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第二章 メイダール大学街
第十五話 手掛かり
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父エドウィンへの怒りが収まるまで、僕は湧き出る泉の畔に座り、ただ水の音を聞いていた。
混乱が頭の中で渦を巻き、架せられた運命に絶望する。
王国陛下を救うために僕は存在している、それなのに七竜の定めた運命は王国に危機をもたらし、あろう事か父がそれを薦めているのだ。
なぜ全てが僕一人に圧し掛かって来るのか、その重石に身動き一つ出来ずにいた。
僕はエステラーン人なのか?
それとも、アルマレーク人?
心の声を聴くために、胸に手を当てた。
―――僕が王太子だから、国が関わるのは当然の事だ。
親が定めた婚約者は誰にでもいる。
父は僕が王太子になった事を知らない。
状況が変わったのだ、七竜の定めた運命は否定していい―――
セルジン王の姿を思い浮かべた。
いつも近くにいるのに、決して手の届かない影という存在。
優しい笑みは僕を包み込み安心できるのに、死を望み僕の前からいなくなると宣言する存在。
「陛下……」
側に居て欲しい……。
今、ここに居て欲しい。
頬に何度目かの涙が流れた。
「セルジン……」
初めて名前を口にしてみる。
名で呼びかける事の出来ない存在。
僕は一体、誰に恋をしているのだろう。
苦しみばかり感じるのなら追いかけるのを止めてしまえば良いのに、それも適わない。
側に居る喜びがあまりにも大き過ぎて、離れる事は考えられないのだ。
あの男を、失いたくない。
苦しみが増し、僕は胸を押さえた。
手に当たる感触に、ある物を思い出す。
懐の奥深くにしまった、テオフィルスの愛の証のハンカチだ。
僕は顔を顰めながら、それを取り出す。
エアリスがオリアンナ姫である事に、彼は気付いているのか分からない。
このまま捨ててしまおうと思った。
《小心者のヘタレ小竜め。絶対渡せ! いつかお前が解放された時に》
彼の言葉と真剣な眼差しが、心に浮かんだ。
解放された時とは、《王族》からの解放という事か。
母上と同じ道を辿り、国と《王族》を捨てろと………。
お前が解放された時?
僕は青ざめた。
テオフィルスは、僕がオリアンナだって完全に気付いている!
「捨ててしまえ!」と、心の片隅が叫ぶ。
ハンカチを持った手を前へ差出し、捨てようとした。
《俺は、お前みたいに子供じゃない》
子供?
こんな風に思う僕は……、子供なのか?
―――ハンカチを捨てた。
白い彼のハンカチは、ゆっくりと石畳に落ちる。
なぜか心に痛みを感じた。
《……私達が果たせなかった夢を、君に託す》
父の言葉が、心をかき乱す。
十一年前の父の姿が消えた泉に向けて呟く。
「勝手な事を言うな! 僕を置いて行ったくせに……」
違うという事は解っていた。
両親は僕を守るために、犠牲になったのだ。
《ソムレキアの宝剣》の主となった僕を助けるために、父は泉の精と取引して自分を犠牲にした。
「僕は……、子供だ」
涙を流しながら、捨てたハンカチを拾い上げた。
テオフィルスの言う通りだ。
彼は子供じゃない、王から奪い取る意志を、明確に僕に伝えたのだ。
《七竜の定めた一対は、運命そのものだ。君達は国を越えて、結ばれる》
「ふんっ、誰があんな奴と! 僕の運命は、僕が決める。大体、僕はヘタレ小竜じゃない!」
涙を袖口で拭き取りながら、悪態を吐いて立ち上がった。
彼の前で、オーリンとして存在すればいいだけの話だ。
このハンカチは、存在しないエアリス姫に渡すために持ち歩く、それ以外の意味は無い、そう思ってハンカチを懐にしまった。
「泉の精、僕に渡すものがあるだろう?」
『エドウィンに怒りを持たないで、オリアンナ姫。あなたのためを思っての事です』
心に突き刺さる、泉の精の言葉。
「解っている、もう、怒ってないよ。それより、急ぐんだ。エランの事が心配だし、ここの〈門番〉が黒い渦を帯びている。ここは大丈夫なのか?」
『オリアンナ姫、あなたの父上が私達に力を貸してくれています。だから泉が枯れる事はない。……でも、エドウィンがいつまで力を保てるかは疑問です』
「父上が?」
父は生きてブライデインの《聖なる泉》で、僕を待っている。
早く父上に会いたい。
会って僕の意志を伝えるんだ、セルジン王と共に生きたいって。
反対されても、それが僕の意志だ!
