15 / 29
序章 とある下働きの少女
9.天使はいるのか
しおりを挟む
◇◇
「──大丈夫か、リィン」
「ビアンカさん……本当にごめんなさい。お仕事出来なくて……」
「いやそんな事は良い。今日はゆっくり休め、な?」
そう言って微笑んだビアンカは頭を撫でてくれる。ベッド脇にはいつも以上に心配そうなメシアが座っている。
「食事は……そうだな、メシアに頼もうか。傍にいてやれなくてすまない」
「いえ、そんな。大丈夫です……本当にありがとうございます」
頼んだ、とビアンカが目配せすると、メシアはこくんと頷く。私はそっと身を隠すようにして布団を被る。
……翌日の朝。体調は案の定であった。
まず目覚めてから身体の奥で主張する全身の痛み。一晩寝た事により昨日程酷くはないものの、少し身動ぎをしただけでその痛みは増す。この状態では仕事にならない事くらい、すぐに分かった。
自分一人ではどうにもならないので、先に起きていたメシアに頼んでビアンカを呼んでもらった次第である。
(……やっぱり、この幼い身体だと負担が大きいみたいだ)
──虫や魔物では無い、使えるであろう前世の記憶の一つ。2つ前の世界で私は魔術師の男だった。
近い前世だったからか、これはよく覚えている。
そこは魔法が一般化された世界。今世とは違い、魔法学が発展し、魔法自体もより活用されていた。
自身が生まれた家は典型的な魔術師一家だったようで、幼い頃から魔法学の勉強ばかり。魔素が安定し始めてからは兄や父と実践練習に明け暮れ、恋人は疎か友人の付き合いもなかった。
当然、そんな魔術一筋の男に青春なんてものは無い。代わりに手に入れたのは王宮魔術師──所謂、エリート魔術師の称号だ。兄や父と同じ職である。
金はそこそこあった。魔術師としての才もあった。上とのコネを利用して権力も手に入れた。
……だが、女はいなかった。
そんな彼の死因は猛毒。誰が雇ったかは知らないが、ある夜に見知らぬ女に誘われ、即死毒入りの酒を飲まされて一発でお陀仏だ。
これは色仕掛けに弱かったのがいけなかった。結局、女の悦びを知らずに死んでしまったのである。
これを見て私は、今世では異性との交流も大事にしようと思った。いやもう本当に情けない。
しかし、彼のお陰で今の私がいるのだ。幸いなことに、魔法に関する知識は全て引き継いでいるようで、有難く活用させてもらっている。
ただひとつ難点なのは、殆ども魔法がこの幼い身体では扱いがとてつもなく難しいという点だ。魔力も多く使う上に技術的にも高度な魔法故、その点は仕方がないのかもしれない。
当然自身の魔素だけでは足りないので、他の人の身体から漏れ出たものを拝借している。これも彼の記憶からやり方を学んだ賜物だ。──この世界の生物は、無意識に魔素を一部体外へと流していることに気づいていない。僅かな量でもソレを利用しない手はないだろう。
魔素量の問題はこれで解決した、が。それでも幼い身体では扱えない。仕方なく、幼くても使える身体強化の魔法で無理矢理扱えるようにしている。しかし、その魔法自体も身体に負担がかかるもの。
結果、解除した時の反動は酷く、私は今このような情けない姿となっていた。
(……はあ、今日は休むしかないのかな)
身体を動かす為に強化魔法を使えば、さらに酷くなる事くらいはわかっている。今一番いいのは、このままじっとしていることだ。
ぎゅっと片手を握られる。不自然な程に冷たい手が私の手を包む。
『きょうは、ぼくが、りぃのおせわをするの』
「……うん、ありがとう。メシア」
以前にも長く魔法を使ったせいで、こうして倒れ込んだ事があった。その時も、こんな感じでメシアに看病されていたっけか。
(ここに来てからは平和で、魔法なんて使う機会少なかったんだけどな)
兎にも角にも身体を休ませようと、目を閉じようとした時、息を荒らげた半獣人のウェイターが部屋に飛び込んできた。
「……そんなに慌ててどうした?」
「はぁっ……それが、あの、昨日の」
