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第三章

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 涙を流した彼女が、この場から立ち去ったのを見届けてから、どっと疲れが押し寄せた。
「逢坂くん、女の子泣かせたらだめだよ」
「自業自得だろ」
 あのあと、彼女は大粒の涙を流しながら、隠し通していた本音を私たちに打ち明けた。
『彼氏ができて……ずっと好きな人だったんです。告白して、オッケーもらえて、付き合えたことが幸せで夢みたいでした。バスケは好きだったけど、それ以上に彼氏と一緒にいたいという気持ちの方が勝ったんです。でも付き合ってから、なんでかどんどん不安になってしまって。彼氏、女の子っぽい子が好きって言ってたから……活発な子は好きじゃないのかなって……そしたら、おしゃれとかに興味出て、女の子っぽくいたいと思うようになって。でも、レギュラーに選ばれたばかりで部活も休めないし。だから十月様に呪われて怪我をしたって友達に話しました。そうすれば部活は休めて、彼氏と一緒にいられると思ったから』
 そう語っていた彼女は、嘘をついているようには見えなかった。
 罪の意識でも感じているのか、しきりに爪を隠そうとし、戒めるように拳を作り、爪を手のひらに食い込ませているようにも見えた。
「罪悪感はありながらも、それでも彼氏と一緒にいたいって思ったんだろうね」
「だとしても、適当な理由つけて嘘をついてたのは見逃すべきじゃない」
「逢坂くんは他人に厳しいよ。誰かと一緒にいたいっていう気持ちは悪いことじゃないんだから」
「それでも、実際に呪われたなんて言えば、十月様の印象はいよいよ悪化してくだろ」
「さっきからずっと気になってたんだけど、それって私が十月様だったから、かばってくれようとしてるの?」
「違う。嘘をつく人間が嫌いなだけ」
「……ふうん」
「なんだよ」
「ううん、ちょっと自惚れてみただけ」
 たとえ逢坂くんにそんなつもりはなかったとしても、十月様が悪く言われることに対して嫌悪感を抱いてくれているんじゃないかと思うと純粋にうれしかった。
 須崎葵が嘘をついていたことに怒りを感じているというよりも、十月様を私利私欲のために使ったということに、逢坂くんは戦ってくれたのだろう。そんな立派なものではないかもしれないけれど。
「まあ、今回はあの子の嘘だったってことで解決はしたけど、十月様の呪いとか言い出したのって誰だったんだろう」
「多分、ニセモノの十月様が出てきたんだろうな」
「ニセモノ?」
「十月様に憧れたのか、それとも恨んでいるのか、どちらにしてもいいもんではないな」
 がらんとした廊下の天井を見上げながら、私書箱をのぞいている誰かを想像した。
 私と同じようなことしている人がいる。その人は一体なんのために十月様として誰かの願いに返事をしているのだろうか。
「こんな面倒くさいことする奴があんた以外にもいるってことだろ」
「なんか引っかかるなあ、今の言葉」
「事実だし」
 その人も私と同じように、どこかに居場所を見つけようとしているのなら、それはそれで悲しくもなったりもする。私がそうだったように、誰かに必要とされたいという気持ちはとても寂しいものだから。
 飴色に染まった日差しが私たちのいる廊下の先を永遠と照らしている。
「おうさ──」
 綺麗だね、と言おうとした瞬間、ひゅっと音が喉の奥に引っ込んでいった。
「なんだよ」
「あ、いや……ううん、綺麗だなと」
「いつもと同じだと思うけど」
 見上げた逢坂くんの横顔が、あまりにも儚げで、綺麗だと思った。
 それは顔が、というよりも、もっと抽象的な、なんというか、彼が放つ雰囲気そのものに惹かれたと表現した方が近いのかもしれない。
「廊下、綺麗だなって……」
「ほんとかよ」
 怪訝そうな顔で廊下に視線を投げた彼に「そうだよ」となんとか受け答えをしてみる。
 平然を装い、なんでもないような顔をするのが精一杯だった。
 あれ、私、どうしたんだろう。なんで今更、こんなことを思ったんだろう。そんなことをあれこれ考えながらも、行き着く結果はなんとなく予想していた。
 きっと、十月様を守ろうとしてくれたから。私がやっていた十月様を守ろうとしてくれたから。だからきっと、単純に落ちてしまったのかもしれない。
「太陽、落ちてくぞ」
「え?」
「太陽」
 そう言って窓の外にある、真っ赤に燃えている太陽を眺める。
 沈んでいくといった方が分かりやすいのに、彼はあの太陽を見て「落ちてく」と表現した。違和感がなかったわけではないけれど、それでも同じ太陽を見ながらうなずいた。
「うん、落ちてくね」
「ああ、落ちてく」
 そんな言葉、普段ならあまり使ったことがないというのに、なぜだか今は無性に使ってみたくなった。それは、自分の頭を整理するように、そして認めるように、使っていたのかもしれない。
 落ちていく太陽を見つめながら、私は逢坂くんに落ちていった。
 
