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第三章 生い立ちの秘密

2 なんだか聞いてはいけない話のようですわ

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 執務室から漏れてきた声は、父マルティンと……導師マリエだった。

 気になるアリツェは二人の会話を盗み聞くことにした。二人の関係性が気になったのだ。

 直接アリツェが扉に耳を当てていれば、執事や侍女、巡回の警備兵に見とがめられる危険が高い。なので、アリツェ自身は図書室に入り込み、その物陰に隠れた。代わりにペスを扉の傍に向かわせる。

 小柄なペスに執務室の中の様子を探ってもらう作戦だ。ペスなら、見つかってもすぐに逃げられる。ペスの耳をとおして、アリツェも会話の内容を把握することにした。






「――では、やはりわが娘……。いや、わが娘と呼ぶのも忌々しい。厄介者のアリツェだった、と。」

 重苦しく響くマルティンの声。

「えぇ、確かにアリツェ・プリンツォヴァと名乗っていました。部屋に運び込んだ時に、かつての付きだった侍女に確認を取らせましたが、やはり本人だ、と」

 返るマリエの声は、昨晩とは違い丁寧なものだった。貴族を相手にしているからだろうか。

 確認をしたという付きの侍女は、人さらいに襲われたあの日、朝、一緒に余所行きの服を楽しそうに選んでくれたあの侍女だろうか。使用人の中でも、比較的歳の近かった彼女だけが、アリツェに優しくしてくれた。元気にやっていてほしいとアリツェは心から願う。アリツェに近すぎたがゆえに不遇な立場に落とされていたとすれば、心が痛む。そんな状況になっていなければよいのだが。

「そうか、まだ生きていたか……。消息がつかめなかったので、とっくに野垂れ死んだものと思っていたのだが、フム……」

 どうやらアリツェが精霊教の庇護下に入っていたため、父に居場所を知られていなかったようだ。

 であるならば、昨晩捕まったのは悪手だった。拘束されずに逃走できていれば、今後、もう父に追われることもなかったかもしれない。死んだと思い込んでくれていたのだから。

「私としては、あいつを殺さず、いろいろと調べたいんですけれどねぇ」

 そういえば、捕まった時にマリエはアリツェに興味がわいたと言っていた。

「どういうことだ? あいつに、何かあるのか?」

「プリンツ卿、ご存じではなかったのですか? あの娘、『霊素』持ちの『精霊使い』ですよ? しかも、かなり力を持った」

「なんだと? ここに住んでいた十歳までは、そんなそぶりは全く見せていなかったぞ!」

 やはり、思っていたとおり、父はアリツェの『霊素』に気づいてはいなかった。

 それゆえの、人さらい騒動だったのだ。

「おおかた、世界再生教の熱心な信者である卿に、気を使っていたのではないですか?」

 実際は、違う。

 気を使っていたのではなく、そもそもアリツェ自身が、『霊素』と『精霊術』のことを知らず、使い方も知らなかったからだ。

「それにしても、『霊素』を持っているかどうか、調べなかったのですか? 私もそうですが、この年代には『霊素』持ちが多い。わが世界再生教の教会にも、判定する器具はありますよ? 卿の力なら、教会に頼めばすぐに判定してもらえたでしょうに」

 そのような器具があるとは、アリツェは知らなかった。

 そういえば初めて孤児院長と対面した時、院長は即座に、アリツェが『霊素』持ちであることに気が付いた。なぜだろうか。

 世界再生教の持つ器具と同じようなものを、院長も身につけていたのだろうか。それとも、精霊教として、見て判別する何らかの判断基準や能力を開発していたのだろうか。もしくは、『ステータス表示』の技能才能を、院長が持っていた可能性、か。

 次に院長に会ったときに、確認しようとアリツェは思った。

「オレは、あれをなるべく外には出したくなかった。人目に触れさせたくは、なかったんだ」

 両親がアリツェのことを妙に外へと出したがらないと、幼いながらに思ってはいた。だが、やはり、意図的なものだったようだ。理由は何かあったのだろうか。

 手前味噌だが、容姿は悪くないとアリツェは思う。人様の前に出られないような姿は、していない。

 むしろ、将来の子爵として、好ましい結婚相手を見つけるためにも積極的に社交の場に出すべきだったのでは、とさえ今は思う。

「それは、あの娘があなたの実のお子ではないからですか?」

 アリツェの脳が、一瞬活動を拒否した。

(え? え?)