「導を!」
『判りました。この先の《聖なる泉》は聖域とはいえ安全とは言えない。気を付けなさい、オリアンナ姫。さあ、受け取るのです。私の導、〈堅固の風〉を!』
僕の足元から旋風が巻き起こり、僕を巻き込んだ。
旋風は僕を持ち上げ、左手に収束するようにその力を弱め、地に足を付けた時は風の導が左手に輝いているだけとなった。
二度目の受け取りは、恐怖を感じる事なく完了する。
『〈堅固の風〉はあなたを守り、ブライデインへ導く。エドウィン、約束は果たしましたよ』
そう言って泉の精は、消えようとした。
「あっ、待って下さい! 聞きたい事がある」
『……オリアンナ姫、エステラーンの《王族》は我らとは、互いに不可侵です。あなたの血の半分を、我らは否定する。これ以上助ける事は出来ません!』
否定という強い言葉に僕は挫けそうになりながら、それでも食い下がる。
「そんな……、セルジン王を助ける方法を教えて下さい。僕の手で彼を死なせたくない! お願いです、どうしたら助けられるのですか?」
『《王族》を救う方法は《王族》にしか判らない。あなた達の歴史の中に答えがあるはず。見出しなさい、オリアンナ姫』
泉の精の姿が消えた。
泉の湧き出る音が、妙に大きく聞こえる。
「エステラーン王国の歴史の中に、答えがある……」
僕は茫然とした。
長い歴史のエステラーン王国の記録を、どう辿れば良いのか見当もつかない。
そうして僕が今、どこに滞在しているのかを思い出す。
「……そうか、大学図書館がある! 教授もいるし、聞ける人はたくさんいるじゃないか。ありがとう、泉の精」
希望が見えた気がした。
王を生きて助け出す、それを見つけられる場所に僕はいる。
《聖なる泉》を出た後、大学図書館の四階にある謎の部屋を探索する事になっていた。
そこに何があるのか、誰も知らない。
結界を破れるのは、僕だけだ。
急いで帰ろうと振り返り、階段庭園の上を見て驚いた。
そこに二十代半ばぐらいの女が立っていたのだ。
僕と同じ金色の長い髪を風になびかせ、薄い白一色のドレスは、まるで死装束のように幽霊じみて見える。
この《聖なる泉》で、初めて人に会った。
「……誰?」
女はゆっくり僕に見せるように、自分の左手を胸の前まで持ってきた。
彼女の左手首には、見覚えのある腕輪が嵌っていた。
僕がマールから貰った腕輪とそっくりなそれは、明らかに〈抑制の腕輪〉だ。
「あ……、あなたはマールさんの?」
彼女は何かを訴えている。
僕に向けゆっくり首を横に振り、自分の左手首を腕輪ごと右手で掴んだ。
その瞬間、彼女は消え去り、僕はゾッとした。
「何だ? ……何を、伝えたいんだ?」
体中に鳥肌が立つ。
あの腕輪が何かとても危険な物に思え、危機感が体中から湧き起る。
マールの姿が暗闇から浮き上がるように、僕の心を支配した。
綺麗に整えられた髭の下に、謎めいた彼の本当の顔を隠している。
彼から貰った腕輪は、消えた女に、どのように作用したのだろう?
彼女は腕輪を掴んで、首を横に振っていた。
まるで、あの腕輪を嵌めてはいけないと訴えているように。
彼女は、マールの妻ではないのか?