「ってことで、誰が新しい十月様になってんのか暴くぞ」
 翌日、授業を終え、再び私たちは昨日のように教室に残っていた。逢坂くんは嬉々として十月様探しへと乗り出した。
「暴くって、本当にするの?」
「するも何も、あんたはいいのかよ。自分が作りあげた十月様が悪用されて」
「それは……気分がいいものではないけど」
「じゃあ、暴くしかないだろ」
 答えは単純明快だと言わんばかりに張り切っていらっしゃる。でもそれは、私のためにしてくれているのだろうなと、どこかと思っていた。
 彼らしくない、わざとらしい明るさは「私たちは一緒にいない方がいいんじゃないか」という答えのような気もする。自分たちが良ければそれでいい、と。身をもって教えてもらっているのではないかと、都合よく考えていたりする。
「なんだよ、そんな見てきて」
「あ、いや」
 白く透き通るような肌をじっと見ていると、不快そうに顔を歪めた元・人気者。
 昨日、自分の気持ちを自覚してから、私は彼にどんな顔を見せればいいのか戸惑いを感じていた。誰かを好きになったこともなく、そしてこの気持ちを逢坂くんに伝えようとも考えていない。ただ自覚しただけという気持ちの中で、純粋に照れというものが全面的に出てしまいそうでこわい。
「俺の顔がいいからって、そんな見てくんな」
「……ほんと、びっくりするほどキャラ変わったよね」
 私が言えば、シャレにならない黒歴史となるはずの台詞でも、逢坂くんが言うと話は変わってくる。そしてぐうの音も出ないとはこのことかと痛感さえする。顔がいいとは何かと得だ。
「で、どうやって暴くの?」
「そりゃあ、あれしかないだろ、あの作戦しか」

 仄暗い空間は、ひとたび廊下へと出てしまえば明るくなるというのに、なぜか階段や踊り場は電球の光が弱い。
「あれって、これ?」
「そう、これ」
 二人して人気のない階段へと潜んでいた。顔をぬっと出せば、私書箱前の廊下が確認できる。
「見張りって古典的だよね」
 逢坂くんが自信満々に言っていた作戦。まさかこんなにもありきたりなものだとは思わなかった。
「文句あんのか」
「いや、ないけど」
 ぼそぼそと尻すぼみしていきながら、果たしてこの探し方は効率的なのだろうかと考える。たしかに探し方はいろいろあるかもしれないが、よくよく考えれば、最も十月様を突き止めるという手段は張り込みが一番最適なのかもしれない。
 身を潜め、自然と呼吸まで小さなものへと変わっていく。
「今日見つかったらすごいよね。見つからないと思うけど」
「最初から諦めんなよ」
「逢坂くんって熱血体質も持ってるんだね」
「いろんな顔があるんだよ」
 それはそうかもしれない。私だって同じ顔があるわけでないのだろう。
 それでも逢坂くんを見ていると、あれやこれやと違うタイプの顔を出されているような気分になって、しばしショーを見ているような錯覚さえ起きる。……ショーはさすがに言い過ぎたかもしれない。
 どれぐらい待つのだろうか。それを訊ねようとしたところで「お、ビンゴじゃん」と逢坂くんが言った。
 見れば、一人の男子生徒が私書箱の前で立ち止まっている。それから右、左と確認をするものだから、勢いよく首を引っ込める。そうして、また顔を出すと、男子生徒は私書箱の中をのぞき、紙を取り出していた。
「あの人が──」
「おい、お前が新しい十月様か」
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