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記憶の条件

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 そろそろ、夜も更けようとしている。
 食事を終え、入浴も済ませ、寝間着姿になった俺らは、ダラダラと部屋でくつろいでる。
 会話はもっぱら、『日本について』だった。エロゲはもちろん、アニメ、マンガ、ラーメン、スマホ、日常の小さな事柄まで……共通の話題には事欠かない。
 俺らはもう、日本に帰れないのは覚悟してる。だから、それらを語って懐かしくなったりするが、泣くほどセンチメンタルにはならなかった。

 ……で。色々と話してみると、不思議な事がわかった。
 俺は、こっちの世界に来てから『半年』が経つ。ところがマリオンは、異世界に来てから、もう『1年半』が経つのだという。それなのに俺が死んだのは、どうやらマリオンが死んだ『3日後』らしい。
 つまり、『あっちとこっちでは大幅に時間の流れが違う』か、神様があえて『俺の魂を1年間もストック』してたか、どちらかなのだ。
 まあ、どちらにしても、この世界で生きてくと決めた俺らには、関係ない話だが。あのウサンくせー青髪の女神様め……もう二度と、会う事もないだろうなぁ。
 そんな話の後で、ふと懐中時計を取り出して見る。そろそろ夜の十時である。
 俺は伸びをしてから立ち上がり、マリオンに言った。

「じゃ、そろそろやろうか。『一期一会』の記憶の許可をさ!」
「……っ! あ、ああ……頼むよ」

 マリオンが、消え入りそうな声で言い、緊張を含んだ面持ちで俺に近づく。そして俺の前に立って、キュッと目を瞑った。
 俺は、それを見て首を傾げる。

「……? ええと、マリオン。記憶の許可って、どうやるの? 奴隷商人にも聞いてないし。俺、やり方わかんないよ」

 マリオンが目を開いて、俺を見つめる。

「えっ!? ……ま、まさかオレ……なんにも話してないわけ!?」
「あ? ああ。初日は俺たち、いつの間にか寝ちゃったからなぁ」

 マリオンは困った顔の上目遣いでおずおずと言う。

「キ……ス……だ」
「……? え、なんて???」

 マリオンは、グッと言葉に詰まった後で叫ぶ。

「だ、だからっ! キスだよっ! キスしろよっ! 新鮮な唾液の経口摂取だよぉ!」
「え、ええーっ!?」

 キ、キスぅ??
 よりにもよって、そーーーきたかっ! だ、だけどこれは……うーん?
 見た目だけなら、可愛い金髪幼女なんだけどなー?
 これ、中身が36才の残念なおっさんって、知ってるからなー。キスするとなると……うーん!?
 やっぱ、抵抗あるなーっ!
 そんな風に俺が固まってると、マリオンが言った。

「一応……オレが口開けてる中に、お前が唾液を落とすって方法もある」
「そ、それは……っ!? やめようぜ!」

 ……な、なんだろう?
 キスより、そっちのが遥かに嫌な気がする。
 それをするのは、マリオンを完全に『奴隷扱い』してしまう気がするのだ。
 マリオンは、また目を瞑って言う。

「じゃあ、さっさと頼むよ」

 しかし、俺は立ち尽くしたまま、「あー」だの「うー」だのと言い、視線を部屋中に巡らす。決心がつかず動けない俺に、マリオンがハァーと息を吐き、後頭部をガリガリ掻いた。

「ジュータ……お前、もしかしてファーストキス?」
「う……。一応は、そうなる」
「じゃあ、確かに嫌だよなぁ。……この近くに、気になる娘とかいねーわけ?」
「いないことも……ない」

 俺の脳裏には、『銀の三角亭』のフォクシーが浮かんでいた。
 マリオンが俺の手を掴んで、扉の方に引っ張る。

「今から、その娘に頼んでキスしてもらってこいよ。ファーストキスの思い出がオレじゃ、お前も嫌だろ?」

 俺は、慌てて首を振る。

「い、いや……! フォクシーとは、そういう関係じゃねーからっ!」

 マリオンは唇を尖らせた。

「でもさ。お前、このままだと記憶の許可ができねーじゃん? 十二時過ぎたら、オレもお前を忘れちゃうし……ほら勇気を出して、行ってこいって! オレ、ここで待ってるから!」
「いやいやーっ、マジで無理だからーっ! 同じ二次コンなんだから、わかんだろ!? そんなん、できるわけないってば!」

 俺は必死になって拒否をする。
 するとマリオンは、ついに怒った。

「んーだよ、チクショーっ! 嫌なのはわかるけどなー! これじゃ、いつまでも終わんないだろ!? オレが、お前を忘れるまで言い合うつもりか!?」
「そ、それはそうだけどっ! 俺だって、もう二度とマリオンには忘れて欲しくないよ! だけどさ……もう少しだけ、心の準備させてくれ!」
「だって、これから毎晩やらなきゃなんだぞ!? こんなの、人工呼吸と一緒だと思えよっ! そりゃー、男同士のキスだもんな? 抵抗あるのはわかるよ! ……わっ、わかるけどさぁ……っ!」

 そして、とびきり悲しそうな顔になった。

「そ、それでも、お前はいいじゃん……形だけは、女の子とのキスなんだから……」

 マリオンはしょんぼりしながら、泣きそうな声で言う。

「オ、オレなんか……奴隷にされてから、ずっと奴隷商人の唾を飲まされてたんだぜ……。ほんと地獄だった……。毎晩、気持ち悪くて吐き気が止まらなかった……」

 うつむいたマリオンの目から、涙の粒がいくつも落ちる。こらえきれない嗚咽おえつが漏れて、小さな身体が震えている。
 俺は、ショックで動けなくなってしまった。

 奴隷商人は、ハゲあがった初老の親父だった。俺よりずっと太ってて、ガハハとうるさい笑い方をして、身体中に売り物の奴隷の刻印を入れてて、金の話ばかりしてた。俺の左手の刻印は、その奴隷商人の腹部から移し替えた物だったが、毛むくじゃらのベットリした肌に手の甲を押し当てた時、鳥肌がゾワゾワと立ったのを覚えてる。
 あんな下劣な男の……なにより自分を奴隷にした男の唾液を飲まされるなんて……どれだけ屈辱だったろう?
 マリオンの心中を思い、俺は胸が苦しくなる。

 ク、クソ……なんだよ、俺はっ!? 自分のことばっかり……っ! そうだよ、マリオンだって男とのキスなんか、嫌に決まってるのに!
 俺はマリオンの小さな肩を掴むと、顔をグッと近づけて、思い切ってキスをした。
 涙目のマリオンはビクリと身を硬くした後で、俺の唇に舌を滑り込ませ、唾液を舐め取る。コクリと飲み下してから、囁くように安心させる声で言う……。

「ん……終わった。オレのために勇気を出してくれて、ありがとな。……ちゃんと呪いが反応してるよ」

 左手の甲を見ると、刻印がほのかな光を放っていた。
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