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第一章 孤児院の少女

6 二重人格になってしまいましたわ

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 十二歳の誕生日当日を迎えた。

 院長とエマ、そして、孤児院の仲間たちが、こぞってアリツェを祝福した。

「あれから二年、何事もなくこのめでたい日を迎えられて、本当に良かったよ」

 エマはアリツェの頭を抱き、やさしく撫でた。

「エマ様……。あなたには、感謝してもしきれませんわ」

 エマのぬくもりを感じながら、アリツェはこの二年間の、エマから受けた陰ひなたの援助の数々を思い出す。

 出会いは偶然だった。だが、まるでその出会いは必然であったかのように、エマはアリツェを実の娘のようにかわいがった。両親に裏切られたアリツェにとって、エマの振る舞いがどれほどの救いとなったことか。

「嫌だわ、歳を取ると、涙もろくなってダメだね」

 エマはハンカチを取り出して、目元をぬぐった。

 アリツェはエマから離れると、横に立つ院長に向き直った。

「アリツェも今日から準成人。自覚をもって、頑張りなさい」

 院長は優しく微笑んだ。

「明日から三か月間、伝道師になるために勉強漬けになります。でも、アリツェの能力なら、心配はしていません」

 見習い伝道師になるためには、ある程度、精霊教の教義を学習する必要があった。教会の司祭から受け取った山のような教科書を、アリツェはこれから三か月かけて暗記しなければならない。部屋に缶詰めだ。

 三か月後に行われる見習い伝道師の試験に合格しなければ、伝道師にはなれない。手を抜くわけにはいかなかった。

「最後の試験に合格すれば、無事に見習い伝道師の免許がもらえます。その後は、先輩伝道師について、王国中を旅することになるでしょう」

 見習いは、先輩に付いて三年間実地研修を受ける。研修後、素行などに問題がないと確認されれば、晴れて正式な伝道師になれる。道は長かった。

「アリツェ姉ちゃん、どこか行っちゃうの?」

 子供たちはまだ、アリツェが旅に出るとは聞かされていなかった。院長の話がよくわからないようで、首をかしげている。

「アリツェお姉ちゃんはね、夢を実現しに行くんですよ。だから、その時は笑顔で元気よく、送り出しましょうね」

 院長の言葉にうなずく子もいれば、納得がいかないと涙ぐむ子もいた。

 すっかり懐いた子供たちと離れるのは、寂しいといえば寂しかった。だが、孤児院はあくまで、幼い間の仮初の住処に過ぎない。いつかは巣立たねばならない場所だった。

「もう会えなくなるわけではありませんわ。この街に戻ってきた際は、必ず、皆様のところへ顔を出させていただきますわ!」

 子供たちを抱きしめながら、アリツェは再会を約束した。

 その後も、アリツェは、楽しく、しかし少ししんみりと、院長やエマ、子供たちと語り合った。素敵な誕生会に、アリツェの心は温かくなった。






 誕生会を終えた夜――。

 床に就いたアリツェは、すぐに夢の中へといざなわれた。

 ――だが、その日の夢は、何かがおかしかった。

 一面何もない、ただ白いだけの世界。アリツェは『そこ』にいた。ほかには、誰もいない。

 今、アリツェは夢を見ていると自覚していた。確かにこれは夢の中だと、不思議とわかった。たまに見る明瞭夢と、同じような現象だろうか。

 すると、唐突に耐え難い頭痛が襲ってきた。

(な、なんですのー!? あ、頭が割れますわぁぁーーー!?)

 激しく脈打つ痛みに、アリツェは頭を抱えてうずくまった。激痛が走っているにもかかわらず、夢から覚める気配はまったくない。まさしく、悪夢だった。

(やっと記憶が戻ったのか。ってことは、今、十二歳か?)

 男の声が、脳裏に響いてきた。頭痛の原因は、これだった。

 アリツェは痛みに耐えながら、どうにか顔を上げる。目の前には、一人の青年が立っていた。

(!? あなた、いったい何者ですの?)

 見知らぬ青年だった。――いや、本当に見覚えがない?

 気づいたアリツェは、驚愕した。その青年は、今まで何度も見た明瞭夢の、フードをかぶったあの男ではないか、と。

(ペスらしき子犬と、行動を共にしていた殿方にそっくりですわ……)

 おさまらない頭痛に難儀しながらも、アリツェは頭の中を整理しようと試みた。

(おいおいおいっ、なんだこりゃ! ヴァーツラフの奴、話が違うぞ!)

 青年は焦った様子を見せ、怒鳴り散らしている。

(オレは男だ! なんで女の体に転生しているんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!)

