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三卦・相談役は、男装の麗人
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「しっかし、なんでこんなところに宮中のお偉いさんがいるんだよ。あいつ、絶対に内閣大学士(宰相)に仕えている奴か何かだろう……そもそも、なんで首都じゃない、こんな城下町のはずれに来ているんだ?」
考えればは考えるほど、意味が解らない。
こんな辺鄙な場所に来る官吏など、中央でなにかやらかして左遷されたものか、あるいは地方豪族の息子などが縁故を頼って就職したものか、どっちかしか考えられない。
才覚あるものはより中央に召し上げられ、それにふさわしい役職を立与えられているものであるが、先の官吏はあきらかにあの場には異質すぎる。
そう白梅は考えたものの、あの場で放っておくと暴徒たちは瞬く間に官吏に抜刀され、切り捨てられていただろうと判断した。
だからこそ、せっかくの飯がまずくなっては堪らないと思って間に入ったものの、白梅としてはなにかやらかした感満載な気分になっている。
買って来たばかりの酒甕の口を開き、ちびちびと飲みつつ干し魚の炙ったものを齧ってのんびりと窓の外を眺めていたものの、どうにも今宵は星のめぐりがよくないことに気が付いた。
懐から薄い木札の束を取り出し、卓に並べて一枚を手に取る。
そこに記されている文字と絵柄を見て、白梅はパン、と頭を叩いた。
「っちゃあ……不速之客到来(望まざる客の到来)か。こりゃあやばいな」
さらに木札を捲り、空に浮かぶ星の巡りに合わせて並べていく。
そして五枚の木札が並び終わると、白梅は頭を抱える。
「追随星星(星の巡りに従え)……か。これも天命という事ならやむを得ませんが……こう、運命も拳一つでひっくり返したくなるよなぁ。よし、ひっくり返そう」
ため息混じりにそう呟くと、白梅は木札を纏めて懐に納めると、窓へと近寄っていく。
──バン
そしてすぐに窓を閉めて気配を消し、寝台に転がって眠る。
こんな夜は、居留守を決め込むに限る。
そう心の中で自分に言い聞かせつつ、やがて酒が回って来たのかウツラウツラと眠りにつき始めたのだが。
──ドンドン!
誰かか扉を叩く。
ようやく意識が微睡み、現実から逃避できると思っていた白梅は、この無作法な音で意識を現実へと引き戻された。
「はぁ……こんな夜更けにどなたですか?」
『東廠が長たる、洪氏による召集である』
東廠はすなわち、この国の内城に存在する後宮を管理統括する部局であり、特に優れた官吏などは諜報活動や情報処理などを担当する部署に配備されることもある。
その長で、つまり東廠長である洪氏の召集など、どこの誰が断れるのであろうか。
白梅は覚悟を決め、警戒しつつ扉を開く。
すると、そこには三人の官吏が並び、白梅に頭を垂れていた。
「あの……誰か別の人とお間違えでは?」
「いえ、昼間、とある酒場で危機を助けて頂いた方のお招きと申せば、ご理解いただけるかと」
「……はぁ。『不速之客到来』……かぁ。本当に、私の占いはよく当たることで……すぐに支度をしますので、お待ちください」
この召集に逆らえば、この神泉華大国では生きていけない。
仕龍師父曰く、【長いものには巻かれろ、巻かれすぎたらぶん殴れ】という言葉を思い出しつつ、白梅は身支度を整えると外で待つ馬車に乗り、深夜の町中をゆっくりと眺めることにした。
………
……
…
神泉華大国・蓬仙城。
ここは華大国の行政府である蘭亭宮を含め、大小さまざまな宮により構成された巨大な城。
この蓬仙城の北部、内城の中心に位置する巨大な城壁の内側には外廷である劉蘭亭宮があり、そこから北に続く内回廊を抜けた先に、後宮である【四瑞宮】と呼ばれている場所があります。