マールの声が、頭の中に木霊する。
《陛下を生きて助け出す方法を、あなたが掴むのです。陛下より前に》
僕は茫然と、彼女の消えた場所を見上げていた。
足元から地面が崩れていくような感覚を、拭い去る事が出来なかった。
混乱が頭の中で渦を巻き、架せられた運命に絶望する。
王国陛下を救うために僕は存在している、それなのに七竜の定めた運命は王国に危機をもたらし、あろう事か父がそれを薦めているのだ。
なぜ全てが僕一人に圧し掛かって来るのか、その重石に身動き一つ出来ずにいた。
僕はエステラーン人なのか?
それとも、アルマレーク人?
心の声を聴くために、胸に手を当てた。
―――僕が王太子だから、国が関わるのは当然の事だ。
親が定めた婚約者は誰にでもいる。
父は僕が王太子になった事を知らない。
状況が変わったのだ、七竜の定めた運命は否定していい―――
セルジン王の姿を思い浮かべた。
いつも近くにいるのに、決して手の届かない影という存在。
優しい笑みは僕を包み込み安心できるのに、死を望み僕の前からいなくなると宣言する存在。
「陛下……」
側に居て欲しい……。
今、ここに居て欲しい。
頬に何度目かの涙が流れた。
「セルジン……」
初めて名前を口にしてみる。
名で呼びかける事の出来ない存在。
僕は一体、誰に恋をしているのだろう。
苦しみばかり感じるのなら追いかけるのを止めてしまえば良いのに、それも適わない。
側に居る喜びがあまりにも大き過ぎて、離れる事は考えられないのだ。
あの男を、失いたくない。
苦しみが増し、僕は胸を押さえた。
手に当たる感触に、ある物を思い出す。
懐の奥深くにしまった、テオフィルスの愛の証のハンカチだ。
僕は顔を顰めながら、それを取り出す。
エアリスがオリアンナ姫である事に、彼は気付いているのか分からない。
このまま捨ててしまおうと思った。
《小心者のヘタレ小竜め。絶対渡せ! いつかお前が解放された時に》
彼の言葉と真剣な眼差しが、心に浮かんだ。
解放された時とは、《王族》からの解放という事か。
母上と同じ道を辿り、国と《王族》を捨てろと………。
お前が解放された時?
僕は青ざめた。
テオフィルスは、僕がオリアンナだって完全に気付いている!
「捨ててしまえ!」と、心の片隅が叫ぶ。
ハンカチを持った手を前へ差出し、捨てようとした。
《俺は、お前みたいに子供じゃない》
子供?
こんな風に思う僕は……、子供なのか?
―――ハンカチを捨てた。
白い彼のハンカチは、ゆっくりと石畳に落ちる。
なぜか心に痛みを感じた。
《……私達が果たせなかった夢を、君に託す》
父の言葉が、心をかき乱す。
十一年前の父の姿が消えた泉に向けて呟く。
「勝手な事を言うな! 僕を置いて行ったくせに……」
違うという事は解っていた。
両親は僕を守るために、犠牲になったのだ。
《ソムレキアの宝剣》の主となった僕を助けるために、父は泉の精と取引して自分を犠牲にした。
「僕は……、子供だ」
涙を流しながら、捨てたハンカチを拾い上げた。
テオフィルスの言う通りだ。
彼は子供じゃない、王から奪い取る意志を、明確に僕に伝えたのだ。
《七竜の定めた一対は、運命そのものだ。君達は国を越えて、結ばれる》
「ふんっ、誰があんな奴と! 僕の運命は、僕が決める。大体、僕はヘタレ小竜じゃない!」
涙を袖口で拭き取りながら、悪態を吐いて立ち上がった。
彼の前で、オーリンとして存在すればいいだけの話だ。
このハンカチは、存在しないエアリス姫に渡すために持ち歩く、それ以外の意味は無い、そう思ってハンカチを懐にしまった。
「泉の精、僕に渡すものがあるだろう?」
『エドウィンに怒りを持たないで、オリアンナ姫。あなたのためを思っての事です』
心に突き刺さる、泉の精の言葉。
「解っている、もう、怒ってないよ。それより、急ぐんだ。エランの事が心配だし、ここの〈門番〉が黒い渦を帯びている。ここは大丈夫なのか?」
『オリアンナ姫、あなたの父上が私達に力を貸してくれています。だから泉が枯れる事はない。……でも、エドウィンがいつまで力を保てるかは疑問です』
「父上が?」
父は生きてブライデインの《聖なる泉》で、僕を待っている。
早く父上に会いたい。
会って僕の意志を伝えるんだ、セルジン王と共に生きたいって。
反対されても、それが僕の意志だ!
