上 下
81 / 136
第二章 メイダール大学街

第十六話 希望の魔剣

しおりを挟む
《入場を拒否する!》

 エランの頭の中で、《聖なる泉》の〈門番〉のしわがれ声が何度も響き渡る。
 心に邪心を持つ者は《聖なる泉》に入れず、〈成人の儀〉を終える事が出来ない、そう聞いたのは何時だっただろう。

 多分、ディンから聞いたんだ。

 家令ディンの顔を思い出し、無性に会いたくなった。
 孤児の彼にとって、親にも等しい存在だ。
 王の天幕でマールから出された薬草茶の入った杯を手に、エランは先程から物思いにふけっていた。

「お気に召しませんか?」

 マールは優しく飲むように勧める。
 エランは首を横に振りながら、杯に口を当てた。
 少し酸味のある爽やかなお茶は、彼の気分を変えようというマールの心遣いだろう。
 味わいながらも、心は別の思いに囚われたままだ。

 自分の心に巣食う邪心って、どんなものだろう?
 オリアンナの周りにいる、男達への嫉妬心か?
 周りの大人達に、ついて行けない焦燥感か?
 環境が変わった事へのストレスか?

 考えると、きりがない。

「エラン」

 セルジン王が彼に向かって歩いて来る。
 忙しい王の手には大量の書類と糖菓が持たれ、優雅な手付きでそれらを円卓に置いた。

「まあ、これでも食べて落ち着くのだ。こんな事は、良くある事だ」
「え?」
「ふふ、宰相エネスも拒否された一人だ。若い頃は悪さばかりしていたから、私より年上なのに成人していない」
「……陛下、そんな大昔の話は今更なしです!」

 近くにいたエネスが、憮然としながら国王を睨んだ。
 王は笑いながらエランに糖菓を渡し、自分も椅子に座って書類を見ながらマールの出したお茶を飲んだ。

 僕は、悪さなんてしていない。

 王の軽口も、エランの心を軽くはしなかった。
 彼は無意識に額飾りを触った。
 冷たいそれは、考え過ぎて熱のこもった頭を冷やしているように思える。

「これを外したら、僕はどうなるんですか?」
「王配候補のままでいたければ、外してはならぬ」

 エランは驚きながら、王を見た。
 セルジン王は冷静な緑の瞳で、彼を見つめている。

「オリアンナ姫を欲しくはないのか?」

 エランの心に痛みが走った。
 王を前にして口にして良い言葉でないのは解っていたが、苦しみが大きすぎた。

「彼女の心は、別のひとのものです」
「……その男は、すぐにいなくなる。そなた以外、彼女を支えられない」

 エランは首を横に振りながら、顔をしかめて自分の異常を訴える。

「僕は……、呪われているんです。時々、記憶が無くなるし、オリアンナは倒れてばかりいる。僕が何かしているんじゃないですか?」
「……確かに今のままでは、オリアンナ姫を任せる事は出来ないな」
「教えて下さい。僕は何をしているんですか? ……知りたい」

 影の王が一瞬揺らめき、伝える事に迷いがあるのかとエランが思えた時、王の影が一層濃さを増した。

「ハラルドの呪の魔法は不完全だ、そなたの意志の方が強い」
「不完全?」
「そうだ。不完全な魔法ではあるが、その額飾りを外せばそなたは徐々に屍食鬼になる」
「えっ?」

 身体が沈み込むような衝撃を覚えた。
 自分が屍食鬼になる……、考えられない事だった。
 トキが半変化はんへんげの殲滅を指示したレント城塞での戦いで、彼は夢中で半変化を殺した。
 魔物じみた屍食鬼も、躊躇なく殺したのだ。
 今度は自分が殺される側になる。
 トキに殺されるイメージが、否応なく頭の中を支配した。

「僕の記憶が無くなっていた時、まさか……屍食鬼になっていたんですか?」
「いや、だが毒を放っていた。オリアンナがそれをくい止めていた」
「そんな……」

 エランは頭を抱えて、身を縮める。
 彼女が度々倒れていたのは、自分の放った毒のせいだったのだ。

「僕は……、オリアンナを苦しめた」
「エラン、自分を責めるな、そなたのせいではない。呪を解く方法はある」

 エランは救いを求めるように、顔を上げて王を見る。

「……これを、授けよう」

 セルジン王は一本の剣を腰の剣帯から外し、エランに差し出した。

「私の剣の一つだ。影の私が使っても効果は半減するが、生身のそなたには効果は絶大だろう。呪を解くにはこれを使ってハラルドを葬り去る、そなた自身の手で」
「僕の手で?」

 王は頷く。

「そなたには出来るだろう。呪を解き、オリアンナ姫の元に戻るのだ」

 エランは剣を受け取った。
 剣は簡素な紋様が鞘に描かれたよくある剣に見えるが、薄らと朱の光を帯びて、それが魔剣である事を示している。
 どこかで見た事があると思った。

 モラスの騎士達が、帯びている剣?