先帝の崩御から二十五年、現在の劉皇帝にはまだ正妃と呼べる女性は存在していません。
大小さまざまな国に囲まれている神泉華大国にとって、今はようやく長い北部討伐が終わり平穏な時代が始まったばかりであり、国家としての機能を優先とするため、劉皇帝は未婚のままの状態が続いています。
そのため心身に安らぎを求めるときは、この四瑞宮へと赴き、四夫人を始めとした妃妾たちに寵愛を授け、また自身も彼女たちから安らぎを得ていました。
ちなみに、この四瑞宮に住まう妃妾にも序列があり、上から四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四名、序列呼称は正一品)、九嬪(同、正二品)、二十七世婦(同、正三品から正五品)に区分されています。
現在の四夫人には三人の皇貴妃(貴妃・紫瑞妃、淑妃・翔賢妃、徳妃・碧華妃。賢妃は空席)が座しており、この国の女性にとって皇后を除く女性の最高序列として、多くの女性たちの畏敬の念を集めています。
平時は四夫人を上級妃、九嬪を中級妃、そして二十七世婦を下級妃と呼び、その下には彼女たちに仕えている宮官《きゅうかん》や、さらに下働きの下女がおり、日々忙しそうに職務に励んでいます。
後宮内において階級制度は絶対とされている上、さらに妃妾の中でも幾つもの派閥が存在するため、見目麗しい後宮の中も裏事情を見るとあまり綺麗とはいえない暗い部分もあるのです。
「……それで、私がこのような場所に呼び出された理由は、どのようなものでしょうか?」
後宮の中にある東廠本宮、その一室に案内された白梅は、目の前に座ってニコニコと笑っている東廠長の洪氏に問いかけていた。
皇帝とその血族、そして女人のみしか出入りすることが許されていない後宮では、東廠で働く男性はすべて宦官《去勢された男性》である。
白梅の目の前に座っている洪氏もまた、そのような存在なのだろうと思い事務的に話を始めたのであるが、洪氏は白梅の目を静かに眺めてから一言。
「君、うちで働かない?」
「それは、私に妃妾《ひしょう》になり、皇帝の寵愛を受けろということでしょうか? そのようなことは、この後宮に招かれている豪族や近隣国家の子女に一任します。そもそも、私は男性に興味がありませんので」
「では、暇を持て余した妃たちのお相手は……と、それは冗談として」
洪氏の戯れに、服の裾を掴んだまま、ギュッと拳を固める白梅。
たとえ相手が誰であれ、意にそぐわないことを強制されたなら拳で解決するのが、白梅の師父たちの教え。そのため思わず拳を握ったのだが、そもそも今回は相手が悪い。
そのため、白梅もグッと堪えて、話を続けることにした。
「冗談に付き合う時間はありませんので、できれば簡潔にお願いします。そうでなければ、寝不足になりそうなので辞させていただきたいのですが」
淡々と告げる白梅に、洪氏はさらに興味を持ったのか、少し卓に近寄って話を続ける。
「まあ、待ちなさい。私は君に、主上《皇帝》の世継ぎを産みなさいとか、そういう話をお願いしたいのではありません。むしろ、この後宮でのんびりと過ごしてもらい、妃妾を初め後宮に務めている人々の悩みを聞いてあげて欲しいのです。まあ、何か変わったことがないか、日々の変化はないかと、そういうものを見て貰いたい……つまり、後宮の相談役ということになるかな?」
その言葉を聞いて、白梅は理解した。
目の前に座っている洪氏は、私の能力を雇いたいのだと。
だから、白梅は正面から堂々と、洪氏の顔を見て一言。
「私の名前は白梅。御覧の通り尸解仙《しかいせん》ですが。それでもまだ、私を雇い入れたいと?」
尸解仙、すなわち下級仙人。
彼女が仙術を使える理由は簡単で、彼女が女仙人、すなわち仙女であるから。
それを下界にて自在に操っている彼女を見て、洪氏は白梅を後宮へと招いたのである。
そもそも、仙人など普通にその辺を歩いているものではない。
