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第三章

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「ねえ、十月様って願いを叶えてくれるんじゃなかったの?」
 女子生徒の囁きが、教室の隅で課題に取り組んでいた私の耳へと直接的に入ってくる。
「だから、叶えてくれるけど、その代わりに呪われるんだって。実際、五組の高橋だって願い叶えてもらった翌週には事故に遭ってんだから」
「復活したのにこれって……気味悪い」
 ここ最近、校内を騒がせているのは、十月様が復活したというビッグニュースと、それから、もうひとつの新しい噂がにわかに広がり始めていた。
「あんた、人を呪うこともできるのか」
 失笑するような顔が上から偉そうに落ちてくる。私が十月様だということを知っているのはこの男だけだ。
 ぶんぶんとまるで扇風機のように首を振った。
「そんなことできない……そもそも復活もしてないのに」
「でも復活したんだろ? 願いを叶えてもらったとか、さっき廊下でも聞いたぞ。あんたがやったんじゃないのかよ」
「だから私は、逢坂くんとあそこで会ってから、一度も私書箱をのぞいてないんだってば」
 ひそひそと、最大限にボリュームを下げる。いつの間に復活祭してたんだよ、とまたしても目の前にいる男はにたにたと笑う。
「違うんだって……ほんと、なんでこんなことになってるのか」
「事件には何かしらの物語があるもんだよ」
「え?」
「理由なく起こることなんてほとんどない。こういうのは」
「そう、なんだ」
「あんたにだって理由があっただろ。十月様になった理由が。ぽんと十月様になったわけじゃないんだから」
 言われてみればその通りだ。私は、なりたくてなったわけでもなかったし、自分が崇められる存在になれるなどとも思っていなかった。自分の欲を満たしただけ。
 それを見抜いてしまったのは、このほくそ笑む彼だけだった。

『十月様に呪われた』
 そう言いだしたのは、とある二年の女子生徒だった。
 十月様にお願いをして、それから翌日、無事に願いは叶ったけれど、その代償を払わされたという話が瞬く間に広まった。
「代償って?」
 私は、又聞きした話を逢坂くんにそのまま伝える。
「怪我をして危うく入院するところだったって」
「なんだ、入院してないのか。大袈裟だな」
「そういう問題じゃないよ。怪我をしたってところが問題なんだから」
 彼女はバスケ部員で、次の試合にはレギュラーに選ばれていた。それなのに不運な事故に遭いレギュラーは取り消し、大事な試合には出られなくなったというのが最終着地らしい。
「だから、話を聞いてみようかと思って」
「話って、誰に」
「お願いをした本人に。どういうお願いをして、どんな怪我が十月様に繋がったのか」
「聞いてどうすんだよ」
「……どうもできないと思うけど」
「じゃあわざわざ行動する必要もないだろ」
 それはそうかもしれない。行動したところで無駄なのかもしれない。
 でも、仮にも一度は十月様だった私からすれば、悪い噂が広がっていくというのはあまりいい気がしない。
「もしかしたら勘違いかもしれないし」
「でも一度広まった噂は取り消せないからな」
「……分かってる」
 誰かの耳にもう入ってしまったものは、いくら頑張ったところでなくなったりはしない。
 それでも、今何が起こっているのか知りたい。知ったところで何ができるというわけでもないけれど、それでも、このままにしておくができない。
「で、その生徒は誰か知ってるのか?」
「ううん、今から探そうかと思って」
「どうやって?」
「それは、ちょっと、逢坂くんに手伝ってもらわないといけなくて──」