 彼は、剣を目の位置まで掲げた。

「ハラルドを葬り去る……」
「そうだ。《王族》の血を引く者である、そなたになら出来る! 魔剣を扱うには、魔法を制御する事が必要だ」

 エランは戸惑った。
 魔法等、扱った事がない。

「ルディーナ・モラス」
「はい、セルジン様」

 モラスの騎士の総隊長ルディーナ・モラスが、ちょこんとセルジン王の後ろから姿を現す。
 自分と大して年齢が違わないのに、なぜこの娘が総隊長なのか、エランには意味が解らなかった。

「エラン・クリスベインを、急ぎ鍛えろ」

 ルディーナは恥ずかしそうに愛らしく彼を見つめ、まるで小悪魔のように言った。

「悪くない波動ね、真黒だわ。ふふ、あなた《聖なる泉》の〈門番〉に、よく殺されなかったわね」
「ルディーナ!」
「闇の魔法が得意かも、騎士隊うちには珍しいタイプだわ。あなた一度死にかけた事があるんじゃなくて?」

 エランはハラルドに殺されかけた事を思い出し、嫌な気持ちになった。

「そんな波動を持つ人は、死の闇を覗いたのよ。だから余計強くならないとね。覚悟してね、私は厳しいから」

 エランは得体の知れない彼女に警戒心を抱きながら、無表情に頷いた。

 呪を解くためなら、何でもする!

 今の彼にはそれ以外の選択肢はなかったのだ。
 手にした希望の魔剣を、食い入るように見つめた。





 行軍の前衛部隊から後衛部隊に移動させられた時、テオフィルスは霧の只中にいた。
 竜を使って霧を吹き飛ばさないと、また霧魔に襲われる危険を主張しても、大将アレインは聞き入れない。
 マシーナが怪訝な様子で怒っていた。

[どうなっているんでしょう? ここの司令官は]
[知らん、王の判断だろ。それとも、俺達に見せたくない何かがあるのかもな]
[胡散臭いなぁ、何を隠しているんだろう]

 テオフィルスはマシーナの正直さを笑った。
 リンクルクランの竜騎士の中でも精鋭の彼は、信じられない程口数が多く常に弱腰だ。
 言葉だけ聞いていると[お前は本当に精鋭か?]と言いたくなるが、竜の扱い、乗りこなし、剣、弓、そして何より判断力は素晴らしい。
 きっと彼は弱腰が自然体なのだろう。

 最後尾に移動して、ずいぶん時間が経ったように思えた。 

[本当に霧魔が出そうな程の霧の濃さですよ。その辺にいるんじゃないですか?]

 丁度マシーナがそう言い始めた頃、心地良い風が吹き始め、霧が徐々に薄くなる。
 全てを覆い隠していた霧が姿を消した。
 そして、テオフィルスは周囲の異変に気が付いたのだ。

[おい、マシーナ。ここは、屍食鬼に襲われた場所じゃないのか?]
[え?]

 燃え上がった木々の跡、木に残る爪のような鋭い物で傷つけられた痕、多くの弓の残骸、武具がいたる所に散乱し、それらには生々しい乾いた血の跡が大量に付いていた。

[これは……] 

 マシーナが茫然と辺りを見回した時、駈歩かけあしで走る三騎の馬が彼等目掛けて駆け付けて来た。
 アレインが優しく微笑みながら馬を降り、二人に話しかける。

「申し訳ない、アルマレークの御二方、状況が変わったようだ。出来れば今すぐレント領に向けて、出立してもらえないだろうか? 親書はここに入っている」

 そう言った後、前もって用意されていたのだろう、親書の入った鞄を差出した。

「一体、どのように状況が変わったのだ? ここは屍食鬼に襲われた地だ、何か俺達がいると都合の悪い事でも?」

 テオフィルスは食下がる。

「そう、都合が悪い。貴殿達にはエステラーン王国にとって、重要な役割を依頼した。それを果たしてもらうためにも、危機を回避して頂きたい。もうすぐここに屍食鬼が来るからだ」 

 テオフィルスはマシーナと顔を見合わせる。
 屍食鬼が来るのなら、当然竜に乗って追い払うべきだと目で語り合った。
 彼は微笑みながら、手を差出した。

「判った。親書を受け取ろう」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。 王子が主人公のお話です。 番外編『使える主をみつけた男の話』の更新はじめました。 本編を読まなくてもわかるお話です。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

処理中です...