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第六章 一人の少女と一匹の猫

9 マリエと魔術の勉強を

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 冬になった――。

 ミュニホフ周辺に雪が降ることはめったにない。ただし、強風が吹く日が多いので、体感ではかなり寒く感じられる。道行く人も、みなマフラーを巻き、耳まで覆える帽子をかぶり防寒対策をしていた。

 この日も恒例の街の視察を終えたラディムは、ザハリアーシュ、エリシュカと別れて、世界再生教の教会へ向かった。視察後に教会へ寄り、マリエと魔術談義を楽しむのが恒例になっていた。

「マリエ、いるかー? うー、寒い寒い」

 教会の礼拝堂へ入るや、ラディムはマリエを呼んだ。そのまま、かじかんだ手をこすりながら、マリエが来るのを待つ。

「あ、これは殿下、いらっしゃい」

 呼びかけに応えて、すぐに礼拝堂の奥からマリエが現れた。

 初めてミュニホフの街中で出会ってから半年、マリエのやせ細っていた身体は、普通の子供と同じくらいまで肉付いていた。ぼろぼろにすり切れた服ももう着ていない。庶民の子供が着る、色とりどりに刺繍が施されたかわいらしいドレスを着ていた。痛み放題だった黒髪も、今はきれいに梳かされ艶を放っている。

「今週も来たぞ。待たせたか?」

 マリエの姿を確認するや、ラディムは片手をあげて挨拶をした。

「べ、別に待ってなんかいません」

 マリエは少し慌てたような声を上げる。

「殿下、マリエったら先ほどから殿下はまだか殿下はまだかって、落ち着きがなかったんですよ」

 マリエの後ろから、教会の司祭が現れた。茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべている。

「ちょ、司祭様! 私そんなこと言っていません!」

 マリエは司祭へ向き直ると、興奮した声を上げた。顔がわずかに紅潮している。

「ふふ、恥ずかしがって」

 マリエの反応が面白いのか、司祭は悪戯っぽく笑った。

「司祭様ぁー」

 少し涙声で、マリエは司祭へ抗議の声を上げた。

「ごめんごめん、じゃあ、殿下とごゆっくり―」

 さんざんマリエを弄り倒した司祭は、手をひらひらとさせながら、再び奥へと引っ込んでいった。何しに出てきたのだろうか、あの人は。

「相変わらず面白い人だな、あの司祭は」

 『生命力』持ちとして世界再生教の聖職者見習いとなったマリエの、直属の上司に当たる女性司祭。まだ二十代前半だろう若さだが、布教活動で結構な成果を上げたらしく、司祭の地位に就いていた。

 言動の軽さとは違い、なかなか優秀な人物だとラディムは聞いている。

「私のことをからかってばかりなんです! ひどいですよね、殿下」

 頬を膨らませ、不満の態度を隠そうとしないマリエ。だが、本気で怒っているわけではないことを、ラディムは知っている。マリエが事あるごとに、司祭様はすごい司祭様はすごい、と言っているのを見てきたからだ。

 マリエは同じ女性として、若くして出世をしている司祭を尊敬しているようだった。

「ま、邪険にされるよりは良いではないか」

 からかわれるのは、かわいがられていることの証左だ。決して悪いことではないだろう。尊敬する相手から気にかけてもらえ、マリエ自身まんざらでもない気持ちもあるはずだとラディムは思う。

「まぁ、そうなんですけどねぇ」

 まだ不満が少し残っているのか、マリエは口をとがらせている。

「まぁ、ここで突っ立っていても仕方がない。奥へ行こう」

 暖炉はあるものの、かなりの広さを誇る礼拝堂だ。外部と入口の扉一枚で直接つながっている部屋でもあるので、隙間風も入り込み、底冷えがひどい。さっさと暖かい部屋へ移動したかった。

「じゃあ、私の部屋へ行きましょうか」

 マリエはラディムの手を取り、礼拝堂奥のマリエの自室へと向かった。マリエの手は温かかった。かじかんでがちがちのラディムの手にとって、マリエの手はまさに懐炉のように感じられた。






 もう幾度となく訪れているため、勝手知ったるマリエの部屋、ラディムはいつも使う椅子を取り出し、座った。マリエも正対するように椅子を出し、座る。

「じゃ、さっそく先週の続きと行くか」

 ラディムは提げていたバッグから、ランタンを取り出した。

「はい……。言われたとおり、ランタンに明かりを灯す魔術の練習を積んでおきました」

 マリエもベッド傍からランタンを取り、手に持った。

 先週から始めている、初級魔術の練習だった。ランタンに『生命力』を使って炎を灯す、というものだ。

「基本の魔術だとザハリアーシュも言っていた。まずはこいつを、完璧にしようか」

 魔術を操る導師になるための育成プログラムを、世界再生教は二年前に作った。今、ラディムとマリエはその育成プログラムに沿った練習を積んでいる。ザハリアーシュからの勧めだった。最初のうちは定評のある方法で修練を積み、ある程度力が付いたら、個々のやり方に合わせて腕を磨くといいのではとの助言に従った形だ。

「すみません殿下。まだ私、殿下の足を引っ張ってばかりで」

 ラディム自身はもうすでにランタン灯火の訓練は済ませている。魔術を学び始めたマリエに合わせて、復習のつもりで一緒に取り組んでいた。

 そんなラディムのやり方に、マリエは恐縮しているようだった。ラディムの成長を妨げてしまうのではないか、と。

「構わない。魔術を学び始めたばかりだしな、マリエは。じきに一緒に研究ができるようになれば、私としては十分だよ」

 ラディムとしては、誰かに教えるという行為が自身の魔術に対する理解をより深めてくれる事実に気づいたこともあり、マリエに足を引っ張られているという認識は全くなかった。それに、マリエが魔術を早く習得すれば、同じ目線で研究に取り組めるパートナーができるわけで、ラディムにとっても大いに利のある行為だった。

「ありがとうございます、殿下っ」

 うれしそうにマリエははにかむ。

 第一皇子としての立場から、ラディムは同年代の子供と触れ合える機会がほとんどなかった。そのため、このマリエとのひと時は、エリシュカをからかって遊ぶのと並んで、ラディムの重要な気分転換の手段になっていた。

「見ているので、魔術を実演してみてくれ」

 ラディムはジッと、マリエの手元のランタンを注視した。

「はい。おかしなところがあったら、指摘をお願いしますね」

 少し緊張した面持ちで、マリエは意識を集中しだした。

 ランタンを持つマリエの手に、『生命力』が集まりだすのをラディムは感じる。やがて、ポンッと小さな音を立てて、ランタン内に火が灯った。

「うん、やはりマリエは筋がいい。ランタンを灯す魔術はもう卒業だな。私より早いぞ」

 灯火までの時間、炎の勢い、どちらも問題がなかった。非常にうまく制御されているとラディムは思う。

 ラディム自身が今のマリエのレベルに達するまで二週間程度はかかった。一週間足らずで成し遂げたマリエの魔術の才は、実際、かなりのものだった。

「そんな……。殿下が手取り足取り、丁寧に教えてくださるからですよ」

 照れて顔を真っ赤にしながら、マリエは謙遜した。

「そういってもらえると、教えがいがあるよ」

 まさに、打てば響く。実に教え甲斐のある弟子だった。
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