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第三章 トレヴダール

第三話 七竜の意志

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「止めろ―――っ!」

 僕はセルジン王に抱きしめられた状態で、竜イリが殺される恐怖から悲鳴を上げていた。
 テオフィルスの命令により、イリが今にも七竜リンクルの影に殺されようとしているのだ。
 抱きしめる王の腕を逃れ、包み込むマントから僕は必死に抜け出した。

「止めろ、テオフィルス! イリを殺すな! なるから……、竜騎士にでも何でもなるから、イリを殺すな――!」
「オーリン!」

 セルジン王が抑えようとしたが、僕が王の魔力を撥ね返した。
 王は驚きに顔をしかめる。

「そなた……」
「陛下、お願いです。イリを殺させないで下さい!」

 僕は泣きながら訴え、イリの元へ走る。

「オーリンを、捕えよ!」

 王の命令に近衛騎士達が捕えようとしたが、僕の周りから渦巻く鋭い風が巻き起こり、迂闊に近づく事が出来ない。
 《メイダールの聖なる泉》の泉の精からもらい受けた〈堅固の風〉が、〈抑制の腕輪〉を上回ったのだ。
 それ程に僕のイリを失う恐怖心は強く、魔力を増長さていた。

「泉の精の魔力か……、厄介な」

 《王族》の魔力も水晶玉の魔力も、今の僕には効かない事にセルジン王は苛立ちを覚え、自ら僕の元に駆け付ける。
 僕はイリの前に立ち、魔法の炎を吹出そうとするリンクルに向かって叫ぶ。

「イリは責任もって、僕が管理する! だから、殺さないでくれ!」

 七竜リンクルは口の中を光らせながら、じっと僕を見ている。
 テオフィルスもリンクルを退かせようとはせず、ただ僕を見つめた。
 セルジン王は僕の魔力を恐れる様子もなく、腕を掴もうと手を伸ばす。
 影の王の手が、まるで風に切断されるように消えた。
 僕はハッとして、王を見る。

「大事ない、私は影だ。それより自分の言葉に、責任を持てるのか?」
「持ちます!」

 王は溜息を吐き、小声で呟いた。

「判った。そなたの半分は、アルマレーク人だったな」

 王の言葉は、僕の心を苦しめる。
 一番嫌われたくない相手に、まるで罵られているように感じ、僕は項垂れた。

「テオフィルス殿、この竜の処分は見合わせてもらおう。オーリン王太子が面倒を見るそうだ。だが、貴殿以外は我が国から退去してもらう」
「イリが王太子殿の言う事を聞くか、確認してからでの退去でよろしいか? そうでないと、国王軍に迷惑がかかる」
「構わぬ」

 テオフィルスは頷き、リンクルの影を戻すために左手を再び掲げた。

[リンクル、戻れ!]

 ところがリンクルは竜の指輪には戻らず、上空から緩やかに僕の前の地上に降り立った。

[リンクル! 戻るんだ!]

 七竜リンクルは無視し、テオフィルスは唖然とする。
 王と近衛騎士は剣を構え、竜の攻撃に備えた。
 リンクルは威丈高に、その金属的な声で叫ぶ。
 周りにいた人間は、咄嗟に耳を覆い、聞こえなくなる被害を避ける。
 その隙にリンクルは、顔を僕の側まで近づけ、耳を塞ぎ縮こまっていた僕は恐怖に後退る。
 ところが……。





 セルジン王はオリアンナを守り、長剣でリンクルの顔を切り付けようとした時、「声」が聞こえた。
 王にしか聞こえない「声」。

『水晶玉の〈管理者〉候補よ、いにしえの戦いを再び地上で起こしたくなければ、七竜レクーマの指輪を見つけ出せ。それが出来なければ、全ての竜は制御を失う』
「……話せるとは、驚きだな。古の戦い? それは神代の話か? この世でそれが起こるという事か?」
『今のままでは、そうなる』

