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50歳前の離婚
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彼女が荷造りをするのを最初は寝たふりをしていた。その間に出ていって欲しかったのだ。
しかし彼女は力が強いわけでも体力があるわけでもない。段ボール一つまとめるのに大仕事のようだった。
リビングのソファに腰を下ろして見たくもない日曜の討論番組を見ていた。片方の論に偏った政府批判。こんなのを楽しむようになっては老人だ。リモコン片手にいつ見るのをやめようか迷っていた。
彼女は一言も発しない。私も声をかけない。そもそも離婚は彼女が言い出したこと。どうしてもと言うので離婚届に判を押した。手伝う義理なんてない。
結婚して18年。熱く厚く抱擁を重ねたし愛し合った。もちろんケンカもした。だが仲が悪かったわけじゃない。
むしろよかった。
二人きりの人生を楽しんでいた。海外にも数回行ったし、国内だって行かない県を数えた方が早いほど各地を回った。
なぜ離婚するのか。
それは子どもが出来なかったからだ。不妊は彼女の方だった。数回の体外受精、顕微受精。一度着床したが流れてしまった。それっきり。後は年齢と共に諦めざるを得なかった。
私は言った。「別にいい。二人の人生を楽しもう」と。
しかし彼女は「その優しさが重い」と言った。
あなたに責任はない。今すぐ町にでて行きずりの人と過ちを犯したとしても普通に出来てしまう。自分には出来ない。
愛する人の子どもを作れないのがつらい。もしもあなたが浮気して子どもが出来たとしたら、その子を引き取って育ててもいい。
愛するあなたの子どもが欲しい。
あなたが生きた証を遺したい。
自分にはそれが出来ない──。
彼女は責任を感じすぎて潰されてしまったのだ。
私は何度もいいんだと言った。
しかし彼女は自分を許さなかった。彼女自身が保母の資格を持つ子ども好きというのも祟った。
よちよちと母の手を離れて自身の足で歩くよその子に振り返る。それを細い目で見る私を彼女は見ていた。
私と結婚しなければ──。
いつからその言葉を言うようになってしまっただろう。その言葉が二人の空間を押しつぶして住みづらくしてしまった。
「離婚しよう──」
彼女は寂しく言った。
離婚してどうなるのだろう。もうすぐ二人とも50になるというのに。
「あなたならすぐに別の人が見つかるよ」
だったら、彼女は──キミはどうするのだろう?
「お世話になりました──」
「……ああ」
彼女の方を見なかったが彼女が玄関の下駄箱に家のカギと結婚指輪を置いたのが分かった。重い玄関の扉が閉まる。
靴音が遠くに離れる。
離れて行ってしまう──。
無気力のままの日曜の夕方。見たくもない旅番組を消して立ち上がる。玄関に行って彼女が置いていった結婚指輪を掴んで外に出て車に乗った。
向かったのは夜の海。冬の海は寒い。波が高い。
私も自身の左手の薬指に食い込んでいた指輪を外し、まとめて海へと遠投する。
これで全て終わった。
暗闇に紛れてしまったが指環は、二つに離れて海に落ちたのだろう。波の音が小さな指環の落下音など教えてくれるはずもない。
後は黒くうねる海を見つめていた。
波も見えないし、音だけの世界だが、日曜のくだらない番組を見ているよりもずっといい。
きっと彼女がそばにいたら共感してくれるだろう。
次の週の日曜。
彼女の実家に近いアパートへ向かっていた。彼女の次なる根城だ。そこを終の棲家になどさせない。
助手席には婚姻届と新しい結婚指環。
誰が子どもを産めるキミを欲しがっているのだ。私は今の君が欲しいのだ。
一度はキミのわがままを聞いて離婚してやった。だから今度はキミが私のわがままを聞くべきだ。彼女の「責任」は離婚をもって解決した。
だったら私が次の交際相手を勝手に決めても構わないだろ?