それゆえに、洪氏はこの機会を逃すものかと白梅に声を掛けたのである。
最も、白梅が人間が、尸解仙かなど見た程度で区別することは不可能であり、今の白梅の言葉にも洪氏は苦笑するしかなかった。
「やはり、あの僧侶の話した通りでしたか。あなたは、いつ尸解仙に?」
「私は生まれてすぐ、須弥の村にある白梅の老木のもとに捨てられていました。そこで私は村長たちに拾われ、一命を取り戻したのですが、流行りの病にて命を落としています。その時、運よく尸解仙として生まれ変わったそうで」
「待て待て、ちょっと待ってくれ」
白梅の言葉を聞き、洪氏は頭を押さえてしまう。
運よく仙人になれる存在など、見たことも聞いたこともない。
生まれながらにして才覚あるものが、長く厳しい修行を得たのち、八仙に認められなければ仙人になどなることができない。
それなのに、彼の目の前に座っている白梅は、運だけで仙人となったのである。
そのような事は到底、彼の理解の及ぶことではない。
「はい、待ちますが」
「いや、言葉通りに取らなくていい。つまり白梅は、仙人の才覚があって尸解仙になったのではないということか?」
「そのあたりはさっぱりなのですよ。まあ、じっちゃんがそう言っていたから間違いはありませんし、私は金物を忌避しています。あとはまあ、このように普段から『白梅の香』を身に纏っていなくてはなりません」
懐から小さな香袋を取り出し、洪氏にそれを見せる。
それで納得したのか洪氏が頷いた為、白梅はまた香袋を懐に収めた。
「ふぅむ……なるほどなぁ。それで、どの程度の仙術を学んでいるのかな?」
この質問が、明らかに好奇心から来たものであると白梅は理解した。
だが、今更隠しても仕方がないと思い、懐から薄い木札の束を取り出す。
「私は占いを特技としています。あとはまあ、武術については祖父や師父に死ぬほど叩き込まれたので、多少は自身があります。あとは……まあ、それはそのうちという事で」
「それじゃあ、後宮の警備担当も兼ねてもらうということで、雇い入れるとしようか。貴人と同じだけの給金は支払うし、部屋もこの東廠に一つ、個室を渡そう。それでどうかな?」
貴人は、先に挙げられた皇貴妃(四夫人)よりも一つ格下の妃(九嬪)を指す。四夫人は自分達の住まう宮が与えられ、九嬪はそれよりも小さな屋敷に住む。また、二十七世婦は大きな屋敷の中にそれぞれの部屋を与えられ、そこで主上の声が掛かるのを待ち続けている。
つまり、白梅はそれなりの給金を支払うと言われたのである。
この国の東廠の責任者に雇われて、嫌と言える勇気はない。
たとえそれが尸解仙であろうと、相手はそれを熟知したうえで雇い入れようとしているのであるから。
白梅は、あの酒場で洪氏を助けた縁により、自分の運命がゆっくりと回り始めていると理解できた。
本当ならもっと外の世界でのんびりと旅をしたかったのであるが、星の回りに逆らうと碌なことがないと占いに出ていたため、すなおに洪氏の招きに応じることにした。
「あの……私のような小娘が相談役になったとしても、だれも信用はしないかと思いますが、所詮は小娘の戯言と思われるかと」
その白梅の疑問はごもっとも。
洪氏もそれについては苦笑してしまいますが。
「なあ、仙女なら、変化の術はつかえないのか?」
「げっ……ま、まあ、使えるとは思いますが……ここでですか?」
ふと、白梅は窓の外を眺めます。
下界で仙術を使う場合、体内の仙気を常に高めておく必要があります。
そのためには、どうしても早朝の『導引《どういん》』は欠かせないもの。
旅の間は、そんなことに時間を割く余裕はなかったのですけれど、この場所でなら、導引さえ欠かさなければ変化を維持できる。
白梅はそのことを理解し、洪氏に説明を始めました。
「洪氏さま、今から見ることは内密にお願いします」
「ああ、それで、一体なにを見せてくれるというのだ?」