 王は茫然と七竜リンクルを見つめた。

「……水晶玉の主が現れると、竜が正気を失うという事か? いにしえのエステラーン王国が、竜によって滅ぼされかけたように?」

 彼は竜イリと他の竜達を見る。
 イリは蜷局を巻いて動かないが、他の竜達はリンクルの影がいるせいか、身を低くして平伏している。
 七竜の魔力で支配されているのが見て取れた。

『水晶玉は竜にとっては脅威だ。その魔力の圏内に長く留まれば、竜は七竜の制御を受け付けなくなる。七竜の一体が弱った状態では、我らの魔力は不完全となる』
「どこにあるかは、私も知らぬ!」
『水晶玉を支配している貴殿が、知らぬとは思えぬ』
「私が支配しているのは、半分だけだ。或いは魔王アドランの支配圏内にあるのかもしれぬ」
『判らないのは、《聖なる泉》の支配下にあるからか?』
「……《聖なる泉》? だとしたら私に判らないのは当然ではないか。だいたい七竜が、なぜ私に話しかける?」
『貴殿が水晶玉の管理者となる事を、受け入れているからだ』

 王はハッとして、七竜リンクルを睨む。
 生きる事は受け入れたが、水晶玉の〈管理者〉になる事は未知数だ。
 セルジン王にとって、オリアンナの死を避けるための条件として、水晶玉の〈管理者〉がある。
 永遠に生きる……、それは死を願い長い年月を生きてきた彼にとって、対極に位置する事柄だ。
 それなのに七竜リンクルは、当然のように「受け入れている」と言う。

 私に、永遠を生きる覚悟があるのか?

 自問自答しても、今の彼に答えは出せなかった。
 そんな王の心の動き等、七竜には関心が無いように言い放つ。

『《聖なる泉》にエドウィンが捕えられているのなら、全ての鍵がその娘にかかってくる。おそらくは《ブライデインの聖なる泉》にいるのだろう。七竜レクーマの指輪を見つけ出さなければ、戦いは回避出来ぬ!』

 「その娘」と七竜が言った事に、王はいぶかしんだ。
 七竜リンクルはオリアンナ姫が生きている事を、テオフィルスに知らせていないという事だ。

 なぜだ?

「……判った、伝えておこう。だがアルマレークには、やれぬ!」
『いずれ、その娘が選ぶ。それが貴殿の救いとなる』
「何の事だ?」

 七竜リンクルの影は薄れた。

『もうすぐ、判る。あの女神に会えば』
「……」

 竜の指輪にリンクルの影が吸い込まれて行くのを、王は茫然と見つめていた。





 テオフィルスは無表情に、セルジン王とリンクルの会話する様子を見ていた。

「リンクルと……、会話した?」
「……貴殿は、出来ぬのか?」

 王の言葉に苛立つ彼は、顔を横に向けた。

「一方的に少しの声を聞くだけだ。七竜と話せる領主は……、もう何百年も現れていない」

 なるほど、そういう事か。

 七竜が彼にオリアンナ姫の所在を知らせないのは、彼自身が〈七竜の王〉として未熟だからだ。

「貴殿は〈七竜の王〉だ。その事を受け入れた時に、話せるようになるだろう」
「……なぜ、判る?」

 王は微笑んだ。

「ふんっ、今の貴殿には教えぬ」

 二人は激しく睨み合った。
 そんな二人のやり取りに気付いてない僕は、イリに向き合う。

「イリ。イリ! もう、大丈夫だから。怖がらなくていいから。僕の声が聞こえるか、イリ?」

 竜イリはゆっくり頭を動かした。
 まるで今まで眠っていたように、大きな口を開けて欠伸をする。
 緩やかな熱気がその口から溢れる。

「イリ!」

 僕の呼びかけに、イリは首を伸ばし細い瞳孔は少し丸みを帯びる。
 僕を認識し始めたのだ。
 僕は嬉しくなって、イリに触れようとした。

「止せ、オーリン! 素手で竜に触るな! 鱗で手を切るぞ!」

 僕は手を止めテオフィルスに振り返ったが、イリは止らなかった。

[イリ、止まれ! もう一度、リンクルを呼び出すぞ!]

