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第四章 開かれた新たな世界

1 いよいよ計画実行ですわ

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 深夜のグリューン――。

 闇夜に紛れて、悠太――今は夜モードだ――とドミニクはエマの家を発った。

 ドミニクの話した逃走経路は、こうだ。

一.下層市民街の水路わきにある入り口から、地下水路へ侵入する

二.途中で東西に別れるが、西側の道に進む

三.だいたい城壁を超えたあたりで、道は上に登っていき、最終的にはグリューン西にある小さな森に出る

四.森にある湖の取水口から、外へと脱出する

五.森を抜けて大回りで街の東側まで迂回し、東の隣国ヤゲルのクラークへ向かう

 悠太はこのドミニクの説明の際に、グリューンを抜けて以後の逃走先の希望を伝えた。

「ドミニク様、実はわたくし、クラークではなく、プリンツ辺境伯領へ向かいたいのですわ」

「構わないけれど、どうしてです?」

 悠太の意図がわからないためか、ドミニクは首をかしげた。

「実は、ここだけの話なのですが、わたくし、子爵の実子ではありませんでしたの。実家がプリンツ辺境伯家ということを、先ほど捕まっている間に聞いてしまいまして」

「なるほど……。あなたの家族がいる、というわけですね」

「えぇ……。ただ、生まれてすぐに養子に出されましたので、顔を見たこともありませんし、もしかしたら、わたくし、疎まれている可能性もあります」

 顎に手を当てると、ドミニクは少し考えこんだ。

「……アリツェさん、つらい人生を過ごしてきたんですね」

 ドミニクは年下の少女の苦労をいたわるように、やさしい声をかけた。

「お心を砕いてくださり、感謝いたしますわ」

 アリツェの境遇に悲しそうな表情を浮かべるドミニクに、アリツェ――悠太ではない、本来のアリツェのほうだ――は嬉しさがこみあげてくる。

 年上のエマや院長には、ずいぶんと優しくしてもらっていた。だが、歳の近い者に、こうして気を砕いてもらう機会が、今までなかった。孤児院で一緒だった子供たちは皆、自分並みにつらい境遇の子が多かった。なので、アリツェ自身はむしろ、姉がわりとして気遣う側だった。

 せいぜい、領館時代のかつての付き侍女くらいだ。同年代で同情の念をくれたのは。

(おい、アリツェ。あんた、この優男が気になるのか?)

(そ、そんなことはありませんわ! ただ、わたくしのことを理解してくださったのが、うれしくて……。それだけですわっ)

(ふむ……)

 悠太は、アリツェのいつもと少し違う様子に、何やら感じた。

「ドミニク様、お願いがありますわ」

 悠太は一つ思い付き、ドミニクの目を見つめた。

 悠太の様子に、ドミニクは少したじろいだように見える。

「あなたのほうがわたくしよりも立場は上なのです。そんなにかしこまった言いかたはしないでくださいませ。それに、わたくしのことは、『アリツェ』、とお呼びください」

 気さくに話しかけてもらったほうが、アリツェ――本来の――もドミニクとの壁を感じなくなりいいだろう、と悠太は余計なおせっかいをしようと考えた。

(ちょ、ちょっと悠太様! いったい何をおっしゃり始めるのですか! わたくし、そんな、困りますわ!)

(まぁ、いいっていいって。オレに任せておきなさい)

 どうやらドミニクのことが気になっている様子のアリツェ。

 ここは、精神年齢が上の自分が、アリツェのために一肌脱ぐべきだ。距離をもっと接近させるには、まずは言葉遣いからだ、と悠太は考えた。

「しかし……」

 アリツェが元貴族という点を気にしてか、ドミニクは渋った。

「お願いいたしますわ。わたくしのほうが、気にしてしまいますの。わたくしを助けるとお思いになって」

 だが、ここはかわいい愛娘――あくまでシステム上での娘だが――のためと、悠太はやや強引に頼み込んだ。

「……わかりました。いや、わかった」

 少し困惑の色を浮かべているが、ドミニクは了承した。

「ありがとうございますわ!」

 悠太は、満足したとばかりに大きくうなずいた。

(ああああ……)

