4 / 9
4
しおりを挟む
「は、あははっ……これ夢だよな? 誰かそうだと言ってくれ」
おお、神よ、推しになんて試練を。たとえもうファンだと堂々と公言することが出来なくとも。おれの中で彼の思い出はキレイに生きている。それを汚すような輩は許せない。だというのに、指は止まったまま。時計の針は刻一刻と動くのにおれは進めない。いつまで経っても見ないふりをしてやり過ごすだけ。彼を思い出にしても、新しい始まりなんて出来なかった。結局精神的に辛い会社には勤めたまま。目立たず隠れて生きる日々。推しに貢献していた頃の燃えるような使命感もない。ただくすんだ日々を惰性で繰り返す。
このままではいけない。焦燥感に突き動かされる。推しを本当の意味で失うかもしれない恐怖に駆られたおれの中でなにかが変わる。
そうだ。ずっと苦しかった。でも、彼がいるからあんな職場環境でも耐えられたのだ。すべては彼をきっかけに回っていた。労働は推しへ貢ぐ為。おれの血と汗の結晶で推しを食わせてやっているというおかしな自負があった。それはおれをなくてもいいみじめな存在から誇り持つ人間に変えてくれた。
ふと寂れた路地裏で歌う彼の姿が過甦る。ちょうど今の映像のようだ。しかしまだ年若く無名だった頃の彼だ。哀愁漂う歌声が場末の路地に響く。美しい声音だが、どこか精彩に欠け、通りゆく人は彼の歌声に耳を傾けることもなく、時折つばを吐くようにへたくそと感想を捨てて去っていく。見向きもされないシンガー。
高校生活全てを注ぎ込んで勉学に励むも、その結果は不合格。大学受験に失敗し、両親からは責められ、兄貴には白い目で見られた。家族からはまるで異分子のように扱われ、デキの違う頭に本当は自分たちの子供じゃないのかもなんて真面目に話し込んでいるのを聞いて泣き笑いしたこともある。同級生はガリ勉で友達付き合いも下手だったおれをあざ笑った。担任教師は困った顔でため息をつき、当時付き合っていた彼女には呆れたと一言。さよならもなく疎遠になった。
一体なんのためにあんなに真面目に勉強していたのだろうか。
期待には応えたかった。現実からは逃避したかった。血を吐くような苦しい思いで毎日頭痛を抑えて勉強した。それでも状況は一向に好転せず、レッテルだけがつきまとった。世界におれの居場所はどこにもなかった。
頭より先に心がパンクしそうになったおれはついに逃げた。
あてもなく電車を乗り継ぎ見知らぬ町とたどり着く。ふらふらと主要な道を外れていき、路地を誘われるように歩き、とうとう辿り着いたのは行き止まり。立ちはだかる壁をみてどこへも行けないことを悟った。やっぱりおれはダメなんだと。力尽き、ずるずると壁を背にし、暖かくなったとはいえまともな厚着もせず出てきたその格好で身を縮めて座り込む。
「~~」
どこからか聴こえたのは歌だった。誰かがこんな路地近くで歌っているらしい。すべてを諦め眠ってしまおうとしたのに、耳障りな音声。その音源をイライラしながら辿ると。
「♪ あなたが 必死で守ったもの全て 無駄なものなんてない」
ほろり、と胸を打つ言葉に涙が知らず流れ落ちた。
男声が歌うにしてはしっとり歌い上げられる歌詞。当時のおれに響いて仕方なかった。なぜあんなに心を打ったのか、おれにも分からない。ただ強烈に惹きつけられた。
歌っているのはどんな人だろう。そう思って、建物の角から顔を出す。そこに居たのはおれと同年代ぐらいの青年だった。少年期を抜け始めた、そんな年頃の男が歌っていた。場違いなほど華やかな金髪に薄茶の瞳。若く細い顎のラインや開閉する口元、喉仏の動きが妙な色っぽさを伴っていた。
「♪ あなたが生きようと足掻いた証 これからを生きる糧 血となり肉となり生かす過去 その根源全てを抱きしめる わたしはいつもあなたと共に」
目があった。一目で射抜かれた。
度肝を抜かれ、心臓を鷲掴みにされ、全細胞が高揚する。一瞬で魅了されてしまった。たどたどしい歌声だったが、その歌詞から始まり歌い方、なにからなにまで衝撃的だった。ずっと待っていた魔法みたいな言葉を欲しいままにくれる。
聞き惚れるまま立ち尽くした。
「素敵でした」
路上ライブをするような歌手に初めて感想を述べた。多分興奮していたから出来たのだ。年が近そうだったのもあり、気軽に言葉が出てきた。
