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第19卦・北夷の賢妃・緋風《フェイフェン》とは

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 年末の忙しい日々も過ぎ、一年の始まりを祝う祭り、春節が始まる。

 華大国では、春節が訪れると町の中を赤い飾り帯で墨済みまで飾り付けられ、家の壁には麒麟をはじめ四神獣(朱雀・青龍・白虎・玄武)が書き記された祝札しゅくふが張られる。これは、これから始まる一年を神々に見守っていただくための護符の役割もあり、祭りが終わっても自然に剥がれ落ちるまでは張り付けられたままになる。
 この護符が自然に落ちると、その家には災いがゆっくりと近寄ってくると言い伝えられており、道士の元で新たな祝札を書いて貰わなくてはならない。
 ちなみに華大国の伝承曰く、皇帝は龍を示し、皇后は鳳凰を示す。
 そのため、帝城の四方を守る門には、龍と鳳凰の札が張り付けられる。

 そして春節が始まると、帝城外延でも華やかな宴が行われる。
 すべての官吏、武官、宦官が大庭園に集まり、劉皇帝の祝詞に耳を傾ける。
 そしてそれかおわると楽士たちが華やかな曲を奏で、宴席があちこちでもよおされるのである。

 この宴席では、接待のために後宮の侍女たちも駆り出されるが通例であるのだが、今年は街に住む女性たちが集められ、ここ一番と着飾った女性たちにより例年よりも華やかな宴席となった。

 そんな宴席の裏では。

――シャンッッッッ……シャンッッッッッ
 飾り錫杖の音が響き、二胡と古箏がそれに続く。
 外延から内延へと続く大回廊と呼ばれる道も、春節の彩に化粧されたかのように華やかな姿を見せており、そこを綺麗な北夷の衣装を着飾った女性が静かに歩み進んでいた。
 その後ろには綺麗な女官が、さらに女性武官が続き、先頭を進む北夷の第二王女に付き従っている。
 春節の最初の政、それは、北夷の王女の輿入れであり、落成した青鸞セイラン宮の主人となる賢妃・緋風フェイフェンの輿入れであった。

 華やかな姿を見せつつ、それでいておびえるような様子もない堂々とした立ち居振る舞いに、未知の左右に並ぶ後宮の宮官や侍女たちも驚いた様子を見せているものの、新たな主人の到着を心から祝っていた。
 そんな風景を、白梅は東廠三階にある洪氏の執務室の窓から見下ろしている。
 彼女は東廠の侍女であるため、後宮の催しである賢妃を迎える儀式には参列できない。
 そのため、洪氏の計らいにより彼の執務室からの見学ということになったのであるが。

 師、曰く、白梅は馬鹿である。

 華大国の事についてはある程度の知識は詰め込まれたものの、近隣諸外国の事となるとさっぱりである。 そのため、いつか聞こうと思っていた北夷の事について、ようやくここで切り出すことにした。

「あの、洪氏さま。実は私、北夷とかそういうことについて珍紛漢なのですが。できれば詳しく教えて頂けると、今後の相談などでも役立てられるかと思いますが」
「……全く、白梅は知識が偏り過ぎていないか? 今は時間がないから簡単に説明するから、あとで他の文官に話を聞くといい……」

 呆れた声で白梅に告げると、洪氏はゆっくりと、彼女にも分かりやすいようにかいつまんで説明を始める。

………
……

 北方遊牧民族による部族連合体、それが北夷と呼ばれている者たち。
 かつては匈殷きょういん帝国と呼ばれた強大な帝国を築き上げていたのだが、華大国を始めとする周辺国家との戦争に敗れ、帝王であった于頓の死により匈殷きょういん帝国は分裂。
 大半の遊牧民族は周辺国家へ恭順することにより生きながられる道を選んだのだが、最後の北夷である陽匈ようどという遊牧民族は最後まで抵抗を続けていた。

 だが、陽匈ようどは劉皇帝の暗殺を目論喪も一人の仙女によりその計画は見破られ、昨年末、華大国へ恭順する道を選んだのである。

………
……


「はぁ、なるほど。実に分かりやすいですね。それで、あの先頭を歩いているのが、新しく輿入れした北夷の王女ですか」
「ああ。緋風フェイフェン妃だ。陽匈《ようど》の第一王女で、まあ、よく言えば和睦として、悪く言えば」
「人質……ですか」

 歯に衣着せない白梅の物言いに、洪氏も苦笑せざるをえない。
 そんなやり取りがあっても、階下に広がる通路を進む彼女たちの耳には届くことはない。
 やがて通路正面の南大門に到着すると、そこから先は緋風フェイフェン妃とその侍女のみが進み、武官はそこで立ち止まり彼女に頭を下げて静かに見送っていった。