 アリツェの意味の成さない嘆きが漏れる。

「何かあったら、僕が守る。アリツェ、君の希望になるべく沿うようにと、司祭からも言われているからね。プリンツ辺境伯領へ、行こう」

 じっとアリツェの目を見つめながら、ドミニクは宣言した。

「ドミニク様、感謝いたしますわ!」

(ああああ……)

 アリツェの嘆きは、まだ続いていた。






「ここが、地下水路の入口だよ」

 ドミニクの指し示す先に、ぽっかりと浮かんだ穴が見える。

 地下水路のメンテナンスのために作られた入口らしい。大人が立って歩くには少し窮屈かと感じる縦幅と、横並びで二人立てるかどうかの横幅だ。それほど広い通路ではない。万が一戦闘になったら身動きが取れないが、それは相手も同条件なので問題はないだろう。ただ――。

「暗い、ですわね……」

 視界が闇で完全にさえぎられる。

 通路に入って少し歩くと、入り込んでいた月明りは完全に途絶え、もう何も見えなかった。

 ドミニクは懐から何かを取り出している。しばらくすると、明かりがともった。カンテラを持ち込んでいたようだ。

「道は覚えているから、このカンテラでも迷うことはないと思う。もしかして、怖いかな?」

 何やら楽しげな声でドミニクは聞いてきた。

 暗さにおびえないようにと、おどけた態度で気を紛らわせようとしてくれているのだろう。

「オーッホッホッホ! わたくし、この程度の暗闇で足が竦むほど、怖がりではありませんわ!」

 高笑いを上げた。

 悠太はこっそりとペスに光の精霊具現化を施し、暗視の精霊術をかけていた。なので、視界に全く問題がない。

 ただ、インチキをしたようで少しドミニクに悪いな、と悠太は思った。

「そ、そうか。それはよかった」

 悠太の態度が意外だったのか、ドミニクは目を丸くしていた。

「では、まいりましょう!」






「ここで東西に分かれているけれど、東に行くと上級市民街、官僚街、そして、領館に達する。間違っても、こちらへ行ってはダメだよ」

 メンテナンス用の通路を抜けて、本来の地下水路に入った。

 先ほどまでの通路とはうってかわり、水路は大人二人が武器を振り回せる程度には広い。ただ、床の中央部は深く掘られており、水――上水が流れている。踏み入れば足を取られるので、注意が必要だった。

 西から東に向かって上水は流れている。西から取水された上水が、そのまま西側から街々に水を配水し、最終的には領館に達する。もし水路を東に行けば、敵陣のど真ん中、というわけだ。

「西に行けば、街の外の森の中、ですわね」

 上水道は街の西にある森の中の湖から取水している。グリューンから脱出したいのだ。西以外に選択肢はない。

 悠太とドミニクは西の通路に歩を進めた。

「それにしましても、上水道で助かりましたわ。下水道でしたら、臭いや害獣に悩まされるところでした」

 糞尿や腐敗した食べ物などで汚染された通路……。

 想像だにしたくなかった。悠太はぶるっと震えた。

「ただ、少しネズミもいるから気を付けてね。噛まれないように。病気は持っていないと思うけれど、念のため」

 幸いにも上水道で汚染物質はない。病気の恐れはないだろう。

 ただのネズミ程度なら、悠太が出るまでもない。霊素を纏わない状態のペスでも余裕だろう。

「オーッホッホッホ! 病気になったとしても、わたくしの精霊術にかかれば、すぐさま治して見せますわ!」

 それに、たとえ病気にかかっても水の精霊術がすぐさま浄化をする。体液中から速やかに病原菌を排除するのだ。

 精霊術に不可能はないのだ、と思っている悠太は、再び高笑いを上げた。

「そ、そうか。それはよかった」

(あああああ……)