頑固なキミのことだ。今日は断るだろう。来週も。ひょっとしたら数ヶ月断り続けるかも知れない。
それでいい。
残念ながら知っての通り私も頑固なんだ。よい返事が貰えるまで何度も通うよ。
私たちはいつか死ぬ。それはきっと同時には死ねない。どちらかが寂しい日々を過ごすことになるだろう。
だけどいいんじゃないか? それまで一緒にいたって。今からの人生、また一緒に歩む思い出が、その終わりの時に子どもがいたかどうかなんて感じさせないほどに充実したものにしてみせるさ。
彼女の部屋の呼び鈴を押す。遅れた返事に気怠げに開くドア。来訪者に期待していない人生丸出しだ。
「はい……?」
「結婚して下さい」
「え?」
「ふふふ」
驚いた顔から、呆れたように微笑む彼女。そんな顔を残りの人生で見ていけたらと思う。
しかし彼女は力が強いわけでも体力があるわけでもない。段ボール一つまとめるのに大仕事のようだった。
リビングのソファに腰を下ろして見たくもない日曜の討論番組を見ていた。片方の論に偏った政府批判。こんなのを楽しむようになっては老人だ。リモコン片手にいつ見るのをやめようか迷っていた。
彼女は一言も発しない。私も声をかけない。そもそも離婚は彼女が言い出したこと。どうしてもと言うので離婚届に判を押した。手伝う義理なんてない。
結婚して18年。熱く厚く抱擁を重ねたし愛し合った。もちろんケンカもした。だが仲が悪かったわけじゃない。
むしろよかった。
二人きりの人生を楽しんでいた。海外にも数回行ったし、国内だって行かない県を数えた方が早いほど各地を回った。
なぜ離婚するのか。
それは子どもが出来なかったからだ。不妊は彼女の方だった。数回の体外受精、顕微受精。一度着床したが流れてしまった。それっきり。後は年齢と共に諦めざるを得なかった。
私は言った。「別にいい。二人の人生を楽しもう」と。
しかし彼女は「その優しさが重い」と言った。
あなたに責任はない。今すぐ町にでて行きずりの人と過ちを犯したとしても普通に出来てしまう。自分には出来ない。
愛する人の子どもを作れないのがつらい。もしもあなたが浮気して子どもが出来たとしたら、その子を引き取って育ててもいい。
愛するあなたの子どもが欲しい。
あなたが生きた証を遺したい。
自分にはそれが出来ない──。
彼女は責任を感じすぎて潰されてしまったのだ。
私は何度もいいんだと言った。
しかし彼女は自分を許さなかった。彼女自身が保母の資格を持つ子ども好きというのも祟った。
よちよちと母の手を離れて自身の足で歩くよその子に振り返る。それを細い目で見る私を彼女は見ていた。
私と結婚しなければ──。
いつからその言葉を言うようになってしまっただろう。その言葉が二人の空間を押しつぶして住みづらくしてしまった。
「離婚しよう──」
彼女は寂しく言った。
離婚してどうなるのだろう。もうすぐ二人とも50になるというのに。
「あなたならすぐに別の人が見つかるよ」
だったら、彼女は──キミはどうするのだろう?
「お世話になりました──」
「……ああ」
彼女の方を見なかったが彼女が玄関の下駄箱に家のカギと結婚指輪を置いたのが分かった。重い玄関の扉が閉まる。
靴音が遠くに離れる。
離れて行ってしまう──。
無気力のままの日曜の夕方。見たくもない旅番組を消して立ち上がる。玄関に行って彼女が置いていった結婚指輪を掴んで外に出て車に乗った。
向かったのは夜の海。冬の海は寒い。波が高い。
私も自身の左手の薬指に食い込んでいた指輪を外し、まとめて海へと遠投する。
これで全て終わった。
暗闇に紛れてしまったが指環は、二つに離れて海に落ちたのだろう。波の音が小さな指環の落下音など教えてくれるはずもない。
後は黒くうねる海を見つめていた。
波も見えないし、音だけの世界だが、日曜のくだらない番組を見ているよりもずっといい。
きっと彼女がそばにいたら共感してくれるだろう。
次の週の日曜。
彼女の実家に近いアパートへ向かっていた。彼女の次なる根城だ。そこを終の棲家になどさせない。
助手席には婚姻届と新しい結婚指環。
誰が子どもを産めるキミを欲しがっているのだ。私は今の君が欲しいのだ。
一度はキミのわがままを聞いて離婚してやった。だから今度はキミが私のわがままを聞くべきだ。彼女の「責任」は離婚をもって解決した。
だったら私が次の交際相手を勝手に決めても構わないだろ?
頑固なキミのことだ。今日は断るだろう。来週も。ひょっとしたら数ヶ月断り続けるかも知れない。
それでいい。
残念ながら知っての通り私も頑固なんだ。よい返事が貰えるまで何度も通うよ。
私たちはいつか死ぬ。それはきっと同時には死ねない。どちらかが寂しい日々を過ごすことになるだろう。
だけどいいんじゃないか? それまで一緒にいたって。今からの人生、また一緒に歩む思い出が、その終わりの時に子どもがいたかどうかなんて感じさせないほどに充実したものにしてみせるさ。
彼女の部屋の呼び鈴を押す。遅れた返事に気怠げに開くドア。来訪者に期待していない人生丸出しだ。
「はい……?」
「結婚して下さい」
「え?」
「ふふふ」
驚いた顔から、呆れたように微笑む彼女。そんな顔を残りの人生で見ていけたらと思う。
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