その洪氏の問いかけに、白梅は椅子から立ちあがると、骨格をゆっくりと作り替えていきます。
──ゴキッ、ゴキッ
両肩を外し骨を伸ばし。
両足の骨も少しずつ伸ばしていきます。
骨盤の作りも多少変化させて、全体的に男性の体型を作り上げると、最後は頭蓋骨。
ここだけは変化させることは難しいため、筋肉による顔面形成術を用いたのですが、やはり元々がせ女性のため、麗人という雰囲気になってしまいます。
「最後は髪ですが、これは後ろで束ねることで許してください。と、こんな感じでよろしいですか?」
着用していた華服では男性の身体を包むことが出来ないため、鞄から替えの外套を取り出して羽織ると、洪氏の前でくるりと回って見せます。
そしてようやく、洪氏も目の前の麗人が白梅であったことを理解しました。
「あ、ああ、仙女というのは、こうも簡単に姿を変えられるものなのか」
「私の変化の術は独特でして、これは永航《えいせん》という村の絵師に教わった、骨格から肉体を作り変える変体術です。まあ、あの村には色々と個性豊かな人が住んでいましたからねぇ……鳥獣から仙人になった方もいらっしゃいましたよ。そういう方々は月下にて変化の術を用い、人の姿に変化します。それで、お願いがあるのですが」
「願い?」
そう問いかける洪氏に、白梅は懐から取り出した香袋から、一つの種を取り出します。
「この庭園に、白梅を植えさせてください。そうすれば、私の術は強さを増し、変化の術も長時間耐えられるようになるでしょう」
「わかった、それなら白梅の働く場所の横にでも植えるといい。では、明日からよろしく頼むぞ」
「御意……それと、私のことは男装の麗人ということで。変に邪な心を抱かれても困りますので」
「わかった、皇貴妃たちにはそう伝えておこう」
そして両手を前に揖礼を行い、頭を下げる白梅。
それに洪氏も揖礼で返すと、すぐに彼の副官が白梅を部屋へと案内する。
そして彼女がいなくなってから、洪氏は彼女を雇い入れたことを木簡に記すと、よく朝一番で三皇貴妃の住まう屋敷へと届けるように文官へ指示を出した。
考えればは考えるほど、意味が解らない。
こんな辺鄙な場所に来る官吏など、中央でなにかやらかして左遷されたものか、あるいは地方豪族の息子などが縁故を頼って就職したものか、どっちかしか考えられない。
才覚あるものはより中央に召し上げられ、それにふさわしい役職を立与えられているものであるが、先の官吏はあきらかにあの場には異質すぎる。
そう白梅は考えたものの、あの場で放っておくと暴徒たちは瞬く間に官吏に抜刀され、切り捨てられていただろうと判断した。
だからこそ、せっかくの飯がまずくなっては堪らないと思って間に入ったものの、白梅としてはなにかやらかした感満載な気分になっている。
買って来たばかりの酒甕の口を開き、ちびちびと飲みつつ干し魚の炙ったものを齧ってのんびりと窓の外を眺めていたものの、どうにも今宵は星のめぐりがよくないことに気が付いた。
懐から薄い木札の束を取り出し、卓に並べて一枚を手に取る。
そこに記されている文字と絵柄を見て、白梅はパン、と頭を叩いた。
「っちゃあ……不速之客到来(望まざる客の到来)か。こりゃあやばいな」
さらに木札を捲り、空に浮かぶ星の巡りに合わせて並べていく。
そして五枚の木札が並び終わると、白梅は頭を抱える。
「追随星星(星の巡りに従え)……か。これも天命という事ならやむを得ませんが……こう、運命も拳一つでひっくり返したくなるよなぁ。よし、ひっくり返そう」
ため息混じりにそう呟くと、白梅は木札を纏めて懐に納めると、窓へと近寄っていく。
──バン
そしてすぐに窓を閉めて気配を消し、寝台に転がって眠る。
こんな夜は、居留守を決め込むに限る。
そう心の中で自分に言い聞かせつつ、やがて酒が回って来たのかウツラウツラと眠りにつき始めたのだが。
──ドンドン!
