恋ノ炎ハ鎮火セズ

月岡夜宵

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7(シンジ)

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 ――やはりダメか。
 何度もポケットのスマホを確認するも、そこに連絡を示すバイブレーションはない。彼からの返事は来ていない。
 ああもう、どうせならこのまま歌い続けてぶっ倒れてもいいや。彼への愛を口に乗せたまま。寒空の下、降る白雪より真っ白な思いだけは届けたかった。ついぞ届くことはなさそうだが。
 しあわせだ、ふと思った。まだ彼に伝えてもいないのに。彼を愛する気持ちを歌うだけで満たされる心。


 そもそも今回の一連の騒動。始まりは完全にミスだった。
 大分疲れが溜まっていたその夜、深酒をし悪酔い状態の自分があんな呟きをするなんて思ってもみなかった。前後不覚に酔っ払い記憶はない。二日酔いの朝目覚めてぎょっとした。

【あいつと結婚したい。おれの望みはそれだけなのに誰も認めてくれない。一生触れることも出来ないまま俺は死んでいくのか?】

 なんだこれは……。
 無意識にやらかしたことに青くなる。既に至る所で火の手はボウボウ上がり始め、俺のアカウントへ向けて苦情やら非難やらが殺到している。マズいとは思った。

(いや、でも彼がいればなんとかなるか)

 なんて楽観視したことを後悔する。ついぞ彼は動かなかった。

 酩酊がきっかけとはいえ、アイドル失格の烙印を押されても不思議はない爆弾発言。世論は一気に向かい風。叩き落さんばかりの文言。クレームの嵐。
 勿論事務所には謝罪をした。社長含めマネージャーも既に対応に追われている様子だった。その惨状をみて事態が飲み込めた。とんでもないことをしてしまったと。
 発言を撤回し、謝罪の一文を公式サイトにて掲載するも全ての対応が後手後手。事務所が確認するまで個人的な発言は禁止が言い渡された。

「我々も慈善で活動するファンに甘えていたようだ。たとえお前がうっかり炎上未遂を起こしてもボヤで収まるだろうとタカをくくっていた。これは全員の落ち度だ。お前だけが悪いわけじゃない」

 社長が言ったのは通称『消防団』のことだろう。俺もよく知る〝彼〟が所属しているグループのようなもの。
 社長の反省を受けて、職員やメンバーからは「とにかく誠心誠意謝るしかないよ」とか「これはファンへの裏切りだからな! 反省しろ!!」と背中を叩かれて応援された。泣き言を言ってる暇はない。

 そうして月末にやってきた握手会当日。前日まで俺の扱いは議論され、お詫びを兼ねて俺は参加が義務付けられた。とにかく懇切丁寧に誤解を解きなさいと。
 案の定俺の列は圧倒的に短い。さらには他の列に並んでいるファンからも睨まれる始末。目の敵にされてることに気落ちした。メンバーからは擁護されるが、効果は薄い。
 真摯に応対したつもりだ。それでも、わざわざ列に並んだ人からも最低と罵倒されあたしの気持ちを返してと泣かれてしまった。

 早くも折返し地点。そこに俺の好きな彼が現れた。
 いつもより陰りのある表情だったが、疲れ切った俺をみて顔をしかめる。謝罪の言葉を義務的に口にすれば――途端、なぜか泣き出し、崩れ落ちる。慌てて駆け寄るも泣きじゃくるばかり。その涙を止めたくとも、何が原因で泣かせたかが分からない。
 やはり先の発言だろうか。あなたを思って書き込んでしまった、なんて言った所で彼は喜ぶだろうか。いや、きっと傷つける。彼が仮に喜んでも、俺の安易な発言が誰かに聞かれれば今度こそ本当に終わりだ。俺のアイドル生命も、彼との未来だって。傷つけたいわけでも泣かせたいわけでもないのに。他から揶揄されるのも言葉の刃先を向けられるのも俺だけで十分だ。