「ありがとうございます。おれの心を救ってくれて」
目一杯の感謝。ボロボロ泣くおれに困惑する彼だが、おれが泣き止むまでおどおどしながら付き合ってくれた。
「この曲、母親の作詞した詩を元にしたんです。息子に遺した最後の詩」
唐突に彼が言った。その時曲名も一緒に告げられる。亡くなった母がくれた贈り物。この曲と自分の名前が今も誇りだという。親から一字ずつとった名だと、自分の名と母の名を彼はスマホで映してみせた。
切ないような、それでいて満足げな穏やかな表情は次の言葉で一変した。
「だから俺にも思い入れのある曲だから嬉しいです」
はにかむような笑顔。心に染み入る歌に、彼の笑った顔が、おれの胸に光を灯す。
家族は勿論心配した。帰宅して叱られ、初めてまともに父親から頬をぶたれた。息子の身を心配してなどでは勿論ない。出来損ないの息子がどこかで犯罪などに手を染めて自分達に迷惑が被らないかという心配。要は保身である。
親からすら愛されていなかった自分。おれはきっと彼らにとってただの道具でしかない。
だが、あの歌を聴いて、彼と出会った出来事のおかげでそれを冷静に見つめる余裕があった。暖かな家庭とは無縁だったから、離れる決意は容易に出来た。
彼らにとって不要な存在なら出ていけばいい。どこまでも信頼されていないことが伺えたが、幸い、親として最低限の協力はしてくれた。無事大学が決まり、家を出て一人暮らしをすることを告げた。幸い金銭には困っていなかった両親。不出来な息子がいなくなってせいせいする。声に出さなくても厄介事が自ら消えてくれることに安堵していることが伺えた。
でも結局入った会社がブラックだったのは笑えない類の冗談だと思った。
おお、神よ、推しになんて試練を。たとえもうファンだと堂々と公言することが出来なくとも。おれの中で彼の思い出はキレイに生きている。それを汚すような輩は許せない。だというのに、指は止まったまま。時計の針は刻一刻と動くのにおれは進めない。いつまで経っても見ないふりをしてやり過ごすだけ。彼を思い出にしても、新しい始まりなんて出来なかった。結局精神的に辛い会社には勤めたまま。目立たず隠れて生きる日々。推しに貢献していた頃の燃えるような使命感もない。ただくすんだ日々を惰性で繰り返す。
このままではいけない。焦燥感に突き動かされる。推しを本当の意味で失うかもしれない恐怖に駆られたおれの中でなにかが変わる。
そうだ。ずっと苦しかった。でも、彼がいるからあんな職場環境でも耐えられたのだ。すべては彼をきっかけに回っていた。労働は推しへ貢ぐ為。おれの血と汗の結晶で推しを食わせてやっているというおかしな自負があった。それはおれをなくてもいいみじめな存在から誇り持つ人間に変えてくれた。
ふと寂れた路地裏で歌う彼の姿が過甦る。ちょうど今の映像のようだ。しかしまだ年若く無名だった頃の彼だ。哀愁漂う歌声が場末の路地に響く。美しい声音だが、どこか精彩に欠け、通りゆく人は彼の歌声に耳を傾けることもなく、時折つばを吐くようにへたくそと感想を捨てて去っていく。見向きもされないシンガー。
高校生活全てを注ぎ込んで勉学に励むも、その結果は不合格。大学受験に失敗し、両親からは責められ、兄貴には白い目で見られた。家族からはまるで異分子のように扱われ、デキの違う頭に本当は自分たちの子供じゃないのかもなんて真面目に話し込んでいるのを聞いて泣き笑いしたこともある。同級生はガリ勉で友達付き合いも下手だったおれをあざ笑った。担任教師は困った顔でため息をつき、当時付き合っていた彼女には呆れたと一言。さよならもなく疎遠になった。
一体なんのためにあんなに真面目に勉強していたのだろうか。
期待には応えたかった。現実からは逃避したかった。血を吐くような苦しい思いで毎日頭痛を抑えて勉強した。それでも状況は一向に好転せず、レッテルだけがつきまとった。世界におれの居場所はどこにもなかった。
頭より先に心がパンクしそうになったおれはついに逃げた。
あてもなく電車を乗り継ぎ見知らぬ町とたどり着く。ふらふらと主要な道を外れていき、路地を誘われるように歩き、とうとう辿り着いたのは行き止まり。立ちはだかる壁をみてどこへも行けないことを悟った。やっぱりおれはダメなんだと。力尽き、ずるずると壁を背にし、暖かくなったとはいえまともな厚着もせず出てきたその格好で身を縮めて座り込む。
