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第二章 出グリューン

4 夜の顔のわたくしは一味違いますわ

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 翌朝、アリツェは院長を伴い精霊教の教会へと足を運んだ。

 教会の中へ入ると、そこは戦場だった。

 多くの神官があわただしく走り回り、あちらこちらから怒声も聞こえてくる。不安げな信者が多数駆け込んでいたが、対応できる神官がいないため、礼拝堂の片隅で身を寄せ合っていた。

「これは……。相当混乱していますね」

 周囲を見渡し、院長が困惑した声を上げた。

 現状を見る限り、アリツェたちが司祭に面会を持ち掛けても、会ってもらえる時間はなさそうだ。

 普段なら日を改めて出直すべきところではあったが、タイムリミットがある。孤児院を護るためにも、早急に教会上層部との話し合いを持つ必要があった。

「どうにかして、司祭様に話をとおせないかしら」

(この様子じゃ、下っ端と話すことすら困難じゃないか? 孤児院が心配な気持ちもわかるけれど、今ここで時間を浪費しても具合が悪いぞ。お触れの施行まで期限がそれほどない、他にやるべきことがあれば、そっちを先に済ませてしまった方がいいんじゃないか?)

 悠太の意見はもっともだった。

 この場で粘ったとしても、上層部と会える可能性は低そうだ。そもそも、その上層部がまだ方針を決定できないからこその、今のこの教会の大混乱だ。

 たとえ会えたとしても、果たして建設的な意見交換ができるだろうか、とアリツェは疑わしい気持ちが沸き起こってきた。

 で、あるならば――。

「本日は買い出しに回りましょうか。教会の方針がどのようなものになるにせよ、食料などは確保しておくに越したことはありませんわ」

 今後、子爵領内も混乱する可能性がある。そうなると、物流が滞り、食料品の値上がりを覚悟しなければならないだろう。

 ただでさえ力の弱い孤児院だ。子供たちを飢えさせないためにも、まだ物価が安定している今のうちに、当面の食料品、生活必需品を買い込んでおく必要がある、とアリツェは考えた。

 また、アリツェ自身の旅装も整えておきたかった。日を追うほどに、領政による精霊教信者への締め付け、監視が強まる恐れがある。いつまでも自由に街中を動き回れるとも限らない。

 済ませられる準備は、済ませておいた方がいい。

(そうだな。昨日教会から預かった見習い伝道師の旅装準備の一時金、早速、ありがたく使わせてもらおうぜ)

 アリツェは頷くと、院長に今日の予定を話した。

「そう、ですね。では、エマとともに買い出しをお願いできますか? 私はもう少しここに残って、上層部の意向を探ってみます。話し合いの場を、少しでも早く持てるように……」

「わかりましたわ! こちらはわたくしとエマ様に任せてくださいませ」






 アリツェは途中で孤児院にいたエマを拾い、中央通りまで来た。

 露天商たちの売り込みの声が響く。いつもと変わらない活気が、昨日のお触書の影響をあまり感じさせない。露天商には他国、他領の人間も多いので、子爵領内への精霊教禁教の処置がまだそれほど大きな影響を及ぼしてはいない、ということだろうか。

 ただ、今まで精霊教関係者との取引をメインにしていた商人などには、徐々に差し響いていくだろう。

「アリツェ、あんたは先に自分の旅装を整えてきな。孤児院関係は私が見繕っておくよ」

 エマはアリツェの背を押しながら言った。

 せっかくの申し出だ。アリツェは素直に受け入れることにした。

「では、そのようにさせていただきますわ。お昼にいったん孤児院に戻りますので、そこで進捗を確認いたしましょう」

 エマは同意の頷きを返すと、そのまま人ごみの中へ入っていった。

「さて、わたくしも自分の用事を済ませませんと」

 一つ気合を入れたアリツェは、まずは露店の集中する中央噴水広場を目指した。






「では、日用品はかなり確保できたのですね」

 昼下がり、孤児院に戻ったアリツェは、エマからの報告を聞いて頷いた。

「ああ、いつものなじみの店のおっちゃんが昨日のお触れを気にしていてくれてね。これから何かあると大変だろうって、在庫のほとんどを回してくれたんだ」

「ありがたいことですわね。これも、日ごろからエマ様が、精霊王様の御心に恥じない素晴らしいお心掛けで過ごされてきた結果なのでしょう」

 日用品なら日持ちもするし、多めに確保できるに越したことはない。エマの話では、向こう半年は困らない程度の量が確保できたようだ。

「あんた、大分聖職者っぽい言動になってきたね。びっくりしたよ、あたしゃ」

 心底驚いた、とエマは目を丸くしていた。

「うふふ、そう言っていただけますとわたくし、うれしくなってしまいますわ」

 勉強の成果が出ていることにアリツェは満足する。

 知識を定着させるためにも、機会があれば覚えた内容を使うように心がけた。使い慣らせば使い慣らすほど、その知識はアリツェ自身の血となり肉となる。上っ面だけにはとどまらない、真の理解にまでたどり着くようになる。