 イリには彼の言葉等、耳には入らない。
 ただ僕に触れたい、その一心だ。

「イリ、止まれ」

 僕は落ち着いた声で、目の前に近づいたイリに言う。
 イリは動きを止め、その丸くなった瞳孔でじっと僕を見つめてくる。
 テオフィルスはホッとしたように表情を和らげた。

「イリ、いい子だ」

 僕はイリを撫でたかったが、先程の警告を心に留め自制した。
 テオフィルスが僕に近づこうとしたが、近衛騎士達が阻む。
 不満の溜息を吐きながら、彼が呼びかけてくる。  

「オーリン、竜騎士の装備は持っているか?」

 その問い掛けに、僕は振り返る。

「……置いてきたよ。エステラーン王国に、竜はいないからね」

 彼は馬鹿にするように鼻で笑う。

「マシーナ!」

 後ろに控えていた随行者マシーナが、近くにいた竜エーダから大きな箱を取り外し重そうに持ってくる。

「イリと接触したければ、これを装着しろ!」

 マシーナは装備の入った箱を持って僕に近付こうとした。
 ところが王の近衛騎士達が再び阻む。

「装着はこちらでしよう。しばらく待ってもらえるか?」

 王はあくまで彼等が僕に近づくのを避けた。
 テオフィルスは不承不承頷く。





 装備の箱は数名の兵士達によって僕の天幕に運び込まれ、王は僕を彼から隠すように天幕に誘導した。

「無茶をするな。悟られてしまうぞ」
「申し訳ありません。でも、イリが殺されるのは嫌です!」

 王は僕を射ぬくように見つめた。

「そなたを、あの男には渡さぬ」

 セルジン王の真剣な表情に、僕の鼓動は跳ね上がる。

「もちろんです! 陛下のお側を離れません。絶対に!」

 王は僕の首に巻いたストールを外した。

「すまなかった。痕が残ったな」

 僕は昨夜の事を思い出し、真っ赤になる。

「これからは、気をつけよう」
「セルジン……」

 王のくちづけに、僕は答える。
 王が僕の反抗を受け入れてくれた事を、不思議に思いながら彼に身を委ねた。


 その時、異変を知らせる兵士の声が上がった。

「何者だ!」

 兵達が運び込んだ竜騎士の装備の箱から、甲高い声が響いた。

[離せ! このやろぉ、俺様に触んなっ]

 そのアルマレーク語の声に、聞き覚えがあった。
 大柄の兵達に囲まれたその人物を見るため、僕は王の腕から離れ兵達に近づく。
 近衛騎士達が僕の進む方向を開けさせ、大柄の兵達の間から姿を見せたのは黒髪の痩せた少年だった。

「君は確か……、ルギー?」

 レント領でテオフィルスと共にいた少年だ。
 彼から竜の鎧をもらった。

[呼び捨てにするな! このヘタレ小竜!]
[君にまでヘタレ小竜呼ばわりされる、いわれはないよ!]

 僕はムッとしながら、アルマレーク語で答える。
 兵達はルギーが明らかに僕に生意気な口を利いているのを察して、彼を縛り上げようとした。

[お前なんかに、イリは渡さない! 竜騎士じゃない、お前なんかに!]

 ルギーは兵達の手に噛み付き、隙を突いて素手で僕に飛掛かろうとした。
 近衛騎士達が剣を抜き、ルギーを切り付けようとする。

「止めろ、まだ子供だ! 殺すな!」

 僕は大人達を制し、首筋に掴みかかろうとするルギーの足に、蹴りを食らわせた。
 軽い彼を兵達に向け突き飛ばす。
 兵達はルギーの上に圧し掛かり、取り押さえる。
 僕は彼の前に立ち、王子然と見下ろした。

[ルギー、馬鹿な事をするな! それじゃあ、イリにも嫌われるぞ]

 彼は悔し涙を浮かべ暴れたが、兵達に引きずられ天幕の外に放り出された。
 そして怒りを溜めこんだイリが、ルギーに抗議し大声で叫んだ。
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