 意外にも、呪われたらしい女子生徒を見つけるのは簡単で順調だった。隣の不機嫌な逢坂くんを除けば。
「あんた、人の顔を使ってよく平気でいられるな」
 少々、いやかなりご立腹な彼は、久しぶりにホワイト逢坂を使ったからか、どことなく疲れているようにも見える。
 私一人では到底、女子生徒の元にはたどり着けなかっただろう。だからこそ、逢坂くんという最強の武器を使い、片っ端から話を聞きに行った。
「あの、呪われたっていう女の子を探しているんだけど……」
 私が開口一番にそう切り出して話しかけると、必ずといっていいほど不審がられる。いきなり先輩から声をかけられるのだから身構えてしまうのも当然だ。
 それでも隣にいる逢坂くんを見ては、その顔は一瞬で破顔するのだから驚きだ。
 頬を赤らめ、自然と前髪を触り、どこか緊張したような顔で「あ、えっと、その子なら」と知りたかったことをものの数秒で教えてくれる。
 最後に逢坂くんに「ありがとう」と言わせればこっちのものだ。女の子たちは、きゃあと騒ぎながら「逢坂先輩だったよね」と興奮していた。
 どうやら、ブラック逢坂になったという噂は下級生にはあまり知られていないらしい。
 都合がよかったというかラッキーだったというか。
 そうして出会えたのが、須崎(すざき)葵(あおい)というポニーテールがよく似合う女の子だった。
「呪われたって話を聞いて、よかったら詳しく聞かせてもらえないかなと」
 私がそう言うと、彼女はわかりやすく表情を強張らせた。よっぽど怖い目にあったのかもしれない。逢坂くんを見ても、彼女はさきほどの女の子たちとは違い、顔を赤らめるわけでも緊張するわけでもなかった。
「すみません……その話はあまりしたくなくて」
「あ、ごめん。そうだよね」
 断られることは分かっていたが、それでも、この先を考えていなかった。どこかで話をしてくれるかもという淡い期待の方が大きかったのかもしれない。
「爪、綺麗だね」
 場の空気を和らげるためか、逢坂くんが彼女の手元を見て微笑んだ。
 褒められたというのに、彼女は気まずそうに爪を隠し、両手を握るような動作を見せる。表情は相変わらず力が入っていた。
「今日は帰ろうか。また話を聞かせてくれると──」
「ねえ、その爪っていつから伸ばしてんの?」
 彼女のことを思い退散しようとするのに、逢坂くんはあえてそこにとどまり、しつこく爪に注目した。もう場を和ませるようなことはしなくていいのにどうして今、爪のことを聞くのか理解できない。
「逢坂くん、もう行こう。話はまた」
「ねえ、いつから?」
「だから、今は爪の話なんて──」
「バスケ部で爪長いって、アウトでしょ」
 どうして彼が、彼女の爪にこだわるのか分からなかった。
 今だって何がアウトなのかもわからない。そんな私に、逢坂くんは今まで浮かべていた笑みをすっと消す。
「バスケは接触プレー。爪が長ければ誰かに危害を加えたり、そもそも長いと爪が割れたりするスポーツでしょ。怪我したのは最近。その割にはずいぶんと伸びてる」
 そこまで言われて、ようやく爪にこだわった理由が判明する。
 彼女は最初から、その指摘をされていることに気づいていたようで「すみません」とか細い声で謝った。
「……嘘なんです、呪いっていうのは」
 ぽつぽつと、申し訳なさそうに、ぎゅっと下唇を嚙みながら、震えるような声が聞こえる。
「そう言ったら、部活休めると思って……試合に出たくなくて」
「出たくないって……どうして?」
「バスケが楽しくないんです」
 レギュラー争いに疲れてしまったこと。友達はレギュラーに選ばれなかったのに自分だけ選ばれてしまったこと。その友達と関係がギクシャクしてしまったこと。
「部活に行きたくないんです。そういうの、疲れちゃって」
 静かにそう語る彼女に、同情に近いものを感じる。
 私も、加古と関係がギクシャクしてしまった。喧嘩をしてわけでもないのに、前と同じような関係に戻ることは難しくなってしまったから他人事のように思えない。
「……辛いよね、そういうの」
「辛いです。誰も悪くないし……」
「本当にそう思ってんの?」
 私と彼女がしんみりしている中、その空気をばっさりと切ったのは言うまでもなく逢坂くんだった。
「……どういう意味ですか?」
 須崎葵の表情にぐっと力が入る。否定されたような気分になったのだろう。私も同じだ。けれども逢坂くんは、彼女のその顔を見ても「だから」と鋭く指摘を続ける。
「俺が言ってるのは一貫して爪のこと」
 じっと見つめるその瞳が、ずいぶんと厳しいものに感じて、本能的に怖いと感じてしまう。それは彼女も同じだったようで、視線を右に左にと激しく泳がせていた。
「部活がどうとか、それも理由にあるかもしれないけど、仮にそうだとしたら、爪を綺麗にしようとか、そう思う気力ってなくなると思うけど」
「そ、それは……部活も休んでやることがなくなって……トップコートも塗ったらだめなんですか? 部活休んでる人間は、綺麗になりたいとか思っちゃいけないんですか?」
 恐怖に打ち勝つように、震えた声でそれでも彼女は反撃を繰り返す。はあ、はあ、と呼吸が浅く、感情が抑えられように見える。
「別に。それは本人の自由だろ」
「じゃあどうして!」
「本当のことを言わないから」
「言ってるじゃないですか、ずっと」
「その理由に無理やり繋げてるだけだろ」
「あなたに何が分かるんですか? 私の何が分かるっていうんですか?」
「さあ」
「だったら放っておいてください!」
「最初から本音を言えばとっくに帰ってるよ。でも──」
 ぞっとした。彼の顔は、口調は、あまりにも心を簡単に冷やすだけの威力があったから。
「本当の理由を隠すために、都合よく十月様を使ったことに腹を立ててるだけ」
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