「導を!」
『判りました。この先の《聖なる泉》は聖域とはいえ安全とは言えない。気を付けなさい、オリアンナ姫。さあ、受け取るのです。私の導、〈堅固の風〉を!』
僕の足元から旋風が巻き起こり、僕を巻き込んだ。
旋風は僕を持ち上げ、左手に収束するようにその力を弱め、地に足を付けた時は風の導が左手に輝いているだけとなった。
二度目の受け取りは、恐怖を感じる事なく完了する。
『〈堅固の風〉はあなたを守り、ブライデインへ導く。エドウィン、約束は果たしましたよ』
そう言って泉の精は、消えようとした。
「あっ、待って下さい! 聞きたい事がある」
『……オリアンナ姫、エステラーンの《王族》は我らとは、互いに不可侵です。あなたの血の半分を、我らは否定する。これ以上助ける事は出来ません!』
否定という強い言葉に僕は挫けそうになりながら、それでも食い下がる。
「そんな……、セルジン王を助ける方法を教えて下さい。僕の手で彼を死なせたくない! お願いです、どうしたら助けられるのですか?」
『《王族》を救う方法は《王族》にしか判らない。あなた達の歴史の中に答えがあるはず。見出しなさい、オリアンナ姫』
泉の精の姿が消えた。
泉の湧き出る音が、妙に大きく聞こえる。
「エステラーン王国の歴史の中に、答えがある……」
僕は茫然とした。
長い歴史のエステラーン王国の記録を、どう辿れば良いのか見当もつかない。
そうして僕が今、どこに滞在しているのかを思い出す。
「……そうか、大学図書館がある! 教授もいるし、聞ける人はたくさんいるじゃないか。ありがとう、泉の精」
希望が見えた気がした。
王を生きて助け出す、それを見つけられる場所に僕はいる。
《聖なる泉》を出た後、大学図書館の四階にある謎の部屋を探索する事になっていた。
そこに何があるのか、誰も知らない。
結界を破れるのは、僕だけだ。
急いで帰ろうと振り返り、階段庭園の上を見て驚いた。
そこに二十代半ばぐらいの女が立っていたのだ。
僕と同じ金色の長い髪を風になびかせ、薄い白一色のドレスは、まるで死装束のように幽霊じみて見える。
この《聖なる泉》で、初めて人に会った。
「……誰?」
女はゆっくり僕に見せるように、自分の左手を胸の前まで持ってきた。
彼女の左手首には、見覚えのある腕輪が嵌っていた。
僕がマールから貰った腕輪とそっくりなそれは、明らかに〈抑制の腕輪〉だ。
「あ……、あなたはマールさんの?」
彼女は何かを訴えている。
僕に向けゆっくり首を横に振り、自分の左手首を腕輪ごと右手で掴んだ。
その瞬間、彼女は消え去り、僕はゾッとした。
「何だ? ……何を、伝えたいんだ?」
体中に鳥肌が立つ。
あの腕輪が何かとても危険な物に思え、危機感が体中から湧き起る。
マールの姿が暗闇から浮き上がるように、僕の心を支配した。
綺麗に整えられた髭の下に、謎めいた彼の本当の顔を隠している。
彼から貰った腕輪は、消えた女に、どのように作用したのだろう?
彼女は腕輪を掴んで、首を横に振っていた。
まるで、あの腕輪を嵌めてはいけないと訴えているように。
彼女は、マールの妻ではないのか?
マールの声が、頭の中に木霊する。
《陛下を生きて助け出す方法を、あなたが掴むのです。陛下より前に》
僕は茫然と、彼女の消えた場所を見上げていた。
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