上 下
134 / 136
第四章 ディスカール公爵領

第十五話 人質

しおりを挟む
「エラン? 君は……、本当にエランなのか?」
「当たり前だろ、他の誰に見える?」

 黒い翼を背に持つ彼は、モラスの騎士の服装ではあるものの、総隊長のマントは羽織っておらず、何よりセルジン王から賜った銀の額飾りが外されている。
 僕と天界の住人になる事を希望していたエランとは、あまりにもかけ離れて見える。

「嘘だ! 君は、違う。何者だよ? その姿は、止めろ!」

 屍食鬼の暗黒の翼が、暗闇の中で羽ばたき音を立てる。
 彼は暗い微笑みを見せながら、僕を抱き寄せる。
 僕はその腕を振り払おうとしたが、がっしりと掴んだ手は吸いついたように離れず、〈祥華の炎〉はまったく役に立たない。

「放せ!」

 テオフィルスとトキが剣でエランに切りかかるが、幻を切るように何の傷も負わせる事が出来ない。

「何だ、手応えが無いぞ」
「魔法だ、本物じゃない!」

 僕を掴んだ手は力を増し、引き摺られてエランに捕らえられる。
 僕は〈祥華の炎〉を彼に放ったが、やはり何の効果も無かった。

 どうして?
 泉の精の魔法が、役に立たないなんて……。

 僕は助けを求めて、周りを見回した。
 暗闇の中に国王軍の灯す松明が、上空を埋め尽くす屍食鬼を照らし出す。
 咄嗟に僕は、炎が屍食鬼と人々の間に壁を作るのを思い描いた。
 すると炎は勢いを増し、僕の周りの人達を犠牲にする事なく壁を作る。
 屍食鬼には、泉の精の魔力は有効なようだ。

 上空の屍食鬼は阻めたが、地上の屍食鬼との戦いは阻めず、激しい戦闘が至る所で始まった。
 屍食鬼の鋭い爪が国王軍の兵を切り裂く。
 不思議な事に倒れた兵に向けて、屍食鬼が火矢を放ったのだ。
 身体が乾いているので燃えやすい屍食鬼は、火を恐れる、火を扱うのは異例な事だ。
 トキが激を飛ばす。

「火矢を放つぞ、気を付けろ! 屍食鬼を殲滅しろ! マール、殿下を守れ!」
「解っている」

 優しい外見のマール・サイレスは、微笑みながら僕を静観している。

「殿下、いったい誰と、いつまで遊んでいるのです?」
「え?」

 その瞬間、エランの姿がかき消えて、僕の腕に絡み付く醜い植物のうごめつるが見えた。
 蔓には黒い渦が絡み付き、毒素を撒き散らしながら僕を引き摺る。
 その毒気に恐怖を感じるのは、気分が悪くなり身動き出来なくなるのを知っているからだ。
 泉の精の魔力のせいで、僕に人々が近付けない時に、その状況では国王軍が不利に陥る。


 ところが不思議な事に、いつもの気分に悪さが感じられず、普通に動けるのだ。


 〈抑制の腕輪〉を、外しているからなのか?

 蔓を持つ植物には、多くの屍食鬼の口と思しき醜い牙が、茎の中から涎を垂らしながら、僕を食い尽くそうと待ち構えていた。

「放せ!」

 右手と足に蔓が絡み付き、僕の身体が浮き上がる。
 必死で空いている左手で、右腰に下げた短剣を取り出し、腕に絡む蔓を何度も切り付けて離し、足に絡む蔓はテオフィルスが飛び上がりざま切付け、落下した僕を素早く抱き抱えて、暴れる植物から救出する。

「大丈夫か?」

 切り離された蔓が僕の手足に絡んでまだ蠢いているのを、彼が冷静に取り外して顔を覗き込む。
 心配している彼の真っ青な瞳に、僕は頷きながらも狼狽えた。

「だ……、大丈夫だよ」

 泉の精の魔力はテオフィルスを弾かず、逆に彼の周りをうっすらと水の幕が被い、〈生命の水〉が守っているように見える。

 どうして?
 テオフィルスは泉の精に好かれているのか?

 七竜の加護が無い状態でも、彼が特別な存在に思えて、僕はなんだか無性に腹が立った。
 彼から慌てて離れ、八つ当たりのように、不機嫌に文句を呟く。

「マールさん、判ってるんなら、もっと早く魔法を解いてくれても……」

 マールは微笑みながら、背から輝く翼を出現させ、次の瞬間に切り裂くような魔力をまとったマルシオン王に戻った。

「そのくらいの単純な魔法も見抜けないで、泉の精までたどり着けるのか、ブライデン? この先は魔界域の入り口だぞ」

 外見も対応も鋭角的な古の王に、僕は顔をひきつらせながら疑問をぶつける。
 蔓を切られ暴れる植物が、僕を狙って突進して来るのを、国王軍が必死に戦い止めている。

「魔界域って、あの植物は魔界域のものなのか? でも、泉の精の魔法が通じないよ?」

 マルシオン王から微笑みが消えた。

「あれは魔界域に飲み込まれた聖なる泉の構成員だ、泉の精の魔法が通じないのは当然だ。我が妃も飲み込まれようとしている」

 マルシオン王の周りから冷たい怒りの炎が溢れ出て、僕が恐怖に逃げ出したくなった時、テオフィルスが緊迫した様子で割り込んだ。

「マルシオン王、この屍食鬼達も幻なのか? 何かがおかしい、味方が圧されているぞ! なんとか出来ないのか」
「ふふん、竜がいなくても、貴殿の目は節穴ではないようだ。その通り、上空の屍食鬼は本物だが、地上の者は偽者。こんな術は簡単に破れる」

