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第4章・北方諸国漫遊と、契約の精霊と

第206話・契約の精霊と、古の盟約

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 丘を下り小川に掛けられた小さな橋を渡ると、そこはすでに町の中。
 ハーバリオス王都のような二階建ての建物の姿は見当たらず、一階建ての石造りの建物が点在しています。
 私たちと同じような外見の人たちが散策していたり、街の外に広がる田園で畑仕事を行っていたら。
 ついこの前の、ロシマカープ王国で体験したあの戦争を忘れさせてくれるほどに、牧歌的です。

「お、ここまで旅人がくるなんて珍しいねぇ。なにもない村だけど、ゆっくりしていってくれよ」
「はい、ありがとうございます」

 道すがら村人に話しかけられましたけれど、どの人も悪意無く接してくれるのが実にいいかんじですよ。
 これがガンバナニーワなら、まずは商人かどうかを問いかけられたり、服装などで身分を探ろうとする人たちもいましたからね。
 
「あの、私たちは契約の精霊さまにお会いしにやって来たのですが。どちらへ向かえばよろしいでしょうか」

 まずは目的をクリアするところから始めなくては。
 そう思って途中で荷車を引いている男性に問いかけました。

「契約の精霊……って、ここの村の名前がエンゲイジっていうんだけれどね。この村に住む人は全て契約の精霊で、貴方たちが探しているのは長であるセフィラさまのことかな?」
「その方が、契約に関することを司っているのでしょうか」
「う~ん。まあ、そうといえばそうなんだけれどねぇ゛……ひょっとしてあなたたちは、人間かい?」
「はい、精霊の祠を通ってやってきました!!」

 そう告げますと、男性はニイッと笑って、私たちが向かっている先の方を指さしました。

「この先、あの旧教会が契約の精霊を守護するセフィラさまの家ですね。おそらくは、貴方たちの目的はそこで解決するかと思いますので」
「そうなのですか……ありがとうございました」
「いいってこと。しっかし、人間界からここに来るなんて、何十年ぶりだろうかなぁ……まあ、ゆっくりしていってくれよ」
「はい」

 うん、優しくて好印象な人です。
 この村の雰囲気に溶け込むような、そんな純朴な方でした。

「それじゃあ、急いでいきましょう」
「善は急げだし。とっとと用事を終わらせて、あーしたちはハーバリオスに帰るし」

 ということで、私と柚月さんの歩みも早くなり、気が付くと私たちは古い教会の前までたどり着いていました。
 あちこちに蔦が生い茂っているものの建物はしっかりと手入れがされていて、旧教会という古臭いイメージは全くありません。
 背の低い門で囲まれているものの、正門は開かれていて中庭らしき場所では小さな妖精が宙を舞い軽快な歌を綴っています。
 
「あの~、ここにセフィラさまがいらっしゃるって聞いてきたのですけれど」

 妖精たちに問いかけますと、そのうちの一人が頷いて教会の窓の中へと入っていきました。
 そして暫くすると正面にある両開きの扉が開き、黒髪の女性が出てきました。

「いらっしゃいませ。私がセフィラですけれど……と、ああ、なるほど。クリスティナ・フェイールさんですね」

 私の顔を見てから、セフィラさんは両手を叩いて私の名前を当てました。
 顔を見ただけで名前もわかるのですか。

「はい。実はお願いがあって参りました」
「まあ、ここに来た時点でお願いというのも予想が付きますけれど。まずはこちらへどうぞ。お仲間の皆さんもご一緒に」
「ありがとうございます」
「さんきゅーだし」
「それでは、せっかくじゃから同行させてもらうことにするか」

 柚月さんたちも一緒にお邪魔させてもらうことにして、そのままセフィラさんに案内されて教会の中へ。
 その奥にある応接間のような部屋に案内されると、まずはソファーに座るようにと進められたので、お言葉に甘えて腰を下ろします。
 すると、部屋の扉が開いて侍女のような方がワゴンを押して入ってくると、私たちの前にティーセットを並べてくれました。

「カモマイリのお茶です。こちらはこの領地でとれたアププルのパイです。お口に合うかわかりませんが、宜しければどうぞ」
「ありがとうございます」
「それでは、頂きます」

 まずはお茶を一口。
 やや酸味のある甘いお茶。ハーブティーとは違うような気がしますが、どちらのお茶なのでしょうか。
 それにこのアププルのパイも甘酸っぱく、それでいてスーッと冷たいような、清涼感が口の中に広がってきました。

「カモミールの紅茶と、アップルミントパイ……ってところだし。うん、これはあーしが過去に食べたことがあるアップルパイの中でも五指にはいる絶品だし」
「ふふふ。気に入ってくれたようでなによりです。それでは本題に入らせてもらいますが。クリスティナ・フェイールさん、ここに来た理由は『クリスティン・アーレスト』が契約した王都払いについての契約の破棄、これであっていますか?」