「落ち着け。──ゆっくりでいいから」
低く響いたビアンカの声に、はい、と息を整える女性。ほぅ、と言葉を吐き出した。
「……酒場の表に、昨日出禁にした男が座り込んでいて。それがその何というか……様子がおかしいんです」
出禁にした男と言えば、今の私の状況を作り出した元凶だ。──しかし。
(私がしたのは短時間の記憶の消去。それ以外は何もしていないはずだ)
彼女のただならぬ様子に、ビアンカも真剣な表情で向き合う。
「様子がおかしいだと?」
「はい……まるで薬物中毒のような様子で、しかもずっと、『天使に会わせてくれ』とうわ言のように……」
「……、わかった。私が見に行こう。メシア、リィンの事をよろしく頼む」
ビアンカの去り際の言葉を聞いて、メシアが頷く。パタン、と扉が閉められると、途端に部屋は静けさに包まれた。
片手を握られたまま、私は今飛び込んできた情報を反芻する。
「天使……?」
前の世界には、悪魔の対になる存在として天使は存在していた。精霊と同様に人前には滅多に姿を現さない為、彼らと契約した者は大賢者と崇められたものだ。
私も姿形などは絵で見たことがあるものの、実際に見たことはない。
その天使が、この世界の天使と同じかはわからないが……。ここでも存在はしているらしく、昔ちらっと聞いたことはある。
私の呟きにメシアが反応した。手のひらに言葉を書き出していく。その言葉に私は驚いた。
『てんし、てんしはまっしろ。でもこわい』
「……メシアは天使を見たことあるの?」
『ん。こわい、きらい』
「怖いの?」
『……ん』
そう言ったメシアは頷いたきり黙ってしまう。
天使といえば優しいイメージがある。正反対の印象だ。とても想像がつかないが……。
「──私も会ってみたいな、いつか」
ふかふかの枕に顔をうずめながら、私ふとそんな事を呟いた。
「──大丈夫か、リィン」
「ビアンカさん……本当にごめんなさい。お仕事出来なくて……」
「いやそんな事は良い。今日はゆっくり休め、な?」
そう言って微笑んだビアンカは頭を撫でてくれる。ベッド脇にはいつも以上に心配そうなメシアが座っている。
「食事は……そうだな、メシアに頼もうか。傍にいてやれなくてすまない」
「いえ、そんな。大丈夫です……本当にありがとうございます」
頼んだ、とビアンカが目配せすると、メシアはこくんと頷く。私はそっと身を隠すようにして布団を被る。
……翌日の朝。体調は案の定であった。
まず目覚めてから身体の奥で主張する全身の痛み。一晩寝た事により昨日程酷くはないものの、少し身動ぎをしただけでその痛みは増す。この状態では仕事にならない事くらい、すぐに分かった。
自分一人ではどうにもならないので、先に起きていたメシアに頼んでビアンカを呼んでもらった次第である。
(……やっぱり、この幼い身体だと負担が大きいみたいだ)
──虫や魔物では無い、使えるであろう前世の記憶の一つ。2つ前の世界で私は魔術師の男だった。
近い前世だったからか、これはよく覚えている。
そこは魔法が一般化された世界。今世とは違い、魔法学が発展し、魔法自体もより活用されていた。
自身が生まれた家は典型的な魔術師一家だったようで、幼い頃から魔法学の勉強ばかり。魔素が安定し始めてからは兄や父と実践練習に明け暮れ、恋人は疎か友人の付き合いもなかった。
当然、そんな魔術一筋の男に青春なんてものは無い。代わりに手に入れたのは王宮魔術師──所謂、エリート魔術師の称号だ。兄や父と同じ職である。
金はそこそこあった。魔術師としての才もあった。上とのコネを利用して権力も手に入れた。
……だが、女はいなかった。
そんな彼の死因は猛毒。誰が雇ったかは知らないが、ある夜に見知らぬ女に誘われ、即死毒入りの酒を飲まされて一発でお陀仏だ。
これは色仕掛けに弱かったのがいけなかった。結局、女の悦びを知らずに死んでしまったのである。
これを見て私は、今世では異性との交流も大事にしようと思った。いやもう本当に情けない。
