ミニュイの祭日

月岡夜宵

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前章 星降る夜(ニュイ・エトワレ)

だいじなはじめて

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 昼下がりの居室で僕はリュカ様にたずねていた。

「生命の危機に遭ったことでダイナミクスが不安定?」

 普段聞かない話に目を点にしているとリュカ様が爪ヤスリをかけながら答える。

「らしいぞ。もともと乱れがちだったんだと。事件のせいでかき乱されてからはDomドムとして正常に機能していないって話だ。性がSwitchスイッチになろうと無理してるとかな」
「じゃあリュカ様はとんでもなく繊細、ってことですか?」
「おまえ今俺のことばかにしたろ」

 慌てて首をぶんぶん振るもリュカ様に首をロックされた。ギブギブ、くるしい!

「ぷはあ。じゃ、じゃあリュカ様にもコマンドがきいちゃう……!?」
「なんでそこで目が輝くんだか。おまえSubサブだろ」
「うー、そうですけどお」

 僕は脚をもじもじとしながら告げる。

「だってえリュカ様に命令とかたのしそ……いえいえなんでもないですよ!! えへへ」
「えーい、舌っ足らずにしゃべるな。うっとうしい」
「ひん!?」
「どうせ頭の中じゃろくなこと考えてないのもお見通しだからな」
「な、ひどい! そんなゲスなこと考えてないのに……」
「どうだか」

 ふー、と息をつきながらこれ以上にムカつく表情はないという顔であおってくるリュカ様。顔がいい人でもこんな不愉快な表情作れるんだなと別の意味で感心した。それはそれとしてリュカ様に今こそコマンドを使いたいとおもったが。


 本日もお日様が顔を出している。気温もぐんと上がってきてすっかり春だ。今朝の散歩ではタンポポが道ばたに生えているのをみつけた。ぽかぽかだからでてきたのかなー。今日こそはリュカ様においしいコーヒーを入れられるかもと意気揚々と彼の部屋に向かったが……、そこにリュカ様はいなかった。

(もう行っちゃったの!?)

 と、思いきや。なんとリュカ様本日は病院の予約があった。ふたりきりになってからこうして説明されている。通院は別の予定でカモフラージュしているとのこと。抜け目ない。
 僕はなにもいわずに学園に戻られたのかと落ち込んでいたのでリュカ様がみえて感情が一気に爆発してしまった。な、泣いてなんかないのだ。

 ヤスリがけが終わったリュカ様は行儀悪い姿勢で本を読んでいる。脚を机に乗せてもさまになるのだから本人は得してるよなあ。

「悪夢をみるのも体のなかでいろいろやってたせいだと。性が安定すればそのうち落ち着くってのが診察の結果だ」
「わあ、よかったですね!」
「あー……そうでもないんだよな」
「ほへ?」

 喜ぶ僕を前に微妙な表情をしてらっしゃる。
 頭をかいているリュカ様。
 僕は首をかしげた。

「関係を持つ者を作れと言われた」

 それはつまり番を持てということですか?
 僕は思わず爪ヤスリを取り落としていた。
 ヤスリをリュカ様が拾って返してくるが、僕は素直に受け取れない。
 いや、今の言葉を受け止められないのだ。

 リュカ様だってもうすぐ学園へ戻ってしまう。今日のような突然の旅立ちだって不思議はない。いつかは彼も当主として伴侶を持つだろう。それを僕ごときにとがめる資格はないのだ。
 それが動揺するほど寂しかった。まだ手がしびれたように震えている。
 学園とはとは違い、期限つきで戻ってきてくれる保証はない。

(そもそもリュカ様は僕のものではないのにな)

 しんみりとした僕の心。つんと痛むように鼻の奥がむずむずする。
 それでも受け入れようとしていると、リュカ様はなぜかムっとして僕の鼻をつまむ。

「その顔はなんだ?」
「いえ、べつに……」

 主人不在の専属はやるきがでない。リュカ様のいない日々は退屈で暇を持て余しがちだ。いつかはそれが普通のことになるのだろう。それまでに何度自分の心と葛藤するかは知らないが。

「不満そうだな」
「ええとそんなことは――」
「俺が番を持つのはそんなにいやか」

 ぎくっと体が硬直した。反射的に否定しようとしたが、言葉さえ出てこない。じっとりした汗をかいてリュカ様の反応をうかがっていると。

「ふっ、おまえはほんと甘えただなー」

 どうやらバレてはいなかったらしい。が、頭をよしよしとなでられるのに別の意味で失望感が半端ない。この反応、……間違いなく僕、意識されてないよね、ですよね、リュカ様!! うえーん、こんなのってあんまりだー。

