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第33話 出迎え

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 三日後としたのは文吉にも都合があった。このいたずらを完全にするためにミツの体格をしっかりと見て来なくてはならなかったのだ。

 文吉は、熊吉や吉兵衛を連れて呉服屋巡りだ。白無垢の打掛に、旦那の嫁らしく赤や黄色の美しい呉服を買ったのだ。

 紀伊国屋の大旦那の結婚式だ。盛大にやろう。屋敷にたくさんのお得意様を呼んで、お土産に紙に包んだ二分金を渡すための用意だ。使用人を集めて準備をさせた。
 赤飯や餅、尾頭付きの魚を江戸中の魚屋に頼んで持ってこさせる。ほぼ買い占めであった。
 さらには、大門に登ってミツが来た際には見物人に向かって金を撒くようにと指示をした。
 一升枡に小粒の金を入れたものが十枡ほど。中には小判が入ったものまである。これを盛大に撒き散らかそうというのだから大変豪毅である。
 この結婚式の準備で、三千両を費やした。



 そして当日。文吉は新調した紋付きを来て、屋敷の門を出る。源蔵以下、女中や下男、小僧まで出て来て手を振ってお見送りだ。
 文吉は、そこに並んでいる千代の頭を撫でた。

「お千代や。今からお前のおっかさんになる人を連れてくるからね」
「千代のおっかさんですか?」

「そうだ。お前や定吉。ワシにとっては九万兵衛に続く大事な家族だよ。ワシはお千代を娘と思っている。定吉は息子だ。そして今から嫁を迎えに行くんだよ。お前たちはどうかその人を母と仰いでおくれ」
「旦那さまのお嫁さんですか?」

「そうだ。お前にとってはおっかさんだ」

 そういって文吉は見送りの者たちに笑顔で手を振って用意されている駕籠へと乗り込んだ。

 文吉を先頭に続いて熊吉の駕籠が行く。その後ろに裃をつけた吉兵衛が率いる芸人集団が、金が入った枡を小脇に抱えて整然とついていった。



 吉原の大門につくと、文吉は吉原の中に入ろうとはしなかった。ただその吉原の美しさを懐かしそうに眺めた。
 自分は今日で卒業だ。たまに接待に来ることはあるかも知れないが、これからは家族を守る。ミツを得たことで文吉の旅は終わりを告げた。そんな気持ちだったのだ。

 吉兵衛は芸人仲間を大門にハシゴを掛けて数人登らせた。残りの数人は吉兵衛を含めて地上より金撒きをする。

 この騒ぎに吉原は騒ぎ出した。

「紀文の大旦那の身請けだとよ」
「なんでも幼い頃に別れ別れになった幼馴染みだそうな」
「はぁー。そらなんとも芝居のようだな」

 芝居と言われて文吉は思い出す。吉兵衛に“可愛さ余って憎さ百倍”というのを聞いた話を。
 なんの。吉兵衛とてたくさんの男と寝た汐凪を娶ったではないか。愛していればそんなことは関係ない。
 それは自分だって同じことだ。それが人を愛するということではないか。



 吉原の騒ぎは、三浦屋の高尾太夫の耳にも入った。紀文の大旦那の身請け。太夫の自分ではなく他の女だ。
 高尾は太夫の身分でありながら、格子へと走り、大門に目を向けたがそこからでは文吉の姿が見えない。今度は二階の座敷へと走って、大門にたたずむ文吉の姿を見つけた。
 お大尽らしい黒紋付きを羽織り、片手には扇を持って女が来るのを待っている。そこに行くのは自分ではないことになぜか哀しくなった。

 大した男ではないと思っていたのに、いつの間にか文吉が自分の中に住み始めていたことに気付いて、神仏を拝むように手を合わせて頭を下げた。
 それは幸せを祈るためか。それとも自分に向き直って欲しいからか──。

 大門の前にはたくさんの人が押し寄せた。これから始まる金撒きに期待するものが大半だが、紀文の大旦那がどんな女を身請けしたのかというのの見物であった。



 しかし──。
 待てど暮らせど、ミツの姿は現れない。不思議に思って熊吉は文吉に聞こうとしたが、幸せそうな顔をしている文吉にそれを聞くのも野暮だと思い、キセルを出して煙草を吸い始めた。
 続いて吉兵衛だ。これもなかなか現れないミツを不思議に思っていた。もう少し待ってから聞いてみよう。もう少し待ってからとやっているうちに、日も落ち始めて早い遊廓では提灯に火を入れるところまで現れだした。

 吉兵衛はさすがに遅いと思い、文吉のそばに行って耳打ちをする。

「さすがに遅いかと──」
「おいおい。野暮はよせ。吉原の女は客を待たせるものだ」

「さ、左様で……」

 それ以上は何も言えずに持ち場に戻って枡を抱えた。野次馬達もあくびをしたり、店に入ったりで、人が少なくなってきた。
 熊吉も声をかける。

「文左衛門の兄貴。ひょっとしたら病気でもして寝込んでいるんじゃねぇか?」

 文吉もさすがにそうだと思い、吉兵衛をそばに呼んだ。

「へぇ。大旦那。お呼びで?」
「ああ。お前に頼むのも心苦しいが、ひょっとしたらミツは病気をして誰にも頼れず唸っているのかも知れない。悪いが少し見てきてくれまいか?」

「もちろんでさァ」

 吉兵衛は金の入った枡を仲間に預けると、圓屋へと走った。中に入ると主人が出迎えたが、紀文の大旦那の遣いだというと、土間に這いつくばって畏れ入っていた。

「おいおい。この吉原の騒ぎは知っているな」
「へ、へぇ。なんでも紀文の大親分の身請けだとか……」

「なんとも他人事のようだな。藤佳さんは何をしている」
「へ? 藤佳でやすか?」

「なんだそりゃ。紀文の大旦那がお待ちだ。藤佳さんの現況を教えてくれ」
「え? あの。そのぅ……」

「ハッキリしない主人だな。いくら女は時間がかかるとしても遅すぎる。それとも病で伏せっているのか?」
「あのぅ。なんのお話で?」

「だから、身請けの話ではないか!」
「どなたの……?」

「紀文の大旦那だよ!」

 まるで肩透かしのような主人の返答に、さすがの吉兵衛も声を張り上げた。

「あ、あの。藤佳は昨日、身請けされてもうこの店にはおりません」
「は、はあ!?」

「え、ええ。それに紀文の大親分から身請けの話など聞いておりませんでしたし、お金も頂戴しておりません」

 これは何かがおかしいと思い、吉兵衛は文吉の元へと急いで戻った。

「旦那! 紀文の大旦那!」

 声を張り上げたら、少しまずい。文吉に恥をかかすかも知れないと、吉兵衛は口を押さえて、文吉の耳に近付いた。

「旦那。おミツさんはすでに身請けされたという話ですぜ?」

 文吉は驚いた顔を吉兵衛へと向けたが、すぐに笑顔を吉原のほうへと向けた。

「なんだ。いつもの冗談か──」

 冗談ではない。文吉はなにか勘違いしていると、吉兵衛はさらに言葉を続けた。

「大旦那。おミツさんは昨日身請けされました。大旦那は、自分で圓屋の主人に金を渡したんですか? それとも誰かを間に挟んだ?」

 文吉の顔に陰りが見える。少しムッとしたような顔であった。

「誰かを仲介などしていない。おミツに直接渡したのだ」

 ではそれが──。それが答えだと吉兵衛は思った。
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