 手が、足が、震える。心臓が、激しく波打つ。

「……知っていたのか? あまり大っぴらにはしていないつもりだが」

 父の言葉に、思わず叫び出しそうになった。

 信じられなかった。まさか、実子でなかったとは。それが、疎まれていた原因だったのだろうか。

 だが、養子という事実が、殺そうとするまで疎ましく思われる理由のすべてだとは思えない。跡取りのいない領主がその跡取り候補としてもらってきた養子、それがアリツェだろう。無下に扱う理由が、ないではないか。

「世界再生教の情報ネットワークを甘く見てもらってはいけませんね。地域柄、あの忌々しい精霊教に押されているとはいえ、辺境伯領にも世界再生教の教会はあるんですよ?」

 ここで出てきた『辺境伯』という言葉。

 話の流れから、プリンツ子爵家の本家筋にあたる、プリンツ辺境伯家のことだろうとアリツェはあたりをつける。

「そう、か……」

 苦々しげに父はつぶやいた。

「あなたがあの娘を疎ましく思う気持ちはわかります。憎き前辺境伯の娘では、ねぇ」

 事実が分かった。アリツェのこの世界での実の父――遺伝上の父は、『精霊たちの憂鬱』のカレル・プリンツではあるが――は、先代プリンツ辺境伯だった。

「面倒を押し付けられたときは、目の前が真っ暗になる気持ちだった。辺境伯家以外の後ろ盾がない当時のオレの実力では、辺境伯家の意向には逆らえなかった。愛せないとはわかっていても、養子を引き受けるしか、なかったんだ」

 さらなる事実。アリツェはマルティンに請われてもらわれた養子ではなく、辺境伯家に押し付けられたものだった。

 これでは、最初から疎まれていたとしても、仕方がない。

「先代辺境伯、カレル・プリンツ卿……。もう亡くなられて十二年、でしたっけ?」

 もうこれ以上驚くことはない、と思っていたアリツェをあざ笑うかのように、マリエの発言が飛び出した。アリツェのこの世界での実父である先代辺境伯の名が、『カレル・プリンツ』であると。しかも、アリツェの生まれたころに亡くなっているらしい。

 アリツェの遺伝上の父と同じ名前だ。今のアリツェの有するもう一つの人格、横見悠太こと『カレル・プリンツ』と。果たして、偶然の一致なのだろうか。

「うまく言葉で表現はできないが、とにかく危険な奴だった。仮想敵国との国境防衛を務めていただけあって、武力はもちろんあった。だが、武の力以外にも、何か不思議な、奇妙な力が、奴にはあった」

 不思議な力とはもしかして精霊術なのでは、とつい考えてしまう。ありえない話ではあるが。

 なにしろ、『霊素』も『精霊術』も、ヴァーツラフがシステム介入をするまでは一切、この世界には無かったものだからだ。介入前に生きていたカレル・プリンツ前辺境伯が、精霊術を使えるはずはなかった。

「それに、陛下の覚え目出度いことも、奴に逆らえない雰囲気に拍車をかけていた」

 国王の権力は、一貧乏子爵が逆らおうとは考えもしない程度には、強大だ。下手に国王のお気に入りである前辺境伯をつついて国王の不興を買えば、最悪改易されかねないと、そうマルティンは警戒をしていたのだろう。

「でも、今はこうしてわが教会のバックアップで、辺境伯家に逆らえるだけの力をつけた」

「あぁ、マリエ、お前たちには感謝している。おかげで、辺境伯家の紐付き支援を拒否できるようになったし、アリツェを追い出す決断も下せた。これで、真にわが家は独立を果たせる」

 マルティンが強引に辺境伯家の援助を断りだした経緯は、世界再生教の後ろ盾を得たからと、そういう話らしい。

 もともと独立志向だったマルティンに、世界再生教側から接触を図ってきたのだろうか。子爵家を手中に収めれば、今後、世界再生教の弱い辺境伯領への布教の際に、親戚筋である子爵家から何らかの働きかけができると、そういった意図があったとしても不思議はない。

 それとも、精霊教を厚く保護している辺境伯家へ対抗するための後ろ盾として、敵対勢力である世界再生教なら容易に利用できると、マルティン側が画策したのか。

「世界再生教徒だったオレに、精霊教を無理やり押し付けようとしてきた辺境伯家の連中には、心底うんざりしていたんだ。精霊教への改宗を拒めば援助を止める、と脅しやがるし。世界再生教の支援がもらえるまでは、辺境伯家の援助がなければわが家は立ち行かなくなる状態だった。断れないだろうと、足元を見られていた。まったく忌々しい」

 マルティンが強引な独立に舵を切るに至ったのは、宗教問題が大きいのか。

 お金の問題だけではなかった。根底に宗教があるのだとすれば、対立の根は深そうだ。

「精霊教の禁教化で、ますます世界再生教とのつながりも強化できたし、お前のような優秀な導師を派遣までしてくれている。もう辺境伯家の顔色をうかがう必要はないし、精霊教などという邪教の信奉を、強制されるようなことも、ない」

 辺境伯家との対立意識もあるし、精霊教を邪教と揶揄するほど世界再生教へどっぷりと漬かりこんでいるマルティン。マルティンが当主の間は、この子爵領で精霊教の活動が認められることは、二度となさそうだとアリツェは思った。

