おばあちゃんの願い

源公子

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アイザックさんの心残り

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 そう思ったら、とたんに膝がカクンとなって、尻餅をついた。
 グゥッってお腹が鳴る。

 そういや朝から何も食べてなかったんだ、もう一歩も歩けない。ジェシカおばさんがママに電話してくれて、お昼はおばさんの家で一緒に食べることになった。

 アイザックさんの幽霊は、おばさんが料理を作る間ずっとそばに立って、優しい目でおばさんを見ていた。死んでからずっとそうしてたのかな。一ヶ月も? 

 人間て、みんな死んだら見えないだけで、大好きな人のそばに幽霊になって立っているものなのかもしれない。
 そして、心残りがあるといつまでも天国に行けなくて、本当の幽霊になっちゃうの。だから神様は、死の際の祈りを特別に叶えてくれるのかもしれない。

 そうしないと世界中幽霊だらけになっちゃうものね。
 もし、今まで死んだ人が、みんな幽霊になってこの世に残ってたら、幽霊でギチギチの世界になっちゃう、こわいよー。

 だけどアイザックさんの心残りって何なんだろう?

 ジェシカおばさんのお手伝いをして、洗った食器を拭いて食器棚にしまおうと思ったら、あれ? 洗いカゴはあるけど、食器棚がない。廊下や隣の部屋にも段ボールがいっぱい。

 そうだ、ジェシカおばさんは、家を売って引っ越すことになってたんだった。

 この家は、ジェシカおばさんとアイザックさんが結婚して建てた家。二人はとっても仲良しだったけど、子供には恵まれなかった。

 一年前、おじさんは脳梗塞で倒れた。お医者さんは、植物状態で意識は戻らないと言ったけど、おばさんは諦められずにつきっきりで看病を続けた。
 だから先月おじさんが死んだ時、病院に借金がたくさんできてしまったのだ。

「あの人が死んで年金も半分になるしね、とてもこの家を維持していくことができないの。あぁ、でもあの証券さえ見つかればなんとかなるのにねえ」

 昔知り合いに頼まれて買った、IT関連の会社の証券が見つからないと言うのだ。

「ものすごく値上がりしてて、あの人ったら喜んでどこかに隠しちゃったの。泥棒に取られないようにってね。そして、そういう大事なことをいつも私に言わないのよ。あの物置の南京錠の番号みたいにね。
 わかってみたら1205、十二月五日。私の誕生日じゃない。あの人らしいわ」

 そう言って南京錠を握り締めて泣きそうになっている。

 行方不明の証券、きっとこれがアイザックさんの心残りなんだ。

 午後には不動産屋さんが来て家具を引き取り、明日には引っ越しだと言う。
 この家のどこかに証券が隠されているはずなのに。

「おばさん、あたしと一緒にもう一度探そう。今日のあたしはすごく冴えてるから、猫の時みたいに奇跡が起こるかもしれないよ」

 お腹もいっぱい、元気もいっぱい、おまけに神様までついている。
 あたしはおばさんと一緒に部屋を回って探しだした。 

 証券は紙だから薄っぺらくて、どこにでも隠せちゃう。
 その上おばさんは思い出が胸に詰まって、なかなか作業が進まない。
 アイザックおじさんの幽霊は、黙ってかあたしたちの後についてくる。
 最後に、今日引き取ってもらう家具のそばに来た時、初めてアイザックさんが動いた。
 それは、ジェシカおばさんがお嫁に来るときに持ってきた、たくさん引き出しのついた立派な鏡台だった。その一番下を指差している。

 あたしが引き出しの取っ手を掴むと
「中は空っぽよ、全部調べたもの。ねぇもうやめましょう。散々探したんだもの」ジェシカおばさんはあきらめムードだ。

 でもアイザックさんは、引っ張り出せと必死に手を動かしている。あたしは、思いっきり引き出しを引っ張った。抜けた! 勢い余って尻餅をつく。

 放り出された引き出しの裏側には、茶色の書類を入れる封筒が、テープでがっちり貼り付けてあった。これだ! 
 引き出しの裏なんて誰も気にしない。まして一番下なんて、引き抜かない限り見えないもの。

「まぁこんなところに! アナありがとう。今日はなんていい日なの」
 ジェシカおばさんは泣き出した。

 アイザックさんは、お祈りの時の形に手を握り、あたしに頭を下げて消えた。きっと安心して天国に行ったんだ。

 散々探したので、もう三時のおやつの時間。
 ジェシカおばさんは、お礼にたくさんスコーンを焼いてあたしにくれた。

 おばさんのスコーンはおばあちゃんのとおんなじ味がした。 アガサおばあちゃんに教わったレシピなんだって。

 狼の口がパックリ開いた(スコーンの裂け目をこういうの)
 ほかほかのスコーンをかじりながら、スキップして家に向かう。

 今日は本当にいい日だ。これでダニエルおじさんが帰ってきてくれたらな。

 角のバス停のとこまで来た、もうちょっとで家だ。
 その時、高校生くらいのきれいなお姉さんが立っているのに気がついた。

 影がなかった。

「もしかして、ダイアナさん?」
 お姉さんはうなずいた。

 ダイアナ・ロー十七歳、自殺。
 おばあちゃんの隣のお墓の人だ。

「あたしにしてほしいこと何かある?」
 もう一度うなずいた。

 その時バスが来た。バス停の待合室にいた人たちが、みんなバスに乗って行く。なのに一人だけ乗ろうとしない女の人がいる。

 大きなキャリーバッグを持って座っているその人は、眼鏡をかけて太ってたけどダイアナさんによく似ていた。
 歳も同じくらいだった。いつの間にかダイアナさんは、その人のそばに立ってこっちを見ている。
 あたしはバスの待合室に入って、その女の人の隣に座った。 

 次のバスに乗る人たちが、一人二人とやってくる。十五分後、またバスが来た。でもその女の人は乗らない。次のバスも、次のバスも、立ち上がりはするけど、結局乗らなかった。

 一バスごとにその人の表情は暗くなり、ついに泣き出してしまった。
 あたしは訳が分からずオロオロ。ダイアナさんは悲しそうな顔で見ている。
 しゃべれないって本当に不便だよー。

「グギュルル」その人のお腹が鳴った。
 人間てどんな時でも、お腹だけは空くんだ。

「あの、よかったら食べる?」
 あたしの差し出すスコーンを
「ありがとう」
 と言って、女の人は受け取った。
 始発のバスの時間からずっとこのバス停にいたと言う。

「どうしてバスに乗らないの?」

 あたしが聞くとその人は二つ目のスコーンを食べながら話し出した。

「一人でバスに乗るの五年ぶりなの。私長いこと引きこもってて、いつも一緒だったお姉ちゃんは死んじゃって、だから怖くて乗れなかったの」

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