しかし、彼のお陰で今の私がいるのだ。幸いなことに、魔法に関する知識は全て引き継いでいるようで、有難く活用させてもらっている。
ただひとつ難点なのは、殆ども魔法がこの幼い身体では扱いがとてつもなく難しいという点だ。魔力も多く使う上に技術的にも高度な魔法故、その点は仕方がないのかもしれない。
当然自身の魔素だけでは足りないので、他の人の身体から漏れ出たものを拝借している。これも彼の記憶からやり方を学んだ賜物だ。──この世界の生物は、無意識に魔素を一部体外へと流していることに気づいていない。僅かな量でもソレを利用しない手はないだろう。
魔素量の問題はこれで解決した、が。それでも幼い身体では扱えない。仕方なく、幼くても使える身体強化の魔法で無理矢理扱えるようにしている。しかし、その魔法自体も身体に負担がかかるもの。
結果、解除した時の反動は酷く、私は今このような情けない姿となっていた。
(……はあ、今日は休むしかないのかな)
身体を動かす為に強化魔法を使えば、さらに酷くなる事くらいはわかっている。今一番いいのは、このままじっとしていることだ。
ぎゅっと片手を握られる。不自然な程に冷たい手が私の手を包む。
『きょうは、ぼくが、りぃのおせわをするの』
「……うん、ありがとう。メシア」
以前にも長く魔法を使ったせいで、こうして倒れ込んだ事があった。その時も、こんな感じでメシアに看病されていたっけか。
(ここに来てからは平和で、魔法なんて使う機会少なかったんだけどな)
兎にも角にも身体を休ませようと、目を閉じようとした時、息を荒らげた半獣人のウェイターが部屋に飛び込んできた。
「……そんなに慌ててどうした?」
「はぁっ……それが、あの、昨日の」
「落ち着け。──ゆっくりでいいから」
低く響いたビアンカの声に、はい、と息を整える女性。ほぅ、と言葉を吐き出した。
「……酒場の表に、昨日出禁にした男が座り込んでいて。それがその何というか……様子がおかしいんです」
出禁にした男と言えば、今の私の状況を作り出した元凶だ。──しかし。
(私がしたのは短時間の記憶の消去。それ以外は何もしていないはずだ)
彼女のただならぬ様子に、ビアンカも真剣な表情で向き合う。
「様子がおかしいだと?」
「はい……まるで薬物中毒のような様子で、しかもずっと、『天使に会わせてくれ』とうわ言のように……」
「……、わかった。私が見に行こう。メシア、リィンの事をよろしく頼む」
ビアンカの去り際の言葉を聞いて、メシアが頷く。パタン、と扉が閉められると、途端に部屋は静けさに包まれた。
片手を握られたまま、私は今飛び込んできた情報を反芻する。
「天使……?」
前の世界には、悪魔の対になる存在として天使は存在していた。精霊と同様に人前には滅多に姿を現さない為、彼らと契約した者は大賢者と崇められたものだ。
私も姿形などは絵で見たことがあるものの、実際に見たことはない。
その天使が、この世界の天使と同じかはわからないが……。ここでも存在はしているらしく、昔ちらっと聞いたことはある。
私の呟きにメシアが反応した。手のひらに言葉を書き出していく。その言葉に私は驚いた。
『てんし、てんしはまっしろ。でもこわい』
「……メシアは天使を見たことあるの?」
『ん。こわい、きらい』
「怖いの?」
『……ん』
そう言ったメシアは頷いたきり黙ってしまう。
天使といえば優しいイメージがある。正反対の印象だ。とても想像がつかないが……。
「──私も会ってみたいな、いつか」
ふかふかの枕に顔をうずめながら、私ふとそんな事を呟いた。
0
お気に入りに追加
698
あなたにおすすめの小説
とりあえず天使な義弟に癒されることにした。
三谷朱花
恋愛
彼氏が浮気していた。
そして気が付けば、遊んでいた乙女ゲームの世界に悪役のモブ(つまり出番はない)として異世界転生していた。
ついでに、不要なチートな能力を付加されて、楽しむどころじゃなく、気分は最悪。
これは……天使な義弟に癒されるしかないでしょ!