 さっそく本題に入りました。
 ええ、それが私の目的です。

「はい。契約の精霊を介した約束事は破棄することはできない。もしもそれを破った場合は、厳しい天罰を受けると聞いています」
「そうですね。確かに古い盟約の場合は、そのようなことが起こりますし破棄することもできません。ですが、クリスティナさんの行った契約は、正確には【精霊誓約】と呼ばれるもの。強制力としては最も低いものですし、この場で破棄することも可能です。最も厳しいものは、契約の精霊を召喚し、その前で魔術印と血による契約を行う【精霊契約】。クリスティナさんはそちらではないので、安心してください」

 そう告げてから、セフィラさんは右手で空中に文字を描き始める。
 精霊語と呼ばれている古代文字による宣誓文、それが空中に描かれていくと、手紙を畳むように両手でそれを二つに折り曲げています。
 そしてそれを私の右掌に乗せますと、セフィラさんが何かを唱えた瞬間にそれは一瞬で燃え尽きてしまいました。

――ブゥゥゥゥゥゥゥン
 そして私の体が銀色の品仮に包まれますと、やがて光がスーッと消え、私の心の中にあった鎖のようなものが砕けて消えていきます。

「これで終わりですね。クリスティナ・フェイールさん、貴方にかかっていた精霊誓約は解除されました。もう自由に王都を出入りしても問題はありません。ちなみに、ここでの出来事は契約の精霊の名のもとに、貴方の住まう国の教会にも伝わっています。すぐに貴族院の方にも連絡は届くでしょう。あなたの行った契約は正式に破棄されたと」
「あ、ありがとうございます」

 ほっとしたのでしょうか。
 私の頬を何かが伝っています。

「はいはい。クリスっちこれで涙を拭くし……」
「え、わたし……泣いていますか」
「はい。でも、嬉しそうな泣き顔ですわよ」

 柚月さんからハンカチを受け取って涙を拭きます。
 そっか。
 ずっと気にしていなかったつもりでしたけれど、やっぱり心の中ではずっと引きずっていたのですね。
 でも、これでようやく一安心です。
 アーレスト家から放逐された件についてはもう戻ることはありませんけれど、王都に戻ることも出来るようになりました。
 これで北方の地へも向えるうになりましたので、商人としての活動範囲もぐっと広がっていくことでしょう。

「では、次の問題をどうするかですね……」
「次の……問題ですか?」

 私の契約については破棄されています。
 でも、まだ何かあったのでしょうか。
 
「ええ、これも大切なことです。柚月ルカさん、貴方を召喚した際に結ばれている『勇者召喚契約』の期限が間もなく切れます。ハーバリオス王国ではすでに、貴方たち勇者を送還するための儀式の準備も始まっています。あと一週間、それが、貴方がこの世界に留まっているれる期限です」

 え?
 あ、そっか。
 柚月さんは異世界から召喚された勇者であって、この世界の住人ではないのですよね。
 そして契約期間が完了するので、自分の世界に帰るっていうだけですよね。

「あ~。ちょっと計算がずれたし。まだ2週間は余裕があったと思っていたけれど、もう期限切れだし」
「ええ。ですから、私、契約の精霊の長であるセフィラ・エンゲージがあなたに問います。送還を望まず、この世界の住人となりますか? それとも速やかに帰還しますか……」

 かつて、私たちの世界を救ってくれた初代勇者。
 魔王を討伐したのち、世界各地に散って復興の手伝いを行っていたそうです。
 その際に多くの弟子を取り、勇者の持つ力を後世に伝えるべく様々な修行を執り行っていたとか。
 でも、ある時を境に勇者たちは全員、この世界から消えてしまいました。
 勇者送還……そう、勇者たちはなすべきことをすべて終え、自分たちの世界に帰っていったのです。

 二代目勇者以降、召喚の期限は送還魔法陣に魔力が溜まるでの1年と定められたらしく、この世界にとどまった勇者というのは記録に残っていません。
 ということはつまり、柚月さんも故郷に帰ってしまうのでしょう。

「……どうしよっかなぁ……」
「考える必要はありませんよ、柚月さん、もう時間なのですから帰るべきです……きっと故郷では、貴方の帰りを待っている人がいるはずなんです。一年もの間、柚月さんは行方不明になっていたに違いありません……だから、帰る場所があるのなら……帰るべき……です」

 最後の方は、言葉になっていません。
 目の前も歪んで、もう何も見えていない。
 でも、柚月さんは目的があって召喚されたのですから……。
 家族が待っている、帰る場所がある、それなら帰るべきです……。
 それは判っているのに。

 涙が止まりません。 
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