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第四章 開かれた新たな世界

4 しつこい追っ手ですわね

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「とりあえず、この場にとどまっていては危険かな」

「そうですわね。マリエさんがあの場にいらっしゃったということは、お父様にも逃走ルートがばれている可能性が高いですわ」

 さらなる領兵による追撃が、考えられた。

 悠太はすでに短時間で二度、大規模な精霊具現化――戦闘に火、穴の掘削に地――をしており、残霊素を考えてもこれ以上の戦闘は厳しかった。

 早々にこの場を離れ、森の中に逃げ込む必要があった。

『ご主人、まずいですワンッ! この湖に向けて、かなり多くの足音が向かってきているワンッ!』

 周囲を警戒していたペスから、警告がきた。

「ドミニク様、どうやら領軍の追跡がありそうですわ」

 落ち着く間もなく、領軍のお出ましのようだった。

「とにかく、西に向かって逃げよう。子爵領を抜けないと、どうしようもなさそうだ」

 目的地の辺境伯領も西だ。このまま森を抜けて西に向かおうとドミニクは提案した。

 異論のない悠太もうなずき、行動を始めた。

 拘束した領兵は、このまま放置していくことにした。追撃に来ている領軍が回収するだろう。

 ケガを負っている領兵の移送に人数を裂く必要が出るはずだ。その分、追撃の兵数を減らせる。好都合だった。






「かなりの数がいますわ」

 森の木々を死角に使い、悠太は追っ手の領軍の様子を窺った。

 十人以上の気配を感じる。

 大人数相手の精霊術は、今の悠太の状態では難しい。かといって、先ほどまで六人の領兵を相手にしていたドミニクも、疲労がたまっているだろう。

 悠太たちは、今、まともに戦える状態ではなかった。

「うまく森を使って、撒くしかないかな」

 ドミニクの言うとおりだった。ここは、逃げの一手しかなかった。

「オーッホッホッホ! でしたら、これですわね!」

 悠太は、残り僅かな霊素を使い、光の精霊を具現化させた。

 ゆっくりと、悠太とドミニクの姿が森に同化していく。

 味方にかけるだけの小規模な精霊術。長時間の持続を狙わなければ、残った霊素でぎりぎり間に合った。

「おぉ、すごい。保護色だね」

「木々に紛れつつ、このまま森の中を進みますわ!」

 まもなく日が昇るとはいえ、あたり一面まだ闇に覆われている。しかも、昼間でも薄暗い森の中だ。

 周囲の景色とほぼ同化している悠太たちが、見つかる可能性はほとんどない。

 ただ、お互い保護色になっているため、互いが互いを見失う危険があった。悠太はドミニクの手を取った。

「えっと、アリツェ?」

 少し戸惑い交じりの声で、ドミニクが尋ねる。

「今の状態では、お互いに接触をしていないと見失ってしまいますわ。お嫌かもしれませんが、しばらくの間、我慢してくださいませ」

 はぐれては大変だ。ここは、ドミニクの意見を聞いている時ではなかった。

 悠太は戸惑うドミニクの手を引き、歩き出した。ドミニクも慌てて悠太の後を追った。

「しかし、精霊術とは便利なものだね。僕も使えたらよかったんだけれど。霊素がなければ、どうしようもないのがなぁ」

 ドミニクが悔しげな声を上げる。

 いくらドミニクが優秀な人間であろうとも、遺伝子として霊素を保有できる才能を持っていなければ、努力でどうにかなるものでもない。残念ながら、ドミニクは逆立ちしたって使えない。

「わたくしとしましても、いろいろな方が精霊術を使えるようになればどれほど素晴らしいでしょう、と思うのですが、こればかりは、どうしようもありませんわ」

 本人の頑張り次第で、少しでもいいから霊素が保持できるようになればいいのに、と悠太はつくづく思った。

 そうなれば、精霊教の布教ももっと人々に理解され、受け入れられるだろうし、世界中の人が精霊術を使えば、余分な地核エネルギーの消費も進み、世界の崩壊も防げるはずだ。

『別の集団が南から来ているワンッ! 油断しないでほしいワンッ!』

 ペスの警告が念話で飛んでくる。だが、所詮はただの領兵。知覚が動物並みに優れているわけでもない。

 さしたる不安も感じないアリツェは、
「オホホホホッ、問題ございませんことよ。どの方向から来ようとも、わたくしの術は完璧でございますわ」
と、自信たっぷりにペスに答えた。

 視覚さえごまかしてしまえば、人間に見つかるはずもない。






「まったく、しつこい追っ手ですわね! 撒いたと思いましたのに、また現れましたわ!」

 見つかりはしなかった。

 だが、悠太たちの逃走ルートを西側と決めつけているのか、ひたすら西へ西へと進軍している。他の方面はいいのだろうか。

 それとも、この隊が西側を担当して、ほかの隊が北や南を探っているのだろうか。だから、この隊はやみくもに西に突き進んでいる、と。そうであるとすれば、結構な数の領兵を動員していることになる。

「子爵はいったいどれだけの領軍を動員したんだろう。僕たち二人を探すにしては、ずいぶんと大規模だねぇ」

 領軍は総勢百五十人ほどだ。各隊十~十五人とすると、東西南北の四部隊で五十人近くは動員されている。地下水路を追撃していた六人も加えると、優に三分の一以上に達する。街の治安維持部隊や交代で非番の部隊も考えれば、今動かせる最大の人員を割いていると考えられた。

「あの、もしかして、マリエさんの件でしょうか……。殺めてしまいましたし」

「世界再生教の報復? それとも、子爵側が世界再生教への義理を立てているのか? それで大規模に追撃を仕掛けている、と。でも、マリエの死を子爵側は知らないはずだぞ」

 マリエの遺骸は悠太が埋葬した。精霊術で埋めたので不自然な土の盛り上がりもない。場所を知らない人間がいくら探しても、見つけられないだろう。

「でしたら、おそらくですが、私たちが捕らえて連れ去ったのだと思っているのではないでしょうか」

 先ほどの戦闘の捕虜は、もうすでに領軍に保護されているだろう。だが、その捕虜の中にマリエの姿はない。

 ドミニクが縛り上げた段階で、全員ドミニクによって意識を奪われていた。あの領兵たちは、マリエの死を知らない。であるならば、領軍側は、当然、マリエが悠太たちに連れていかれたと考えるだろう。

 マルティンが、大事な世界再生教会とのパイプであるマリエを気にかけないはずはない。なりふり構わず追跡をしてくる領軍には、マリエの回収の必要性という理由もあると考えられた。

「いずれにしましても、そろそろペスにかけた精霊具現化がいったん解けますわね。かけなおしたいのですが、その隙を狙われると、少々まずいですわ。それに、小休憩を取って、霊素を回復させなければいけませんわ」

 残っていた霊素を使って短時間の保護色化をおこなった。なので、効果が間もなく消える。

 しかし、再度かけなおすには霊素の量が足りなかった。静かに休めば自然回復するが、歩きながらだとさすがにほとんど回復しない。どこかに腰を落ち着けたかった。

「どこか術を解いても身を隠せそうなところはないかな」

 ドミニクと悠太は素早く周囲を見渡した。

「あの大きな木の根元、二人入れそうな洞がありますわ」

 少し離れたところに周りよりも一回り大きい木が立っており、その根元付近に大きな洞が開いていた。

「あ、あれかい!? ちょっと、狭くないかな」

 悠太の指す洞をみて、ドミニクは目を丸くした。

 たしかに、二人で入るには少し狭そうに見える。だが、ぴったりとくっつけば問題はないはずだ、と悠太は考えた。

「急ぎましょう! 時間がないですわ!」

 問答無用とばかりに、悠太はドミニクを洞の中に連れ込もうとした。

「わ、待って待って。引っ張らないでくれ」

 なすがままにドミニクは悠太に引かれていった。





「この森を抜けると、すぐに子爵領外に出るんですよね」

 悠太が聞くも、ドミニクからの返事がない。

「ドミニク様?」

 どうしたのだろうと、悠太は上目遣いで、頭上のドミニクの顔を仰ぎ見た。

 結局、洞の横幅が狭くて二人並ぶのは無理だと気付いた悠太は、ドミニクに抱えてもらって中に入ることを提案した。胡坐をかいたドミニクの足の上に、悠太がちょこんと乗る形だ。

 当然、ドミニクは激しく抵抗したが、悠太は強引に押し切った。

「あ、あぁ。ゴメンゴメン」

 見上げる悠太に一瞬ぎょっとした顔をドミニクは浮かべたが、すぐにいつもの柔らかな表情に戻る。わずかに頬が赤く染まって見える気がした。

(ふふーん、アリツェのために大分強引な手段に出たけれど、いい感じに意識してもらえているかな)