「そういうことになるな。だから、彼女が後宮に馴染むまでは寵愛を授けることはない無いと主上も申されていた。寝所で寝込みを襲われては叶わないからな」
「ふぅん。ちなみにですが、言葉って通じるのですか?」
「北夷の民は独自言語を用いて意思の疎通を行っているのだが、陽匈ようどの民は華大国の言葉を使えるものも多いと聞いている。ただ、細かい部分についてはやはり意思の疎通を取るのが難しいこともあるため、通訳の侍女も一人、青鸞セイラン宮に勤めることになった」

 それならば、特に問題もないだろうと白梅は理解したのだが。
 その彼女の理解の範疇を越えるような行動を、翌日からいきなり見せつけられるとは白梅も思っていなかった。


 〇 〇 〇 〇 〇


 春節の間は、すべての妃妾にも宴席にて供与されるような豪華な食事が届けられる。
 また、少量ではあるものの酒も用意されているため、中級妃や下級妃は自分たちの住まう宮の応接間らにて、小さな宴席を設けて楽しんでいるのだが。

――バタバタバタバタ
 朝。
 日課の導引術を終えて自室にて汗を拭っていた白梅の元に、大勢の侍女たちが訪ねてきたらしく、相談所の外から声が聞こえてきた。

『は、白梅さん!! ご相談に乗ってください』
『あの賢妃さまの生活なのですが……どうにも私たちの理解の範疇を越えて居まして』
『食べ物が違うので、何を用意してよいのか分からないのです』

 そんなことはあらかじめ調べられるでしょうと思いつつ、白梅は着替えて相談室に向かう。
 改めて侍女たちほ相談室に招き入れると、さっそく彼女たちの相談……愚痴を聞くことにした。

「それで、どうなさいましたか?」
「今朝の事ですが。緋風フェイフェン妃の身支度を整えるために寝所へ向かおうとしたのですが。すでに寝所には姿が見えず、宮内を探した地頃、中庭で連れてきた侍女たちとともに武術訓練を行っていまして。そののち朝風呂に入ってから身支度を整えるとかで……」
「尚食から届けられた食事は味付けが合わないとかで、故郷の料理を所望されたのですが。いえ、賢妃さまの食事については、可能ならば賢妃さまの欲している食事をご用意するようにしているのですが……さすがに、羊肉ほすぐに用意することもできませんし、馬乳酒と申されましてもなにがなにやら」
「北夷から一緒にいらした侍女ですけれど、華国の言葉は片言でしか理解していないようで。時折私たちを見てはククスクと笑っていたり、馬鹿にしたような下卑た笑いをしていて……もう耐えられません」

 たった一日で、ここまでこじれるものかと白梅は考えたものの。
 そもそもが、生活習慣や言葉の違う国の人々である。
 いきなり見も知らない国にやって来たのだから、戸惑うのも無理はない。
 ただ、それでも自分たちの置かれている立場を考えるのなら、暫くは様子を見るなりして我儘をいうのも何かと考えてしまう。

「まあ、これが中級妃や下級妃のしでかしたことなら、私からも色々と意見は言えますけれどねぇ。さすがに賢妃さまとなると、対応についてはこちらが譲らなくてはならないこともあるかと思います」

 そう呟く白梅に対して、侍女たちも何かを言おうとして口をつぐんでしまう。
 自分たちの仕えている女性が主上の正妃となる可能性があるから。
 上級妃は、中級妃や下級妃とは身分が違うといっても差し支えない。
 しかも、賢妃はまだこの国に奇知ばかりであり、馴染む馴染まない以前の問題である。

「そ、そうですが……」
「まあ、いきなり初日からかましてくれるとは、私も思っていませんでしたけれどね。とりあえず、私からも軽く助言を与えるように、洪氏さまに進言しておきましょう」
「よろしくお願いいたします」

 丁寧に頭を下げて、侍女たちが相談所を後にする。

「はぁ……北夷の言葉かぁ……ええっと、確か、馬赫老師から教わった『意思疎通』の仙術があったよなぁ……どうだったかなぁ……」

 部屋を閉ざし、体内に宿る仙気を練り上げる。
 そして頭の中に叩き込まれた馬赫老師の教えを、一つ一つ思い出してみる。

「確か……盗まれた仏像の取り返し方……とか、攫われた象を取り戻す……違う違う……ええっと、自身の仙気を相手の身体に纏わりつかせて、意思を仙気に取り込んで変換……だったかな」

 調息ちょうそくという、仙人特有の呼吸法で体内の仙気を高めつつ、ゆっくりと口から吐き出して目の前に滞留させてみる。
 滞留した仙気と白梅の意識が繋がっていることを確認したので、この方法で間違いはないと確信。
 そこで一旦、普通の呼吸に戻してから、今後の事について洪氏に相談するべく相談所から東廠へと向かうことにした。
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