「そこで、だ。ルナ。おまえ俺の『パートナー』にならないか」

 ショックを受けていた僕に向けられた、思いもよらぬ提案に口をあんぐり開けてしまう。

(へ? 今なんて)

「医者が言ってた。数値で調べてわかったんだが……、ルナが俺にしたのはCareケアじゃないかって。ケアは本来、サブが陥る好ましくない心的状態を回復させるための治療だ。つまり不安定になり精神コントロールを失った状態でパニック等を引き起こした、いわばSub dropサブドロップになったサブにドムが行う全肯定する行動。それを、お前がやったことで、俺のダイナミクスは安定したんじゃないかとな」
(ケ、ア? 僕のあれが?)
「正直おまえとの相性も悪くないと思ってる。番において大前提である信頼と庇護の関係性も、ルナとなら構築していけるんじゃないかと思えるぐらいにはな」
「え? で、でも……僕は正直承服しかねるというか……ええとまだ理解が追いついてな」
「納得できればいいんだな?」

 このとき僕は、リュカ様がどれだけ追い詰められていたのかを、彼の本気度を理解していなかった。つまり、やっとみつけた回復手段のためなら、――僕を逃がさないためなら、なんでもするってことを。
 リュカ様の目が光る。
 僕は壁際にのけぞった。

「ちょ……『Kneelおすわり』と待っ!?」

 及び腰になったせいで、僕の方が行動が遅れた。そのせいで発されたコマンドを前に、僕の体は自然な形で、おすわりの姿勢、俗に言うぺたんこ座りをしていた。

(ちょっと待って僕ぅぅぅぅ、いくらなんでも、これは)
「お? 効いたな」

 しめしめと、したり顔のリュカ様。脳内では警戒音が鳴り響く。
 やばいやばいやばいよー、これは絶対報告案件なやつ!

 リュカ様の暴走を止めように、……も? あれ、なんかきもちい? なんでだ?

「よしよし。ルナはいい子だな」

 いい子いい子と頭をなでるリュカ様。
 普段満足に褒めてもくれないリュカ様。そんな主人が満面の笑みで全肯定。破壊力はすさまじかった。
 ずっきゅううううん、と心臓に矢が放たれるや否や、僕は抗う力が抜けていた。
 や、あ、らめなのにぃ、……もっとしてほしくてうずうずするう。あ、足閉じなきゃ、なのにからだ、ぜんぜんいうこときいてくれないよおー。

 えぐえぐと泣き出す僕へ落ちる言葉の雨。

「どうした? もっと喜んでいいんだぞ」
(よ、ぉこんでいいの? ん、あ、ダメだぞ、ぼく。しっかりしな、きゃ……)

 われ知らずよだれがこぼれてしまう。飲み込みきれずにあごにつたっていく唾液を、リュカ様が、あろうことか指ですくう。

「ああ、こんなに溢れさせて……、ほら気持ちいい・・・・・だろう? 素直になっていいんだぞ」

 いいんでひゅか、ん、でもぉ。

「ぼく、りゅかさまだからあ、ん、っき、だからあ、だめでえ」

 舌っ足らずな言葉で精一杯告げた。

(リュカ様だから、好きだから、だめなんです)

 しかし意味までは通じていないようで、リュカ様は笑みを深めたままさらなるコマンドを発した。

Come来い
 んー? あ、ぼく呼ばれてる?
 うれしい。ふふ、リュカ様だあ。わーい。
 この頃には僕の脳みそは役に立たなくなっていて、しかも悪いことに腰まで立たないレベル。だというのに、リュカ様の命令一つで彼のもとには向かおうとするのだからたちが悪い。おぼつかない足は諦めて、僕は赤子のようにハイハイしながら移動して、やっと、リュカ様の膝元に収まった。
 くすくすと笑うリュカ様を見上げるだけでこみ上げる満足感。しあわせが胸いっぱいに染み出てしょうがない。

「とろんとしてるな。コマンド使われただけでこんなにとけるのか、お前?」
「んゃ? りゅかさまってばにゃにいってるかわかりませーんよー、ふふふ」
「おいおい。脳みそもふわふわしてそうだな、花畑はそっちじゃないぞ」
「え~?」