誰かか扉を叩く。
ようやく意識が微睡み、現実から逃避できると思っていた白梅は、この無作法な音で意識を現実へと引き戻された。
「はぁ……こんな夜更けにどなたですか?」
『東廠が長たる、洪氏による召集である』
東廠はすなわち、この国の内城に存在する後宮を管理統括する部局であり、特に優れた官吏などは諜報活動や情報処理などを担当する部署に配備されることもある。
その長で、つまり東廠長である洪氏の召集など、どこの誰が断れるのであろうか。
白梅は覚悟を決め、警戒しつつ扉を開く。
すると、そこには三人の官吏が並び、白梅に頭を垂れていた。
「あの……誰か別の人とお間違えでは?」
「いえ、昼間、とある酒場で危機を助けて頂いた方のお招きと申せば、ご理解いただけるかと」
「……はぁ。『不速之客到来』……かぁ。本当に、私の占いはよく当たることで……すぐに支度をしますので、お待ちください」
この召集に逆らえば、この神泉華大国では生きていけない。
仕龍師父曰く、【長いものには巻かれろ、巻かれすぎたらぶん殴れ】という言葉を思い出しつつ、白梅は身支度を整えると外で待つ馬車に乗り、深夜の町中をゆっくりと眺めることにした。
………
……
…
神泉華大国・蓬仙城。
ここは華大国の行政府である蘭亭宮を含め、大小さまざまな宮により構成された巨大な城。
この蓬仙城の北部、内城の中心に位置する巨大な城壁の内側には外廷である劉蘭亭宮があり、そこから北に続く内回廊を抜けた先に、後宮である【四瑞宮】と呼ばれている場所があります。
先帝の崩御から二十五年、現在の劉皇帝にはまだ正妃と呼べる女性は存在していません。
大小さまざまな国に囲まれている神泉華大国にとって、今はようやく長い北部討伐が終わり平穏な時代が始まったばかりであり、国家としての機能を優先とするため、劉皇帝は未婚のままの状態が続いています。
そのため心身に安らぎを求めるときは、この四瑞宮へと赴き、四夫人を始めとした妃妾たちに寵愛を授け、また自身も彼女たちから安らぎを得ていました。
ちなみに、この四瑞宮に住まう妃妾にも序列があり、上から四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四名、序列呼称は正一品)、九嬪(同、正二品)、二十七世婦(同、正三品から正五品)に区分されています。
現在の四夫人には三人の皇貴妃(貴妃・紫瑞妃、淑妃・翔賢妃、徳妃・碧華妃。賢妃は空席)が座しており、この国の女性にとって皇后を除く女性の最高序列として、多くの女性たちの畏敬の念を集めています。
平時は四夫人を上級妃、九嬪を中級妃、そして二十七世婦を下級妃と呼び、その下には彼女たちに仕えている宮官《きゅうかん》や、さらに下働きの下女がおり、日々忙しそうに職務に励んでいます。
後宮内において階級制度は絶対とされている上、さらに妃妾の中でも幾つもの派閥が存在するため、見目麗しい後宮の中も裏事情を見るとあまり綺麗とはいえない暗い部分もあるのです。
「……それで、私がこのような場所に呼び出された理由は、どのようなものでしょうか?」
後宮の中にある東廠本宮、その一室に案内された白梅は、目の前に座ってニコニコと笑っている東廠長の洪氏に問いかけていた。
皇帝とその血族、そして女人のみしか出入りすることが許されていない後宮では、東廠で働く男性はすべて宦官《去勢された男性》である。
白梅の目の前に座っている洪氏もまた、そのような存在なのだろうと思い事務的に話を始めたのであるが、洪氏は白梅の目を静かに眺めてから一言。
「君、うちで働かない?」
「それは、私に妃妾《ひしょう》になり、皇帝の寵愛を受けろということでしょうか? そのようなことは、この後宮に招かれている豪族や近隣国家の子女に一任します。そもそも、私は男性に興味がありませんので」
「では、暇を持て余した妃たちのお相手は……と、それは冗談として」
洪氏の戯れに、服の裾を掴んだまま、ギュッと拳を固める白梅。
たとえ相手が誰であれ、意にそぐわないことを強制されたなら拳で解決するのが、白梅の師父たちの教え。そのため思わず拳を握ったのだが、そもそも今回は相手が悪い。
