アドリアンシリーズ

ひまえび

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アドリアンシリーズ第10話……エピソード10……太平洋の発見

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1378年6月上旬日曜日朝7時……アツカポツァルコ
 鉱山の発掘を工兵隊に任せ、カリーナ、妻妾たちを引き連れて本拠地のテノチティトランに帰還しようとしていた。
第1皇后のテレソネが故郷の父母に会って行きたいと言うので、アツカポツァルコに先ず行くことにした。
 テレソネの父はナワ族の族長であり、今でもナワ族には絶大な影響力を持っていた。大歓迎を受け、その晩はゆっくり休ませていただいたのだが、族長は聴き逃がせない重大事をアドルフに話した。
 西の方角に大きな海があるというのである。族長も若い時に西シェラマドレ山脈を越えて一度だけ行ったそうだ。メキシコは全土の3分の1は東西のシエラ・マドレ山脈に挟まれた平均高度1700mのメキシコ高原「メキシコ盆地」で、横断火山帯が走り地震も多い。
 ここから南の方角に行き、西シェラ・マドレ山脈を越えれば行けるそうだ。まあ君に行けるところではないだろうが。
アドルフはそう言われてかちんと来た。極北のシベリアやマークランドにまで行った男だぞ。行けないところなんかあるものか。
 翌日族長の言う大きな海に向かって出発した。いやあこれが大変な難関だった。3千から5千メートル級の山の上り下りが骨が折れるし、途中で分けのわからぬ山賊共が何百人と襲いかかってくる。話など聞く連中じゃないので、説得も脅しも効果がない。殺すしかないのだ。またこれが嫌になるほど次から次に襲いかかってくる。
 アドルフたちは全力を上げて対抗し、くたくたになった。雨季に入りかけでずぶ濡れになりながらようやく西シェラ・マドレ山脈を越えた。2ヶ月は優に経過していた。
そこから海岸までは比較的楽だったが、アカプルコ湾に到着したのは9月の終わりになっていた。
 
1378年9月下旬土曜日朝7時……アカプルコ湾
 到着して一息ついたアドルフはこの場所をアカプルコ……注①と名付け、この果てしない大きな海を太平洋と名付けた。ここに年内一杯滞在して拠点造りしよう。きっと将来役に立つはずだ。全部隊5万名を動員して拠点と港及び造船所を建設した。
 陸路もありそうだが、せっかくだから太平洋を海岸沿いに探検してみようと思い立ったのだ。きっと大西洋に近いところもあるはずだ。もうあの高い山脈は懲り懲りだ。もっと楽に移動できるところがあるはずだ。
1378年12月下旬土曜日朝7時……アカプルコ湾
 突貫工事で港と造船所を建設した。またそろそろ本国まで帰らないと物資が乏しくなってきたのだ。食料が全然足りない。幸い船を建造する木材は豊富にあった。ブリガンティン船を兵隊たちが乗れるだけ建造し、太平洋を海岸沿いに南に下った。

1379年1月下旬土曜日朝7時……テワンテペク地峡
 港らしきところに到着した。テワンテペク地峡……注②と名付けて上陸した。港の施設を急ごしらえで建設し、船団を停泊しておいた。アカプルコに戻る時船が必要になる。
 野営を繰り返しながら北へと進むとついに大西洋に到着した。距離は300キロメートルほどである。平野の移動であるから大したことはない。

港にふさわしいところを探し回ったら、ふさわしいところが西側にあった。ベラクルスと名付けた。偶然にもアドルフがメヒコに最初に到着したセンポアラのすぐ近くであった。ガレオン船もそのままセンポアラに停泊してあった。

今回はここ迄にして置きましょう。次回をお楽しみに。

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注① ……アカプルコ……ウィキペディアによると
 8世紀までに、アカプルコ一帯に小規模な文化が存在していた。一帯は最初オルメカ人によって、スペイン支配の前の期間には他の複数の部族によって支配されていた。アカプルコ湾には、Playa LargaとEl Guitarrónとして知られている丘の上に、2つのオルメカ人居住地が存在していた。オルメカ人の影響で、小さく散らばっていた村がより大きな集合となり、祭儀の中心地を建設した。
 後には、テオティワカン影響により、村からクエルナバカやチルパンシンゴを経由する道路が建設された。そしてマヤ人の影響が、テワンテペク地峡……注②からオアハカを通じて伝えられた。アカプルコの歴史は、特にPlaya Hornos, Pie de la Cuesta, Tambucoで発見された考古学的な埋葬品から知ることができる。11世紀に、ナワトル人やコイサス人 (Coixas) の新しい移住者がやって来た。これらの人々は、アステカ人の祖先であった。
注② ……テワンテペク地峡……ウィキペディアによると
 テワンテペク地峡はメキシコの西経94度から96度の部分に位置する。地峡の西側にはベラクルス州とオアハカ州、東側にはタバスコ州とチアパス州がある。
 メキシコ湾から太平洋までの距離は、最も短い場所で 200 km 程である。南シエラマドレ山脈の東端であり、地峡の部分は比較的なだらかな地形となっている。テワンテペク地峡を横切るテワンテペク鉄道の最高地点の標高は 224 m である。
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