杯食わされましたわ!

しおりを挟む
 アリツェはフェルディナントとの会話を終え、ドミニクとともに巡回に出ようと司令部の天幕を出ようとした。とその時、天幕の中へと伝令の兵士が飛び込んできた。

「た、大変です!」

 伝書鳩を小脇に抱えた伝令兵の表情は、すっかり血の気が引いている。どうやら、ただ事ではない事態が発生したのだとアリツェは悟った。

「どうした? 何があった!」

 フェルディナントはすぐさま伝令を傍まで呼びつけて、詳細を話すように促す。

「ムシュカ伯爵様からの報告なのですが……。とにかく、こちらをご覧ください」

 伝令は一枚のメモをフェルディナントに渡した。伝書鳩の足に括り付けられていた報告書だろう。

「……よりにもよって、最悪のパターンか」

 さっと内容を確認したフェルディナントは、沈んだ表情を浮かべた。

「叔父様? もしかして……」

 ムシュカ伯爵からの最悪の知らせ、となると――。

「うん、懸念していたとおりの状況だよ。ザハリアーシュ率いる導師部隊が現れたらしい」

 結局、導師部隊は対王国軍の主力部隊の中には、ただの一度も姿を現さなかった。恐れていたとおりに、対伯爵領軍側へ従軍していたようだ。おそらくは王国軍よりも脆弱な戦力しか抱えていない伯爵領軍を、先に叩いてしまうつもりなのだろう。

 対王国軍側に正規兵の主力を差し向けていたのは、導師部隊も当然主力側に従軍するはずだとのフェイシア王国側の誤認を誘うための、帝国の作戦にも思えた。

 魔術でかく乱ができるのであれば、正規兵の質が多少劣っていたとしても、対伯爵領軍戦に関しては問題はないと判断しての策に違いない。

「それで、伯爵様からは何と?」

 とにかく今は正確な情報が欲しい。伯爵領軍にはバルデル公国からの援軍もあるので、そうやすやすと敗れ去るような事態にはならないはずだ。……そう信じなければ、やっていられない。

 だが、アリツェもいまだに導師部隊の全容を把握しているわけではない。アリツェの思いもよらないマジックアイテムを開発している可能性も、無きにしも非ずだ。

 伯爵領軍にどのような被害が出るか、正直、まったく想像がつかなかった。

「苦戦中、至急救援を求む、と」

 苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべながら、フェルディナントは吐き捨てた。

「あぁ、なんという……」

 アリツェはつぶやき、天を仰いだ。

 王国側も帝国の主力部隊と対峙している。伯爵もその点は承知のはずだ。それでもなお、フェルディナントの元にこのような知らせを寄こしてきた。考えるに、伯爵側は相当に厳しい状況なのだろう。

「こいつは参ったぞ。伯爵が敗北しては、帝国が全戦力をもってこちらに向かってくる。伯爵領側に傾けていた部隊まで寄こされては厄介だ」

 今よりも帝国兵の数が増えたうえに、危険な導師部隊までくっついてくれば、大苦戦は必至だ。単純に数は力でもある。あまりに多ければ、アリツェの大規模精霊術だけでは対処しきれなくなる。

 そもそも導師部隊までいるのであれば、魔術への対処でアリツェはかかりきりになるため、大規模精霊術を使っている暇はないかもしれない。そうなれば、勝敗の決め手は正規兵同士の会戦となる。

 帝国軍全軍で来られては、王国軍側の劣勢は免れない。ヤゲル王国の弓兵隊が加われば問題はないのかもしれないが、いまだに到着していないのであてにはできなかった。

「そもそも伯爵が敗れれば、最終的に皇帝を打ち破ったとしても、ラディムが安心して政務を託せる貴族が帝国内にいなくなってしまう」

 フェルディナントの言葉に、アリツェは「あっ!」と声を上げた。

 すっかり失念していたが、皇帝ベルナルドの宣伝工作で、ラディムの帝国内での評判は非常に微妙なものになっている。ムシュカ伯爵がいなければ、頼れる人物が皆無になりかねなかった。

「ラディム自身はまだ子供で、帝国内で個人的に親しく付き合っていた貴族がいない。治世を担えるだけの人材をすぐにそろえるのは厳しいだろうし、不味いな……」

 伯爵の人脈なしで一から態勢を整えるのは、非常に困難に思えた。人材の育成には時間がかかる。一朝一夕には解決しない問題だ。どうにか内政に明るい貴族を取り込まなければ、早晩立ちいかなくなるだろう。

「王国側から人材を提供すれば、王国の内政干渉だなんだと言われそうですものね」

 かといって、フェイシア王国から内政のできる者たちを斡旋すれば、帝国の他の貴族たちは面白くないだろう。間違いなく謀反や反乱の火種になる。

「頭が痛いな……。何とか伯爵に援軍を送りたいが、国境沿いに帝国軍がいる以上は、送りたくとも送れない」

 国境を越えて帝国内に入るには、森を縫って走る街道を通るしかない。だが、その街道は今、帝国側が占拠している。ならばと、森の中を進もうとすれば、あまりに深すぎて迷い、抜け出られなく恐れがあった。それに、大軍で森の中を進軍するのはかなり無理がある。こうして考えると、今フェルディナントが取れる手段はなさそうに思えた。

「では、わたくしが行くべきでしょうか」

 大軍でダメなら、ここは少数精鋭で行くしかない。ラディムを帝都ミュニホフから救い出した時と同様だ。少数の手勢とともに、アリツェ自らが帝国軍の監視の目をかいくぐって帝国内に侵入し、伯爵領へと向かうのが最善だろう。

「……アリツェ、いいのかい?」

 少し躊躇しながら、フェルディナントは問うた。

「導師部隊に対抗するには、精霊使いのわたくしが最適です。それに、わたくし単独であれば、精霊術で上空から安全に帝国内に侵入できますわ」

 アリツェの飛行術を用いれば、うっそうとした森の中を無理に進む必要もなかった。途中休憩も必要だが、休むだけであれば、適当に森の中に降りれば帝国兵に追われる心配もない。そしてなによりも、魔術への対策を練るのに、アリツェ以上の人材はいなかった。

「アリツェにとってはかなり危険だと思うけれど、他に手はないか……。伯爵を見殺しにするわけにはいかない」

 たびたびアリツェを危険な場所に送り込む形になり、フェルディナントはやりきれないといった表情を浮かべている。

「お任せください、叔父様!」

 アリツェは元気よく答えた。フェルディナントが感じているであろう後ろめたさを、跡形もなく吹き飛ばすかのように。

 アリツェはこれこそが自分の役割だと理解をしていた。

 役立たずのまま安全地帯に引っ込んでいるよりは、精霊術で多くの人の役に立てる今の状況は、歓迎すべきものだとさえ思う。

 人々に精霊術の有用性を披露できるし、また、たびたび行使する大規模精霊術によって、余剰地核エネルギーの消費もできる。今、アリツェは充実感に満たされていた。

「帝国側に一杯食わされるとはな……。申し訳ないが、アリツェ、頼んだよ」

 フェルディナントは労わり気な目線を寄こし、アリツェの肩に手を置いた。

「はい!」

 アリツェは肩に置かれたフェルディナントの腕に自分の手を重ね、力いっぱいうなずいた。

「プリンツ卿、ボクがついている。アリツェを危険な目には決して合わせないさ」

 ドミニクが腰に下げた剣の柄に手を当てながら、ためらうことなく言い切った。

 アリツェはちらりとドミニクの横顔を眺める。

 その意志の強そうな鋭い目鼻立ちに、アリツェは愛おしさと心強さを感じた。

 ――ドミニクが一緒なら、絶対に大丈夫。アリツェはそう確信できた。

「殿下、どうか、姪をお願いします」

 フェルディナントはドミニクに向き直ると、深々と頭を垂れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星河由乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

追放された聖女の悠々自適な側室ライフ

白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」 平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。 そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。 そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。 「王太子殿下の仰せに従います」 (やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや) 表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。 今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。 マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃 聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。

【完結】彼女以外、みんな思い出す。

❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。 幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。

処理中です...