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序章
逃げるは決して恥ではない
しおりを挟む「――――〇※✕▲〇※⁉」
声に出してはいけないと必死に込み上げる悲鳴を押し殺す。
今ここで大きな声で悲鳴を上げたとしてもきっと良い結果を生み出しはしないと、私は超音速で答えを導き出した。
何故なら私は45歳。
つまりはアラフィフ。
然もバツイチ。
一応実家より自立をしてはいるけれども、生憎ながらまだまだ世間様からの女性お一人様の人生には何かと厳しい。
おまけにこの事が社交界に知られればだ。
乾いた干物女がまだ性懲りもなく男を漁っているのかと、面白おかしく噂され囁かれるだけならまだいい。
そこへ色々と脚色され面倒な事態へと発展し兼ねるに違いないのが現実。
ここは何としても誰にも気づかれずに、全てをなかった事にしなければいけない。
そう未だ夢の中にいるだろう男性にもだ!!
そう思い至れば私は素早く、密やかに行動するべく重怠い身体を奮い立たせる。
先ずはがっちりとホールドされている腕をそろりと持ち上げ……って私自身が彼の抱き枕抱きと化している。
これは予想以上に抜け出し難いかも……。
それにしても男性にしてはやたらと肌がすべすべなのよね。
女の私よりもすべすべって……ま、まさかの成人したての坊やと関係を持って等いないわよね!?
万が一坊やならば確実に人生詰んでいる。
そう考えれば考える程相手の顔を確認するのも正直に言って怖い。
本当に今更だけれどどうしてこの様な状況になったのか。
うじうじ悩んでも仕方がない。
気持ちを切り替え男性の腕の中より逃げだす事へ集中する。
とは言え肌と肌が触れる度に相手の熱が否応なくじわりと伝われば、何故か記憶が一切ないのに下腹部の奥がずくりと甘く疼く。
これも悲しい女の性なのか、果たして干物歴十数年ぶりのセックスに身体が溺れたのだろうか。
しかし諄い様だけれど昨夜の記憶は一切ない。
それでも反応してしまう自身の身体に私は呆れるしかな――――⁉
「……ン……」
ひゃあああああああああああ。
右手の拘束を解いた瞬間ぎゅっと再び力強く抱き締められる。
然もギュウギュウだ。
元夫にもされた事のない抱擁。
私の肩へ顔を埋める際に少し伸びただろうチクチクとした髭の感触にドキッとする。
十年前別れた夫は閨に関して実に淡白だった。
俗にいうピロートークなんてものもした事はない。
決められた日に、決められた時間、決められた様に同じ方法で身体を重ねていた。
それが本当に正しい事なのか、それともそうでないのか今でも私にはわからない。
何故なら関係を持ったのは元夫と今私を抱き締める男性だけ。
それも記憶がないから尚更だ。
抑々政略結婚故に愛なんてものは存在しない。
望んでもいないし望まれた事もない。
儀式の様な閨が済めばあとは何もなかったかの様にお互いの寝室へ戻るだけ。
だからこんな風に、甘える様に抱き締められるのは初めてだった。
そう初めてだからこんなにも胸が高鳴ってしまった。
初めてだからよセシリア。
しっかりなさい。
こんな事で絆されていないで今は一刻も早くこの場より立ち去らなければいけないの。
私は再び彼の腕の檻より脱出を試みる。
はぁ、少し時間は掛かったけれども今回は無事に成功した。
気づかれない様に私の使っていた枕を代わりとばかりに抱っこさせるのも忘れない。
そうして私は寝台より降り立ち上がろうと――――⁉
ぺちゃん。
嘘⁉
普通に立つ事が出来ずそのまま床へ座り込んでしまった。
下半身に力が入らないと言うか下腹部に違和感が満載で、恥ずかしいやら情けないやら今目の前に大穴があれば絶対に入っていたわ!!
思わずセルフ突っ込みをしつつ文字通り這う這うの体で動けばよ。
次の瞬間またしても頭を抱えたくなったわ。
今までならば絶対にしないであろう二人分の衣服が扉の前から寝台までにと散らばっていた。
見るからに時間を惜しむ様に、無残な状態での脱ぎ散らかし具合に眩暈がする。
とは言えここで打ちのめされていてはいけない。
私はきっと熟れたトマトの様に真っ赤になりながら、ううんもう半泣き状態だと思うわ。
脱ぎ散らかされた衣服を拾いつつそそくさと、静かに身につけていく。
ハイウェストのモスリンドレスで良かったと、一人で身に着けられる事に今日程喜びを感じた事はない。
身支度を整えるとテーブルの上に二万ファブルをそっと置いた。
何故二万ファブルなのかと問われればだ。
鞄の中にそれだけしか入っていなかっただけ。
夜会用だから鞄は小さいもの。
念の為にと入れたお金にこの様な使い道があるとは思わなかった。
そうして私は振り返る事なく部屋を後にした。
振り返るも何も目覚めてから一度も相手の顔なんて見ていなかったのだけれどね。
でもこれで終わり。
この部屋を出て全てなかった事にすればいいのだから……。
※1ファブル=1円です
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