 彼はそう言って片手を上げ、皮肉な笑いを浮かべながら指を鳴らした。
 古の王の周りから、辺り一面に何かが拡がっていく。
 激しい戦闘を繰り広げていた国王軍の兵達は、一瞬で屍食鬼を見失い、目の前に現れた前衛部隊に度肝を抜く。

 屍食鬼との戦いと双方とも思い込まされ、味方同士で殺し合っていたのだ。
 地に倒れ屍食鬼のように扱われた遺体は、誰であるか見分けもつかない。
 皆がその残酷さに、茫然と立ち尽くす。

 笑い声が聞こえた。

 前衛部隊の中心部、アレイン・グレンフィードの上空、そして中心を取り巻く数人のモラスの騎士の上空、それから部隊の前面に立つ総隊長の朱色のマントを纏ったエラン・クリスベインの上空。

 〈祥華の炎〉を突き抜けて降りてくる、黒い翼を生やした五人の〈契約者〉達。
 エランの上空にいるのはハラルド・ボガード。彼は卑下した笑いを浮かべながら、僕達を指差し命じた。

「目の前の屍食鬼を、全滅させろ!」

 するとエランが操り人形のように、同じ言葉と動作を繰り返す。
 中央にいるアレインも同じ指示を出した。
 彼等には僕達が、まだ屍食鬼に見えている。
 マルシオン王の魔法が効いていないのだ。
 前衛部隊から火矢が飛び、エランとモラスの騎士達が魔法防御の壁を作り、触れた者を弾き飛ばす。
 味方の攻撃を防ぎながら、本隊の兵達はじりじりと後退する。

「エラン、正気に戻れ! 僕達が解らないのか!」

 僕は無駄と解っていても、彼に呼び掛けずにはいられなかった。
 エランの元に走ろうとして、テオフィルスに止められる。
 彼は冷静にいにしえの王に問い質す。

「マルシオン王、彼等を助けられないのか?」
「ふん、小賢しい。私を誰だと思っている?」

 マルシオン王は輝く翼を大きく広げ、〈祥華の炎〉を気にもせず上空に舞い上がる。

『汚らわしき〈契約者〉よ、水晶玉の〈管理者〉を侮るな! お前達の魔法は無効だ』

 マルシオン王の身体から、強烈な光が放たれ辺りを満たした。
 上空の屍食鬼達が恐れをなして逃げ惑う。
 〈契約者達〉が身を縮めて前衛部隊の中に墜落する。

 エランもアレインも、目が覚めたように辺りを見回し、魔法防御の壁は消滅した。
 僕はテオフィルスの手を振り払い、エランの元に駆け出しながら叫ぶ。

「エラン、気を付けろ! 〈契約者〉が側にいるぞ!」
「オリアンナ」

 僕の移動に、本隊が前衛部隊に迫り、落ちた〈契約者〉を捜そうとする。
 エランは人波にもまれながら、モラスの騎士に指示を出そうと赤い魔剣を掲げた瞬間、動きを止めた。

「お前は、僕の下僕だ」

 姿の見えないハラルドの声だけが、彼に絡み付く闇黒の呪縛のように思考を奪い、動きを止めてゆく。
 エランの首を被うように、長い鍵爪が現れた。
 側面が鋭い刃物のようにエランの皮膚を薄く裂く。
 短い傷口から赤い糸のような血が流れ、朱色のマントに吸い込まれてゆく。

「エラン!」

 彼に絡み付く爪から先の醜い手が、腕が、身体と頭が、いやらしい程彼を抱え込む醜い形をした翼が姿を現し、〈契約者〉ハラルドが、どれだけエランに執着しているかを如実に見せ付けた。

「誰も動くな。僕の命令に従わなければ、こいつを八つ裂きにしてやる」

 動けないエランは成す術もなく、ハラルドの人質に取られる。
 他の四人の〈契約者〉も、アレインと周りの騎士達を捕らえた。
 僕は助けを求めマルシオン王に視線を送るが、彼は呆れたように首を傾げる。

「あれに魔力が使われていると思うのか? 奴等を動けなくしたとしても、あの爪から助け出すのは無理だ。私の魔力で奴等を消し去る事は、この界域では出来ない」

 捕らわれた者達は全員、〈契約者〉の爪に今にも切り裂かれそうに見えた。
 彼等の身体がふわりと浮き上がる。
 その動作だけで、エランの首の傷が広がり、血が朱色のマントに、赤さを増して広がり始める。

「エラン!」

 ハラルドの笑い声が響き渡る。

「ついて来い、魔界域へ」

 五人の〈契約者〉は人質と共に国王軍の頭上を飛び、サージ城塞の奥、暗闇が支配する魔界域の入り口へと飲み込まれて行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。 王子が主人公のお話です。 番外編『使える主をみつけた男の話』の更新はじめました。 本編を読まなくてもわかるお話です。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

処理中です...