「~~」
どこからか聴こえたのは歌だった。誰かがこんな路地近くで歌っているらしい。すべてを諦め眠ってしまおうとしたのに、耳障りな音声。その音源をイライラしながら辿ると。
「♪ あなたが 必死で守ったもの全て 無駄なものなんてない」
ほろり、と胸を打つ言葉に涙が知らず流れ落ちた。
男声が歌うにしてはしっとり歌い上げられる歌詞。当時のおれに響いて仕方なかった。なぜあんなに心を打ったのか、おれにも分からない。ただ強烈に惹きつけられた。
歌っているのはどんな人だろう。そう思って、建物の角から顔を出す。そこに居たのはおれと同年代ぐらいの青年だった。少年期を抜け始めた、そんな年頃の男が歌っていた。場違いなほど華やかな金髪に薄茶の瞳。若く細い顎のラインや開閉する口元、喉仏の動きが妙な色っぽさを伴っていた。
「♪ あなたが生きようと足掻いた証 これからを生きる糧 血となり肉となり生かす過去 その根源全てを抱きしめる わたしはいつもあなたと共に」
目があった。一目で射抜かれた。
度肝を抜かれ、心臓を鷲掴みにされ、全細胞が高揚する。一瞬で魅了されてしまった。たどたどしい歌声だったが、その歌詞から始まり歌い方、なにからなにまで衝撃的だった。ずっと待っていた魔法みたいな言葉を欲しいままにくれる。
聞き惚れるまま立ち尽くした。
「素敵でした」
路上ライブをするような歌手に初めて感想を述べた。多分興奮していたから出来たのだ。年が近そうだったのもあり、気軽に言葉が出てきた。
「ありがとうございます。おれの心を救ってくれて」
目一杯の感謝。ボロボロ泣くおれに困惑する彼だが、おれが泣き止むまでおどおどしながら付き合ってくれた。
「この曲、母親の作詞した詩を元にしたんです。息子に遺した最後の詩」
唐突に彼が言った。その時曲名も一緒に告げられる。亡くなった母がくれた贈り物。この曲と自分の名前が今も誇りだという。親から一字ずつとった名だと、自分の名と母の名を彼はスマホで映してみせた。
切ないような、それでいて満足げな穏やかな表情は次の言葉で一変した。
「だから俺にも思い入れのある曲だから嬉しいです」
はにかむような笑顔。心に染み入る歌に、彼の笑った顔が、おれの胸に光を灯す。
家族は勿論心配した。帰宅して叱られ、初めてまともに父親から頬をぶたれた。息子の身を心配してなどでは勿論ない。出来損ないの息子がどこかで犯罪などに手を染めて自分達に迷惑が被らないかという心配。要は保身である。
親からすら愛されていなかった自分。おれはきっと彼らにとってただの道具でしかない。
だが、あの歌を聴いて、彼と出会った出来事のおかげでそれを冷静に見つめる余裕があった。暖かな家庭とは無縁だったから、離れる決意は容易に出来た。
彼らにとって不要な存在なら出ていけばいい。どこまでも信頼されていないことが伺えたが、幸い、親として最低限の協力はしてくれた。無事大学が決まり、家を出て一人暮らしをすることを告げた。幸い金銭には困っていなかった両親。不出来な息子がいなくなってせいせいする。声に出さなくても厄介事が自ら消えてくれることに安堵していることが伺えた。
でも結局入った会社がブラックだったのは笑えない類の冗談だと思った。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
罰ゲームから始まる不毛な恋とその結末
すもも
BL
学校一のイケメン王子こと向坂秀星は俺のことが好きらしい。なんでそう思うかって、現在進行形で告白されているからだ。
「柿谷のこと好きだから、付き合ってほしいんだけど」
そうか、向坂は俺のことが好きなのか。
なら俺も、向坂のことを好きになってみたいと思った。
外面のいい腹黒?美形×無表情口下手平凡←誠実で一途な年下
罰ゲームの告白を本気にした受けと、自分の気持ちに素直になれない攻めとの長く不毛な恋のお話です。
ハッピーエンドで最終的には溺愛になります。
その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】
【続編も8/17完結しました。】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる