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第三章  過去2年前

16  血塗れの女神とバジリスク

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 ジェンセンの一件が終わって数日が過ぎた、闇が世界を支配する新月の出来事であった。

 エヴァはとある場所で眠っている。
 暫くすると微睡みの中で目覚めた彼女が最初に感じたのは闇。
 ただし真っ暗闇ではなく目を凝らせば何となくわかる程度の仄暗さ。

 だがエヴァにはこの場所に全く心当たりがない。
 そう目覚めたエヴァがいる部屋の内装は彼女の全く見知らぬもの。
 おまけに今彼女のいる寝台はキングサイズの天蓋付きのものだ。
 黒地に金の刺繍が緻密に施されたカーテンや縁取りは豪奢で趣味の良いもの。

 とは言えエヴァの趣味かと問われれば迷わず否と答えるだろう。
 明らかに離宮のものではないと否応なく理解させられてしまうと同時に彼女は一抹の不安を抱く。


 少し時間が経つと目も慣れ、そうして見えてきたのは部屋に置かれている机や長椅子に調度品の何れも趣味の良い意匠を凝らしたものであるのは一目瞭然。
 ただその全てのものに所有者の印が付けられていた。

 血塗れの女神の身体へ絡みつく巨大なバジリスク。

 忘れようとて忘れられる筈はない。
 これは今は亡き亡国の紋章。
 エヴァはそれを認識すれば恐怖で顔が引き攣るのと同時にガタガタと全身が小刻みに震え始める。
 この紋章こそ彼女にとって長年恐怖の対象でしかないだったのである。


 生まれた時より幾度もエヴァを葬ろうとしてきた国。
 物心つく頃より何度も疑問を抱いていた。


 何故?
 どうして?
 そして何時まで自分は命を狙われ続けなければいけないの……かと。


 エヴァがシャロンへ何をした訳でもない。
 ただ愚かな男がエヴァを殺したい程に彼女自身を欲しただけの事。

 それだけの理由で彼女は今も命を狙われ続けている。

 本当は誰よりもその理由を知りたいと思った。
 また命を狙う相手への怒りも感じていた。
 幼過ぎる故に思い切り泣き叫びもしたかった。
 
 だが当時のエヴァにはそれが出来なかった。
 エヴァのを護る為に命を賭して護り消えていく者達が余りにも多過ぎたのである。
 何もわからない幼い子供ながらにも否応なく理解させられてしまった。

 どの様に怖くて泣き叫びたくとも、感情を爆発させてはいけない!!
 これ以上大切な者達の命を失わせてはいけない……と。

 だから何の為に自分が狙われているのかはわからないまま心の中で怯えるしかなかったのである。
 その幾度も繰り返される暗殺や誘拐未遂の中でご丁寧に紋章付きの馬車や暗器を見て理解したのだ。

 幼い子供でも良い噂を決して聞かないシャロン王家の紋章だという事を……。

 そして今エヴァは震える身体を自身の両腕でしっかりと抱きしめシャロンの紋章に囲まれる形で寝台の上に座っていた。


 何故ここにいるの?


 確か就寝まではと言うかだ。
 エヴァはルガートの離宮にある自身の寝台で休んだ筈。
 なのに何故今シャロンと関りがあるだろうこの部屋にいるのか……と。
 彼女はゆっくりと周りを見回しながら考えを巡らせてみるのだが何も答えは出ない。
 ただ理解出来るのはこの場所がエヴァにとって最大の危機なのだ。

 兎に角ここにはいてはいけないと本能がエヴァへと知らせてくる。
 エヴァは直ぐに寝台より降り扉へ行こうとした瞬間、それは彼女の背後より囁かれた。
 テノーレ・レッジェーロの様なやや高めでいて中世的な声だが、その声音に似つかわしくないくらいの淫猥さを纏いつつも粘着性のある声で彼女へ甘やかに語りかける。

『エヴァンジェリン、我が愛しき姫』

 その言葉にエヴァは固まってしまった。
 譬えるなら背中に氷水を掛けられた様に身体が縮こまれば微動だに出来ない。

 まるで彼の者の声が呪術的な縛りとなっているのかもしれない。

 ただ背後より掛けられし声には一片の優しさの欠片もなく、その声が彼女に与えるのは恐怖でしかない。

 そうエヴァはこの声を知っていた。
 過去に何度か聞いた事があったのである。
 そして何時もその声が聞こえた時――――即ちエヴァがシャロンの者に襲われる時なのだ。

『やっと逢えたね愛しいエヴァンジェリン。僕は君に逢えなくてとても辛かったよ。だから君に逢えない寂しさをで紛らわしていたのさ』

 そう言ってジリジリとエヴァと同じ寝台にいるだろう者は背後より少しづつ距離を詰め、その突き刺さる様な視線は部屋の中央の床を指していた。
 エヴァは全身の震えが止まらない中で必死に冷静さを失ってはいけないと心の中で念じていた。
 またそれと共に彼の者の指し示す中央の床を見てはいけないと警鐘を打ち鳴らしてもいた。
 だが結局彼女の視線は見てはいけない場所へと向けられてしまった。


 最初は仄暗さもあり何がどうなっているのかさえもわからなかった。
 ただ薄っらと見えるのは何かモノが置いてあるという事だけ。
 エヴァはドキドキと早鐘を打つ心臓の辺りを小さな手で押さえながら、次第に目が慣れそのモノが何であるかわかった刹那、声にならない悲鳴を挙げたのだった。


「――――っっ!?」

 床にボロ雑巾の様に無造作に置かれたモノは嘗てもの。

 それらはエヴァと然して年齢の変わらない三人の娘達。
 また彼女達は皆一様に衣服を身に着けてはいない。

 つまり一糸纏わぬ裸体である。

 それだけでもエヴァにしてみれば十分異常な事だったのだが実際はそれだけではない。

 娘達は身体中を殴られ蹴られた痣以外にも首や手足には紐で縛られた生々しい痕や所々白濁したモノは生乾きのモノもあれば乾燥してカピカピ状態となり、衣服を身につけていない身体に何カ所もそれは認められた。
 そして手足は皆らぬ方向を向いているだけではない。

 弛緩しきった口元は緩み、無残にもその中の一人は確実に眼球が抉り抜かれていた。
 生前は美しい髪だったであろうエヴァと同じ赤毛交じりの金色ストロベリーブロンドの髪をした二人の娘は、髪の毛をナイフの様なモノで乱雑に切られ見るに堪えない姿となり果てている。

 だが何故仄暗い部屋の筈なのにこうも彼女達の惨状を知る事が出来たのかと言えばだ。
 エヴァが最初に指示された床へ視線を落とした瞬間、それらの惨状を彼女へより見せつけるかの様に声の主は魔法を用いて娘達の周囲を照らしたのである。

 その光景はまさに地獄絵図としか言いようがない。
 エヴァは更に震える身体を強く自身の両の腕で抱きしめてもそれは一向に止まる気配はない。
 突然見せつけられた恐怖でエメラルドグリーンの大きな瞳からは涙がぽろぽろと溢れてくる。
 これから自身の身の上に一体何が起こるのだろうかと想像する事さえ、逃げ出す事も今のエヴァには出来ないでいた。

 ただあるのは恐ろしいまでの恐怖のみ。
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