 リュカ様の笑顔に心臓がくしゅっとする僕。甘酸っぱい果汁の炭酸ジュースを飲んだように、しゅわしゅわと立ち上る喜び。

『そろそろ次いくか。――Lookこっちを見ろ
 リュカ様が自分の目を示す。

「やだ!」

 もじもじしながら僕はリュカ様の言葉に抵抗した。思い切りのいいNOである。これにはリュカ様も目を瞬かせて驚いている。

「悪い子には仕置きだぞ?」とリュカ様は態度を改める。

「やだぁっ! やだああー」と反抗する僕。

「じゃあ、どうすればいいか、わかるよな?」

 リュカ様はほんっとーに悪い主人でした。
 これだけいいように甘やかしておきながら甘い言葉で僕を懐柔しようとし、できないならばと溶けるような口調で脅迫をしてくる。
 痛いのも怖いのも寂しいのもお仕置きなんて断固拒否、絶対ごめんなよわよわな僕に、選択肢などありません。
(おそらく)モテるほどの性格の良さにくわえて、(おそらく)相手を利用できるほどの性格の悪さを兼ね備えた……いわゆる鬼畜ってやつです、はい。

 はじらったあとでじっくりと言葉を飲み込む。まじまじと相手の目をみながらえっとかうっとかうなりながら行動を吟味する。
 僕にもたらされる最大級のダメ押し。
 すりすりと耳たぶをなでられた。

「ちゃんと俺の意図がわかるな?」

 こくり、うなずいた。

 そして僕は姿勢を変えて、すり寄るようにリュカ様と対面になる。真正面から抱っこされる形、に。

Kissキスしろ
 ささやくように投げかけられる。
 目を見開いた僕に、またたきの余裕すら与えずに命令を下すリュカ様。
 さんざん葛藤した末に、唇にしたいのをなんとかこたえて、額を選ぶ。

「合格だ。『よくできました』」

 〝よ・く・で・き・ま・し・た〟
 一言のダメージが僕の脳みそをある意味、焼き切った。

 頭をなでながらの褒め言葉。
 ぞくぞくと駆け上る多幸感。
 きゅんきゅんする心臓。

(ああ、これ、ぜったい開けちゃいけないなにか・・・を、からだがゆるしちゃってるよおおお!!)
 という、理性を最後に、僕は完全に飲み込まれた。

 僕が堕ちた、のを確認するとリュカ様は最高にイイ笑顔で確認をした。

「俺のパートナーになるよな?」

 肯定の意味を込めてしっかりとうなずく。

「なるのか? 言葉にしてくれないか、ルナ。おまえの声で聞きたいんだ」
「わか、りました、ん、なりゅよ……りゅかしゃま」

 むぎゅっとハグをしにいく僕を捕まえるリュカ様の瞳はいまだらんらんと輝く。そして何かのスイッチを押してから僕の後頭部をなでる。
 だんだんと落ち着いて視界も脳もクリアになっていく。
 つまりそう、夢心地が、終わると。

(ああ、天国から地獄に突き落とされましたよー!!)

 あ、あんまりだ~~、こんなの。言質を取るためにちゃっかり録音してるとか、しかも、メロメロにしたうえでとろとろの脳みそに「いいか?」はあまりにもゲスいです、リュカ様~~~~ッ!!

 さまざめと僕はクッションを抱え泣いた。

「な? 信頼関係の証明だったと思わないか?」
「~~~~ッ! あ、あんなこといきなりやるなんて聞いてません! 僕、うう、僕……」

 自分でもびっくりなことに、僕はサブスペースにハマっていたらしい。
 Sub spaceサブスペースとは、ドムとサブが行うプレイにおいてサブの意識が完全にドムにコントロールされてしまうことをいう。プレイ自体がふたりの間の特別なコミュニケーションだ。さらにサブスペースはよっぽど相性が条件がよくないと滅多に入れない領域である。人によってはその状態を、お花畑だとかふわふわだとか表現し、とにかく――きもちいい、んだとか。そう、さっきまでの僕みたいに。

 意識して再度熱をもつ体。やめてやめてと顔を仰いで否定する。あまりにもショックなせいで、僕は、今の今までのことが夢だったらと願っている。わりと本気で。

「初めてのプレイはぜったい恋人とって決めてたのにぃ~~、リュカ様のひとでなしいいいい!!」
「な!? は、はじめて??」

 とんちんかんな響きで返すリュカ様にますます怒りがこみあげる。
 ぐすん、いくら好きな相手とでも、両思いでも、合意の上でもないなんて、これはあまりにむごいです。

 大事にとっていたハジメテをふいに奪われて僕は失意のどん底。たとえさっきまでがしあわせで夢見心地な気分でも、そんなのはそんなのは、僕だってじっくり味わいたかったのに。