「そういっていただけると、私もうれしいですねぇ。わざわざ王都からこの街まで来た甲斐があります」

 高評価が素直にうれしいのか、マリエは上機嫌で言った。

「思えば、あの娘も哀れですねぇ。実家からは厄介扱いで養子に出され、養子先でも養親に疎まれる。最後には、養親から命まで狙われる、ときましたか。私は、絶対にそんな境遇で生まれたくはないですねぇ」

 マリエに言われるのは悔しいが、そのとおりだった。アリツェ自身も、自分の境遇はあんまりだと思う。

(これが出自Bまで上げた結果かよ……。ヴァーツラフのやつめ)

 悠太の不機嫌そうな声が頭に響いた。

(ヴァーツラフ様のおっしゃるとおり、確かに、『貴族の家庭』に生まれ落ちはしましたわね。表面上は、出自Bの選択どおり、ですわ)

 アリツェは、悠太の記憶の中の、ヴァーツラフとのやり取りを思い出す。

 だが、これでは貴族家で生まれた意味が全くない。高度な教育を受ける機会を逸していた。商人や官僚などの、上級市民のほうがよっぽどよい教育を受けられたのではないか、とさえ思う。であるならば、出自Cで、もう一つ技能才能を取得した方が、総合的なバランスはよくなったかもしれない。

 もはや、後の祭りではあったが。

「ふんっ、あの娘に可愛げがあれば、もう少しかまってやったかもしれん。容姿だけは見事だったしな。だが、愛されなかったのはあの娘自身にも原因はある」

 いったいマルティンたちは、どれほどアリツェの心を挫けば気が済むのだろうか。そう思えるほど、衝撃の発言が続く。

 愛されなかったのはアリツェ自身の責任。なんとも承服しかねる発言だった。

「といいますと?」

「あの娘、気に入らないことがあると、何かにつけて動物をけしかけてきた。大分苦労したぞ。もしかしたら、あの娘自身は、意識しての行動ではなかったかもしれないが」

 まったく身に覚えがなかった。

 アリツェ自身は、両親の気を惹きたく、常に良い子であろうと心がけてきた。動物をけしかけただなんて、そんな事実は、一度たりとてなかった。断言できる。

「あいつが、物心つくかつかないかのころから、そんな状況だったのでな。動物の苦手な妻は、あれで大分ノイローゼ気味になった。妻を思えば、あの娘に優しくするなど、できるはずもない。ただでさえ、望まれぬ子だというのに」

 マルティンは気になることを言った。アリツェは物心つく前から、無意識のうちに動物を操っていたのではないか、と。

 無意識の行動だったのなら、アリツェに自覚があるはずもない。

 ――子供心としては、アリツェの意志ではないと気付いていたのなら、大目に見てもらいたかった。嫌ってほしくはなかった。

「あぁ、なるほど。それは、『精霊使い』として使い魔を持つために、動物との共感の能力を持っていたからでしょうね。あの娘の不快だという気分に毒されて、動物たちが自発的に、その不快の原因になっていた卿夫妻を害そうとしたのでしょう。娘の気分に従った行動をとれば、きっと自分が使い魔に選ばれるだろう、そう考えて」

「なんとも迷惑な話だ。所詮はケダモノの頭だ、その行為が、あれの立場をますます苦しいものにしていたと、理解はしていなかったのだろうな」

 未熟だったアリツェの『霊素』と『精霊術』が、まさかこのようなところで悪影響を及ぼしていたとは。アリツェはショックを受けた。

 スムーズに使い魔を従えられるように精霊使いに与えられた『精霊感応』の能力が、幼いアリツェを苦しめる原因になっていた。

「『精霊使い』など、邪教の手先。力におぼれて、勝手に自滅していくものですよ」

「ははっ、まったくだ」

 力の自覚を持たない、知識のない『霊素』持ちが、自分で自分を傷つける可能性。『勝手に自滅』していくというマリエの指摘も、否定できなかった。まさしく、今マリエたちが言ったように、幼いアリツェがそのとおりの経過をたどったのだから。

「邪教徒どもを皆殺しにはできなかったが、グリューンから根こそぎ追い出すことはできた。まぁ、満足のいく結果にはなったか」

 マルティンの冷たく放つ言葉に、アリツェは背筋がぞっとした。

 南門から脱した信者たちはどうなった? 北門で陽動した武装神官たちはどうなった? 孤児院の皆は?

 捕まったものはいるのだろうか。逃げきれた信者は、どれほどいるのか。情報がなく、わからない。今のアリツェには、ただただ無事を祈ることしかできなかった。

「あれの扱いは、マリエに任せる。好きに研究するなりなんなりするといい。飽きたら、別に殺しても構わん。辺境伯家との関係を断った以上、愛情も何もないあの娘に、用はない」

 やはり、早くこの場を去らねば。このままとどまれば、何をされるかわからなかった。

「ほんと、同情するわ。同い年だけに、ね」

 憐れんだように、マリエはつぶやいた。
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