 彼が泣くまで、俺はファンである彼らの心情なんてまるで見えていなかった。こんなに荒れたらほとぼりが冷めることはないだろう。いっそ芸能活動など辞めてしまおうかとも。事務所だっていい迷惑だろう。いつ解雇されてもおかしくない自分を抱えるなんて。そんな程度の認識と覚悟だった。
 自分の気持ちを傾けて応援していた存在の唐突なスクープ。まるで恩を仇で返されるような行い。ファンとの良好な関係を築いたうえで正式に発表さえすればこんなことにはならなかったかもしれない。
 自己満足ではた迷惑な行動のすえ、胸にすとんと降りた理解。ただ愛する人と共にありたいという願いが、様々な人を傷つけることになるなんて全く思わなかった。責任感もなく欲求不満をぶつけたであろうあの最低発言の罪深さをようやく悟った。
 せめて慰めたい一心で背中をさする。今も騒動は加熱しているのに、不謹慎にも、初めて触れたその体に歓喜していた。手を握られたまま陶然とする彼の表情を見てうっかり動揺してしまった。本音の逢えて嬉しいを伝えれば、彼は「今までありがとう」と微妙に噛み合わない返事をくれた。それがまさか別れのつもりだったなんて。


 季節が巡っても、彼はネット上ですら姿を表さない。まるっきり活動している様子がない。音沙汰のないアカウント「渚」を今日もチェックして――心は折れてしまった。
 一度だけ内緒で送ったメッセージには未だ既読がつかない。いなくなって初めて送った文。

【もう逢いに来てはくれませんか?】

 彼にだけ求められたかった。今では仕事に辟易している。それでも事務所全体では解雇の色も濃厚なのに、社長はそれでも俺を庇う。メンバーだってあんなことがあっても気安く接してくる。ありがたいとは思う。
 それでも我慢の限界が訪れてしまった。燃え尽き、いっそ灰になりたいとも思った。彼がいないなら俺は偶像を目指す意味もない。俺は彼の為だけにアイドルになったのだから。ただの青年だった真志をアイドルのシンジに変えた出会いのおかげで。

 すぐ炎上発言に繋がってしまうのは、別に芸能人として生きていけなくなってもいいという裏返し。ファンに向き合う気力がどうしても湧かない。心底アイドルに向いていないのだろう。あわよくば一般人でも構わないとすら思っていた。現実に移さなかった理由はただ一つだけ。

 昔から誤解されやすかった自分。愛想が悪く、人との接し方も不慣れ、それに加えて会話がへたくそ。義母からはお前は何をやらせても不器用だねと言われた。間が悪ければ、完全に運がないだけの時もあった。幼少期からそれで大分苦労した。

【せっかくふれあえる機会があるのにそんなチャンスをふいにして、今日の天気だとか最近みた面白動画だとかの世間話に興じる気持ち悪いファンにだって彼は笑顔で付き合ってくれる。とてもやさしい人です】

 既に念願の再会は果たしていた。ひと目で分かった。しかし個室ブースとはいえ業務的な対応で済ませるしかない時間。未だ名前を尋ねることすら出来ていない。舞い上がってしまうせいで毎回聞きそびれるのだ。
 ファンなのに握手会で毎回握手を拒む。実はひそかに楽しみにしてるのにおれは毎回ショックを受けていた。期待している分、地味に傷つく。でも代わりに二言三言話せるだけでも十分な褒美である。ただ不満なのは……他のメンバーとは普通に握手をしていること。全員と触れ合える機会などで何故か俺だけ意図的に飛ばされる。思わず仲間を睨んだ俺は悪くないと思う。そのせいで俺だけを嫌うファンとして逆に彼は身内で有名だ。かなり好奇の目で見られていることに気付いているのかいないのか。

 普通そこまで具体的なたとえはでてこない。そんな奇特なファンは〝彼〟しかいない。ハっとした。急いで発信者を調べると。

――

 一応、神部シンジを守るネット消防団団長に任命されてます。彼について困った問題や炎上を匂わせる発言をみかけたらこちらまで。ただし「綺羅」事務所関係の公式アカウントではなく、あくまでただのファンの考察です。
――