「で、アリツェはどうだったんだい。良いものは手に入ったかい」

 エマの目は、アリツェの足元の包みに向いた。

「首尾は上々、ですわ。長期間の旅にも耐えられる装備が手に入りましたし、もう、いつでも領都を出られますわ」

 アリツェは包みを開き、エマに戦利品を見せた。

 動きやすい丈夫なフード付きローブ、防水加工が施されたマント、柔らかいが、しかし、丈夫な皮で仕上げられたブーツ、などなど。

 道中目立ちたくはないので、色合いやデザインはごくごくシンプルなものにした。

 伝道師として活動するなら住民の記憶に残るよう目立つ装いがよいと神官に言われたが、あまり目立って子爵家に目を付けられるのも不安だった。結果、控えめな旅装を整えることになった。

「私とすりゃ、美少女のアリツェだ。もっとかわいらしい格好をしてもらいたいところだけれど、聖職者としての旅だしなぁ」

「そういうことですわ。おしゃれは、仕事とは関係のないところで楽しませていただきますわ」

 子爵邸にいたころも余所行き以外は地味な服が多かったし、孤児院生活では仕立てのそれほどよくない服の着た切り雀だった。たまのお小遣いでちょっとした装飾品を買うのが、せいぜいのおしゃれだった。

 なので、アリツェはあまり自身を華美に飾ることには慣れていない。着飾るよりは、実用性重視だった。

「午後はわたくしも孤児院用の買い付けに出ますわ。食料品は保存食を中心に確保すればよろしいですわよね?」

「そうだねぇ。生ものを買いあさったところであまり意味はないし。乾物や、干し肉などを中心に集めよう」

 エマとの作戦会議を済ませ軽く昼食をとると、再び戦場――露店街へと向かった。






 その夜、孤児院の一室――。

「では、明日、司祭様がお会いくださると?」

「ええ、孤児院には霊素持ちの子もいるからね。多少無理をしてでも、会ってくださるそうだよ」

 霊素持ちの保護は教会の最優先事項でもある。この理由で、孤児院を特別待遇してくれているのだろう。

 今この状況では助かった。いつまでも宙ぶらりんのまま放置されていてはたまらないのだから。

「なので、アリツェ。明日、私と一緒にもう一度教会へ行ってもらうことになるよ」

「オーッホッホッホ! もちろんですわ、院長先生。わたくしにすべて、お任せいただいてよろしくてよ」

 アリツェは同意した。

 ――だが、なぜか、院長は目を丸くしてアリツェの顔を覗き込んだ。

「ア、アリツェ……。何か悪いものでも食べましたか?いつもと雰囲気が違うような……」

 今は夜、このアリツェは悠太だ。そう、悪役令嬢モードである。

(あの、悠太様? その、『あくやくれいじょう』、おやめいただくことはできませんの?)

 院長だけでなく、アリツェも困惑していた。

(いいじゃないかー。っていうか、この『悪役令嬢』モードに切り替えないと、あんたの口調を真似できない)

(ちょ、ちょっとお待ちくださいませ。わたくし、こんな話し方ではありませんわ!)

 アリツェは心外だった。悠太はいったい、アリツェをどんな目で見てきたのか。

(えぇー? 大差ないじゃん。夜はこれで行こうぜー。夜のアリツェは一味違うぜっていう感じで、売り出していこうよ)

 うれしそうに声を弾ませる悠太。

 一方、アリツェは、
(あぁ……。頭が痛いですわ……。もう勝手になさってくださいませ)
と、頭を抱えた。

(よーし、ご本人の許可をいただきましたー。じゃ、オレの思うアリツェを、しっかり演じてやるよ)

 言質は得たと、悠太は喜んだ。

「院長先生! 今まで黙っていましたが、わたくし、夜の顔は少しばかり違うのですわ」

 アリツェ――人格は悠太だが……。わかりにくいので以後、悠太の人格での行動は、悠太と呼ぶことにしよう――は院長を見据え、胸元から扇子を取り出した。バサッと大きな音を立てて広げると、口元をその開いた扇子で隠す。

「オホホホホッ、わたくしは、気弱なアリツェではありませんの。強気の交渉事が必要なら、夜のわたくしがおすすめですわ」

 悠太は言いたい放題だった。

 院長はあんぐりと口を開き、ただ黙って悠太の言葉を聞いていた。

 微妙な雰囲気のまま、明日の打ち合わせが終わった。
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