そのため、白梅もグッと堪えて、話を続けることにした。
「冗談に付き合う時間はありませんので、できれば簡潔にお願いします。そうでなければ、寝不足になりそうなので辞させていただきたいのですが」
淡々と告げる白梅に、洪氏はさらに興味を持ったのか、少し卓に近寄って話を続ける。
「まあ、待ちなさい。私は君に、主上《皇帝》の世継ぎを産みなさいとか、そういう話をお願いしたいのではありません。むしろ、この後宮でのんびりと過ごしてもらい、妃妾を初め後宮に務めている人々の悩みを聞いてあげて欲しいのです。まあ、何か変わったことがないか、日々の変化はないかと、そういうものを見て貰いたい……つまり、後宮の相談役ということになるかな?」
その言葉を聞いて、白梅は理解した。
目の前に座っている洪氏は、私の能力を雇いたいのだと。
だから、白梅は正面から堂々と、洪氏の顔を見て一言。
「私の名前は白梅。御覧の通り尸解仙《しかいせん》ですが。それでもまだ、私を雇い入れたいと?」
尸解仙、すなわち下級仙人。
彼女が仙術を使える理由は簡単で、彼女が女仙人、すなわち仙女であるから。
それを下界にて自在に操っている彼女を見て、洪氏は白梅を後宮へと招いたのである。
そもそも、仙人など普通にその辺を歩いているものではない。
それゆえに、洪氏はこの機会を逃すものかと白梅に声を掛けたのである。
最も、白梅が人間が、尸解仙かなど見た程度で区別することは不可能であり、今の白梅の言葉にも洪氏は苦笑するしかなかった。
「やはり、あの僧侶の話した通りでしたか。あなたは、いつ尸解仙に?」
「私は生まれてすぐ、須弥の村にある白梅の老木のもとに捨てられていました。そこで私は村長たちに拾われ、一命を取り戻したのですが、流行りの病にて命を落としています。その時、運よく尸解仙として生まれ変わったそうで」
「待て待て、ちょっと待ってくれ」
白梅の言葉を聞き、洪氏は頭を押さえてしまう。
運よく仙人になれる存在など、見たことも聞いたこともない。
生まれながらにして才覚あるものが、長く厳しい修行を得たのち、八仙に認められなければ仙人になどなることができない。
それなのに、彼の目の前に座っている白梅は、運だけで仙人となったのである。
そのような事は到底、彼の理解の及ぶことではない。
「はい、待ちますが」
「いや、言葉通りに取らなくていい。つまり白梅は、仙人の才覚があって尸解仙になったのではないということか?」
「そのあたりはさっぱりなのですよ。まあ、じっちゃんがそう言っていたから間違いはありませんし、私は金物を忌避しています。あとはまあ、このように普段から『白梅の香』を身に纏っていなくてはなりません」
懐から小さな香袋を取り出し、洪氏にそれを見せる。
それで納得したのか洪氏が頷いた為、白梅はまた香袋を懐に収めた。
「ふぅむ……なるほどなぁ。それで、どの程度の仙術を学んでいるのかな?」
この質問が、明らかに好奇心から来たものであると白梅は理解した。
だが、今更隠しても仕方がないと思い、懐から薄い木札の束を取り出す。
「私は占いを特技としています。あとはまあ、武術については祖父や師父に死ぬほど叩き込まれたので、多少は自身があります。あとは……まあ、それはそのうちという事で」
「それじゃあ、後宮の警備担当も兼ねてもらうということで、雇い入れるとしようか。貴人と同じだけの給金は支払うし、部屋もこの東廠に一つ、個室を渡そう。それでどうかな?」
貴人は、先に挙げられた皇貴妃(四夫人)よりも一つ格下の妃(九嬪)を指す。四夫人は自分達の住まう宮が与えられ、九嬪はそれよりも小さな屋敷に住む。また、二十七世婦は大きな屋敷の中にそれぞれの部屋を与えられ、そこで主上の声が掛かるのを待ち続けている。
つまり、白梅はそれなりの給金を支払うと言われたのである。
この国の東廠の責任者に雇われて、嫌と言える勇気はない。
たとえそれが尸解仙であろうと、相手はそれを熟知したうえで雇い入れようとしているのであるから。