 消防と炎上。見慣れない組織名。消防士でもしているのかと思えば、どうやら仲のいい面々でわざわざ俺の苦情が殺到しそうな独り言について説明書きを発信し、そういった事態を未然に防ぐ活動をしているらしい。これまでの真摯な呟きが全て残されていた。害悪とも思える発言にだって果敢に挑み丁寧に説き伏せる言葉に胸が詰まった。
 口下手な自分を理解して伝えてくれる、代弁者。
 心の底から尊敬した。
 分かりにくいうえに誤解されやすい言動も、彼の言葉にかかれば他意はないですよ、と証明されてしまう。周囲と軋轢を生まないように、盾に、壁になって守ってくれる。絶対の味方がいるその安心感。
 ずっと、見守っていてくれたのか。
 こんな形で応援されていたのかと思うと胸が苦しくて苦しくて。どんな言葉を貰うより体の内部がぽっと熱を持つ。完全に彼に惚れた瞬間、自分の心に火がついた。

【そういえばこの前の握手会で犬がすきだって言ってました。不器用な自分を信頼して待ってくれる、そんな忠誠心には思わず応えたくなるからって】

 彼しか知らないはずの会話。他人は信じない、どこ情報でもないそれを熱心に書き込む愚直さに思わず笑みが引き出された。

 辛い下積みを乗り越えたかいがあったと。途中参加したメンバーとなかなか馴染めない現状も吹き飛んだ。ああ、俺をみつめる彼がいるなら、俺はどこまでも行ける気がした。


 きっかけは落ち度でも、今回のライブ騒動は自ら望んで起こしたものだ。炎上覚悟。責任をとるつもりで社長にも頭を下げている。そして協力を願い出た。直談判して。その目的は。

「♪ 会いたくて ただそれだけ 心は求めてる」


 熱を込めて歌う。フレーズに力が籠もる。ふと、詰めかけた群衆の只中で、偶然、見つめ合う目と目。
 ちょっと腫れぼったいあの眼は。

 視界の端、隅っこにじっと佇むのは彼だった。

 目頭が熱くなる。どんな人混みだろうと見つける自信はあった。でもまさか現地に来てくれるなんて思わなかった。彼は律儀だから返事をネット上で済まさない気だろう。その口で誠実に伝える為に、わざわざここへ。

 高鳴る胸。その激情のまま、声を張る。

 絶唱。
 あなたに、この心が届くように。


 突然のお開き。誠意を込めて謝罪。その場を職員に手伝ってもらい撤退する。車内から唯一知る連絡先にメッセージを入れ遠回しに逢い引きのお誘いをした。目的地を入れて先回り。
 ビジネスホテルの個室。キョロキョロとおっかなびっくりベッドルームまで足を踏み入れた彼を、待ち伏せた背後から羽交い締めにする。

「やっと、捕まえた」

 念願叶っての捕獲だった。


 抱きしめた彼だが、その手は寒さで冷たく、顔はどんどん青ざめていく。そして。

「ごめん」

 ああ、予想通り。やっぱり振られたか。

「ごめん、なさい。いくら謝っても足りないと思うけどごめ……!?」

 その口をそっと立てた指で塞いだ。

「この恋の炎は、そんな生易しい言葉じゃ消えませんよ。たとえ渚に何度振られたって、あなたが消火に使う冷水ことばでだって消せやしないよ」
「ごめん、本当っごめん」
「渚……」
「おれ……おれ……」
「いいよ、言わなくても分かってる」

 ふるふると首を振る男を可愛いなと思った。そんなに真剣に考えてくれて、それだけで十分だから。でも彼は意を決し、拳を固く握った後で、まっすぐに俺をみつめた。

「おれはやっぱりすきです!! ごめんなさい!」
「へあ?」

 やばい、間抜けな声が出た。え? 好きなのにごめんなさいってどういうこと?? 彼にその旨を尋ねれば。

「不毛な恋だって、ちゃんと分かってる。一介のファンが人気者なアイドルであるシンジを独占するつもりなんてないよ!? でも、でもな。あんな手紙貰ったら、やっぱり真志の愛する人になりたい。幽霊なんかイヤだ! ちゃんとふれあって、好きっていっぱい言って、それでもまだ足りないから……こうして抱きしめられたい。そう思ってしまうんだ。いけないって分かって、」
 