 うなだれる僕の後ろでため息と、頭をがしがしとかく物音。

「悪かったよ……、おまえの意思も聞かないで」
(そーですよ、すこしは反省なさってください!)
 僕はリュカ様をみないまま頬を思いっきりふくらませる。それでもちっとも怒りは消えない。

「頼むから同意してくれないか。本当に困ってるんだ。おまえしかいない、いやおまえにしか頼めないんだ、なぁ、ルナ」
(ずるいです、そんな言葉! 卑怯だ卑怯だ!)
「つぎはちゃんとする。なんならおまえの望み通りにする。努力する……だから……」

 それでもすすり泣く僕についにリュカ様は言葉を収めた。

 僕の方はやっと冷静さを取り戻しつつあった。
 あのリュカ様に努力するとまで言わせていることに申し訳なさすら覚え始めていて、僕は語った。

「今度はマナーも守ってエスコートしてくださいよ」

 若干、憎々しげな物言いになってしまった。恨みがましいのは許してほしい。だって初めてを奪われてしまったのだから。そこは、頑として譲りたくない。

「……、わかった。つぎはセーフワードも用意させる。どうか機嫌を直してくれ」
「し、仕方ありませんねぇ……」

 すごすごと振り返り、さりげなくリュカ様の手を握る。仲直りの握手でちゃっかりリュカ様を補給する僕。勝手なおさわりなんてしようものならよこしまな視線に剣呑な目を向けられちゃうもんね。えへへ。

「おまえにやけてない?」
「気のせいです!!」
(よーし、こっちも言質とったぞー)

 と、内心したり顔な僕の顔をみて安心したのか、リュカ様は「ほんとチョロいなぁ」とぼやいていた。大丈夫か、とか余計なお世話だ。
 ――ほんっっとに大概な主人である!! もう!!

 *

「眠い……、もう寝るから布団に入れ」
「ええ? 僕まだ起きてたいんですけど」
「『Come来い』」
「コマンドは反則! ずるですよ、ずる!」
「うるさい。つべこべいわず俺を寝かせろ、添い寝枕兼共寝係」
「あーあー横暴だ、リュカ様ってやっぱり人が悪いですよう」
「主人だから命令くらいいいだろ」
「んぐ!?」
「ほらおこちゃまは寝るぞ」

 口を塞ぐように手で覆われ、しっかり抱き込まれた。こういうとこおこちゃまなのはリュカ様のほうだと思うんだけどなー。
 リュカ様はもう目を閉じている。
 ちらっと形の目元ときれいなまつげを盗み見る。どこもかしこもサラサラだよね。なのに男らしいって不思議だ。これもやっぱりずるだと僕は思う。あるいは神様のえこひいき。
 開いていた眼とばっちり合う。

「ぁぇ……」
「ふ、見とれてたのか?」

 かぁぁと熱が集まる顔。すぐに反対側を向き、顔を隠す。

「みてなんかいませんー!!」
「ばーか、バレバレなんだよ」

 んごおおおと吠えたくなる羞恥を手元の枕に埋めてやり過ごす。くしゃくしゃにしわがよる枕。思わず枕をぽかぽかと殴ってしまう。それをみている視線にすら熱が集まって、もー、やり場がないー!

「ほら褒美だ、受け取れ」
「へ?」

 腕を引かれて、起き上がる。顔を向けられてふにゃっと心がとろけてしまう。
 力が入らないのをいいことにぬいぐるみみたいな扱いを受けて。

Lickなめろ

 ささやくリュカ様が差し出したのはスプーン。そこに乗っているものを確認するまもなく口に突き入れられる。

「ふっ!?」

 むせてしまうかと思えば、案外優しく口の中に入れられたようだ。ゆっくりと舌の上でとかす。
 むぐむぐ、あ、おいしい。

「うまいか?」

 きゅんとまた心が鳴いた。

「今日は上手におねだりできたからな」

 ほんのりあたたかな蜂蜜。どこに隠し持っていたのか、リュカ様のサプライズ。小瓶から取り出したそれの甘さに舌鼓を打つ。

 ――反則負けは僕のほうかもしれない。

 上目遣いになった僕はにくからず思ういじわるな主人をみつめながら告げた。

「いいですよ、パートナー……、僕が、なってあげても」
「言い方がなってない。やり直しだ」
「そ、れ……どの口がいうんですかー!」

 こうして僕らは喧々諤々けんけんがくがくの果てにパートナーとなった。
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