上 下
51 / 122
幕間   三国の過去

3  失感情症

しおりを挟む


 シャロンの縁談を断って以降エヴァンジェリンは事ある毎にその命を脅かされていた。
 彼の国より放たれたであろう暗殺集団はライアーン人の中にも存在し、何時如何なる場所で誰がどの様な方法を用いて彼女を襲うのかは全く予想が出来なかった。
 
 長閑な農業国家ライアーン。

 穏やかな争う事を何よりも嫌う国民性だったのにである。
 繰り返される刺客の為にその頃では誰が敵で誰が味方なのかもう判別等無理に等しかった。

 お互いにお互いの事が信じる事が出来ない危機的状況。
 暗殺集団は街や王宮の人間に空気の様に馴染み、そして何の違和感もなく突如エヴァを狙うのである。


 そんな異常な環境下の中エヴァは物心のつく前より出来るだけ人との接触を極力少なくしていた。
 また食物から始まり衣服や生活の細部に至るまで毎日点検し、漸くその瞬間の安全を確保するという生活を強いられてきた。

 結果として当然エヴァの代わりに犠牲者は続出する。
 主に彼女付きの侍女や護衛の騎士が対象となった。
 攫う事も殺す事も出来ない代わりにと、まるで見せしめの様に態々わざわざエヴァの見える所で彼らは命を摘み取られていく。

 最初こそは殺されるだろう者達へエヴァは感情を昂らせ刺客達へ彼らを殺さないでと喚き叫んでいた。
 だがエヴァが感情を露わにすればする程にシャロンから、アーロンよりもっと手酷く嬲り殺せと命が下される。
 アーロンにしてみればお気に入りのエヴァがこのゲームを愉しんでいると、自分の許へ来ないのはこの殺人ゲームを続けたいからこそなのだと捉えていた。

 狂っている!!
 
 エヴァだけでなくライアーンの国民皆がアーロンの残虐性に恐れを抱いた。
 狂気に満ちた日常の中でエヴァは両親や周りの人間へ感情をぶつける事も、助けを乞う事も次第になくなっていく。
 年相応の子供達に比べ遙かに聡明な彼女は、自身の置かれている状況を教えられずともちゃんと弁えてもいた。
 しかしどんなに弁えていたとしてもだ。
 王族としての矜持が備わっていたとしても、エヴァはまだ幼い子供である。

 頭では理解出来ても心はまだまだ不完全。

 毎日毎時間毎分毎秒……何時何処から誰がどの様にして自分の命を狙ってくるのか、若しくは誰が目の前で惨殺されるのだろうか。
 考えまいとしても息を吸って吐く様に自然に脳裏をよぎる。

 万が一死の瞬間が訪れた際、自分は王族らしく毅然とした態度で死を迎える事が出来るのであろうか?

 美しくも愛らしい幼い王女の心の中では何時もその事ばかり考え……いや、本当は違うのだ。

 口に出す事すらはばかれるが本心では泣き叫びたい程にこの状態が嫌だった。


 物心つく前より常に何かに怯えて暮らす自分にも!!
 そして何時も周りを警戒する両親もだが、自分の世話をしてくれる侍従や侍女並びに警護してくれる騎士に国民全てを!!
 心より信じる事の出来ない自分が、情けない自分の心が堪らなく嫌!!
 それに護ってくれる皆が目の前で惨たらしく殺されていく様を見るのはもっと嫌!!

 だって私は誰よりも臆病者――――なの。


 エヴァを取り巻く環境が、彼女を護りたいと思う者達が、自然と彼女を追い込んでいく。
 何とか身の安全を図ってはいるものの、エヴァの精神は徐々に蝕まれていく。

 表面上は何も変わらない。
 だから最初は誰もエヴァの異変に気付かなかった。
 彼女の笑顔や仕草、王族らしい立ち居振る舞いに受け答えからは、とても5歳の子供とは思えないくらい小さな淑女だったのだ。

 そんな娘の小さな異変に気が付いたのは母親である王妃だった。

 元々大人びた娘ではあったが、美しい表情からは何時しか感情というものが存在しなかったのだ。
 最初は母親特有の勘で抱いた小さな違和感が、日が経つ毎にその違和感が徐々に大きくなるにつれてエヴァンジェリンは生きた人形の様になっていく。

 確信を持った王妃は直ぐに夫である王へと相談し、王は医師へ診断を仰いだ。
 医師より齎された診断は強度の精神的ストレスによる
 国王夫妻は愛する娘の身の安全ばかりに気を取られ、それによる心の病まで気を配る事が出来なかったのを心より悔いた。


 幼いエヴァの心の病ををこれ以上悪化させない為に国王は幼い頃より親交が深く、そして最も信頼のおけるベイントン伯爵と相談した。
 伯爵の末娘に白羽の矢が刺さる。
 末娘アナベル・ベイントンはエヴァの護衛兼話し相手コンパニオンとして呼び寄せられた。
 
 何時殺されるかもしれないエヴァの傍近くへ……。

 最初はエヴァとアナベルの関係は良好とはお世辞にも言い難かった。
 でも幾多の困難を乗り越える毎にほんの少しずつではあるが二人の間に信頼が構築されていく。

 そうして失感情症が少し快方へと向かった頃だった。
 シャロンよりルガートと再び開戦するから加勢しろと強要してきたのだ。
 それはエヴァもう直ぐ8歳となる少し前の事である。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【完結】ふしだらな母親の娘は、私なのでしょうか?

イチモンジ・ルル
恋愛
奪われ続けた少女に届いた未知の熱が、すべてを変える―― 「ふしだら」と汚名を着せられた母。 その罪を背負わされ、虐げられてきた少女ノンナ。幼い頃から政略結婚に縛られ、美貌も才能も奪われ、父の愛すら失った彼女。だが、ある日奪われた魔法の力を取り戻し、信じられる仲間と共に立ち上がる。 歪められた世界で、隠された真実を暴き、奪われた人生を新たな未来に変えていく。 ――これは、過去の呪縛に立ち向かい、愛と希望を掴み、自らの手で未来を切り開く少女の戦いと成長の物語―― 旧タイトル ふしだらと言われた母親の娘は、実は私ではありません 他サイトにも投稿。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...