 悠太が高笑いを上げるたびに、アリツェはやきもきしていた。

 悠太を見るドミニクの目が、なんだかかわいそうなものを見ているかのように、アリツェには感じられた。

(悠太様、その笑いは、ドミニク様の前ではおやめくださいまし……)

 ご機嫌な悠太の耳に、アリツェのつぶやきは聞こえていなかった。






「暗視の精霊術をかけているとはいえ、やはり少し歩きにくいですわね。槍も、まだ慣れないせいかちょっと邪魔に感じますわ」

 背負った新品の槍に、悠太はまだ違和感を覚えていた。

 早く背になじませ、槍を身につけている状態が自然だと思えるようにならねば、と思う。今後、自身の身を護る生命線にもなり得る相棒だ。

「もう少しで城壁を抜け、街の外に出るころかな。そろそろ出口に向けて道に傾斜が出てくるから、滑らないように気を付けて」

 ドミニクの言うとおり、徐々にではあるが上に向かって傾斜がついてきていた。水路部分以外の床も、湿っているので気を抜いては足を取られる。履いているブーツに滑り止めの機能はついていないので、用心に越したことはなかった。

「わかりましたわ! 転んで水路に落ちて濡れネズミ、だなんて、このわたくしには似合いません!」

「そ、そうだね。気を付けてね」

 ドミニクは、少し顔を赤らめていた。

 照れている様子のドミニクに、「さては、アリツェのびっしょり濡れて服の透けた姿でも、想像したのかな?」などと悠太は思った。下卑た想像をしてはいけないな、とは考えつつも。






「あ、先がぼんやりと明るくなっている。出口だ」

 ドミニクは目を凝らし、前方を見つめた。

 確かに、月光らしき薄明かりが見える。

『ご主人、おかしいワンッ! 背後から足音らしきものが複数、響いてきているワンッ!』

 ホッと安堵したのもつかの間、ペスが警告を発してきた。

 こんな深夜に、地下上水道をさかのぼってあとをつけてくる集団……。

 どう考えても、歓迎できるお客さんではないだろう。

「ドミニク様、お待ちになって。何やら、つけられているようですわ」

 悠太は慌てて前方を歩くドミニクに声をかけた。

「なんだって!? 領兵に気取られた?」

 招かれざる客……。

 ドミニクの言うとおり、おそらくは領軍だろう。もしくは、世界再生教の関係者か。

「この狭い水路で戦闘にでもなったら、ちょっと不利ですわ。急いで出口へ向かいましょう」

 武器を振り回すことに限定すれば、特段問題のない広さはある。

 しかし、大規模な精霊術の行使となれば、話は別だ。人数の多い相手には、それなりの規模の精霊術を行使する必要がある。

 どうやら、つけてきている相手はそこそこ人数がいるようだ。精霊術なしでは厳しい。ドミニクはともかく、悠太は現時点で接近戦の役には全く立たない。

 悠太とドミニクは走り出した。

 悠太は滑って足を取られそうになるが、「大丈夫か!?」と、ドミニクがうまく抱きかかえ、転倒は避けられた。

 態勢を整えた悠太は、そのままドミニクに手を引かれながら、出口に向かって全力で駆けた。






「ふぅ、どうにか追いつかれずに外まで行けそうだ」

 出口である湖の取水口が見えてきた。安堵の声がドミニクから漏れる。

 背後から迫る足音も、大分遠ざかった。少しの余裕ができた。

 悠太は握られていたドミニクの手を離すと、「助かりましたわ」と、ドミニクに礼を言った。

 悠太は少し、ばつが悪かった。男に手を引かれるだなんて、と。

 ゆっくりと取水口から外へ出ると、月明りに照らされてぼんやりと輝く湖水面が目に飛び込んできた。グリューンの西にあるという湖で、間違いはないだろう。周囲は森に囲まれている。

 だがその時、悠太は感じた。妙な殺気を……。

 そして、気づいた。湖岸に、一人の少女の姿があるのを――。

「やあ、こんばんは。アリツェ、待っていたよ」

「あなたは、マリエさん……」

 待ち伏せされていた。
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