 悠太は内心ほくそ笑んだ。アリツェの人格では、あまり積極的に行動できないだろうと踏んでのおせっかいだ。

 霊素がほぼ空になっているために、悠太は疲労の色が濃かった。そのせいで、今副人格になっているアリツェは、悠太に負担がかからないよう完全に沈黙をしていた。

 ……なので、今の行動はアリツェには完全に内緒で行っている。

「うん、アリツェの言うとおり、ちょうどこの森の西側の切れ目が、プリンツ子爵領とシュラパーク男爵領の境になっているんだ」

 ドミニクは表面上落ち着いたように見える。丁寧に悠太の質問に答えだした。

 見習い伝道師試験の時に勉強した中央大陸地理のなかでもちらっと出てきた、シュラパーク男爵領。プリンツ子爵領の西隣の、小さな領地だ。

 子爵領とは、今悠太たちのいるこの広大な森の影響であまり交流はない。特に特産品などもない、それほど裕福ではない地域だったはずだ。

「そのシュラパーク男爵領、精霊教の勢力はどうなっているのでしょうか?」

 辺境の男爵領だ。宗教関係の勢力図については、学んだ地理の教科書には載っていなかった。

 ただ、今はこの宗教の力関係が悠太たちの身の安全に直結する問題になっている。重要な関心ごとであった。

「どちらかと言えば世界再生教のほうが強いかな。でも、精霊教も決して力を持っていないわけではないので、世界再生教側から襲ってくるようなことは、ないと思うけれど……」

 あまり芳しい答えではなかったが、最悪の状況というわけでもなさそうだった。

 平穏無事に男爵領を抜けられれば、それで良しとしようと悠太は思う。精霊教会の支援も欲しいところだが、ないものねだりをしても仕方がない。

 世界再生教が優勢な土地で、いま、その世界再生教の敵として認識されているであろう悠太が、下手に精霊教会に接触するのも具合が悪い。悠太を保護したがために、その点を突かれて世界再生教会にちょっかいを出され、男爵領の精霊教会の勢力がそがれる、といった事態には、なってほしくはなかった。

「子爵領の領軍も、さすがに越境はしてきませんわよね?」

 領軍の今後の動向も、気になっていた。

 いつになったら追撃に頭を悩まされることなく旅ができるようになるのか。

「宗教弾圧を端に発した事件だからねぇ。子爵側から、領内進軍の許可申請や我々の捕縛要請などがいっても、おそらく男爵は拒否するとみてる。男爵は、精霊教を敵に回す気はないはずだよ」

 男爵領は世界再生教のほうが強いとはいえ、とりあえず均衡を保てる程度には精霊教も力を持っている。そんな状況の領地で、宗教戦争に巻き込まれそうな子爵側の要請を受けようとはしないだろう、とのドミニクの予想だった。

「では、越境すれば一息つけそうですわね」

 悠太は安堵した。ステータス的性能は高いとはいえ、身体はあくまで子供。さすがにつらくなってきていた。






『ご主人、どうやら領界が近づいてきたためか、兵の動きが早くなっているワンッ。こちらに追いつくべく、かなり速度を上げている気配がするワンッ』

 悠太とドミニクが洞の中で休息中、ペスは木の上で周囲を警戒していた。そのペスからの警告が入る。

「しつこいにもほどがありますわ! こうなりましたら、最後にひとつ、かまいたちでもお見舞いいたしましょうか」

 あまりのしつこさにうんざりしているところに、疲労も重なっている。悠太のイライラも限界に達しようとしていた。

「いや、やめたほうがいい。ここで力を使いすぎてはいけないよ。男爵領の状況がはっきりするまでは、温存しておこう」

 ドミニクは、感情的になっている悠太をたしなめた。

「……失礼いたしました。わたくしったら、興奮しすぎではしたないですわ。確かに、ドミニク様のおっしゃるとおりです」

 ドミニクの指摘どおりだったので、悠太はシュンとなった。恥ずかしさに、少し体が熱くなる。

 ……アリツェがスリープ状態でよかった、と悠太は思った。

「このまま継続して、木々に紛れて進もう」

 うなだれる悠太に、ドミニクは優しく声をかけた。
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