※アルファポリスのみの公開です。
【完結】山猿姫の婚約〜領民にも山猿と呼ばれる私は筆頭公爵様にだけ天使と呼ばれます〜
葉桜鹿乃
恋愛
小さい頃から山猿姫と呼ばれて、領民の子供たちと野山を駆け回り木登りと釣りをしていた、リナ・イーリス子爵令嬢。
成人して社交界にも出たし、今では無闇に外を走り回ったりしないのだが、元来の運動神経のよさを持て余して発揮しまった結果、王都でも山猿姫の名前で通るようになってしまった。
もうこのまま、お父様が苦労してもってくるお見合いで結婚するしか無いと思っていたが、ひょんな事から、木の上から落ちてしまった私を受け止めた公爵様に婚約を申し込まれてしまう。
しかも、公爵様は「私の天使」と私のことを呼んで非常に、それはもう大層に、大袈裟なほどに、大事にしてくれて……、一体なぜ?!
両親は喜んで私を売りわ……婚約させ、領地の屋敷から王都の屋敷に一人移り住み、公爵様との交流を深めていく。
一体、この人はなんで私を「私の天使」などと呼ぶのだろう? 私の中の疑問と不安は、日々大きくなっていく。
ずっと過去を忘れなかった公爵様と、山猿姫と呼ばれた子爵令嬢の幸せ婚約物語。
※小説家になろう様でも別名義にて連載しています。
うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
チートな幼女に転生しました。【本編完結済み】
Nau
恋愛
道路に飛び出した子供を庇って死んだ北野優子。
でもその庇った子が結構すごい女神が転生した姿だった?!
感謝を込めて別世界で転生することに!
めちゃくちゃ感謝されて…出来上がった新しい私もしかして規格外?
しかも学園に通うことになって行ってみたら、女嫌いの公爵家嫡男に気に入られて?!
どうなる?私の人生!
※R15は保険です。
※しれっと改正することがあります。
この称号、削除しますよ!?いいですね!!
布浦 りぃん
ファンタジー
元財閥の一人娘だった神無月 英(あずさ)。今は、親戚からも疎まれ孤独な企業研究員・27歳だ。
ある日、帰宅途中に聖女召喚に巻き込まれて異世界へ。人間不信と警戒心から、さっさとその場から逃走。実は、彼女も聖女だった!なんてことはなく、称号の部分に記されていたのは、この世界では異端の『森羅万象の魔女(チート)』―――なんて、よくある異世界巻き込まれ奇譚。
注意:悪役令嬢もダンジョンも冒険者ギルド登録も出てきません!その上、60話くらいまで戦闘シーンはほとんどありません!
*不定期更新。話数が進むたびに、文字数激増中。
*R15指定は、戦闘・暴力シーン有ゆえの保険に。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
性格が悪くても辺境開拓できますうぅ!
エノキスルメ
ファンタジー
ノエイン・アールクヴィストは性格がひねくれている。
大貴族の妾の子として生まれ、成人するとともに辺境の領地と底辺爵位を押しつけられて実家との縁を切られた彼は考えた。
あのクソ親のように卑劣で空虚な人間にはなりたくないと。
たくさんの愛に包まれた幸福な人生を送りたいと。
そのためにノエインは決意した。誰もが褒め称える理想的な領主貴族になろうと。
領民から愛されるために、領民を愛し慈しもう。
隣人領主たちと友好を結び、共存共栄を目指し、自身の幸福のために利用しよう。
これはちょっぴり歪んだ気質を持つ青年が、自分なりに幸福になろうと人生を進む物語。
※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載させていただいています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる