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第四章 ディスカール公爵領

第八話 王国の行方

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『なにを嘆いているの? 君が望んだ事だよ』

 浅い眠りの中、美しい光に包まれて清らかな声が、残酷な言葉を僕に投げかける。
 輝く翼をゆっくり羽ばたかせ、オッドアイの瞳でセルジン王そっくりの顔立ちなのに、王とは対照的な冷たさを持つ、〈ありえざる者〉オーリン。

 セルジン王と女神アースティルの間に生まれた天界人、そして僕の命の光となった存在。
 夢の中に彼が現れたのは、初めての事だ。
 僕の心が、オーリンを拒絶する。

「僕はそんな事、望んでない!」
『忘れたの? 母上の宮殿で、君がエランを魔界域へ行かせないって言ったんだよ。僕は「君って残酷だね」って言った。だって、こういう事だろ?』

 僕は、オーリンに掴みかかる。

「違う! 君に助けを求めて言った訳じゃない。エランに寄り添うって意味で言ったんだよ! 君は彼にかこつけて、エステラーン王国を滅ぼそうとしているだろう?」
『ふふ、どちらにしても滅びるんだよ。天界の意志は曲げられない、たとえ七竜でもね。それなら君とエランだけでも、助かる方法を僕は考える』
「僕とエランだけ、彼にはどう言った? 国王軍は助けないなんて言ってないだろう、君はエランを騙しているんだ! お陰で僕は、エランを罰しなければならなくなった!」

 あまりの憤りに僕は涙を流しながら、拳を握りしめ彼の顔を殴ろうとする。
 それを避けながら、オーリンは美しく微笑む。

『君がエランと僕の考えに従えば、罰するなんてしなくて済むだろう? 僕には君達が大事なんだ。他は、どうだっていいよ』

 呆れ返る気持ちと、オーリンなりの友情の示し方に、複雑な気持ちになり、握りしめた拳は彼の胸を叩くに留めた。
 永遠に生きる天界人にとって、一瞬と思える時間で消えていく人間の価値など、無いに等しいのではないか。
 それなのにオーリンは、僕とエランを大事に思ってくれている。

 考えてみると彼は、僕達と近い年齢の天界人だ。
 天界と地上の時間が同じに流れていればの話だが、彼は天界にいるより僕の命の光となって、地上にいる時間の方が長いのではないか。
 僕は顔を引き攣らせながら、まるで子供を説得するように、必死に冷静になろうと努力した。

「僕には国王軍が大事だ、君の父上もそうだろう? 君は父上の……、セルジン王の大切なものを、滅ぼそうっていうの?」
『だって、仕方がないじゃないか、僕は母上には逆らえない』

 僕は彼を突き飛ばす。

「だからって僕の身体を乗っ取って、余計な事をするな! セルジンに嫌われても良いのか? 僕だって君を、嫌いになるぞ!」
『…………』

 オーリンは悲しい表情で僕を見つめ、失望したように光の中に紛れ消えていった。





 眩しい程の光の夢から、まるで暗闇がやって来たように、低い男の声が僕を目覚めさせる。

「おい! 起きろ、ヘタレ……」
[若君! 約束をお忘れですか? 姫君の名前でお呼び下さい!]

 アルマレーク語のマシーナの怒声が、テオフィルスの言葉を遮る。
 僕の天幕にテオフィルスが入り込んでいる事に溜息を吐きながら、毛布を頭から被り直し、拒否の意志を無言で伝える。

 現実と向き合いたくないのは、エランの処分を決めなければならないからだ。
 反乱を起こした者の処分は、当然死罪となる。
 その決定を僕がしなければならないから、不貞腐れて天幕へ逃げ込んだ。

 エランを殺すなんて、そんな事出来る訳ないだろう!

 僕は毛布の中で、身を縮めて丸くなる。

「現実逃避すれば事態は悪化していくだけだぜ、お前は本当にそれで、エステラーン国王軍の最高司令官か? このヘタレ小竜!」
[若君! それが姫君に対する態度ですか?]

 マシーナの怒鳴り声と同時に、僕を覆っていた毛布が剥ぎ取られた。
 僕は意固地に、ますます丸く固まる。

「ヘタレなお前に、忠告してやる」

 テオフィルスの低い声が耳元で聞こえ、僕は耳を手で塞ぐ。

「反乱者を、許してやれ」
「……え?」

 塞いだ耳にくぐもって聞こえた意外な言葉に、僕の意識が現実に引き戻された。
 耳から手を離し、恐る恐る声の主に顔を向ける。
 すぐ目の前に浅黒く整った顔付きの男が、青い瞳に優しさを湛えて僕を見つめていた。
 あまりの近さに、僕の心臓の鼓動が、勝手に跳ね上がる。

 このひと、黙っていれば、かっこいいのに……。

 真っ赤になりながら彼の胸を押して遠ざけ、慌ててベッドから起き立ち上がる。
 テオフィルスの前で無防備に寝ていたくない。
 何をされるか分からない、本能的な恐怖心が湧き起こる。

 僕は彼を信用していない。
 婚約者と認めた訳じゃないけど、彼はそのつもりなんだから……。

 幸い不貞腐れて着替えもしないで寝ていたので、普通に服は着ていた。
 乱れた髪を撫でつけ、簡単な身繕いをする。
 テオフィルスは口角を上げ、腕組みをしてその様子を見ている。

「いいんだぜ、寝ていても。俺もお前のベッドに、仲間入りさせてもらおうかと思っていたところだ」
[若君……]

 マシーナが頭を抱え、呆れ顔で首を横に振る、おおよそ姫君に言う言葉ではない。
 テオフィルスの言動とふざけた態度に、少し慣れてきた僕は、挑発には乗らず、必要な事だけを伝える。

「そんな事は断る! それより、許すってどういう事だよ? 戦って傷付いた兵達は、傷を付けた彼等を許すのか? 死んだ者もいるんだぞ!」
「兵達に本当の意味で、味方同士の戦いを望む者がいると思うか?」
「…………」

 確かに皆が戸惑いながら戦闘に突入した。
 上官の命令に逆らえないため、味方同士が剣を交え、友人だったかもしれない相手を傷付けた。

「でも、軍の規律が保たれなくはならないか? この先も、反乱を許す事にならないか?」

 僕の声が暗く沈む。

「何のためにお前がいるんだ? 規律も規則も状況による。間違っていると思えば、お前が正せば良いんだ!」

 前に同じ事をセルジン王に言われた。
 テオフィルスの言葉が、王の言葉と重なる。

《言ったはずだ、判断するのはそなただ。どう対応する、王太子は?》

 思い悩み苦しんでいた事に、救いの手が差し伸べられた気がした。
 それでも迷いと不安に心が苛まれる。

「僕はエランを助けたい。でも、それは僕とエランが幼馴染みだからだ。知らない人だったら、僕はきっと……、規律に従うかもしれない」

 そう思うと自分の判断に自信がなくなり、また打ちひしがれる。
 項垂れた頭に何かが触り、整えた僕の髪をくしゃくしゃにした。
 テオフィルスの手が、僕の頭を撫でている。
 子供扱いされたようで、僕はその手を払い除けた。
 彼が苦笑いしながら、僕の顔を覗き込む。

「お前は真面目だなー、天界人の意志に踊らされるなよ。エランだろうが、誰であろうと関係ない。反乱者を粛清しゅくせいすれば、それこそ奴等の思う壺だ。今は一人でも多く国王軍を救う事、それがお前の務めだろう?」
「国王軍を……、救う事?」
「そうだ、一人も死なせない。エステラーン人の数自体減っているんだ、これ以上減ると、国として成り立たなくなる。本当に滅亡するぜ」
「君は……、王国をアルマレーク内で、本気で存続させる気なのか?」

 テオフィルスは、怪訝な顔で僕を睨む。

「当たり前だ。エステラーン王国の辺境は生き残っているし、これからも生き残るだろう? 誰がそこを統治すると思っている? 《王族》のお前以外、いないだろう?」
「…………」
「アルマレーク共和国はその後押しをする、それだけだ! 他国に攻め込まれないように、しっかり見張ってやるぜ!」

 僕は、王国はすぐにでもアルマレークに吸収されると思い込んでいた。
 歴史という長い時間の尺度で見れば、確実に吸収されてしまうだろう。
 それでも、今を生きている僕達には、エステラーン王国という意識を捨てさせない。
 〈七竜の王〉テオフィルスは、そう言っているのだ。
 僕の瞳から涙が溢れ出た。

 王国は存続する。
 そのために、僕は生き残る。 

「しっかりしろ! ヘタレなお前が一番、天界人に踊らされているんだ、この馬鹿!」
[馬鹿は若君です! 名前でお呼びするように、言ったはずです!]

 マシーナが素早くテオフィルスの腕を捻り、背の方に引っ張りながら僕から遠ざける。

[痛っ……、痛い、マシーナ!]
「ふんっ、約束を破った罰です! これ以上、〈七竜の王〉の品位を落とすのは、許しませんよ! では殿下、会議の席でお待ちしております」
「うん、ありがとうマシーナさん」
「礼を言う相手が違うだろ、俺に言え! 放せ、マシーナ……」
[黙りなさい]
「俺に言え―――」

 テオフィルスは痛みに顔を歪め大騒ぎしながら、マシーナに引き摺られ天幕を出て行った。
 まるで嵐が去った後のように、天幕に静けさが戻った。

 品位なんてあるのか?

 そう思うと可笑しくなって、僕はクスクスと笑った。
 久しぶりに笑った気がする。

「ミア、彼はどうやって天幕に入った?」

 天幕の奥に控えていた侍女のミアが、微笑みながら答える。

「宰相に連れられてですわ。ライアス様はすぐに会議に戻られましたけど」
「そうか……」

 宰相エネス・ライアスは反乱者を許す事に賛成して、ここに彼を連れて来たのだろう。
 苦しんでいる僕を、助けるために。
 ミアが着替えを持って来た時、僕は受け取ろうとして、ある事を思い出した。

「ねえ、ハンカチを知らないかな? その……、竜の刺繍があるの……」

 どことなく頬が染まる。
 それがテオフィルスのハンカチである事に、ミアも気付いているはずだ。
 隠しておいたはずの場所から、いつの間にか無くなっているいる。
 ミアは答えにくそうに、少し顔をしかめる。

「……あれでしたら、陛下がお持ちになりましたわ」
「セルジンが?」

 意外な答えに、僕は狼狽うろたえた。
 王は愛のハンカチの存在に、気付いていたのだ。
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