上 下
128 / 272
第十一章 婚約

8 婚約の儀を迎えますわ

しおりを挟む
「ドーミーニークーさーまっ!」

 屋敷の廊下をドミニクと連れ立って歩いていると、背後からクリスティーナの大声がこだました。

「クリスティーナ様、そんなにくっつかないでください」

 クリスティーナは傍のアリツェを跳ね飛ばすと、ドミニクの腕に自分の腕を絡めて密着した。

(ちょ、ちょっと! 何をなさるんですか!)

 アリツェは怒鳴りつけたくなる気持ちをどうにか押しとどめた。廊下で声を張り上げるなんて、はしたないと思ったからだ。

「うふふ、いいじゃないですか。私たち、すぐに婚約者になるんですから」

 ニコニコと微笑みながら、クリスティーナはドミニクにしな垂れかかった。

(誰が婚約者になるんですか! ドミニクの婚約者はあなたではありませんわ! このわたくしです!)

 アリツェの脳内では、怒りの声が鳴り響いている。アリツェは精いっぱいの怒気を込めて、クリスティーナをにらみつけた。

 だが、クリスティーナはドミニクしか視界に入れていないようで、アリツェの態度にはまったく気付いていなかった。

「ですから! 私はアリツェとの婚約を解消する気は、さらさらありません!」

 ドミニクはクリスティーナの腕を振りほどいて、離れようとした。

「またまた、恥ずかしがらなくてもいいんですよ、ドミニク様」

 逃がすまいと、クリスティーナは再びがっちりとドミニクの腕を抱え込む。

「はぁぁー……」

 ドミニクはあきらめたのか、深くため息をついてうなだれた。

 このようなやり取りが、婚約の儀の前日まで延々と繰り返された。クリスティーナのあまりのしつこさに、アリツェとドミニクの精神は大分疲弊した。これから婚約の儀に臨むというのに、すでにクタクタだった。






「いいなぁ、クリスティーナ様……」

 ぼそりと少年の声がアリツェの耳に入った。

 声のする方を振り返ると、ドミニクの弟、第三王子のアレシュが通路の陰からアリツェたちをうかがっていた。

 アリツェよりも一つ年下のアレシュは、まだ成長期を迎えておらず、身長はアリツェとそう変わらない程度だ。中性的な雰囲気を漂わせる、物静かな王子という印象だった。

「兄上などより、ボクの方がクリスティーナ様を大事にするのに……」

 あの奔放なクリスティーナが、なぜだかアレシュの琴線に触れたようだ。……一波乱起こらなければいいなと、アリツェは祈った。






 アリツェの不安は杞憂に終わり、婚約の儀は予定どおり盛大に催され、アリツェとドミニクは晴れて婚約者同士となった。

「アリツェ、改めて、これからもよろしく頼むよ」

 ドミニクは純白の手袋をはめているアリツェの手を取った。

「こちらこそ、不束者ではありますが、よろしくお願いいたしますわ、ドミニク」

 アリツェはドミニクの顔をジッと見つめ、ゆっくりと噛みしめながら誓いの言葉を述べた。

 しばらく見つめあった後、ドミニクは懐から金のブローチを取り出した。以前、十三歳の誕生日プレゼントにとアリツェに贈ったものだ。婚約の儀の誓いに使うため、ドミニクはいったんアリツェから預かっていた。

 ドミニクはブローチを手に取り、アリツェのドレスの胸元につけた。王家の正式な婚約のしるしである金のブローチを婚約者の胸に飾ることで、王国法に基づく王族の正式な婚約が成立する。

 アリツェは喜びで胸がいっぱいだった。まさに、足が地につかない状態だ。ふわふわと浮かぶアリツェの心は、今、ドミニクの温もりに優しく包まれていた。

 アリツェは恍惚としながら、胸元に輝く金のブローチを眺めた後、首にかけたペンダントを外した。

「ドミニク、少しかがんでいただけますか?」

 アリツェの言葉に、ドミニクはゆっくりと中腰になる。

 アリツェは微笑みながら、手に持つペンダントをドミニクの首元に掛けた。ドミニクからの婚約のしるしへの、アリツェの精いっぱいの返礼だった。父カレル・プリンツの形見で、精霊教のご神体である龍をかたどった金のメダルが使われているペンダント……。

「これで、ボクたちは晴れて正式な婚約者だ。この今日という喜ばしい日を、ボクは一生忘れないだろう」

「わたくしもですわ、ドミニク」

 アリツェとドミニクがしるしを交換し合ったところで、周囲から大きな歓声が上がった。ラディムやエリシュカ、フェルディナントをはじめとした辺境伯家の人間、フェイシア国王夫妻と、皆アリツェたちを祝福した。

 ただ、会場の隅では、クリスティーナが不満げな表情を浮かべてたたずんでいる。側近らしき人物と何やら言葉を交わしているようだが、アリツェのところまでは聞こえない。

 婚約の儀が終わろうかという頃合いには、クリスティーナ一行は会場を後にした。そのすぐ後を、アレシュが追っていく様子が目に入ったが、特に咎める者はいなかった。

(アレシュ様ったら、クリスティーナ様の件、本気なんですの?)

 アレシュは将来、アリツェの義弟になる。なので、アレシュの行動を、フェイシアの王族としてよろしくないと咎めてもよかった。だが、アリツェは今の幸せ絶頂の興奮の中で、無粋な真似をする気も起らなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

婚約者の浮気を目撃した後、私は死にました。けれど戻ってこれたので、人生やり直します

Kouei
恋愛
夜の寝所で裸で抱き合う男女。 女性は従姉、男性は私の婚約者だった。 私は泣きながらその場を走り去った。 涙で歪んだ視界は、足元の階段に気づけなかった。 階段から転がり落ち、頭を強打した私は死んだ……はずだった。 けれど目が覚めた私は、過去に戻っていた! ※この作品は、他サイトにも投稿しています。

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

【完結】彼女以外、みんな思い出す。

❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。 幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。

(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!

青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。 すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。 「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」 「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」 なぜ、お姉様の名前がでてくるの? なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。 ※タグの追加や変更あるかもしれません。 ※因果応報的ざまぁのはず。 ※作者独自の世界のゆるふわ設定。 ※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。 ※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。

王妃ですけど、側妃しか愛せない貴方を愛しませんよ!?

天災
恋愛
 私の夫、つまり、国王は側妃しか愛さない。

処理中です...