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第46話 復縁

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柿沢と同居して一月が立とうとしていた。
同棲ではない。同居。
しかし、後半の5日は自分の部屋で過ごした。

毎日柿沢から電話が来て、雑談をする。
そんな付き合いたての恋人のような感じだったろう。
彼女にしてみれば。
ただオレにしてみればもう別れを切り出したかったがそれを言えずにいた。
畑中さんから救ってくれたという恩義が別れをいいだせなかっただけ。

会社の仕事をしていると、内線がかかってきた。
畑中さんだ。これは恐れるに足りない。
仕事は仕事で彼女は分けていたからだ。

「はい。坂間野です」
「あ、坂間野くん。会議室を借りたんだ。キミのチームの連中を連れて来てくれ」

「はい。分かりました」

後輩を連れて会議室に行くと、すでに畑中さんのチームと、他に2チーム。大きな仕事だと分かった。

「学習塾の冊子ものだ。表紙デザインは私のチームで担当する。国井くんはワニをモチーフにしたキャラクター案をだしてくれ。中身は徐々に組み立てては行くが、だいたいA4、96ページの予定だ。国井くんは最初の16ページを担当。吉永くんは32ページを担当。坂間野くんも32ページを担当する。残りは私のチームでやる形だ。スケジュールは来週の頭には出す。その辺から取りかかれると思う。先ずは国井くんのチームでキャラクターだな」
「はい」

軽い打ち合わせだった。校正を担当する柿沢も同席していた。
しかし、この部屋に元カノと現カノがいるとは。

「とりあえず以上だ。みんな席に戻ってくれ」

みんな一斉にイスの音を鳴らす。

「あ、坂間野くんだけ残りたまえ」
「あ、はい」

後輩に資料を持たせ、もう一度席に腰を下ろす。
ぞろぞろとみんな出て行き、やがて扉は閉じられた。
畑中さんはゆったりと扉まで行き、鍵をかけた。

「あの……」
「泰志。なぜ私を避けるんだ」

怖い。恐ろしい。
脳裏に暴力を振るわれた過去を思い出す。
蛇に睨まれたカエルのようになってしまった。
会社ではないと思っていたのに。


だが畑中さんはオレに近づくと、跪いて泣き出してしまった。
スラックスの折り目を掴んで、さめざめと泣く姿は、少しだけ可哀相だった。

「泰志。泰志──。キミに恋い焦がれる余りにヒドいことをした。自分本位だった。謝る。この通りだ。許してくれ」

もはや土下座の格好だ。今は恐怖の対象でも、一時は身を重ね愛し合った一人。オレも跪いてその手を取った。

「怖かった。怖かったんです。畑中さんのこと」
「そうだろう。分かってた。分かっていたのに」

「すいません。オレが言わなくてもいいことを言ってしまったばかりに」
「私こそスマン。キミが結婚を求めるなら考えてもいい。子どもを望むなら一人ぐらいならいい。だから戻ってきてくれ」

なんという譲歩。畑中さんは悩んだんだろう。
オレというパートナーを失いたくなかったんだろう。

柿沢のことが本当にどうでも良くなった。
チュートリアルのステップ2から進めない恋なんて、もどかしい。
畑中さんは考えている。デザイン事務所を。オレとの将来を。

「来週から忙しくなるから、どうだ。久しぶりに今日」
「いっスね」

すんなりと自然な「いっスね」。
本来はそんな仲なんだ。
畑中さんがあんな風になりさえしなければ。

柿沢を忘れて外で会うオレたち。
軽い食事と軽い酒。そしてホテル。

全て自然だ。自然体。平等な手と舌と腰の動き。悩む事なんて何もない。
対等な終結にベッドに深く沈む。
やがてオレは起き上がり畑中さんの背中のタトゥの上に灰皿を置く。
彼女を灰皿にする。

「最近、男の顔じゃなかったな」
「由香里のせいでしょ」

「泰志が軟弱だから喝を入れてやったんだよ」
「……そうかも」

甘い香りの煙を吐き出す。
軟弱。思い当たるフシがあるから不思議だ。
もともと軟弱だったオレ。

それは女によって変わる。
麗で輝き、畑中さんで保ち、柿沢で陰る。
相性なんだろう。
それって、相性なんだろう。

畑中さんの背中の灰皿でタバコを揉み消し、今度は自分が寝転んで胸の上に灰皿を置いた。
畑中さんはニヤつきながら起き上がりタバコに火を付けた。

「分かってるじゃないか」
「そりゃぁ……」

代わりばんこの一服。
甘い香りが立ち込める。

「携帯……鳴ってるぞ」
「……ああ、別にいいっす」

「今カノか?」
「ですね」

畑中さんの問いにオレはどうでもよさげに雑に答えた。
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