 興奮冷めやらぬ様子で、青年は頭を抱えはじめた。

 頭痛がようやく収まってきたアリツェは、明らかに冷静さを欠いている青年の様子を、じっと見つめた。青年はうんうんとうなり声をあげている。

 アリツェはこのままではらちが明かないと思い、意を決して、青年に疑問をぶつけた。

(てんせい……? とは何ですの。そして、わたくしのペスと、あなたは何か関係がおありになるのですか?)

 聞こえていないのか、青年は答えなかった。ぶつぶつと何かをつぶやいている。

(うぅ、なんだ、このかわいらしい声は……。オレの……。オレの、第二の人生が……。あぁ……)

 そこで、アリツェの意識は途絶えた――。






 アリツェはベッドから飛び起きた。毛布を握る手は、寝汗でびっしょりと濡れていた。

 自室の壁が視界に入り、夢から覚めたのだと安堵する。荒い呼吸も次第に収まった。

「なんでしたの。今の夢は……」

 いままで見てきた明瞭夢も、夢にしてはやけにはっきりとしたものだった。だが、昨夜の夢は、もはや夢とは思えないほどに、現実同様の痛みを感じた。

 いったい、自分の体はどうなってしまったのだろうか……。

 アリツェはお腹をぎゅっと抱え込んだ。手足がゾクゾクと震える。落ち着かず、体を揺らした。

「とうとうわたくし、頭がおかしくなってしまいましたの?」

 最近になって、明らかに明瞭夢を見る回数が増えていた。

 ただ、昨夜までは、特に自身に害をなすような事態には陥っていなかったので、大して気にも留めていなかった。しかし――。

(いいや、違うね)

 頭の中に声が響いた。夢で聞いた、青年の声だった。

「!?」

 夢から覚めていなかったのかと、アリツェは小さな悲鳴を上げた。

「まだ、夢の中ですの? なんてしつこい悪夢なのでしょうか」

(夢じゃない。もうとっくに目は醒めている。おはよう、アリツェ)

 夢ではなかったようだ。だが、夢ではないはずなのに、夢で聞いた青年の声が、頭に響き渡る。

 いったいなぜだろうかと、アリツェはますます混乱した。

(あんたは正常さ。ただ、あんたは生まれた時から、オレの人格、記憶も持っていたんだ。その記憶が、十二歳の誕生日を契機に、呼び醒まされたのさ)

 青年は、戸惑うアリツェに構うことなく、話を続ける。

「ど、どういうことですの! わたくしはわたくし! アリツェ・プリンツォヴァですわ! ほかの、何者でもありません!」

 自分の中に別人格がいる。しかも、それが生まれた時からだという……。信じられるわけがなかった。

(まあそんなに興奮しないでくれ。あんたの戸惑いも、十分に理解できる)

 青年は言うが、アリツェにしてみれば、青天の霹靂。落ち着いていられるはずもなかった。

(確かに、あんたはアリツェ・プリンツォヴァだ。間違いない。ただ、同時に、『横見悠太よこみゆうた』でもある。あ、『カレル・プリンツ』といったほうが、いいのかな?)

「カレル……、プリンツ?」

 プリンツ……。アリツェと同じ家名だった。子爵家、もしくは辺境伯家と関係のある人物なのだろうか、と訝しがる。

(オレこと横見悠太、キャラクター名カレル・プリンツは、あんたの父であり、同時に、あんた自身でもある)

「あの、何をおっしゃっているのか、さっぱりわからないのですけれど」

 アリツェは眩暈がしてきた。

 アリツェの父は、マルティン・プリンツ子爵だ。カレルという名ではない。また、父であると同時にアリツェ自身でもあるとは、いったい何を意味しているのか。それに、キャラクター名と言われても、何が何やらさっぱりわからない。

(あー、うん。オレも、何を言っているのかわからなくなってきた。少し、整理する時間をくれ)

 話している青年――悠太自身も、どうやら困惑しているようだった。

(こうしてちょくちょくあんたの意識に語り掛けることになると思う。信じられないかもしれないが、この意識もあんた自身なんだ。邪険には、扱わないでほしいな)

 悠太はそのまま考えを整理し始めたのか、おとなしくなった。

 突然の事態に理解が追い付かず、アリツェは茫然とした。今日はもう、何もする気になれなかった。






 それからちょくちょく、悠太の意識が語り掛けてきた。戸惑う話も多かったが、悠太の記憶を覗き見ることが可能だったため、どうにか理解はできた。

 数日が経ち、アリツェは悠太から一通りの説明を受け終えた。だが、飛び飛びのつぎはぎだらけの話だったためか、時系列があやふやなところも多く、アリツェは混乱していた。部分部分の話はきちんと納得できたが、全体像がいまいち掴み切れていなかった。

 ここで、アリツェは改めて悠太の記憶を整理した。記憶の流れを、時系列どおりに再構築する。

(この辺りから、思い出してみましょう……)

 アリツェはベッドに横になり、目を閉じる。ゆっくりと、記憶の渦の中へと沈み込んでいった――。
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