白梅は、あの酒場で洪氏を助けた縁により、自分の運命がゆっくりと回り始めていると理解できた。
本当ならもっと外の世界でのんびりと旅をしたかったのであるが、星の回りに逆らうと碌なことがないと占いに出ていたため、すなおに洪氏の招きに応じることにした。
「あの……私のような小娘が相談役になったとしても、だれも信用はしないかと思いますが、所詮は小娘の戯言と思われるかと」
その白梅の疑問はごもっとも。
洪氏もそれについては苦笑してしまいますが。
「なあ、仙女なら、変化の術はつかえないのか?」
「げっ……ま、まあ、使えるとは思いますが……ここでですか?」
ふと、白梅は窓の外を眺めます。
下界で仙術を使う場合、体内の仙気を常に高めておく必要があります。
そのためには、どうしても早朝の『導引《どういん》』は欠かせないもの。
旅の間は、そんなことに時間を割く余裕はなかったのですけれど、この場所でなら、導引さえ欠かさなければ変化を維持できる。
白梅はそのことを理解し、洪氏に説明を始めました。
「洪氏さま、今から見ることは内密にお願いします」
「ああ、それで、一体なにを見せてくれるというのだ?」
その洪氏の問いかけに、白梅は椅子から立ちあがると、骨格をゆっくりと作り替えていきます。
──ゴキッ、ゴキッ
両肩を外し骨を伸ばし。
両足の骨も少しずつ伸ばしていきます。
骨盤の作りも多少変化させて、全体的に男性の体型を作り上げると、最後は頭蓋骨。
ここだけは変化させることは難しいため、筋肉による顔面形成術を用いたのですが、やはり元々がせ女性のため、麗人という雰囲気になってしまいます。
「最後は髪ですが、これは後ろで束ねることで許してください。と、こんな感じでよろしいですか?」
着用していた華服では男性の身体を包むことが出来ないため、鞄から替えの外套を取り出して羽織ると、洪氏の前でくるりと回って見せます。
そしてようやく、洪氏も目の前の麗人が白梅であったことを理解しました。
「あ、ああ、仙女というのは、こうも簡単に姿を変えられるものなのか」
「私の変化の術は独特でして、これは永航《えいせん》という村の絵師に教わった、骨格から肉体を作り変える変体術です。まあ、あの村には色々と個性豊かな人が住んでいましたからねぇ……鳥獣から仙人になった方もいらっしゃいましたよ。そういう方々は月下にて変化の術を用い、人の姿に変化します。それで、お願いがあるのですが」
「願い?」
そう問いかける洪氏に、白梅は懐から取り出した香袋から、一つの種を取り出します。
「この庭園に、白梅を植えさせてください。そうすれば、私の術は強さを増し、変化の術も長時間耐えられるようになるでしょう」
「わかった、それなら白梅の働く場所の横にでも植えるといい。では、明日からよろしく頼むぞ」
「御意……それと、私のことは男装の麗人ということで。変に邪な心を抱かれても困りますので」
「わかった、皇貴妃たちにはそう伝えておこう」
そして両手を前に揖礼を行い、頭を下げる白梅。
それに洪氏も揖礼で返すと、すぐに彼の副官が白梅を部屋へと案内する。
そして彼女がいなくなってから、洪氏は彼女を雇い入れたことを木簡に記すと、よく朝一番で三皇貴妃の住まう屋敷へと届けるように文官へ指示を出した。
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八重は火蝶の本家である火焚家の長男・火焚太蝋《ほたき たろう》に嫁ぐ日を迎えた。
火蝶の巫女となった姉・千重の代わりに。
蝶の翅の痣を背負う女と蝋燭頭の軍人が織りなす大正ロマンスファンタジー。
見鬼の女官は烏の妻となる
白鷺雨月
キャラ文芸
皇帝暗殺の罪で投獄された李明鈴。失意の中、処刑を待つ彼女のもとに美貌の宦官があらわれる。
宦官の名は烏次元といった。
濡れ烏の羽のような黒髪を持つ美しき青年は明鈴に我妻となれば牢からだしてやろうと提案する。
死から逃れるため、明鈴は男性としての機能を捨て去った宦官の妻となることを決意する。
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