 分かってるのに、おそらくそう続くはずだった唇を唇で思わず塞いだ。長いキス。愛しい人に許可もなくがっついてしまった。

「好きなことが悪いなんて、そんなことないでしょう? 俺は嬉しいです。あなたに愛されて」
「でも……ずるくないか?」
「俺に恋して俺を縛りたいと思うあなたがずるいなら、本当に卑怯なのは俺の方ですよ。こんな形であなたを誘き寄せてあろうことか身勝手に口づけた。どうです? 悪い男でしょう」
「っ! も、もう。あんまりかっこつけないで。心臓もたない……」

 あなたをそれほどときめかせているなんて余計俺を喜ばせるだけだ。完全に逆効果なのに。そういえば。

「ところで返事はSNSからの連絡でいいって書きましたよね?」
「こういうのは直接の方がいいと思って。やっぱり自分の声でちゃんと伝えたかったから、慌てて駆けつけたんだ」

 やっぱりそうか。思ったとおりで安心した。あなたの声で返事が貰えて嬉しかった。

「凄い、いい曲だった。聴くだけで涙出てきた」
「あなたに聴かせる為の曲ですから」
「曲を作ったの?」
「ええ。久しぶりでした。とても楽しい時間でしたよ。あなたの為にうたを書く時間は」
「なんであんなことしたんだ?」
「渚に帰って来て欲しかったんです。戻って俺のファンとして見守っていてと懇願するつもりで、こんな迷惑行動を起こしました。バカでごめん」
「無茶過ぎる……」

 震えつつ頬を赤らめる彼が一層可愛らしい。そのまま食べてしまいたいぐらいだ。

「渚……っ!!」

  名前を呼び、抱きしめるが彼は非常に微妙な顔をしている。何度かためらってでも指摘せずにはいられないとばかりに口にした。

「あの、さ……感動しているところ悪いけど、その名前で呼ばれるのは恥ずかしい」
「なんでですか。本名なのに」

「え」
「あっ?」

「えーっと違いました、か。渚っててっきり本名かと……」

 誤解していたことを思い赤面する俺。まずった。思い込みって怖い。てっきり本名だと信じて疑わなかった。

「おれの名前は相良正樹。渚はただのアカウント名」

 呆れたように笑う顔もかわいらしい。名前を反芻する。男らしい名前だ。顔に馴染んだ名前を口の中で転がす度に頬がにやける。今、彼の名前を知ってしまった。甘い飴をもらったような気分。もう絶対離せない予感があった。

「すきだよ。ううん、ずっと前からすきでした」
「っ」
「陳腐過ぎた?」
「そんなことない、全然」

 彼から与えられる「すき」の魔法の言葉は、容易に俺を暖める。ずっと欲しかったもの。それが手に入り、ようやく安堵した。

 運命が変わる瞬間。交わることのなかった星が、今、交錯した。


 どうしても諦めきれなかった。
 誰が認めてくれなくてもいいなんて一時はそう思った。でも認められない結婚なんかして相手は幸せなのか? 俺たちは幸福になれるのか? 世のすべてが物語のようにハッピーエンドになるわけじゃないと知っている。それでも彼の日頃の奮闘をみて俺は知っていた。丁寧に言葉を尽くす大切さを。相手に理解される為には言葉を惜しんではいけないと。たとえ振られても、傷つけられても、俺は。多分、何度だってあなたを好きになってしまうと思う。もしそんなことになったら、その時は――言葉を尽くすことに手は抜かない。

「きっと燃え上がることになると思う。険しい道を歩ませることになるかもしれないけど、それでも、俺の炎に付き合ってください」
「うっ、……はい」


 時間が許す限り、ソファーに並んで座ってこれまでの経緯を話し合った。お互いの空いた時間を埋めるように。そこで彼は不安な色をみせて本音を漏らした。

「アイドル、やめないよね?」
「……」

 ずっと悩んでいた。迷惑ばかりかける問題児の俺。それを支え続けた周囲の人々。おれはまだなにも返せていない。そういった人々にも、愛しい相手にも。いつか報いる日が来ることを信じて。

「続けるよ」

 俺のアイドル生命を救った男。彼のためにアイドルを続ける覚悟を決めた。全てを捧げようと誓いを新たに。
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