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序章 とある下働きの少女

15.その後の日常_1

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◇◇


 ギルド内に入ろうとする青年──ルクトに私は「こっち」と横の扉を指差す。ギルド併設の酒場への入り口であり、私の職場でもある場所だ。

 だが、それを知らないルクトは当然困惑した。それもそうだ、こんな子供が出入りする場所ではない。


「え、えっと……お嬢ちゃん? 用があるのはあっちの扉……なんだけど……」

「こっちが私のお家だもん」

「へ?」


 それに、ギルドへは極力行きたくないのが本音だ。実際、仕事絡みでない時の出入りは避けている。
 青年の背中から降り、すたすたと見慣れた扉の方へと向かう私を見て、首を傾げながらもルクトは付いてきた。

 背伸びでようやく届くドアノブ。それを押して入れば、いつもの賑やかさが飛び出してくる。夜に向けて騒ぎ立てる客の内の数人がこちらを向いた。

 どれも馴染みの顔だ。


「おお、よーやく来たか!! ──ビアンカさーん、リィンちゃんが帰って来ましたよー!!」

「遅かったもんで、ビアンカさんも皆も心配してたんだぞー?」

「そうだったの!? ……ごめんなさい」


 言われてみれば、いつも帰るであろう時間よりもかなり遅い時刻での帰宅だ。これはビアンカさんに怒られるな、と苦い顔をする。

 そこに奥から現れたのは、客の1人に呼ばれた
ビアンカだった。


「……リィン」

「ビアンカさん、遅くなってごめんなさい」


 安堵の表情を浮かべた彼女に、無言でぎゅっと身体を抱きしめられる。良かった、とビアンカは微笑んだ。頭を撫でつつ、私の背後で行き場のない視線を彷徨わせている青年に目を向ける。


「ったく、日が落ちる前に帰ってこいといつも言ってるだろう? 何かあったのか? ……それに、後ろの男は?」

「変な人に怖いことされそうになったので、このおにーさんに助けてもらったんです」

「ほう……そうだったのか」


 ビアンカは立ち上がり、友好的な笑みで青年に手を差し出す。戸惑いがちにルクトはその手を握り返した。


「リィンを助けてくれてありがとうな。世話になった」

「い、いえ俺はただ当たり前のことをしたまでですよ。……じゃ、リィンちゃんまたな。俺は隣りに用があるから……」

「うん、またね。親切なおにーさん……じゃなくて、ルクトさん!」


 足早に去ろうとする彼を、私は手を振って見送る。その姿が完全に消えると、ビアンカがポンと肩に手を置いた。


「……コルガット爺さんに何かあったのか?」

「へっ?」


 予想外の唐突な問いに、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
 私は誰にも行き先を告げなかったはず。それなのに、何故コルガットの元へ行ったと分かるのか。

 それに〝何かあった〟って……。

 何も答えられず目を白黒させている私を見て、ビアンカは苦笑した。お前の表情はわかり易すぎる、と。


「そりゃあ、今日出かける時の顔が明らかに『心配で心配で気が気でない』っていう顔だったからな。それに急ぎ足でもあったし……昨日、何かあったんだろ?」


 ……どうも現世での私はポーカーフェイスが下手なようで。

 気をつけていないとすぐに顔に出るらしい。全てお見通しのビアンカに、私はかくかくしかじかとコルガットの負傷の理由を話す。

 最後まで聞いたビアンカは、はあ、と大きくため息を吐き出した。案の定か、と酷く顔を顰める。


「……よし、この事は明日騎士団の方に報告しておこう。しかし、本当に妙な話だ……天使なんて。もういないものだと思っていたが」

「目撃情報とかは……?」

「少なくとも私が生まれてからは無いはず。聞いたことがない。……天使云々の話が出たのはアレが初めてだ」


 さ、子供はもう夕食の時間だ。ビアンカの手が私の背を押した。ポツリと呟き声が聞こえてくる。


「……しばらくは外出禁止だな。危険だ」

「そんな」

「そんな顔してもダメだ。今日はたまたま親切な方が助けてくれたから良いものの、誰も助けてくれなかったらどうなっていたか……リィン、メシアと違ってお前はまだ少ししか魔法が使えないだろう?」

「……はい」

「だったら尚更だ。……仕事が終わったら2階で2人ゆっくり過ごせばいい。そうだ、菓子を差し入れるよう頼むとしよう」


 同じ視線となるようビアンカがしゃがむ。心配しなくていい、と頭を撫でた。


「コルガット爺さんにはセーカがついている。もう大丈夫だろう」


 若いながらも優秀な魔物使いとして名が広まっている青年を思い浮かべる。──確かに、セーカさんが付いているなら安心だ。


「わかりました。……明日からはメシアと一緒に過ごしますね!」

「よし、いい子だ」


 くしゃりと最後に髪をかき混ぜて立ち上がるビアンカ。今日の夕食はシチューだ、と続けて告げられた言葉に呼応するように、私の腹が鳴った。

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